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はかない宴  作者: 安野穏
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戦いの行方1

 フォーサスは皇位第一継承者であるために皇帝の代理人として、アーリアン帝国軍を指揮していた。分の悪い戦いだったので、利にさとく、狡智に長けたラシェイルが、安全な皇都の守りについたからだ。元々、ラシェイルは母親が神聖ルアニス帝国時代からの名家といわれる有力な貴族の出身なので、実家の権力をかさにきて安全な場所での高見の見物を目論むことが多かった。カーディスは一地方領主という立場なので、他の国々がこの機に乗じて攻めこむことのないように、他の地方領主同様に自分の領地にある他国との国境の守りについている。


 カルトーランの街の支部庁舎を接収し、本陣として構えたあとは、戦いは配下の各騎士隊長に任せた。フォーサスは極秘にロスモールと連絡を取ると、毎日を領主の館にいた時と同様に怠惰に過ごしていた。


「この大事な時に、フォーサス様は何を考えていらっしゃるのだ」


 フォーサス付きの参謀として皇都から派遣された老齢の将軍は、作戦会議の席上でさえフォーサスが欠席したことを知ると、呆れたような口調で呟いた。幾人かの将軍はもちろん、隊長格の中にも公然とは口に出さずにいるが、フォーサスよりは彼の兄たちの方が次期皇帝に適していると思っている者たちがいる。フォーサスと共に皇都より派遣された騎士隊長たちの中にも、当然のようにカーディスの母ジェリスやラシェイルたちの息のかかった者が紛れこんでいた。そうした者たちは会議の席上で、フォーサスの無能ぶりを殊更に強調した。フォーサスの配下の中から、一人だけ真面目にも会議に出席した側近でもあるトシェインは、皆の冷ややかな視線を全身に感じて、少女のような身体を更に小さく縮込ませるように座っていた。


「せめて、会議くらいには参加されたらいかがですか?」


 会議から戻ったトシェインが、長椅子に寝そべって退屈そうに欠伸をしているフォーサスを見て、やんわりとした物言いでたしなめるように声をかけた。フォーサス付きの傭兵であるササナリが、ケッと呟いた。フォーサスと一緒に部屋にいたササナリは、暇さえあれば愛用の大剣の手入れをしていた。トシェインが横目でササナリをにらむように見る。


「ササナリさん、トシャーラ兄さんがいないからって、警備の手抜きをしないで下さい」


「うるせえんだよ。一々言われなくてもわかってんだよ」


 頭をガシャガシャとかき混ぜながら、大剣を大事そうに鞘に納めて、ササナリはプイッと部屋を出て行った。フォーサスがクククと喉を鳴らすように笑った。


「殿下も殿下です。一応は皇帝陛下の代理という肩書きで来ているのですから、もう少し覇気を見せてやったらどうですか?兄さんがそばにいたら、それこそ大目玉物です」


「わかった、わかった、トシェインはチェシャのミニチュア版だな」


 プッと吹き出しそうになるのをこらえて、フォーサスは長椅子の上に起き上がった。トシェインは面白くなさそうな顔で、口を尖らせた。彼は五つ年上の兄のチェシャ(本名はトシャーラという)と比べられるのを極端に嫌っているのだ。それでいて、行動や思考パターンはチェシャと同じなのだ。ただ、チェシャほどの度胸はまだなく、十七才という年齢から未だに生真面目で、結構血気盛んなところもある。


「殿下、とにかく次の会議には出て下さいよ。おじさん連中から、ネチネチと嫌味を言われるのはぼくなんですからね」


 要するにトシェインがブツブツとフォーサスに文句を言っているのは、自分が嫌味を言われたくないというそれだけに過ぎない。フォーサスはトシェインを見るたびに、まだまだ子供だなと思う。少女みたいな線の細い顔を持つ少年を見ながら、フォーサスはもう一人の子供を思いだした。チェシャからの定期連絡によると、皇都に向かわずにこの街の医療所で負傷兵の看護をしているらしい。報告を聞いた時には苦笑しながらも、行動パターンが実に斜め上をいくお姫様だと妙に感心させられた。最初は退屈しのぎとソフィアの血筋への下心や種々の思惑もあって、面白いおもちゃを手に入れたといった感じだったが、次第に惹かれていく自分に気付いた。バカバカしいと自嘲しながらも、ソフィアがどれだけ成長していくのかを見てみたいという欲求もあり、側近のチェシャをソフィアにつけたのだ。


「………殿下、聞いているんですか!」


 トシェインの大きな声に、我に返ったフォーサスは苦笑いを浮かべた。チェシャの代わりにフォーサスの側近に抜擢されて、トシェインが張切っているのはわかるが、少しうっとうしくなってきた。トシェインは延々と今後の行動予定を並べ立てる。


「わかった、もういい。しばらく、ひとりにしてくれ」


 トシェインがピクンと眉をひそめた。


「兄さんと殿下がどういう風に過ごしてきたのか、ぼくにはわかりません。ただ、ぼくは皇太后様からきつく言われてきているんです。いい加減な殿下をまともな道に戻すことがぼくの使命なんです」


 上目遣いになったトシェインが、フォーサスを険悪な瞳でジロリと見つめた。チェシャの蒼氷色の瞳と違って、薄い水色の瞳はどこか幼い感じをみせる。スッと長椅子から立ち上がると、フォーサスは子供をあやすようにポンポンとトシェインの頭を軽く叩いた。


「もう少し砕けた方がいい。最初から生真面目すぎるとじきに疲れてくる」


 少年はブスッとした面持ちになったが、フォーサスは歯牙にもかけなかった。パタパタと手を振って部屋から出ると、さっと陰に隠れて気配を消し追いかけてきたトシェインをやり過ごした。ここにいてもこうるさいトシェインのせいで、ゆっくりできそうもない。思案したのち、フォーサスは街の人込みの中に紛れこんだ。




「殿下!こんな街中に勝手に一人で出てくるなんて、何を考えていらっしゃるのですか?」


 医療所に現れたフォーサスを目ざとく見つけたチェシャが、他の人に見つからないようにと人のいない場所へと連れ出した上で、頭ごなしに怒鳴りつけた。トシェインよりもチェシャの方が、怒り方も堂に入っている。二人は子供の頃からの付き合いなのだから、当然といえば当然のことなのだが。


「やはり、おまえの方が気を使わなくて済むな」


 ポロッとフォーサスの本音が出たのも、二人のそうした背景があるからだ。


「トシェインはまだ若いですからね。早くから離れていたので、私に対して反発しているようです。ササナリがこぼしていました」


「確かにそうだ………ロスモールから連絡がきた」


「わかりました」


 ツーと言えばカーと言う間柄だった。離れていても、二人の間にはソフィアが感じたような人の割り込めない何かがあった。フォーサスにとっては、チェシャは第一の側近であり、参謀でもある。チェシャにとっても、フォーサスは大切な主君であり、面倒をかける弟のような存在でもあった。


「あいつは元気にやってるのか?」


 これから先の細かい打ち合せをしたあとで、フォーサスが仏頂面で口にした言葉に、チェシャは必死に笑いをこらえた。フンと面白くなさそうに鼻を鳴らして、


「皇都にも行かずにこんなところで、いつまでバカな真似をやらせとくんだ!」


 と、不機嫌そうな口調で言う。チェシャは急に真顔に戻った。


「殿下、皇都には戻らないつもりです」


 フォーサスが眉をピクリと動かした。チェシャを見ると、端正な顔に優美な笑顔を張り付けている。フォーサスは眉間に皺を寄せた。


「何を考えている?」


 突き放すような言い方をされても、チェシャは動じた素振りを見せずに、相変わらず微笑んでいた。


「この戦いは殿下の勝利でもうじき終わります。チャイニェン大陸に殿下の勇名を馳せるいい機会になるでしょう。これからは、あの方たちも今まで通りにはいかなくなるはずです。たぶん、もっと巧妙で卑劣な手段を用いてくるでしょうね。そうなるとソフィア様が一番に危なくなります」


「何が言いたい?」


 一呼吸をおいて、チェシャは庭に植えられている山茶花の淡紅色の大輪を手に取った。医療所は元々このカルトーランの街の商人の家を接収したものなので、中庭は冷気の季節にも耐える花々で埋めつくされていた。二人は人から隠れるように、垣根を成している数多の山茶花の陰にいるのだ。


「殿下は皇太后様のことをどう思われていらっしゃるのですか?」


「ばあさんはばあさんだ。今は利害が一致している以上、一緒に手を組むのが得策だろう」


「殿下、ではお尋ねします。ソフィア様をなぜ、危険な後宮にいる皇太后様にお預けなさるのですか?」


 一瞬、フォーサスが鼻白んだ顔になった。


「あの方たちも面と向かっては、皇太后様に楯突くような真似をできません。確かにソフィア様を皇太后様の元に置くのも一つの手です。一応の安全の保証は確実ですからね。ですが、後宮である以上は、いつ何が起こるかわかりません」


 チェシャは端正な顔に皮肉な笑みを浮かべた。フォーサスが腕組みをして、眉間にしわを寄せた後顔を背けた。


「殿下、ソフィア様をしばらく私に預けて下さいませんか?」


 ジロリとフォーサスが、居丈高にチェシャをにらんだ。


「おまえはあいつをどうしようというのだ?」


「大切にお育てしたいのです。今のままでは、毒を飲まされた皇妃様の二の舞になります」


「どういう意味だ?」


 フォーサスが驚いたような顔で、身を乗り出した。落ちていた小枝を踏みしめたらしく、ポキンと小さな音が聞こえた。チェシャの顔が和んだようにほころんだ。


「何も驚かれることではありませんよ、殿下。健康な男と女が夜を共に過ごせば、いつかは子供が生まれるのです。お二人の場合、少々それが早かっただけです。自然の摂理ですよ」


「チェシャは、結構意地悪なのだな」


「ええ、殿下のためなら、どのようなこともしてみせます」


 ニコッて優美に微笑む美女の姿は、かえって妖しげな雰囲気をかもしだしている。フォーサスはチェシャに背を向けると、出口へと足を向けた。


「あいつのことはチェシャに任せる。俺もこれからは忙しくなる。あいつだけを気にかけていられる時間は、もう俺にはない………チェシャ、無理はするなよ」


 スタスタと足早にさっていく男の後ろ姿を慈しむような瞳で見送ると、チェシャは元の仕事へと戻ろうとしたが、戻る途中でソフィアの元を訪れて、手にした淡紅色の山茶花の大輪を枕元に置いた。眠っているらしく、ソフィアからは穏やかな寝息が聞こえた。額にうっすらと汗が滲んでいる。ポケットから出した布でソッと押さえるように汗を拭った。「うん」という小さな声を洩らして、ソフィアは目を覚ました。


「少しは落ち着きましたか?」


 黙ったままで、ソフィアはコクンと小さく頷いた。ソフィアが自分の身体の変化をチェシャに告げられてから、既に五日が過ぎた。半狂乱になって、泣き喚いたソフィアから想像できないほどに、今は落ち着いている。


「子供などいりません!産みたくありません!愛してもいない男の子供など産めません!愛されてもいないのに、どうしてこんな酷い仕打ちを創始神様はなさるのですか?」


 妊娠を知ると、ソフィアはチェシャの胸をドンドンと何度も拳で叩きながら、狂ったように同じ言葉を何度も繰り返し叫んだ。一頻り泣き喚いたあとは、短剣を腹部に突き刺そうとしたり、高いところから飛び降りようとしたりで、チェシャはソフィアから目が離せなくなった。


 反狂乱になったソフィアのせいで、医療所にいる女たちは、ソフィアの妊娠には何かあると察したらしく、事情を詮索されたチェシャは、ここに来る前に妹は兵士に凌辱されたのだと苦しい言い訳をする羽目になった。ここでは、チェシャとソフィアは便宜上、姉妹だと話しているからだ。


 ソフィアに同情した女たちは、代わる代わるソフィアの世話をしてくれた。その際に子供の命の大切さや子育ての楽しさを話していったらしく、ようやくソフィアは落ち着きを取り戻すことができたのだ。男であるチェシャの言葉よりも、彼女たちの話の方がソフィアの心に深く滲みこんだことは確かだった。医療所に来た当初は、他所者の二人に冷たい態度を示していたが、身分の差なく多くの負傷兵に親身になって尽くす二人の態度に、自然と周りが変化した。特に一番年若いソフィアの素直で真摯な態度は、皆の好感を得たようだった。それだけに若いソフィアを襲った災難に、彼女たちは深い同情を寄せたのである。


「わたくしはこれからどうなるのですか?」


 山茶花の花を手に取って、香を楽しんだあと、思いきったようにソフィアは尋ねた。チェシャの態度からすれば、ソフィアの妊娠は既にフォーサスに知らされているはずなのだ。神聖ルアニス帝国の血を引くソフィアの子供は、覇権をとるための大切な跡継ぎになる。子供を産むまでは、大切に扱われるだろう。だが、その後はどうなるのだろう。ソフィアの胸に不安と恐怖が渦巻いていた。チェシャは辺りの気配を伺ってから、ベッドの端に腰掛けた。


「もうすぐ、この戦いに終止符が打たれます。そしたら、二人で旅に出ませんか?子供は自由に育てられる場所がいいと思いますよ」


「でも………」


 不安げに視線を移ろわせた。ソフィアの中にいる子供はフォーサスの子なのだ。皇都に戻らずに旅に出ることなどしてもいいのだろうかという疑問もあった。逡巡していると、チェシャがフフフと微笑んだ。


「大丈夫です。私が責任を持ちます。ちょっとした知り合いがいるのです。行けば、楽しい暮らしになりますよ」


「では、子供はフォーサス様の許でなく、別なところで育てるというのですか?皇都では危険というわけなのですね。フォーサス様にはお兄様たち以外にも、たくさんの敵がいらっしゃるということなのですね?」


 言葉の意味をきちんと把握して、疑問を投げ返すソフィアの賢さに舌を巻きながらも、チェシャは予想以上の答えを得てニンマリとほくそ笑んだ。


「ええ、そうです。もう行きます。誰にも知られずに準備だけをしておいて下さい」


 チェシャがさっと立ち上がると、一人のおばさんが部屋に飛びこんできた。ソフィアは感心したようにチェシャを見つめた。いつどんな時でも、チェシャの耳は些細な物音も聞き逃さない。自分にはなかなか真似のできないことだった。


「チェシャ、やっぱり、ここにいたんだね。たった今、たくさんの負傷兵が担ぎこまれてね。あたしらだけでは手に負えないんだよ。早く来ておくれ………アニサス、悪いね。姉さんを借りるよ」


 チェシャの手をムンズと掴むと、けたたましく言い立てて、最後にチラッと済まなそうな顔でソフィアを見ると、ドタドタと部屋から飛びだして行った。ソフィアはクスクスと両手で口を押さえて笑い転げた。太って貫禄のある逞しいおばさんに、強引に引き摺られていくチェシャの姿が妙に情けなくて笑いを誘ったのだ。



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