フォーサスとチェシャの過去
チェシャが十五才でフォーサスが十二才になった時のことだ。アーリアン帝国領内に出没する海賊たちの横行が、前年より目に余るようになってきた。商船はもちろん、海沿いの街はことごとく襲われ、帝国内の治安を脅かしたのだ。皇帝はフォーサスに海賊討伐を命じた。これがフォーサスの初陣となった。
チェシャの綿密な調べで、海賊の本拠地を見つけた。三方を険しい山に囲まれた本拠地である砦を攻めるためには、勾配がきつく悪路の多い山を登り、切り立った崖を降りなければならない。自然の要塞ともいうべき場所である。前面に開ける海側がこの砦を攻撃できる唯一のポイントなのだが、複雑に入り組んだ入り江の奥にある港は、容易に侵入できるものではなかった。
詳細に地形を調べた上で、チェシャのとった策は、当初、頭の堅い大人たちには受け入れられるべきものではなかったが、そうした中で「面白いな」と目を輝かせたのは、傭兵隊の若いシバだった。当時はまだ二十五才。チェシャは傭兵隊を懐柔することを考えた。
フォーサスを引き連れて、傭兵隊の中に入りこみ寝食を共にしたのである。最初は反発していた彼らも、幾度かの海賊との戦いでフォーサスの器量を認めるようになった。傭兵にとっては何よりも命が大事なのだ。傭兵は勇猛果敢さを求められるが、その代償は金である。危険な道を渡り歩き集めた金で、悠々自適に暮らせる身分になれるかどうかは、有能な雇主を得られるかどうかで決まる。傭兵の中には命知らずと言われる者もいるが、たいていの傭兵たちは、無益な戦いで安易に命を落とすことを嫌がった。なら、彼らの望むものを差し出せばよいとフォーサスとチェシャは考えたのだ。
「………というわけです。これで、海賊の本拠地を落とすことができれば、こちらの勝利は間違いなしです」
百洗練磨の傭兵たちを前に、臆したところは微塵もなく、チェシャは作戦を堂々と述べた。フォーサスもひねた子供らしく、チェシャの脇で威圧的に傭兵たちを一望していた。
「俺たちに対する保証は?」
腕組みしたシバがポツンと聞いた。
「今はない」
素っ気なくフォーサスが答えた。それは真実だ。当時の彼には何の力もなかった。あるのは己の矜持のみ。いつかはと確実に言える状況でもない。
「将来の保証を」
チェシャが凛とした声で答えた。傭兵たちからどよめくような嘲笑がわき上がった。それも当然の事実。それでもと二人は期待していた。
「面白い。今日、明日の命かもしれない俺たちに将来の保証をと言うのか?」
「はい、無益な戦いで命を無残に落としめることは絶対にさせません。つまり、将来の保証とはそういうことです。今回も含め今後の皆さんの働きに対する殿下からの報酬は、それ相応のものを考えています」
チェシャが金額を提示した。過分な報酬額だった。今、雇われている契約金の倍額はある。男たちは顔を見合せた。
「ただし、殿下がこの国を継いだ時の出世払いでお願いします」
「形のない保証だな」
「まずはこの作戦の成功を担保とします。頭の堅い将軍たちには受け入れてもらえませんでしたが、皆さんでしたら、作戦の重要さがわかると思います。その上で、殿下直属の軍に加わるかどうかを考えて下さい」
声変わりの済んだチェシャの声はトーンは低いが、全体にとおるように響き渡った。一癖も二癖もある傭兵たちを前に怯んだ様子もないまだ若い二人少年たち。その堂々たる姿は流石と言えるが、彼らに己の将来の夢を託せというのかと疑問にもなる。
「本来はもっと手勢が必要なのですが、傭兵の皆さんでしたら、通常兵の二倍、三倍の働きをしてもらえます。将軍たちを囮に使って、是非この作戦を成功したいのです」
若干の反論はあったものの、正規軍を囮に使うというチェシャの案は、傭兵たちのプライドをくすぐった。傭兵の取扱に関しては、どこの国も似たようなもので、最も危険の多い場所に傭兵たちを配するのが常だった。時には切り捨てられることも日常茶飯事で、自分たちの命は自分たちで守らねばならないというのが、傭兵の鉄則でもある。チェシャたちが自分たちの力量を高く評価したことも、彼らの自尊心を満足させた。傭兵たちの多くは、自分の力を過信する者や自負する者が多いが、金銭で動く彼らの評価は正規軍よりも低い。君主とは忠誠で結ばれている正規軍の方が、上に立つものに高く評価されるのは当たり前のことなのだが、危険な労働に対する報酬を考えると割にあわないものがあった。
傭兵の中では一目置かれている若手のシバが乗り気になると、血気盛んな若者が続き、あとの者も追従した形になった。彼らはフォーサスと共に、険しい山へと踏込んだ。
フォーサスたちから、海賊の本拠地の真上にあたる背後の崖に辿り着いたと連絡を受けたチェシャは、一人で作戦会議に出席した。フォーサスの後見についてきた将軍たちに、今まで極秘にしてきた海賊の本拠地を地図で示し、本隊で海からの攻撃を加えることを提案したのだ。その際に、傭兵からなる小数の手勢を率いたフォーサスが、側背面から攻撃する許可もとった。後見としてついてきた三人いる将軍の中でチェシャが信用したのは、アーリアン帝国建国からの重臣の一人でもあるヒラテという白髪の老人だけだった。前々からチェシャの才覚をかってくれるヒラテにだけは作戦の内容を詳細に話し、できるだけ海賊たちを本隊に引き止めるように依頼したのである。ヒラテは快く承諾した。敵を撹乱し、誘き出す役目を引き受けてくれた。
チェシャの目論見通りに、海賊たちは本隊の動きに連れられて、沖へと誘われた。手薄になった本拠地に、夜陰に乗じて崖を下降したフォーサスたちが攻めこんだのだ。崖を降りるにはあたっては、たくさんの丈夫なロープを用意した。幾本ものロープをよりあわせ、丈夫な立木にくくりつけると、気付かれないようにロープをそっと下に投げ下ろした。両手に厚手の布を幾重にも巻くとロープを身体に巻きつけるようにして、ロープと摩擦を利用しながら静かに下降していった。警護に残された男たちと女子供が残された砦は、来るはずのない方向から攻めてきたわずか五十人ほどの軍勢にあっさりと落とされた。
海賊たちは、険しい山を越えて攻めて来る者などいないと思いこんでいた。ましてや、山から突然切り立った急な崖に変わるので、危険な崖を降りる者はいないと踏んでいたのだ。当然、三方向への警戒を怠っていた。
火の手が上がった本拠地を見て、海賊たちは急いで引き返してきたが、ときはすでに遅く、占拠された本拠地に配備してあった投石器から投げだされる石ツブテが雨のように降り注いできた。再び逃げようと反転した海賊たちの船に、追ってきた本隊が猛攻撃をかけるに致って、ことごとく海賊たちは取り押えられた。
海賊たちの長を務める男の船だけが、反転せずに石ツブテの雨の降る中を港に乗りこんできた。後を追いかけて、チェシャを乗せた船も港についた。フォーサスは投石器での攻撃を中止させた。
「俺と正々堂々勝負しろ」
赤毛の体格のいい男が現れて、船上でスクッと仁王立ちすると大声で怒鳴った。「わかった」フォーサスが短く答えると、円月刀を手にした男は船から勢いよく飛び降りた。フォーサスが進み出ようとする前に、船から降りてきたチェシャが立ちはだかった。
「殿下の手を煩わせることもありません」
長身痩躯の割に、チェシャは大剣を自在に操った。その頃はまだ未熟だったフォーサスは、剣の稽古で三回に一度の割合しかチェシャに勝てなかった。
進み出たチャシャを見て、男の顔が鼻白んだ。最初はチェシャの顔が少年というよりも、少女といった方が似合っていたからだと思った。チェシャを相手にする者は、皆そういう目で見るからだ。
「おまえの名は何というのだ?」
「トシャーラ」
答えながら、チェシャは大剣で切り込んだ。ガシンと円月刀で受け止めた男の顔に笑みが浮かんでいた。
「シャラに生き写しだ」
男の声にチェシャがたじろいだ。男は剣を引いた。
「息子とは戦えぬ」
男の声が全てを物語っていた。チェシャは自分が養子であることを、既に里親から聞かされていた。皇太后の手元で育てられることになったときに、真実を告げられたのだ。
ギュッと大剣を握りしめ、伏し目がちになったチェシャは、それでも父だと名乗る男に切込もうとした。その剣の切っ先をフォーサスが受け止めた。
「トシャーラ、止めろ」
クッと泣きそうな声を上げて、チェシャは大剣を捨てた。男が哄笑した。
「いつかはこうなる日が来ると思っていた。よもや、里子に出した自分の息子に破れるとはな」
フォーサスは物怖じせずに男を見上げた。
「トシャーラの父親というのは本当か?」
男が胸に下げたロケットをパチンと開いた。金色の髪の毛が一房とチェシャを描いたのではないかと疑うくらいそっくりな女の肖像画が入っていた。
「妻のシャラだ。もうこの世にはいない」
チェシャの肩がブルッと震えた。チラッとチェシャを一瞥した後で、フォーサスは何か考えこむように腕組みをした。
「わかった。今日から、アーリアン帝国領内での海賊行為は止めろ。俺の配下になれ。この先の戦いには、水軍の力も必要にもなる」
鋭い目つきで男を見下すように見たあとで、フォーサスはクルッとチェシャの方を向いた。
「これならいいだろう?これで、チェシャは自分の父親を殺す理由もなくなった」
普段はひねたような顔をしているフォーサスもチェシャの前では、少年らしいあどけない笑顔を見せた。それだけにチェシャを全面的に信頼している証拠といえる。フォーサスは、海賊たちが隠し持っていた財宝の半分を土産代わりにして、チェシャの父親トルカを始めとする海賊たちの命ごいを皇帝の申し出た。認められると、そのまま海賊たちを自分配下の水軍にし、トルカを隊長に任命した。といっても、彼らの生活が一変したわけではない。
「海賊は続けてもいい。ただし、他国領でだ。俺にはまだ水軍を養う力はない。それにだ、トルカたちがたくさん稼げば、他国の力を簡単に削げる」
フォーサスは笑ってそう言った。末恐ろしい子供だとトルカは感じたらしい。あとになって、自分の義理の父親である長老にそう語っている。また、チェシャと同様に商家へ里子に出されていたトシェインを引き取り、皇太后に預けたのもフォーサスだった。
「おまえの弟なら、絶対に役に立つからな」
口ではそう言いながらも、チェシャにはフォーサスの心がわかっていた。小さい頃から二人の異母兄の親族に命を狙われ続けているフォーサスは、家族の縁というものに薄かった。せめて、チェシャだけでも、実の家族と仲良く過ごさせたいと願ってのことだろう。フォーサスは、自分の心を決して他人には見せないのだが、チェシャの前だけは別だった。二人の秘めた願い-チャイニェン大陸の恒久なる平和-を叶えるためのかけがえのない同志だからだ。




