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今回はイブキ視点となります。
快晴のマフルの街。
こんな美しい太陽の下、私・イブキは木刀を握っていました。
旦那様に、稽古を付けてほしいと頼まれたからです。
それが旦那様の願いならばと、私は喜んで引き受けました。
しかし……
「はぁ……はぁ……。もっとだ……もっと来い……!」
目の前の旦那様は、まるで何かに取りつかれたかのように、剣を振るっていました。
そこに心はありません。体も付いて来ていない。
故に、技と呼べるものを扱えていないのです。
「旦那様。もう今日はやめにしましょう。
休息も修行の内です」
これ以上の修業は意味がない、というのが私の見解でした。
いえ、というよりは修行になっていないのです。
今旦那様が振るっているのは、剣ではありません。乱れた心そのものです。
剣としての切れ味も持たない、ただの棒。
それも、当たれば折れてしまうほどに脆いもの。
しかし、旦那様は私の意見に耳を傾けてはくれませんでした。
「まだ行ける! こんなん修行の内に入らねぇ!!」
そう言い放つと、旦那様は木刀を構えました。
……切っ先が震えている。
呼吸も乱れている。
視線だってふらついている。
旦那様が体力の限界なのは、火を見るよりも明らかでした。
「どう見れば、それで行けると言えるんですか?」
「うるさい!!
俺は……俺は強くならなくちゃいけないんだ!!
俺はヒーローでなくちゃならないんだ!!」
目の前で傷ついている旦那様を、私は胸が締め付けられる思いで見ていました。
3日前に起こったことは伺っています。
ライムさん、そしておばあさまの旧友である魔女ルイスが、旦那様達を攻撃してきたこと。
旦那様たちの前に、二人目のフィセント・メイルの使い手が現れたこと。
そして、そのメイルに旦那様が殺されかけたこと……。
今の旦那様が、どんな気持ちで剣を握っているか、私にはわかります。
だって、昔の……おばあさまに拾われる前の私にそっくりだから。
両親に捨てられた私が、真っ先に浮かべた感情は、自責の念でした。
私が可愛くないから、両親にとって都合のいい存在でなかったから、私は捨てられた。
そう思いました。
だから私は、一人で生きて行こうと決めたんです。
価値のある人間でいるために。
おばあさまに拾われてからも、それは変わりませんでした。
なんとかおばあさまに気に入られて、今度こそは捨てられないように縋りつく。
そんな生活を続けていました。
しかし、そんな私を、おばあさまが導いてくれた。
今度は私の番です。
自らの存在証明をはき違えている旦那様を、私が導かなければなりません。
師匠として、将来の妻として……。
もしかしたら、私にそっくりだから、私はこの人に惹かれたのかもしれません。
私は、旦那様を見据えました。
身体も心も痛めつけられ、今にも崩れてしまいそうな旦那様。
それなのに、存在証明のためだけに、まだ傷つこうとしている。
そんなの、修行でもなんでもありません。
「……まだ、やれるんですね?」
私の問いに対して、旦那様は「そう言ったろ」と答えました。
まだやれるのなら、容赦する必要はなさそうです。
ダァン!!
と私は旦那様へ、一気に踏み込みます。
その勢いに、旦那様はびくりと肩を震わせていました。
剣を構えながら、相手の挙動に驚くなど言語道断。
私は、旦那様へ向けて上段から木刀を振り下ろそうと構えます。
それに対する旦那様の反応は、ワンテンポ遅れていました。
実戦ならば、勝負は決まっています。
しかし私は、ここでもう一つ、フェイントをかけてみることにしました。
上段からの一太刀を凌ぐのに精一杯の旦那様。
彼の視界の下に、一瞬で潜り込んだのです。
旦那様は、予想外の私の挙動に、視線すら付いて来ない様子でした。
そして、立て続けに、旦那様に左足を、奥へと蹴り飛ばしました。
足が後方に持っていかれ、バランスを崩した旦那様は、そのまま前につんのめる様に倒れこんできました。
「な!? くっそ……!?」
転びそうだというのに、腕すら前に突き出せない旦那様。
そこまで疲労しているというのに、まだ修行を続けようだなんて……。
褒められたことではありませんが、その根性に惚れ直してしまう私がいました。
今の旦那様はきっと、自分の存在価値は強さにしかないと考えているのでしょう。
だから必死に強さを求める。
他人に失望されないために。
そんな旦那様の目を覚ますためには、私の愛を伝える他に、いい方法はきっとない。
だから私は、倒れ込む旦那様の身体を、私の腕の中に抱きとめました。
男性特有の、ガッチリとした力強い体が、私の腕のすっぽりと収まりました。
「……イブキ?」
私の腕の中で、旦那様が不思議そうに声を上げます。
私は、不安定な体勢の旦那様に、しっかり腰を下ろしいていただいてから、一層強く抱きしめました。
「どうしたんだよ。イブキ」
これ以上、望んで傷つく必要はない。
まずは落ち着いて、旦那様を必要とする人々の気持ちを考えてほしい。
伝えたい思いはたくさんあっても、いざ伝えられる場面が来ると、なかなか口にはできないものです。
私は、そんな気持ちを少しでも伝えるために、強く抱きしめたまま、旦那様の頭を撫でました。
「……焦らなくていいんです。旦那様は、旦那様のままでいいんです」
それが、私の伝えられる精一杯でした。
「でも、俺の強さに惚れたって言ったのはお前だ。
俺は、お前の旦那様でなくちゃいけないんだ……」
今にも泣きそうな声で、旦那様は言いました。
私が旦那様の強さに惚れ込んだのは事実です。
でも、それは切欠にすぎません。
もしかしたら、旦那様への思いも、一時の感情かもしれない。
もしかしたら、私は恋に恋しているだけかもしれない。
でも、私は今、旦那様を愛おしいと感じている。
それだけは、わかってほしいと思いました。
「言ったじゃありませんか。
旦那様は旦那様です。
情けなくたっていい。
ただ、苦しいのなら、その苦しみを分けてもらいたい。
好きな人に対して、そう思うのは、おかしなことですか?」
それから、旦那様は黙りこくったまま、何もおっしゃりませんでした。
私の気持ちが伝えられたのならいいかと、旦那様から離れようとしたとき、私の後ろに回っていた彼の腕が、ギュッと私を抱き寄せてくれました。
「……あいつは、あいつは、まるでロボットみたいだった。
俺を殺すことも厭わない、俺を人と認識していない……。
怖かった。怖かったんだ。
死が間近に迫ってくるのは……」
「そうですか……」
私は、旦那様のを抱きしめ、吐き出された気持ちを受け止めることしかできません。
でも、それさえできれば、旦那様はまたいつもの旦那様に戻ってくれるかもしれない。
まだであって2週間も経っていないけど、それだけは直感的にわかりました。
私の胸に顔を埋める旦那様を受け止め、汗にまみれた頭をやさしく撫でてみます。
旦那様は、まるで母親に甘えるかのように、私を求めてくれました。
私の腕の中から漏れてくる嗚咽。
それが、旦那様が抱えている気持ち。
それを少しでも分けていただけるのなら、そんなに嬉しいことはありません。
私達は、時間さえも忘れて、ただ二人で抱き合っていました。




