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はかない宴  作者: 安野穏
19/21

皇太后の教育と彼女の死

 ソフィアの願い通りに、貧民街が貧しい者たちの居住区として建て直された。皇宮城近くに親を失った子供たち専用の家も建てられ、子供を亡くした母親などが雇われた。ソフィアは身分を隠したまま侍女をともなって、三日に一度の割合で顔を出している。内政面を充実させようとしていた矢先なので、フォーサスは民衆を大切にすべきだというソフィアの意見を積極的に取り入れたのだ。ラシェイルからはひとしきり文句が出たが、カーディスがとりなした。


「今は民の心を引きつけることが先決です。相次ぐ戦で離反しかかってた民の心を押さえるのも、皇帝となる者の資質の一つではありませんか?」


 やんわりとした物言いだったが、闇色の瞳は鋭い光を放っていた。ラシェイルは小馬鹿にしていた兄カーディスの意外な一面に、一瞬心を怯ませたのである。


「ラシェイル、今はおとなしくしておいた方が身のためですよ。父上のご容態が悪くなる一方なのは、一説には毒を盛られているからだという噂です。お心当たりがあるのでしたら、控えた方がよろしいのでは?」


 フォーサスに気付かれないように気を遣いながら、ラシェイルの耳にこっそりとささやくと、カーディスはすっとラシェイルから離れた。弟の許に歩み寄り、和やかに談笑を始めた兄を強ばった視線でにらみながら、ラシェイルは心の内で慄いていた。


 次に貴族たちの利権稼ぎに占拠されていた市場を解放した。今までの市場は貴族の土地に開かれていたので、貴族から不当な場所代などを要求されたために、皇都での商人たちの商売は制限されていたのだ。新たに自由市場を開き、管理する部署を設けたのである。わずかな金額で安全との保証と自由商売を手にできるために、誰でも自由に市場に店を開くことができた。商人の出入りを自由にしたために、滞っていた流通が活発化し、皇都には前にも増して急に人が増え、活気に満ちあふれてきた。




「皇太后様、ありがとうございました」


 ソフィアは通されたサロンで、素直にお礼の言葉を口にした。


「まあ、何のことかしら?」


 皇太后はとぼけた口調で答えてから、優美な微笑みをソフィアに向けた。香のよい香草茶を口に含んで、ソフィアも笑みを返した。皇太后の重くるしい威圧感に、気後れしたり怯んだりしていたことが嘘のように、ソフィアは今、自然体で向き合っていた。


「神聖ルアニス帝国の皇家の血を引く者の中には、たまに先を見通す不思議な力が授かる子が生まれるそうですね。わたくしの亡くなった父もその一人でした」


 ホホホと皇太后が目を細めて、楽しそうな笑い声を上げた。


「皇太后様もそのお一人なのですね」


 皇太后は紫水晶の瞳をキラリと輝かせたが、ソフィアには何も応えなかった。


「わたくしは、愚かな運命を変えることができるのでしょうか?」


 長椅子からスッと立ち上がると、サロンに続くサンルームのガラス戸を開いた。サンルーム内は一面がグリーンハウスにもなっていて、手入れの行き届いた色鮮やかなバラが咲き乱れ、むせ返るような甘い芳香がサロン内に漂ってきた。


「人はもろい生き物ですよ。今の時代を生きるということは、泡みたいに儚く消える宴を毎日、開いているようなものです。先が見えたからといって、何になるというのです」


「皇太后様?」


「哀しいものですよ。夢が現実になっていくのです。ただ、私は手をこまねいて見つめているだけでした。決まってしまった未来を変えることなど、考えようとも思いませんでした。今思えば、愚かなことでした」


 クルッと振り向いた皇太后の瞳は、涙で潤んでいた。気が付くと、ソフィアは皇太后の許に駆け寄り、両手を強く握っていた。


「少し、昔話をしましょうか」


 そういうと皇太后は長椅子に疲れたように横たわった。




 神聖ルアニス帝国がこのチャイニェン大陸の覇権をとる前は、いくつもの小国に分かれ群雄割拠の時代でもあった。その中で一つの小国にまるで舞い降りた戦の神のような英雄ともいえる人物が現れた。その英雄には姉がおり、その姉は不思議な力を持っていた。それは先を見通す力でもあり、様々不思議な力でもあった。ソフィアが使える姿変えの術もその一つである。銀月色の髪と紫水晶の瞳を持つその姉は、弟のために様々な力を使い、小国を大国へと押し上げていく。


 姉は戦いの好きな弟のために一つの小国の王子に嫁ぐ。その王子は心優しい人だったが、父親である王に逆らうことができなかった。戦の申し子のような英雄は他国からは疎まれる。弟を追い落とそうとする人々は姉の嫁ぎ先の国を騙し、他の国々と共に弟の国と戦火を交える。それは姉の見通した未来であり、夫との永遠の別れでもあった。


 姉は三人の娘を連れ、弟のもとに逃れた。娘ならば、たとえ敵国の血を引いても殺されることはない。姉は知っていた。弟の未来が断たれることを。そして、彼女自身も弟と運命を共にすることも。また、彼女は戦好きな弟が血塗られた存在であることも。


 その後、残された三人の娘は英雄の血を引く高貴な血筋ということで利用される。特に末の姫は母と同じ銀月色の髪に紫水晶の瞳を持っていた。その先見の力を欲する者の手により、末の姫はいくつもの国の王の手を渡り歩くことになる。


 最後に心傷ついた彼女がたどり着いた先は神聖ルアニス帝国の初代皇帝の皇子の正妃の地位である。姉たちには先見の力はなかったが、不思議な力は備わっていた。それ故に姉たちもそれぞれに哀しい運命をたどる。


 一人残され身も心もボロボロになった末の姫に神聖ルアニス帝国の皇子は優しく支えてくれた。彼女はその愛に報いるために己の力を使い、かの国の繁栄を願ったのである。神聖ルアニス帝国に銀月の髪と紫水晶の瞳を持つ子が生まれるたびに、かの国は栄華を極めていく。


 人の世に永遠に続く平和はなく、神聖ルアニス帝国もまた歴史の闇に消えた。それはかつて姉が危惧していた戦好きな弟の血を引いた者のせいでもある。


 姉は娘たちに遺言をしていたのだ。大陸が平和になると弟の血を受け継ぐものが現れ、戦乱の世に変えると。それはずっと繰り返されてきた人の世の理なのだと。


 一人残された末の姫から代々神聖ルアニス帝国の女たちへと受け継がれてきた言葉。


《女ならどこに嫁がされても血が引き継がれていきます。必ず、女の子を産み大事に育てなさい。たとえ国が滅亡しても、どこかの地でその血筋は永遠に受け継がれていくものなのです。永遠に終わることのない血筋は、人の世のはかない宴を彩り続けるでしょう》




 ソフィアは知らなかった神聖ルアニス帝国の歴史を教えられた。それは本当に人の世の理なのかと疑問に思えた。先を見通す力とはなんと恐ろしいことかと彼女は思うが、同じ銀月の髪を持ち、紫水晶の瞳を持つ彼女に先見の力はない。そこもまた不思議な気持ちになる。


 永遠に終わることのない血筋という言葉には歴史の中で脈絡と続く祖先の血筋が国を変え、家名を変えても女性がいる限り受け継がれていくというのは納得できた。


 こののち、彼女は皇太后から神聖ルアニス帝国の女性たちに受け継がれてきたたくさんの力や技、その他のことを教え込まされる。皇太后は自嘲する。アーリアン帝国と名を変えても、ここは神聖ルアニス帝国と同じなのだと。彼女が育てた子飼いの子たち。ソフィアの父の子飼いの武将たち。全てがフォーサスのもとに集まり、アーリアン帝国と名を変えてもかつての神聖ルアニス帝国の血筋を受け継いでいく。


 それこそが簒奪者の国への復讐になるのだと皇太后の人生をかけた壮大な計画にソフィアは舌を巻いた。


 彼女は皇太后から多くのものを学び、それが自分で何を成し遂げればよいのかと迷う。皇太后は彼女に女の子をたくさん産みなさいと告げた。生まれた彼女たちにもこの話を技術や技を受け継がせるようにと言い含めた。それでやっと肩の荷を下ろしたかのように皇太后は床に臥せるようになった。




 久しぶりにソフィアは皇太后に呼び出される。


「この頃、見る夢が幾重にも変わるのですよ。先は一つではなかったのですね。私は愚かな考えに固執して、柔軟な工夫を忘れていたようです」


「変えることができるのですね」


「ソフィア、全ての鍵はそなたの心次第と伝えておきましょう」


「わたくしの心ですか?」


 久しぶりに会えた皇太后は長椅子に横たわっていたが、手を貸そうとするソフィアの手を振り払うと、サンルームを背にして、凛とした態度で立ち上がった。手を胸の前で組み、静かに目を閉ざした。ソフィアは気後れがちに少しずつ後ずさった。皇太后から発せられた、他の何者をも寄せつけない圧倒的な雰囲気に、本能的に恐怖を感じたのである。皇太后の身体を淡い光が包みこんだ。光に包みこまれると、皇太后はクアッと紫水晶の瞳を大きく見開き、両手を天へ差し伸べた。


「もうすぐ一つの星が落ちるでしょう。澱んだ古い血が流れ、新しい時代の幕開けとなるのです。人の上に立つ男と人の心を集める女と策で世界を動かす男、そして、三つの和を乱そうとする闇が現れます。三つの和がクルクルと回り続ける限り、ささやかな平和は保たれるのですが、闇がやがて平和をむさぼりつくそうとするでしょう。闇が欲するのは女の持つ人を集める力、女の心次第で、先は幾重にも陽炎のように移ろうのです」


 ガクンと皇太后が膝をついた。歪んだ顔に幾つのも汗が流れ、ハアハアと苦しそうに息を弾ませいた。茫然と立ち竦んでいたソフィアは、ハッと我に返ると今にも崩れそうな皇太后の身体を支えた。


「は、初めて、じ、自分の意思で、ち、力を使いました。ゆ、夢見でなく、こ、これが今の、わ、私の全てです………」


 ゴホッと皇太后は口から血を吹き出した。


「誰か!皇太后様が!」


 ソフィアは悲鳴に近い声を上げた。


「い、いいえ、こ、これが、わ、私のじゅ、寿命です………」

 苦しそうな息を必死にこらえて、皇太后はギュッとソフィアの手を強く掴んだ。


「先見の力を………自分の意思で………使えば………命が………縮むのです………ソフィア………あとは………頼み………」


 最後に大きく息を吐きだすと、ホホホと皇太后は品のよい笑い声を上げた。


「皇太后様!」


 ソフィアのただならぬ悲鳴を聞いて、慌ただしく駆けてきた侍女や女官たちが、二人を取り囲んだ。


「誰か、フォーサス様に連絡を!医者を連れてきなさい!皇太后様を早くベッドへ運びなさい!」


 おろおろとしている侍女や女官たちに、ソフィアは夢中で指示をだした。バタバタと部屋を飛びだして、慌ただしく駆けて行く足音が遠ざかって行く。ソフィアは侍女の手を借りて、皇太后を抱きかかえようとしたが、皇太后がそれを押し留めた。


「もう、よいのです………このまま………ゆっくりと………宴の終焉を………」


 ゴホ、ゴホホと皇太后はたくさんの血を口から吐きだすと、優雅な笑みを浮かべて眠るみたいに目を瞑った。と、同時に皇太后の身体の力がスッと抜け落ちて、ソフィアを掴んでいた腕がすべり落ち、パタンと床に落ちた。


「皇太后様!」


 二人の周りを取り囲んだ侍女たちが、一斉にワッと泣き伏した。信じられない面持ちで、皇太后を見下ろしたあと、虚脱したようにソフィアは虚空を見つめていた。



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