表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
はかない宴  作者: 安野穏
21/21

皇帝崩御

 アーリアン帝国皇帝崩御の知らせは、瞬く間にチャイニェン大陸に広まった。と同時に、チャイニェン大陸の各国で意図されたように民衆の反乱や暴動などが発生した。皇帝崩御に乗じて、アーリアン帝国の土台を揺るがそうと狙っていた国は、自分の足元に付けられた火にあわてふためいたのである。


「うまくいったようだな」


「はい、ロスモール殿だけでなく、リルサル殿を中心とした神聖ルアニス帝国の家臣団の方々のお陰です」


「チェシャ、ばあさんの最後の先見通りに、カーディスは動くというのか?」


「はい、必ず、この機に乗じて殿下の心証を良くするために、まずはラシェイル様とご自身の母君を葬ろうとするはずです」


「大陸の覇権を握るまで、俺とカーディスは狸と狐の化かし合いをするというわけだ。御苦労なこった」


 ヤレヤレとフォーサスは肩を竦ませた。


「それで、俺たちは今回は高見の見物というわけか?」


「いいえ、きちんと出番は用意してありますよ。ソフィア様とも打ち合せ済です」


 途端にフォーサスは不機嫌になった。


「あいつを使うのか?」


「ええ、ソフィア様は今や庶民のアイドルです。これを十分に活用します」


 チッとフォーサスは舌を鳴らした。チェシャがクスッと苦笑混じりの笑みを浮かべた。


 貧民街の改築や孤児たちの保護、市場の解放など一連の皇都の改革は、皇帝の回復を祈願した皇太子妃の懇願によるものであるという噂が意図的に流布された。二人が殴り合いの喧嘩をした翌日のことである。三日に一度の割合で、孤児たちの家を訪れ奉仕するソフィアが皇太子妃であり、かつてはイマザシェン国との戦いで、カルトーランの街の医療所でも身分を隠して懸命に負傷兵の看病にあたったなどの美談もある。医療所では無理をしたために、初めての子を流産したという話まで伝わって、今ではソフィアは庶民の絶大なる人気を博している。


「遣りすぎです!」


 孤児の家をいつも通りに訪れ、噂を知ったソフィアが例によって、フォーサスに咬みついてきた。


「事実だ。嘘は言ってない」


「ですが………」


 フォーサスがソフィアを抱き寄せた。


「おまえは本気で俺を愛すると言うのか?」


 カァッとソフィアの顔に血が昇った。


「話をすり替えないで下さい!」


「チェシャが好きか?」


 一瞬ソフィアの身体が凍りついた気がした。恐る恐るフォーサスを見ると、フォーサスの顔がほころんでいた。戸惑いながら、夢中でかぶりを振った。


「俺もおまえもチェシャも不器用な生き方しかできぬようだな」


 フォーサスはソフィアの首筋を這うように口付け始めた。ピクンとソフィアが身体を震わせる。


「ばあさんはおまえに何を残した?」


「わたくし………」


「ばあさんには先見の力があった。俺とおまえは謀殺されたチェシャの死を巡って、対立し、俺はおまえに殺される運命にあるらしいな」


「ち、違います。わたくしは………」


 ソフィアは無我夢中で身体を起こし、両手で身体をギュウッと抱きしめると小刻みに身体を震わせた。


「俺もチェシャも先見を変えようと決めた。俺たちの未来は俺たちが決めるものであって、既に決められているはずがないのだとな」


「フォーサス様」


「俺はチェシャを失いたくはなかった。あいつは俺の半身のようなものだ。半身を失ってまで、生きていたくない。だが、先見の通りにおまえが現れ、イマザシェン国が戦を仕掛けてきた………」


「先見は変わりました。皇太后様はご自分の命を縮めて、最後の先見を残しました」


 ソフィアはホッと胸を撫で下ろして、皇太后の最後の先見をフォーサスに伝えた。フォーサスたちが先見の力を知っているのなら、悩むことはなかったのである。


「チェシャにとっても、おまえが一番大切な女だ(俺にとってもだ)」


 フォーサスが、ぶっきらぼうな口調で発した言葉の裏にひそむ意味に気付いて、ソフィアは微笑んだ。ソフィアはフォーサスに寄り添った。


(フォーサス様は決してご自分の口から、心を吐露するような真似はできないのですね。皇太后様が物忘れの薬で、ウィリーというフォーサス様の本質を引きだして下さらなければ、わたくしは一生この方に心を開くことなどできませんでした)


 フォーサスの手がソフィアの身体を愛撫し始めた。手の動きに身体を反応させながら、「私も愛しています」とソフィアは呟いた。




 ソフィアからフォーサスが聞き出してきた皇太后の最後の予見を元に、チェシャはテキパキと動き始めた。闇がカーディスであることは容易に看破できたが、無下に彼を遠ざける真似はしなかった。動向だけはトシェインに命じて、逐一報告させたのである。このところいじけたようにくさっていたトシェインは、新しい役目を与えられ、急に張切りだした。「あいつは単純だな」とフォーサスが楽しそうな笑い声を上げた。


「トシェインにとっても、これはいい経験になるはずです。あの子は一度も汚れたことがないのです。汚れにまみれた時に這い上がれるかどうかで、トシェインの価値は決まるのです。カーディス様にとっては、トシェインは張合いのない子供でしょうが、まだ私たちから離れるわけにもいかず、どういう動きを見せてくれるか楽しみです。これから起こる惨劇で、トシェインが何か見出せればよいのですが………」


 ほんの一瞬だけ物憂げな顔で窓の方を見遣ってから、チェシャは真顔に戻った。フォーサスは何も言わずに、机の上に積み上げられた書類に署名をして、ペタンと機械的に皇帝の印を押印した。


 皇帝の葬儀が厳かに行われたあと、皇帝の座は空位のままで、一時的に保留されている。二人の兄たちを後押しする者たちの反対もあったが、皇太子であるフォーサス自身が、すぐに皇帝となることを拒んだからだ。フォーサスは澄ました顔で、今まで通りに皇帝代理として、政務にあたっていた。





「フォーサスめ、何を考えている」


 ラシェイルは親指の爪をギリリとかみ締めた。フォーサスが皇帝の座についた時こそが、反旗をひるがえす好機であった。皇位継承の儀の警護兵を、極秘にラシェイルの息のかかった暗殺者たちにすり替えた苦労が水の泡になったのである。更にラシェイルは、フォーサス殺しの罪をカーディス母子になすりつける証拠も全て揃えていた。華々しい皇位継承の儀で、ラシェイルの前に立ち塞がる邪魔者は全て消す予定でいたのだ。水面化でうごめいた暗殺計画は発覚するはずもないと、高を括ろうとしたが、側近の者たちはフォーサスたちの情報網を恐れて、しきりに地方公主として都落ちをするように勧めていた。


「ラシェイル様、皇帝陛下御崩御の際に、チャイニェン大陸各地で反乱が生じた事実を、どうご覧になられましたか?これは偶然でなく、意図されたものでございます。もし、アーリアン帝国に内乱が生じた場合を考えて、敵に我が国へと攻め入る隙を与えないためでございます」


「フォーサスか?」


「恐らく………フォーサス様の側近のトシャーラ殿は皇太后様の意にかなったものです。今のままでは、こちらには分がありません。この上は、奸計が露見する前に一地方公主の地位に甘んじた方が得策かと………ほんの一時の辛抱でございます。いずれは機をみて、起死回生を図ればよろしいのです」


「この俺に逃げろと言うのか?」


 ラシェイルは声を荒げた。控えている者たちは皆一様に黙りこくった。今まで常に前へ進むことしか考えていない主人に、後退を勧めるのだ、不興を買って当たり前なのだが、いまいち側近たちは歯切れが悪く、押しが足りなかった。


 館の外がガヤガヤとざわめいてきた。側近たちが浮き足立ったように、互いの視線を移ろわせた。


「何だ?」


 ラシェイルが不機嫌そうな声を上げた時に、ドタドタと軍靴を鳴らして、皇宮城の堅固な警備兵たちが部屋になだれ込んできた。


「何だ、おまえたちは?」


 側近たちは縮み上がったように平伏すると、既に降伏の意思を表していた。ラシェイル一人が、チッといまいましそうに舌打ちをしながら、尊大な態度を崩さずに警護兵を一にらみした。


「ラシェイル、残念です」


 警備兵たちの後ろから、穏やかな声が発せられた。警備兵たちをかき分けて、腕組みしたカーディスが姿を現した途端、ラシェイルは何が起きたのかを悟り、眉間に皺を寄せた。笑みを浮かべながら、カーディスはラシェイルに歩み寄った。


「貴妃殿がさぞ、狂喜していることだろうよ」


 皮肉たっぷりに、ラシェイルは言葉を吐き捨てたが、カーディスは笑みを張り付けたまま、冷ややかに弟を見下ろした。


「母上ですか?今頃は冷たい牢の中で、さぞや私に対する恨み言を吐きだしていることでしょうね」


 瞬時にラシェイルの顔が蒼ざめた。それから、楽しいそうな顔で猫が喉を鳴らすように笑い声を上げ、次第に笑い声は自嘲めいたものに変わっていった。


「ラシェイル、私はかつて母上にもあなたにも正道を説きました。受け入れてもらえなかったことが残念です。母上には皇帝及び皇妃の毒殺の罪、ラシェイルにはフォーサス暗殺未遂の罪を償ってもらいます」


 ペッとラシェイルが、カーディスの顔に唾を吐き捨てた。カーディスには動じた様子もなく、憐れむようにラシェイルを見つめると、警備兵に連れて行くように指示を出した。


「兄上、いや、カーディス、これでフォーサスに忠誠を誓っても、あいつは騙されないぞ。いつか、おまえも俺と同じ目にあうことになるんだ。覚えておけ!」


 警備兵たちに引っ立てられながらも、ラシェイルは恨みがましい言葉を吐きだした。側近たちをも含め、ラシェイルの血族は全て、警備兵たちに取り押えられ、引き立てられていった。


 静かなたたずまいを取り戻した館に、たっった一人カーディスが取り残された。


「ラシェイル、君に言われなくても、フォーサスのことは、この私が十分によくわかっているつもりですよ。これからは退屈しない日々が、フォーサスにもこの私にも来るというものです。互いの騙し合いの勝利者が誰になるのか、あの世というものがあるのなら、そこで指をくわえて見ているといいのです」


 フフフというくぐもった笑いが、やがて、哄笑へと変わるのに、さほど時間は必要でなかった。日が翳り、館が暗部に包み込まれるまで、カーディスは笑い続けていた。




 皇帝の毒殺及び皇太子の暗殺未遂事件の首謀者である貴妃ジェリスと第三皇位継承者ラシェイルの助命を、皇太子妃ソフィアが嘆願したという話は、皇都はもとより国中に伝わった。神聖ルアニス帝国の最後の皇女は、どんな大逆罪を犯した者でも、生きる権利を有していると熱弁をふるったと言う噂がまことしやかに流れた。それと並行して、かつて、フォーサスとソファイアが市井の者の生き方を知るために、身分を隠して農夫として暮らしたことがあり、かつての神聖ルアニス帝国の初代皇帝のように、民衆のための暮らしよい政治を執り行うつもりなのだという話まで伝わった。


 人の口から口にのぼる噂は、実際魔物も同然である。悪い噂は千里を走るとも言われるが、いい噂も半信半疑で駆け抜けるのだ。情報網がきちんと確立していない時代に、チェシャやロスモールは噂好きな人間の心理を理解し、都合のいいようにと操作する術に長けていたのである。


 フォーサスたちの噂話には事実も混じっているので、噂だけに留まらなかった。ソフィアと医療所で一緒だったカルトーランの街の女たちの証言や、フォーサスたちが物忘れの薬で暮らしていた村人たちの証言も付随して、噂話がいつしか本当の話として受け止められるようになっていったのである。姑息ではあるが、チェシャは噂に事実を混ぜることによって、噂自体を事実と認識させたのだ。


 民衆の力とは侮れないものがある。一国の浮沈を握る鍵は民衆にあるのだ。民衆を制する者は、国をも制するのである。投げ込まれた小石が次第に波紋を広げるように、フォーサスを皇帝の座に押す声が民衆からわき上がった。フォーサスはアーリアン帝国の皇帝としては、初めて民衆から祝福を受けた皇帝となったのである。


 皇妃となったソフィアは、いつしか創始神が遣わした慈愛の女神として祭り上げられ、孤児の家で奉仕する以外にも、貧民街の病気や怪我で動けない者たちを収容した奉仕病院を建て、彼らを見舞ったりもしていた。本人はチェシャに言われるまでもなく、当然の行為をしているのだと言い張っている。ソフィアの慈愛の行為が不自然でないので、ますます、民衆はソフィアへの思慕を高めていった。


「ここまではシナリオ通りです。どうなさいますか?」


 チェシャは手にした書類をトントンと机の端でそろえながら、にこやかにフォーサスを見つめた。政務室の執務デスクに腰掛けて、書類にサインをしていたフォーサスが手を止めて顔を上げた。チェシャが手にしているのは、カーディスから提出されたジェリスとラシェイルの処刑命令書だった。書類の形式は既に整っていて、あとはフォーサスがサインするだけになっている。フォーサスは書類を受け取るとチラッと見てから、ポンと屑かごに放り込んだ。


 皇帝となったフォーサスは今までの行政面を再検討して、大幅な改革を行った。兄のカーディスには宰相の地位を与え、政務での合議制を執っている。アーリアン帝国がチャイニェン大陸の覇権を握るまでは、互いに利用し合う関係なのだと、フォーサスはあっさりと割り切った。


「あいつと約束した。どうも、あいつには弱いな。カーディスが何と言おうと、ラシェイルたちは処刑せずに辺境地への監禁処分とする………これでまた、先が変わりそうだな」


「そのようですね」


 クスッとチェシャは苦笑した。ソフィアは今日も皇都に設けた民衆の相談所に出かけている。カーディスの監視役から、ソフィアの側近になったトシェインがお供をしているはずだ。結局、生真面目なトシェインには、汚れ役は似合わなかったのだ。大逆罪を犯したとはいえ、実の母親を告発し、厳重な処罰を望むカーディスの態度は、トシェインの理解の範疇を超えていたらしい。落ち込んだトシェインをソフィアの側近に変えたのは、フォーサスだった。生真面目な二人は、民衆の声に素直に耳を傾けて、フォーサスの政務に色とりどりの花を添えている。


「なあ、チェシャ、ばあさんがよく言ってたな。生きると言うことは、泡のように儚く消える宴を開いているようなものだと。この頃俺もそう思うようになった。儚い宴だから大切に生きたいと望むのは、愚かなことだろうか?」


「いいえ、陛下、自分の命を大切にできない者こそが、愚かなのです」


「チェシャ、おまえ、変わったな」


「陛下もです」


 二人は顔を見合せて、久しぶりに屈託ない笑い声を上げた。この先にどんな未来が待っているのかそれは誰にもまだわからない。だが、それもフォーサスとチェシャとソフィアがいれば、なんとでもなりそうなそんな予感がする。それは明るい未来なのかどうかもわからないが、少なくとも今は二人はやっとたどり着いたスタート地点に立ったばかりなのだとそう思えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ