ソフィアの願いと想い
祭りの最終日、市場で買物を済ませたソフィアは、両手に荷物を抱えて一人で歩いていた。この日、リルサルには急用ができて、戻ってから買物付き合うと言われたのだが、ソフィアは一人で出かけてきたのである。皇都に来て五日目になるが、二日目にフォーサスと出会った以外に気になることは何も起きなかった。明日は皇都を離れて、また旅が始まるのだと思うと、少々感傷気味になっていた。
(チェシャ………)
遠くに見える皇宮城を見て、不意に浮き上がった名前と顔に胸がズキンと痛みだした。と同時に、もう一人の顔も浮かんできた。理解できない感情に襲われて身が引き千切られそうになり、馬鹿な女だとソフィアは自分を嘲笑した。
物思いに沈みこんだソフィアにドンと誰かがぶつかり、身体が弾かれた。両手に抱えた荷物を転がしそうになり、ワァッと声を上げながら、トッ、トッ、トッとバランスをかろうじて保とうとしたが、更に足掛けをされて、ベチャッと地面とキスする羽目になった。潰れた鼻を押さえて立ち上がると、数人の子供たちがソフィアの荷物を抱えて、路地を曲るところだった。
「コンチクショウ!」
悪態を吐きながら、旅芸人一座での二ヵ月の暮らしで培った機敏性のある駿足で、スタタタタッと駆けだした。すばしっこい子供たちは、迷路みたいな幾つもの路地を夢中で駆け抜けていく。後を追いかけるソフィアは、不案内な街と祭りの人込みに阻まれて形勢は不利だったが、ここでおめおめと引き返すことなどできなかった。皇都の市場は思ったより物価が高く、やりくりする側としてはこれ以上の出費は避けたい。それに、悪戯にしても性質が悪いので、きつくお説教に一つでも言ってやらなくちゃ気が済まないと思っていた。持久力の勝負だとばかりに、ソフィアは執擁に子供たちを追いかけた。
「バッアッカヤロウ!」
追いかけっこを続けた揚げ句に、とうとうベチャッとこけた十歳くらいの女の子の首ねっこを捕まえた。
「ルアーシャ!」
一番年長らしい男の子が夢中で駆け戻ってきた。ソフィアよりも二、三歳年下のようだ。肩で大きく息をしながら、ソフィアはバシンと首謀者らしい男の子を叩いた。
「悪戯なんかすんなよ」
男の子がソフィアに飛びかかってきた。ソフィアは男の子を避けながら、手をグイッと掴むと、後ろ手に捻り上げた。痛さに顔を歪ませながらも、男の子は唇をかみ締めて顔を背けた。
「止めて!荷物は返すから、ビンスを苛めないで!」
最初に捕えた女の子が、泣きながらソフィアに食ってかかった。周りに荷物を抱えた三人の子供たちも集まってきた。よく見ると皆、十歳前後の小さい子ばかりだ。着ている服はボロキレといっても過言でない。
「どうしてこんなことしたの」
女の子の泣き声に合わせて、他の子も泣きだした。アアン、ウワアアンという泣き声が、辺りに響き渡って、祭りに興じていた人々が何事かと集まってきた。
「もう、三日も食べてないの」
「ごめんなさい。お腹が空いて、ひもじかったの」
「ごめんね。あたいがしっかりしないから、あんたたちに何も食べさせてやれなくて。父ちゃんと母ちゃんが死んじゃって、子供のあたいではあんたたちを食べさせるには、悪いと知りながらも盗みぐらいしかできない。それもこうして、捕まっちゃ駄目だよね」
最初の女の子があわれっぽい声を上げて、ヨヨヨと泣き崩れるようにヒシッと他の子供たちを抱きしめた。「姉ちゃん、何か食べたいよ」と、他の子供もヒック、ヒックと泣きながらしがみついた。急な展開についていけずにあっけにとられて、ソフィアは四人の子供たちをボケッと見つめた。
子供たちは泣きながら、ひもじさを訴えた。チャリーンと音がして、石畳の地面にお金が転がった。人のよさそうなおばさんが、布を目に当てながら「かわいそうに、がんばるのよ」と言って、お金を投げたのだ。つられたように、チャリン、チャリンと音が続いてお金が転がった。
「ありがとうございます。人のお情が今日ほど身に滲みたことはございません。奥様方に創始神様のご加護がありますように」
女の子は手慣れた仕草で、神官がするような祝福の印を切った。「茶番だわ」とソフィアは悟った。この子供たちのからくりが読めてきた。盗みを働いて、捕まりそうになると、こうしてあわれな子供たちを演じるのだろう。たいていの大人なら、あわれな子供たちの盗みの罪は許してくれるし、うまくいけばこうして新たな糧を得られるのだ。
ソフィアはグイッと掴んでいる男の子の腕に力を入れると、人込みから抜けて人のいない路地へと入りこんだ。痛みに耐えかねるのか、男の子は素直にソフィアに従った。
「あんたたちの親のところへ連れていってもらおうか。こんな悪質な悪戯をしやがって」
「親なんかいねえよ」
男の子は怒ったように呟いた。
「父ちゃんも母ちゃんも死んじまった。嘘じゃねえ」
二人の後を追いかけてきた小さな男の子が、荷物をクイッとソフィアに差し出しながら、大きな目でにらみつけるように答えた。
「親がいないってどうやって生きて………」
言い掛けた言葉を飲みこんだ。子供たちが生きるための盗みであり、茶番なのだと気付いたからだ。自然に、ソフィアの手が弛んだ。男の子が腹立たしそうに、ソフィアの手を払い除けた。
「ビンス、ビンス、いた、ここにいたんだ。よかった。ミレルが、ミレルが………」
バタバタバタと足音が聞こえてきたかと思うと、五歳くらいの子供が駆けてきた。子供声を聞くと、ビンスと呼ばれた男の子は、ダダダと駆けだした。子供たちの動きに思わずつられて、ソフィアも一緒に走っていた。
街外れに雨ざらしになって、朽ち果てたような家が幾つも並んでいる貧民街があった。その片隅に廃品を利用して組み立てた家らしきものがあり、ビンスはそこに飛びこんだ。家の中には小さな子供ばかりが集まっていた。室内には腐敗臭が漂い、ソフィアは思わず顔をしかめた。
「ミレル、ミレル」
ビンスが二歳くらいの女の子を抱き上げていた。息遣いが苦しそうで、高熱が出ているのだとわかった。ソフィアはビンスから幼女をひったくった。
「お湯を沸して、温かい布団とか布は………」
幼女の熱は思ったよりも高く、ひきつけをおこしかけていた。テキパキと指示したが、子供たちは困ったように顔を見合せるだけだった。室内を見回してから、ソフィアは立ち上がった。地面がむき出しになった床の上に、ゴザが敷かれてあり、子供たちはそこで寝起きをしているらしい。布団だの布などとは無縁の暮らしだった。
「どこへ行く?」
「心配なら、俺についてきな」
幼女を抱えて、ソフィアは旅芸人のテントへと走った。医者のリルサルなら、この子を助けることができるだろう。ソフィアは悔しくて、胸が沸騰しそうだった。医療所で培った医療の知識は、物が豊富にあって初めて使えるものだ。何もない今のソフィアでは、子供を助けることなどできないのである。無力だ。
リルサルはソフィアが抱えてきた幼女を見るなり、難しい顔をした。
「今夜が峠だな。どうしてこんなになるまで放っておいた」
「金がないし、ただの風邪だと思った」
ビンスは泣きそうな声で答えた。他の子供たちからもすすり泣きが聞こえてきた。
「バトちゃん、一体どうしたんだい?」
芸人のお姉さんたちから代わる代わる事情を尋ねられて、ソフィアは今までのことを話した。
「仕方ないねえ。戦やなんやかやで、親に死にはぐれた子はたくさんいるんだ」
「もうちょっと育った女の子なら、他に生きる道もあるけどね。こんなに小さすぎる子では、仕方ないわね」
「仕方ないよ、バトちゃん。皆、自分が食っていくので精一杯なんだ」
お姉さんたちは皆一様に「仕方ない」を連発した。ソフィアは目に見えない重りを身体一杯に飲みこんで、沈みこみたくなるのを必死に押さえた。仕方ない、その一言で片付けていいものなのだろうかと、問い掛けながら、市場でもう一度買物を仕直して、夕食の用意に取り掛かった。日が傾くにつれて、雑用係のソフィアには、暇がなくなるのだ。忙しなく走り回る時間をこなして、リルサルの許に再び顔を出したときには、子供たちが思い思いに丸くなって眠りこけていた。リルサルのそばでビンスだけが、まんじりともせずに座っていた。
「あの………」
ビンスの両の目から、涙があふれていた。リルサルは白い布で幼女を包みこんでいるところだった。
「もっと体力があれば持ち直したんだが、このぼうずに聞いたら、食事をとることすらできなくなっていたらしい」
リルサルは黙って立ち上がると、ソフィアの肩に手を置いた。
「ちょっと、外にでよう」
力なく頷いて、ソフィアはリルサルに従った。誰もいない林の中まで行くと、リルサルはソフィアの前に跪いた。
「ソフィア様、今の世の中を見てどう思われますか?」
自分の無力さに虚無感に襲われていたソフィアはギクッとして、リルサルを見つめた。
「今まで、自分の身分を控えておりましたが、私は神聖ルアニス帝国の近衛騎士隊長でした。お館様の最後に殉じることを許されずに野に下ったのです。こうして自分が生き恥を晒しているのも、お館様が配下の者たち皆に、自由に生きよと仰せになられましたからです」
リルサルの話によると、ソフィアの父は死に際して、配下の者たちを集め、「死ぬのは自分たちだけでいい」と、「他の者は国や自分などに殉ぜずに野に下り自由に生きる道を捜せ」と命じたという。館が焼け落ち、ソフィアの両親が自刃したあと、生き残った配下の者たちは「もし、いつかソフィア様の身に何かあれば、必ず集い役立とう」という誓いをたて、身をひそめるためにチャイニェン大陸各地の散らばったのだという話だった。神聖ルアニス帝国が滅んでも、リルサルのようにひっそりと生きている者たちが多くいると聞いて、ソフィアは涙ぐんだ。
「ソフィア様、お館様の本当の望みは、戦乱のない平和な世界を造ることでございました。民が苦しむことのなく、身分にとらわれずに自由に暮らす世界を望んでおられました」
「リルサル?」
「ソフィア様がこのアーリアン帝国の嫡子の許に嫁がれたのも、全てはお館様の指示でした。ロスモールも私も全ては、お館様の指示に従っているだけです」
「どういう意味ですか?」
「ソフィア様は知らないことでございましたな。かつて、神聖ルアニス帝国がこのチャイニェン大陸の覇王となりましたのは、皇家に先見の力を持つ者が生まれたからでございます。先を見通す目は、一度も違えることなく、神聖ルアニス帝国を導いてまいりました」
リルサルの話では、二十代皇帝の崩御後に起きた後継者争いは、先見の力を持つ者たちの争いでもあったのだという。先見の力を抱く者たちが、権力を欲したために起こった争いだったのだ。
「お館様にも先見の力がございました。神聖ルアニス帝国が滅び、アーリアン帝国が覇権をとる日がくると見えていらっしゃったのです。そして、ソフィア様がお館様の意思を継いでこの世に平穏をもたらすことも見通しておられました」
「わ、わたくしがですか?」
「はい、ソフィア様、どうやらこれをお渡しする時期がきたようです。お館様から大切に預っておりました。いつか、ソフィア様が私の許へと現れる日が来た時に、時期を見て渡すようにと頼まれたのです」
差し出された書簡には懐かしい父の文字が記されていた。「ソフィアへ」と書かれた文字をなぞり、ソフィアはしばらく目を閉じた。林を駆け抜ける冷たい風が頬を撫でた。ゾクッと背筋を震わせて、ソフィアはパッと目を開けた。三つまでしかない両親の記憶は、哀しい最後の記憶でしかなく、ソフィアが知っている両親の笑顔は、今は手元にない形見のロケットに残された肖像画だった。
震える手で書簡の封を切り、読み進む内にソフィアの顔が蒼ざめてきた。読み終えると、書簡をクシャクシャと丸め、白蝋と化した顔を両手で覆った。苦しそうに、「あぁ」と短い呻き声が上がった。皇太后が幾度も口にした《定められた運命》という言葉のさす意味が、ようやくわかったのである。
「ソフィア様、先程の子供のような例は、帝国内だけでなく、このチャイニェン大陸には珍しいことではないのです。ソフィア様がご決断なされるのでしたら、我々、神聖ルアニス帝国の家臣団は、ソフィア様のためにこの身を捧げる覚悟でおります」
「考えさせて下さい。これだけではお父様が何を考えていらっしゃたのかわかりません」
クルッと振り向いて、ソフィアはバタバタと駆けさっていった。無表情のままリルサルは、ソフィアの後ろ姿を見送った。
次の日、ソフィアは、「子供たちをこのままにしておけないので、皇都に残る」とリルサルに伝えた。芸人のお姉さんたちは口々に「寂しいわ」とか、「残念だわ」とか言ったが、ソフィアを引き止めるような真似はしなかった。リルサルもソフィアの許に残ると言いだしたために、バーバラも残念そうな顔をしたが、文句や嫌味などは一言も口にせず、「がんばりな」とソフィアの頭を軽く小突いた。ヒデは涙にかきくれたが、「リルサルの代わりに一座を守る」とバンと胸を叩いた。
「ソフィア様がいらっしゃるまでという約束だったからね。仕方ないね」
サバサバとした口調だったが、名残惜しそうにバーバラはリルサルを見つめた。二人の間を言葉にならない思いが、サァァァッと駆け抜けたように見えたが、リルサルは能面のような顔つきで、「世話になった」と一言だけ口にしただけだった。フゥッと物憂げに吐息を洩らすと、バーバラはリルサルに抱きついて、唇に軽く口付けた。
「元気でおやりよ」
クスッとほくそ笑むような笑みを浮かべると、バーバラたちは去って行った。度胆を抜かれたソフィアだったが、リルサルは何事もなかったような顔で立ち尽くしていた。皇都を出て行く旅芸人の一座を子供たちと見送ったあとで、とりあえず、子供たちが住み家にしている家へと歩きだした。
「お姉ちゃん、あれキスっていうんだよね」
クイクイとソフィアのシャツを引っ張って、小さなミリアが聞いた。「あ、バカ」とビンスがミリアを抱き寄せた。他人のラブシーンを見ても恥かしいソフィアは、頬を染めて俯いた。
「お姉ちゃんって、純情なんだね」
ルアーシャがませたような口調で言った。
「すみません。ソフィアさん、こいつらの教育がなってなくて」
小さく恥じるようにビンスが謝った。ソフィアが女だと知ってから、急にビンスの態度が変わったのだ。
子供たちの亡くなった親たちは、戦で住むところを失い皇都の貧民街に流れてきたのだ。皇都なら、何か職につけると思ったらしいのだが、職はなく不衛生な環境で、失意の内に病で亡くなったそうだ。残された子供は、十二、三歳以上の女の子なら周りの大人たちに娼館などへ売られることもあったが、まだ小さい子は見捨てられてしまうことが多く、同じような境遇のビンスが皆を引き取って面倒を見始めたそうだ。
子供たちの家は廃品を寄せ集めたもので、家といえる代物でないが子供たちが雨露をしのぐには十分だったらしい。年配の子たちが盗みなどで金を稼いで、少ない食べ物を皆で分け合って細々と暮らしてきたのである。
あばら家が無造作に立ち並ぶ貧民街を歩きながら、ソフィアの胸にフツフツとした怒りが込み上げてきた。痩せて青白い顔をした男たちが、ジロジロとソフィアたちを見つめていた。昨日は夢中で駆け抜けたので、気にもとめていなかったのだが、改めて白日の下で見ると人の住む場所ではないと痛感した。皇都の一部がこんな現状であることを、フォーサスは知っているのだろうか?と考えてみたのだが、『上に立つ者は常に気にとめなければ、下の者のことなど忘れてしまうものだ』という父の書簡に書かれた言葉を思いだした。
父の書簡はもう手元には残っていない。他人に見られることを恐れて、燃してしまったのだ。ソフィアは苦しげに息を吐きだした。書簡に書かれていたのは、チャイニェン大陸の覇権を巡るための争いの流れと結末である。今までは、ソフィアの父親が予見した通りに歴史は動いている。人は見えない先を知ることを切望するが、実際に先が見えてしまった者は恐れおののくしかなかった。いつか覇権を争った末に、ソフィアがフォーサスを殺す日がくるなど、今は考えたくもない。血で血を洗う醜い権力争いの中になど加わりたくなかったのだが、父が残した言葉通りに『先を知ってしまった以上は、できるだけ流す血を少なくしたい』というのが、一晩考え抜いた末にでた結果である。
「リルサル、わたくし、フォーサス様の許へと戻ります」
「ソフィア様」
「決めました。チャイニェン大陸の覇権は、フォーサス様こそがふさわしいのです。わたくしは陰で支えることに徹します」
「わかりました。ソフィア様のご意思に我等は従います」
ソフィアがフォーサスに会うと決めてから、実際に会うまでに一週間ほどの日数がかかった。直接皇宮城へ向かっても、髪の短いソフィアでは門番に追い返されるだけだからだ。リルサルがロスモールと連絡を取り、ロスモールからチェシャへ連絡を取るというまわりくどい方法が取られたのである。
迎えに来たササナリや侍女たちと共に、ソフィアは皇太子宮に落ち着いた。ソフィアの身の安全を確認したあとで、リルサルは「仲間に連絡を取ります」と皇都を離れていった。皇太子宮に戻ったソフィアは、すぐにでもフォーサスに会いたかったのだが、公務が忙しいとにべもなく断られた。
「やっと帰ってくる気になったか」
結局、フォーサスと会ったのは、夜の寝室だった。当然のように、フォーサスはソフィアを抱き寄せた。
「フォーサス様、わたくしはお願いがあってまいりました」
「わかってる、話は後でいい。今はおまえを抱きたい」
ソフィアはパァァァッと顔を赤らめた。フォーサスはもどかしそうにソフィアの服を脱がせると、ソフィアの身体を吹き荒れる嵐へと変わった。
(お父様の仰られた通りに、フォーサス様は本当にわたくしを愛しているのですか?)
感情の高ぶりと共に胸にわだかまっていた苦い思いが吹き飛ばされて、ソフィアは押し寄せるうねりの中に身を漂わせていた。フォーサスの中に誰かが浮かんで見えた。
(ウィリー?)
「あぁっ」と喘ぐような吐息を洩らした。かつて、自分を愛したフォーサスのもう一つの顔がソフィアに真実を告げたのだ。
「愛しています」
フォーサスの手が止まり、彼の顔が怪訝になった。
「真実は一つでした。もう離れません。ずっとおそばについています。わたくしはバカでした。この先に何が起ころうとも、わたくしはフォーサス様を愛しております」
フォーサスが鼻白んだ顔になった。ソフィアの身体から離れると、面白くなさそうに背を向けた。
「気がそがれた。やめた」
ムクッと起き上がると、フォーサスはベッドから出て行こうとしたが、ソフィアが後ろから抱きついて押し留めた。
「行かないで下さい。今、初めて自分の気持ちに気付いたのです。わたくしはずっとフォーサス様を憎んでまいりました。恨んでおりました。幾度も殺したいと思っておりました。でもそれは、全て心の裏返しだったのです。今、気が付くことができてよかった」
チッとフォーサスが、いまいましそうに舌打ちをした。ソフィアの身体を邪険にベッドに沈みこませると、乱暴な態度でソフィアを抱いた。顔を歪ませたソフィアから、喘ぎ声が洩れた。
(フォーサス様もわたくしと同じだったのですね。わたくしたちは、自分の心が素直になることを恐れていたのです。ですから、わたくしがフォーサス様を殺すという悲惨な最後を迎えるまで、互いを愛していることに気付かなかったというのですね。お父様、あの手紙は愚かなわたくしへの戒めなのですね)
ソフィアの瞳にうっすらと涙が滲んだ。
《………以上が今の私が予見したチャイニェン大陸の先の姿だ。だが、ソフィア、この予見は必ずしも正しいものではないと記しておこう。ソフィア、私のかわいい娘よ、おまえの人生に狂いを生じさせるために、私はあえてこの手紙を残そう。おまえは気付くべきなのだ。おまえの人生に関わる二人の男たちは、二人ともおまえを愛しく思っている。そして、おまえも二人を同じくらいに愛しているのだ………》
この先をソフィアがどう生きるべきかなど、父親の書簡には一言も書いてなかったが、ソフィアが歩くべき道はフォーサスとチェシャと共にあると言いたいのだろうと解釈した。フォーサスの腕の中でまどろみはじめたソフィアは、もう一度言葉を口にした。
「愛しています」
それは目の前の男だけでなく、もう一人の男へも込めた切ない想いであった。




