4-3
これまでライムさんや旦那様は、私を魔人退治に連れて行ってはくれませんでした。
だから、わがままを言っても無駄だというのはわかっていました。
しかし、ライムさんは困ったように笑うと「仕方ないわね」と漏らしました。
「え……? いいんですか!?」
「だって、イブキちゃんの目が、今回は絶対に引かないって言ってるもの」
目は口ほどに物を言う、ということでしょうか。
思いが通じたことで、私の心はパァっと明るくなりました。
「それじゃあ、準備が終わったら呼ぶから、料理を冷蔵庫にしまっておいて」
とライムさんは言い残すと、扉を開けて玄関から出て行きました。
「はい!」
私は、扉の向こうに行ってしまったライムさんにも届くように、大声で返事をしました。
旦那様は、あれほど戦うことが怖いと言っていました。
死が迫ってくることを、あれほど恐れていました。
それなのに、何故また戦いに向かったのでしょうか。
それも、何の迷いもなく……。
料理を片付けながら、私は旦那様の心境を考えました。
でも、考えても考えてもわかりません。
私は、旦那様は旦那様のままでいいと言いました。
そして、その言葉を聞いて、旦那様は私を抱きしめてくれた。
旦那様の弱さを吐き出してくれた。
確かに、誰にも頼れない状況なら、迷ってはいられません。
でも、旦那様には、私もライムさんもいます。
……もしかして、私は旦那様に必要とされていないのでは……?
その時、突然私の右肩が何者かに叩かれました。
私は驚いて、振り向きます。
すると、片に置かれた手から伸びる人差し指が、私の頬を突きました。
その犯人は、ライムさん。
彼女は優しく微笑むと、私の肩から手を離します。
「考え事? 呼んでも返事しないから焦ったわ」
「あ、す、すみません」
ライムさんは私の目を見据えます。
彼女の吸い込まれるような瞳に、私の視線が縫い付けられるようでした。
「……ソウタの事ね」
図星を突かれた私は、驚きから心臓が飛び跳ねました。
「わかるんですか!?」
「わかるわよ。
だって、ソウタが出て行くまでは幸せそうな顔してたのに、今はとっても辛そう」
そうだったんですか……。
自分では全く気が付きませんでした。
私の考えていたことが、傍から見たら丸わかりだったなんて、少し恥ずかしいです。
「私は、恋なんてしたことないから、そうまで悩めることが少し羨ましいわ」
と、ライムさんは付け加えました。
「……悩んで、いるんでしょうか?」
ぽつりと漏れた私の声。
だって、わからないんです。旦那様の事が。
わかったつもりだったのに、わからなくなった。それだけなんです。
これは「悩み」に入るんでしょうか?
そんな声に、ライムさんは「ん?」と耳を傾けてくれました。
今一番傷ついているのは、ライムさんのはずなのに。
「さっき、旦那様が言っていたんです。戦うのが怖い……って。
嬉しかったんです。
それを教えてくれたこと、旦那様が弱みを吐き出してくれたこと、必要とされたことが。
でも、今部屋から出て行った旦那様に、その弱さはなかった。
私の力を、必要としてくれなかった。
……私は、旦那様にとっての何なんでしょうか……?」
ライムさんは、私をやさしく抱きしめてくれました。
さっき私が旦那様にしたように、優しく。
ライムさんの纏うローブが、私の涙で濡れてしまいます。
でも私は、ライムさんから離れることが出来ませんでした。
「……人が、他人に何を求めるかは、みんな違う。
イブキちゃんは、ソウタにソウタであることを求めた。
でもあの子があの子に求めているのは、ヒーローであることなの。
だから絶対に逃げ出さない」
「ヒーローで、あること……?」
私をより強く抱きしめ、後頭部を撫でながら、ライムさんは続けます。
この感じ、おばあさまに抱きしめられた時とそっくりです。
おばあさまが、私が私であることを、受け入れてくれた時と。
「そう。ソウタがあの子自身に求める姿と、イブキちゃんに求める姿なんて、違って当然じゃない?
あなたがソウタにとって何者なのか、私からは軽々しく言えないわ。
それを確かめるために、今から戦いに行くのでしょう?」
ライムさんは、私の肩を掴むと、ぐいと引き離しました。
温もりから離された私に、名残惜しさが残ります。
私の肩を掴んだまま、ライムさんはじっと私の目を見つめました。
「私だって同じ。
私がルイスにとっての何者なのか、ルイスがこの街にとって何なのか、それを確かめに行くの。
だから、こんな所で立ち止まってはいられないじゃない?」
私から手を放したライムさんは、丸机に置かれていたピンク色のヘルメットを抱えました。
ライムさんが普段使っているのとは違うヘルメット?
「あなたのよ、イブキちゃん。
こんなこともあろうかと、こっそり通販で買っておいたの」
私にヘルメットを差し出して、ライムさんは微笑みました。
ライムさんが私を必要としてくれていた、私の為にヘルメットを用意してくれた。
その事実が、私の胸を打ちました。
なら後は、旦那様にとって私が何者なのかを確かめるだけです!
「ありがとう……ございます……!」
私は、溢れ出した涙を手で拭って、ヘルメットを受け取りました。
私がライムさんに連れられて来たのは、この建物の1階です。
2階の部屋から直接は繋がっておらず、一度外に出てから下に降りる必要がありました。
私がここに入るのは、今回が初めてです。
鉄製の扉を潜った先に広がっていたのは、鉄製の棚や工具箱が置かれている部屋。
そう言えば旦那様は、ここを「ガレージ」と呼んでいたような……?
ガレージの中央に無駄なスペースが開いていました。
普段はここに車が置かれていたようです。
その車は、3日前に魔女ルイスによって破壊されたらしいのですが……。
ふと私の目に入ったのは、本来車が置かれていたであろう場所の、すぐ隣。
銀色のシートに隠された何かが、ぽつりと置いてありました。
人の半分程度の横幅に、私の胸辺りまでの高さ。
長さは人一人分ほどはあるでしょう。
「本当は車が一番いいのだけれど、壊されてしまった物はしょうがないわ」
そう言うと、ライムさんは銀色のシートへと歩み寄っていきました。
「だから、これの出番」
シートに手を掛け、それを一気に引き剥がすライムさん。
その中にあったのは――。
「これ……バイク、ですか?」
車輪を持たないバイク。
2輪車からタイヤがすっぽり無くなったような形をした乗り物。
カラーリングは雷のメイルを纏った旦那様と同じ、メタリックブルーに金色の差し色が施されています。
「そうよ。本来はソウタの為に買ったんだけどね。
あんまり使う機会がなくって。
イブキちゃんが来てからは、風のコンバータがあれば飛べるしね」
ライムさんは、その青いバイクに跨ります。
「さあ、乗って」
「は、はい!」
私は、ライムさんのすぐ後ろに跨り、彼女のお腹をしっかりと抱きしめました。
「それじゃあ、行くわよ!」
ライムさんがハンドルを握ると同時に、バイクが始動します。
シャリンを持たないバイクは、ふわふわと浮かび上がり始めました。
同時に、ガレージのシャッターが開かれます。
自動ドアの様なものなのでしょうか。
「イブキちゃん、しっかり掴まっててね!」
私が「はい」と答えるよりもはやく、バイクは急加速を始めます。
慣性によって、思い切り後ろに引っ張られた私は、思わず叫び声を上げてしまいました。
「きゃあああああああああああ!!!!!!!!??????」
そんな私の声さえも置き去りにするように、バイクは道路へと躍り出たのでした。
地面すれすれを飛行するバイク。
ライムさんから手を離せば、すぐにでも振り落とされそうな加速。
風が、私の身体を撫でていきます。
最初は怖いと感じたこの速度も、だんだんと高揚感に変わっていきました。
私は、ギュッと閉じた目を開き、ライムさんの肩越しに高速の世界に目をやりました。
まるで中心から放射状に引っ張られたような世界。
この街の人にとっては、これが当り前の移動方法なのでしょうか。
それから約10分。
私達の進行方向上に、バリケードと警備隊員達が立ちはだかりました。
彼らは私達を視認すると、拡声器を用いて何かを訴えかけてきました。
しかし、強い風の音にかき消され、何を言っているのかわかりません。
その時、ライムさんも私に何かを言ったようでした。
やはり、なんと言ったかは聞き取れません。
その瞬間、バイクがふわりと急上昇を始めました。
叫び声を上げようにも、臓器の押しつぶされるような感覚に、声が上がりません。
息もできない程のスピードで急上昇するバイクは、バリケードにふさがれた道を易々と飛び越えました。
きっと、ライムさんはしっかり掴まれと言ったのでしょう。
なんとか振り落とされなかったからよかったものの……。
ふと私は、下に視線を落としました。
今私は地面から20メートルは離れたであろう位置を飛行しています。
今手を離したらどうなるか、考えたくもありません……。
バリケードの向こうは、驚くほどに人っ子一人いませんでした。
一体、なんと言って人々をバリケードの外に追い出したのでしょうか?
こんなやり方では、魔人の存在を隠し切るにも限界があると思うのですが……。
そんな時、誰もいない道路に立つ人影が二人。
一人は、このバイクと同じメタリックブルーの鎧を纏う人。
間違いない、あれは旦那様です。
「旦那様!!」
私は思わず、届かないであろう声を上げてしまいました。
もう一つの人影が、人でないことに気が付くのに、時間はかかりませんでした。
旦那様の目の前で尻餅を突いているのは、腕が茶色い翼になっている人。
つまり、魔人です。
旦那様は、そんな魔人に対して、今まさにとどめの一撃を振り下ろそうとしているところでした。
魔女ルイスも現れていないようですし、どうやら一件落着の用です。
そう思い、肩を撫で下ろそうとした、その時でした。
後一撃で決まる、そんなタイミングで、旦那様は突然後方に飛び退きます。
直後、魔人と旦那様の間を、透明の線が銃弾のように貫きました。
まさかあれが、二人目のメイル使いの攻撃?
旦那様から、相手は水を圧縮して銃弾のように撃ち出すと伺っています。
だとしたら、今の線は水ってこと?
にわかには信じられません。
私が呆気にとられていると、バイクの運転をしていたライムさんが、何かを叫びました。
なんと言ったか、明確には聞き取れませんでしたが「掴まって」と言っていたと思われます。
私がライムさんの言う通り、彼女の腹部を強く抱きしめた、その時でした。
バイクが突然、右側に大きく振られます。
勢い余って、そのまま旋回を始めました。
「きゃあああああああああああああ!!!!」
叫ぶ私のすぐ横を、透明な線が擦過します。
その線は、水滴を撒き散らしながら、快晴の空に消えて行きました。
水の銃弾が、私達にも襲い掛かってきた!?
間違いありません。
ここには、水の魔女ルイスと、彼女が従えるメイル使いがいる。
私はそれを確信しました。
水の銃弾による攻撃は、止む気配がありません。
しかし、ライムさんの凄まじいライディングテクニックにより、バイクは銃弾の雨の中をすいすいとくぐりぬけていました。
もちろん、それに応じて私も振り回されているのですが。
私は歯を食いしばり、ライムさんに体を密着させます。
今私にできることは、ライムさんを信じる事だけでした。
もはや直角と言える角度で急降下していくバイク。
ものすごい勢いで、地面が私達に迫ってきます。
ぶつかる!!!
と思った刹那、バイクは大きく身を翻し、下面を地面に擦り付ける勢いで横滑りしていきます。
ガリガリと石畳を削る衝撃が、私の身体を揺さぶりました。
バイクの進行方向上にいるのは、旦那様。
旦那様は、バイクが自分に向かって突進してくるというのに、まったく動じる様子はありません。
きっとこのバイクもそれなりのお値段がすると思います。
その大切なボディを傷つけながら、バイクは速度を殺していきました。
そして、旦那様から1メートル程離れた所で、ピタリと運動を停止しました。
「……来たか、ライム」
鎧を纏った旦那様は、そう言いながらこちらに振り向きます。
「ってイブキ!? なんでここに!?」
案の定、私が目に入るや否や、旦那様は驚愕の声を上げました。
「それは後で説明します。今はそれよりも……」
私は、私達を襲った水の銃弾の射点を目をやりました。
そこに立っていたのは……。
「本当に落ちるのが好きね、あんたたち」
水色の髪をした、私とそう変わらない年齢の少女。
彼女が、魔女ルイス……!
そして、その隣に佇むフィセント・メイル。
ルイスは、私を見やると「誰あんた」と眉を顰めます。
私は、腰に提げた刀に手を掛け、声高らかに答えました。
「私はイブキ!!
魔女フロイアの一番弟子にして、ソウタの妻になるものです!!」
「……フロイアの!?」
ルイスは、一度驚くような素振りを見せますが、その後すぐに溜息を吐きました。
「そう、あいつはあくまでそっちに付くつもりって訳?」
「そっちも何もないわ」
ライムさんは、ヘルメットを外しながら言いました。
美しい銀色の髪が、ふわりと外へ解き放たれます。
「私は確かめに来たの。
あなたの目的を、あなたがこの街にとっての何者なのかを」
「……この街にとって、ねえ。
少なくとも私は、ここが大嫌いよ」
魔女と魔女、両者一歩も引かぬにらみ合いが、私の目の前で繰り広げられていました。