4-2
旦那様に私の思いを告げられたこと。
旦那様と、痛みを分け合えたこと。
それは、私にとって、何よりも幸せなことでした。
出来る事ならば、ずっと旦那様と二人きりでいたいと思いましたが、そうもいきません。
3日前の出来事で傷ついたのは、旦那様だけではないのです。
ライムさんも、旧友に裏切られ、心に深い傷を負っていました。
家事すら手がつかない程に。
家に戻った私達は、ライムさんの代わりに昼食を作り始めていました。
とにかく二人に元気になってもらいたい私は、豚肉たっぷりのピーマン炒めを作ることにしました。
「……ごめんなさいね。本当は私の仕事なのに」
ベッドから上体を起こしたライムさんは、こちらを見ながら申し訳なさそうに言いました。
「気にせず、こんな時くらい休んでいて下さい。
いつもお世話になっているのは私の方なんですから」
私は、出来る限り精一杯の笑顔で答えました。
ライムさんだって、心の底から傷ついている。
それなのに、こんな時まで人に配慮するなんて……。
私は、ライムさんという人の強さに、思わず心を打たれてしまいました。
「そうだぞ。お前には元気になってもらわなくちゃ始まらないからな」
旦那様は、慣れない手つきでピーマンを刻みながら言いました。
私が昼食を作ると言ったら、旦那様が手伝うと言ってくれたので、包丁を預けたはいいのですが……。
見ているこっちがひやひやするくらい、危なっかしいです。
ケガをしなければいいのですが……。
旦那様は、ただでさえ3日前に足に大ケガをされています。
フィセント・メイルの生命維持機能がなければどうなていたことか……。
幸い、メイルの治癒能力で快方に向かってはいるようですが。
そんな旦那様と私を見て、ライムさんはふわりと笑いました。
柔らかい、それでいて今にも崩れそうな笑顔。
「そうね。それじゃあ、お願いしようかしら。
今日の家事と、ソウタの面倒は」
「なんで俺の面倒なんだよ」
「イブキちゃん以上の適任がいると思う?」
ライムさんのその言葉を聞いて、ソウタさんは私をチラリと一瞥しました。
しかし、私と目が合うや否や、ぷいとピーマンに視線を戻してしまいます。
こういった可愛らしい行動一つ一つに、私の胸は跳ね上がりました。
「はい! お任せ下さい!!」
私はライムさんが、私を頼ってくれたということに喜びを感じました。
だから今は、二人の為に私が出来ることをするんです!
それから10分。
私は、出来上がった料理を一人づつ取り分け、テーブルの上に運びました。
旦那様は、お水をコップに注いでこちらに運んできてくれます。
これで昼食の準備は完了です。
私は、ライムさんにその旨を伝えました。
すると、彼女はベッドの上からのそのそと起き上がります。
その挙動は、彼女が3日前にどれ程の心の傷を負ったのかを物語っていました。
「ありがとう、イブキちゃん。
いただいてもいいかしら?」
ライムさんは席に着くと、取り繕った笑みを浮かべながら、私に問いました。
……辛いのなら、辛いと言ってほしい。それが私の本音です。
しかし、それを強要するのは、帰って迷惑になるのかもしれない。
私は、心にチクチクとした痛みを感じながら「はい」と答えました。
「旦那様もどうぞ、召し上がってください」
旦那様は、お水を一人づつに配ると、席に着きました。
私はそれを確認してから、手を合わせます。
旦那様達も、私に続いて手を合わせます。
これは私の祖国、ジパンの作法なのですが、どうやら旦那様が元いた国も、食事の前には手を合わせていたそうです。
それ以外にも、様々な文化が似通っているというのですから驚きです。
私達は、手を合わせてからワンテンポ置いて、揃って言いました。
「いただきます!」
各々がフォークを掴み、料理に手を伸ばそうとした瞬間、無粋な電話のベルが冷たく鳴り響きました。
ライムさんはフォークを持ったまま、電話に飛びつきます。
まるでこの時を待っていたかのように。
「はい。ライムです」
ライムさんは、普段の彼女からは考えられない程強張った形相で、電話を取りました。
しばらく間を開けてからの「はい」という彼女の声色で、私はその電話の要件を察することが出来ました。
「わかりました。すぐに向かいます」
と吐き捨てるように言ったライムさんは、叩き付けるかのように受話器を置きました。
対して旦那様は、ベルを聞いていないと言った様子で、料理を口に運びます。
「うん、美味い」
旦那様はそう言うと、もの悲しそうに立ち上がりました。
今の私も、旦那様と同じ気持ちのはずです。
二人を元気にしようと思って作った料理が、ささやかな幸せの時間が、叩き壊された瞬間。
旦那様は、そんな私の頭に手を置くと、ゆっくりと撫でてくれました。
「悪いな。少しとっておいてくれ」
旦那様の手つきに、背筋に甘くとろけるような電流が走ったかのようでした。
しかしその後、ライムさんへと向けられた旦那様の視線。
今旦那様が何を考えているのか、想像するのは難しくありませんでした。
「どうしたライム?
いつになく乗り気じゃないか」
「魔人が出たらしいわ。
ということは、ルイスに会えるかもしれないってことよ」
やはり魔人でしたか……。
しかし、前回の魔人の出現からたった3日しか経っていません。
旦那様曰く、私が来るまでは、月に1体程度の頻度での出現だったそうです。
出現頻度が上がってる……?
「会ってどうするんだ?
魔人退治の邪魔になるだけだぞ」
旦那様は、ライムさんを睨み付けます。
普段からは考えられない、突き刺すような視線。
しかし、ライムさんはまったく動じません。
旦那様よりも、魔女ルイスに会うことの方が優先のようです。
「邪魔にはならないわよ。
前回だって魔人は倒してくれた」
「人もぶっ飛ばしたけどな。
ついでに、俺も殺されかけた」
魔女ルイスへの旦那様の言葉は、3日前の恨み辛みを孕んでいました。
私にとっても、ルイスは許し難い存在です。
最愛の旦那様の命を狙い、恐怖へ陥れた張本人ですから。
でも、ライムさんにとっては違うようです。
300年前からの友人であり、眠れる森という組織と戦った仲間……。
ルイスという一人を巡っての、相容れない考え方が、私の目の前で衝突していました。
でも私には、それよりも大切な話が一つあります。
「ま、待ってください。
まさか旦那様が退治に向かうおつもりですか!?」
旦那様は、何を言ってるんだと言った表情で、私へ振り向きました。
「俺が行かなきゃ誰が行くんだよ」
「私だって戦えます!!」
私がおばあさまから授けて頂いた剣術。
ここで使わなければ、他に使う機会はありません。
しかし旦那様は、そんな私の考えを真っ向から否定しました。
「やめとけ。
魔人ならともかく、魔女とフィセント・メイルが相手になるかもしれないんだぞ」
私だって、旦那様の役に立ちたい。
それなのに、旦那様はそれを許してくれない。
でも、それは私のことを考えての言葉なので、無下にも出来ません。
嬉しさと苛立ち、その2つが私の胸をかき回しているようでした。
「でも、足にだってお怪我をされてるじゃありませんか!!」
「もう治りかけだ。
動くには問題ない」
旦那様は、私の制止など最初から聞くつもりはないようです。
そんなことよりも、ライムさんに何のつもりかを聞き出すことの方が重要だと言いたげな表情……。
「そうよ、ソウタは休んでいていいわ。
イブキちゃんもソウタをよろしくね」
私達の会話に、ライムさんは予想外の一言を言い放ちました。
そして、玄関に向かって歩き出します。
「一人でどうするつもりだ?」
「魔人くらい私にだって倒せるわ。
用があるのはルイスによ」
ライムさんは、どうやら本気で行くつもりのようです。
確かに、フィセント・メイルは魔女を殺すために作られたと伺っています。
つまり、魔女であるライムさんにも、それだけの戦闘力はあるということ。
実際にフィセント・メイルに打ち勝ち、眠れる森を壊滅させたわけですから。
「そうかい。
だからって、素直に行かせると思うか?」
ライムさんは、玄関に向かう足をピタリと止めます。
そして、旦那様を睨み付けました。
「これは私の問題よ。
あの子ならきっとわかってくれる」
そして、そう言うと再び玄関へと向かいました。
そんなライムさんを見て、旦那様は大きな溜息を吐きました。
「わかった。わかったよ。
じゃあやるだけやって、玉砕して来い。
その代わり、俺が先に行く」
旦那様……さっきやめてくださいと言ったばかりなのに……。
私にはわかりませんでした。
あれほど、戦うのが怖いと言っていた旦那さまが、何故また自ら戦いに赴くのか。
「旦那様……怖いんじゃないんですか?
どうして、また戦いに身を置こうだなんて――!」
私の心から漏れ出した問いに、旦那様は食い気味に答えました。
その姿は、私の知る旦那様じゃない……。
「ああ怖いさ。
でも、ヒーローであることが、俺の存在価値なんだ。
それが俺の、役目なんだ」
わかりません。役目?
そうだったとしても、怖いのならわざわざ戦う必要はないと、私は思いました。
私は私の剣を見切れた旦那様に惹かれて、それから少しずつ旦那様を知って。
かっこいいところも、可愛いところも、全部が愛おしくて。
今日、弱みも曝け出してくれた。
それなのに、今の旦那様は、さっきまでとはまるで別人。
旦那様が遠くに行ってしまう。そんな気がしました。
「ライム、始動頼む」
私が、旦那様に掛ける声を失いました。
それを見た旦那様は、ライムさんに左腕を差し出します。
「ソウタ……。ありがとう……。
場所はトコウ。ここから北東に行けばわかるわ」
ライムさんはそう言うと、旦那様の左腕を胸元に引き寄せ、魔力の注入を開始しました。
私は今、旦那様にどうしてほしいのでしょうか?
行ってほしくない? 私の知る旦那様に戻って欲しい?
私は、私の気持ちすらも、わからなかったんです。
……何も言えませんでした。
なんて声を掛けたらいいのか、わからなかったんです。
旦那様にとって私はどのような存在なのか、旦那様はどのような人なのか。
わかっていたつもりだったのに。
<Starting>
まるで旦那様と私を引き裂くように、冷たい電子音声がメイルの始動を伝えました。
同時に旦那様は、玄関へと歩き出します。
「それじゃあイブキ、留守は任せた」
そう言い残して。
ライムさんも、それに続いて部屋から出ようとしました。
せっかく旦那様を理解して、助けになることが出来て、私の思いを伝えられて、嬉しかった。
でも、知ったつもりになっていただけだったのかもしれません。
だって、部屋から去っていった旦那様の顔は、私を抱きしめてくれた時とは違ったから。
「イブキちゃん。後はよろしくね」
ライムさんは、玄関のドアノブに手を掛けました。
その瞬間、私の口はひとりでに動き出しました。
「ライムさん……。私も……私も連れて行ってください!!」
わがままを言ったって、連れて行ってくれないのはわかっています。
でも、このまま行かせてしまったら、旦那様は私の手の届かない所に行ってしまう。
そんな気がしたから。