3-1
「だ、旦那様……如何でしょうか……?」
土曜日の昼下がり、俺は美少女のマッサージを受けていた。
事の発端は、一週間前。
イブキちゃん……いや、イブキが俺に告白してきた時にまで遡る。
彼女は俺の妻になりたいと言い出した。
理由は「彼女の剣を見切れたから」だそうだ。
悔しいが、女の子に告白されたのは、あれが初めて。しかもとびきりの美少女。
俺は心の中で舞い上がっていた。
だけど、イブキの剣を見切ったのは俺じゃない、フィセント・メイルだ。
俺はそれをすべて話した。
イブキに釣り合う人間じゃないことも。
お互い、まだ何も知らないということも。
だが彼女は、それでもいいと言った。
お互いのことは、これから知っていけばいいと。
イケてる男はここで、目を覚ませと彼女を諭すのだろうが、俺にはそんなことできなかった。
イブキの恋人の選び方は間違っていると思いながらも、彼女の告白を受け入れてしまったんだ。
仕方ないだろ、あんなに可愛い子が告白してきてくれたんだぞ?
まあ流石に、いきなり結婚を前提にって訳にはいかないから、とりあえずは友達からってことにはしたが……。
そして情けないことに、この一週間、日に日に彼女の魅力に取りつかれてしまっている。
「旦那様……?」
イブキの可愛らしい声が、俯せの俺に降り注ぐ。
このまま眠ってしまいたい衝動を抑え、俺は「最高だ」と返した。
それで、何故マッサージなのか。
イブキは俺と付き合うついでに、俺の師匠になってくれると言った。
俺もヒーローごっこの助けになるならと、それを受け入れたのだが……。
彼女は予想以上に強かった。俺じゃとても付いて行けないレベルで。
そこでイブキは、まずは基礎トレーニングからと提案してくれた。
ここまで言えば察しがついただろう。
本当に情けないことに、俺は修行中にバテて、ぶっ倒れてしまったのだ。
「情けないな……。基礎トレーニング中にぶっ倒れるなんて……幻滅したろ?」
「旦那様は魔力も持っていませんし、私達と比べて体力がないのは当然です」
いや、魔力があっても変わらんだろうけど、という言葉は胸の中に仕舞っておこう。
弱音を吐くのは、イブキに少しでも追い付いてからだ。
「でも、本当に尊敬します。
そんな体で戦っていたなんて……」
いや、お前尊敬の意味わかってる?
この状況じゃ、皮肉にしか聞こえないんだけど。
……まあ、褒めてもらえるのは嬉しいんだけどさ。
「身体能力はメイルで補える。だから、剣術を教えてくれ」
実際、こんなにもひ弱な俺が呼ばれたのは、フィセント・メイルを扱えるからだ。
ならば、最初から俺の身体能力は求められていないということ。
しかし、戦闘経験はゼロ。
知性の無い魔人相手なら困らないが、万が一ということもある。
剣の腕だけでも学んでおけば、いざという時に役に立つかもしれない。
「それは難しいですね……。
技とは心と体からなります。そして、体は心から。
どれかだけを都合よく得ようだなんて考えは、技を得る一番の遠回りです」
出たよ、心技体って奴。でも、残念ながらその通りだ。
今の俺は、無理矢理強い体を得てるに過ぎない。
心もなければ技だってない。
「そうか……そうだよな。だったら今日やった通りで構わないよ。
またぶっ倒れるかもしれないけど、その時はよろしくな」
今日やったトレーニングは、周囲の走り込みだけだった。
イブキ曰く、心を鍛える方法はいくらでもあるらしい。
その中で、一番手軽な方法のようだ。
「ダメです。
これ以上心配かけさせないでくださいよ」
……この子、俺の心配してくれてるのか。
走り込みすらできない俺のことを……。
うっ。目頭が熱く……。
俺達が愛を紡ぎ合っている時、ライムは鼻歌を歌いながら、呑気に晩御飯の仕込みをしていた。
「うんうん。憎らしいほどのベストカップル。
やっぱり、恋っていいわね。
そう言う事は若いうちに経験しておかなくちゃ」
鼻歌交じりに言いながら、シンクに並べた調味料をものすごい手際でボールへと注いでいる。
「そんな……!
結婚なんて気が早いですよ~~!」
誰もそんなこと言ってない。
というか最初に結婚云々言い出したのはお前だろ。
「まあ確かに、恋は早く経験するべきかもな」
……俺も、前の世界では恋だなんだなんて浮ついた話は全くなかった。
故に、その尊さがわかる……気がする。
「んお!?」
と、その瞬間、ピリッという電撃のようなものが体を貫いた。
イブキが俺の尻に触れたからのようだ。
「あ、大丈夫ですか!? 痛かったですか?」
「い、いや。驚いただけだ……」
今日一日中走って、尻にも大分疲労がたまっているのだろうか。
イブキが触るたびに、痛いとも気持ちいともいえない、ものすごい刺激が、体を駆け巡る。
「そ、それじゃあ続けますよ」
そう言うと、イブキは俺の尻にゆっくりと力を加えていく。
「あ、ああ。ふひ!!??」
しかし、ぐりぐりと指が蠢いた瞬間、俺の身体はびくんと跳ねてしまった。
「だ、旦那様!?」
俺がこっちの世界に来て、手に入れた生活。
ヒーローごっこと、可愛い婚約者と、上手い飯と……。
平穏だと思っていた生活。
だが、それを授けてくれたのは、平穏とは程遠い「魔女」だという事実から、俺は目を背けていた――。
ジリリリリリ、と古風な黒電話のベルが鳴り響く。
前にも話したと思うが、この部屋に来る電話なんて、魔人関連か間違い電話、あるいは迷惑な営業の電話だろう。
仕込みをしていたライムは、手を洗うのに手こずっている。
この状況で、すぐに電話に出られるのは自分だけだと判断したのか、イブキちゃんは真っ先に受話器へと駆け出した。
「はい、こちらライム宅です」
その次に続く、イブキの声は、強張ったものだった。
電話の送り主の要件をすぐさま察した俺は、痛む体に鞭打って、なんとか立ち上がった。
「はい。わかりました」
イブキは、受話器を置いて、俺へと向き直る。
そして、イブキからは
「旦那さま。警備隊からの報告です。魔人が現れたと」
と予想通りの報告がされた。
「了解。こっちの都合も考えてほしいもんだ」
俺は、重い体を無理やり動かして、ライムの方へ歩み寄る。
「場所と状況は?」
「ダセイン南部です。ここからじゃ少し遠いかも……。
今男性が襲われているようです。
警備隊がまずは引き受けていてくれるようなので、今日のところは待機していた方が……」
ダセインは、マフルの北端。マフル南端のここからじゃ、100㎞前後はある。
だが、
「大丈夫だ。風のコンバータと、ヒーローの根性があれば行ける!」
この前イブキからもらったコンバータ。あれなら相当なスピードが出せる筈だ。
時速だと大体300或いは400キロメートル当たりか。
時間は掛かるが、警備隊が時間を稼いでくれていると信じて、向かうだけ向かってみよう。
その分、地上に与える影響も大きくなるので、はるか上空を飛ばなければならないが。
「ライム、メイルの始動を頼む」
「はいはい。夕飯が出来たら迎えに行くわ」
「ライムさん!? 旦那様は病み上がりなんですよ!?」
ライムは、諦めたように微笑むと、俺の左手を自らの胸元に押し当てた。
「そうだけど、ソウタは言い出したら聞かないわ。大丈夫、私もすぐに迎えに行くから」
「そ、そうですけど……」
なんだか、こうして心配されるのって、大事にされてるって感覚がして、嬉しくなってくる。
俺の元いた世界じゃ、友達も誰も、ここまで心配してくれなかった。……親さえも。
だから、ヒーローとしての使命が……ライムの使いとしての居場所があるのなら、そいつに縋ってやるつもりだ。
だからこそ、病み上がりでもやるときにはやらなきゃならない。
ピリピリと、腕を突き刺す痛みが、ライムから流し込まれる。
大分慣れて来たが、やはりそれでも痛いものだ。
「旦那様……本当に行かれるのですか」
「ああ。初めてじゃないしな」
「……気を付けてくださいね」
前回は、自分も行くと駄々をこねていたが、今はそんな素振りは見せない。
ライムから、身分がばれることの危険性を散々説かれたからだろう。
イブキは、俺の右手を両手で挟みこむと、それを胸の前に引き寄せた。
「必ず、帰ってきてくださいね」
「そんなに心配すんなって」
言われなくたって、ここには俺の居場所がある。だから、絶対帰ってくる。
そう決意した瞬間、メイルドライバーが<Starting>と無機質な案内音声を鳴らした。
「じゃあ、行ってくる。迎えの準備、頼むぞ」
「ええ、任せておいて」
後のことはライムに任せ、俺は家を飛び出した。
そこからは前回と同じだ。
人気の無いところに隠れて、メイルを装着。
後は風の力で空を飛ぶだけ。
前回離れたところで魔人が出たときは、ライムの車を使ったせいで大変だった。
空を飛んでいたら警備隊に追われるわ、事故りそうになるわ、時間はかかるわ。
その点、風のコンバータを手に入れてからは楽なものだ。
スピードだって出せる。
俺は、今出せる全速力で、現場へと向かった。