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はかない宴  作者: 安野穏
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残された皇女

女性蔑視の表記やそういう表現もあります。

 アーリアン帝国の辺境地アスタロット地方領主フォーサス・クレイ・アーリアンは、無類の女好きで有名だった。現皇帝の第三王子であり、亡くなった皇妃の唯一の嫡出子という立場からいえば正統な第一皇位継承者であるのだが、本人は父である皇帝との些細な意見の食い違いから始まった仲違いをいいことに、堅苦しい宮廷生活を逃げるように飛び出して、辺境の地方領主におさまり、気楽な生活を楽しんでいた。


 さほど広くない領主の館で警護の近衛騎士以外にフォーサスと一緒に暮らしているのは、妖艶な美女が一人だけである。二ヵ月前に身の回りの世話をしていた乳母が流行り病で亡くなったために、代わりの侍女を募集中なのだが、フォーサスの平素の行ないの悪さから侍女への応募は未だにないといった状況だ。




「本当によろしいのですか?」


 連れの初老の男に不意に声をかけられて、領主の館へと続く道の途中で立ち止まった少女の態度は固く無言のまま頷いた。腰まで届くほどの長い黒髪をやぼったく三つ編みにして、木綿の無地のワンピースといういでたちは田舎出の村娘といった感じだったが、その鳶色の瞳には何か思い詰めたような危険な光が宿っていた。少女の並々ならぬ決意をこれ以上は止められないと悟った男は、深々とため息を吐いた。


「お館様と奥方様は、ソフィア様に普通の暮らしを望まれておりました。神聖ルアニス帝国最後の皇帝でおわしましたお館様が、卑怯な夜襲によりお隠れになられましてから早十二年。まだお小さいソフィア様をお守りしてきたのは………」


「ロスモール、もうよいのです。このチャイニェン大陸に数多ある国の殆どが、未だにわたくしを捜しています。わたくしの存在がまた新たな悲劇を生むことになります。私の望みはただ一つ。お父様とお母様の敵を討つことのみです。アイリーン皇帝に一矢を報いることができぬのなら、せめて、嫡子を屠ることだけが今の望みです」


「ソフィア様」


「アイリーン皇帝の嫡子は無類の女好きと伺っています。私に食指を伸ばしてきた時が、この館の主の最後となるのです。このまま生きて、意に沿わぬ男の物になるくらいなら、自分の意思でこの命を絶ちます。ですが、ただ死ぬだけでは嫌なのです。恨みはアイリーン皇帝であって、この館の主には何の恨みもありませんが、あの男の嫡子として生まれたのが不幸なのです」


 ロスモールという男とソフィアという少女の間で、幾度となく繰り返された言葉のやり取りは同じ内容の繰り返しであった。


「さあ、まいりましょう」


 ソフィアは胸をそらすと、村娘らしからぬ凛然とした態度で領主の館へと道を急いだ。





「おまえの名は?」


 ロスモールを帰した後で、この館の主である男が長椅子に寝そべったまま、ソフィアの名を確認するように鷹揚に尋ねた。


「アニサスと申します」


「アニサスとやら、ここの噂を知っているな?それでもよいのだな」


 長椅子に踏ん反り返っている若い男を見た時に、ソフィアは少し鼻白む思いだった。無類の女好きという噂から想像した男は、もっと年上で権力の上に胡坐をかいている腐敗して退廃したような男のはずだった。目の前にいる男は想像とは違って、長身で精悍な顔つきをしていた。二十歳前後といった年頃で、アーリアン皇族の血筋である翡翠の瞳から発せられた何かを探るような眼光が、ソフィアの身体を舐めるように貫いた。一瞬、ゾクッとした悪寒が全身を走り抜けた。全てを見透かされたような思いがして、無意識に一歩、二歩と後ずさっていた。


「俺が恐いのか?」


 男が嘲るような笑いを投げつけた。ソフィアは立ち止まり、クイッと顔を上げた。毅然とした態度で、「いいえ」と努めて抑揚のない声で答えた。フンと男は鼻を鳴らした。


「まあ、いい、ちょうど退屈していたところだ」


 フォーサスは長椅子から立ち上がると、ソフィアのそばに歩み寄った。クイッと顎を持ち上げて、ソフィアの顔を無遠慮にながめまわした。好色そうな視線に晒されソフィアの心が揺らぎそうになる。


「やぼったさがわざとらしいな。これでも女の審美眼はあるんだ。おまえはもっときれいになる」


 言いながら、男はソフィアの唇に口づけた。即座にソフィアは、男の頬を力任せにバシンと叩いた。叩いた後で、我に返ったソフィアは自分の拳をギュウッと握りしめた。男が楽しそうに大口を開けて笑い出した。


「おい、チェシャ、こいつをもっときれいにしろ。今夜が楽しみだ」


 男は傍らに控える長身で妖艶な美女に声をかけると、サッと踵を返して部屋から出て行った。取り残されたソフィアは、唇をきつくかみ締めた。決意はしたものの、甘さの残っている自分を恥じていたのだ。寝所で男と刺し違える覚悟でいる以上は、ある程度の我慢は必要だった。


「また、殿下の悪いくせが………」


 ため息まじりに呟きかけたチェシャと呼ばれた女の声は、ハスキーボイスだった。背の高いチェシャの妖しい艶姿と男のような声はミスマッチともいうべきだ。フゥッとため息を吐くと、チェシャの顔がソフィアを向いた。チェシャの視線がなまめかしくて、ソフィアの胸がドクンと高鳴った。


「そうね、殿下の言う通り、確かにわざとつくったやぼったさね」


 白くて細い手がスッと伸びて、ソフィアの髪をパラパラッと解いた。アッと短い声を上げたソフィアが怯んだように後ずさると、チェシャはガシッと力強く腕を掴んだ。女にしてはチェシャの握力は強く、ソフィアは捕まれた腕の痛さに顔をしかめた。チェシャは手慣れた様子でソフィアの手をきつく縛り上げると、身体を天井から吊り下げた。


「逃げようとは思わないでね。何の目的があるのかはたいてい察しがついてるわ。こういうことはあなたが初めてではないの。本当に殿下にも困ったものだわ。あなたが首尾よく目的を遂げられるかどうかはわからないけど、少なくとも殿下はその御膳立てを整えようというわけ。どうせ、また色気で殿下を誘って、その隙にと考えているのでしょう。あの方たちも性懲りもない人ね。今度はこんな子供を寄越すなんて」


 チェシャはいつのまに出したのか短剣を手にしていた。ソフィアの着ているワンピースの襟元に手際よく短剣を入れて、一気に下までサアッと切り開いた。バサッという音と共に、服が惨めなボロきれとなって、床を這った。いとも簡単にソフィアの身体を一糸まとわぬ姿にすると、チェシャは無言でソフィアの身体を調べ出した。吊り下げられたソフィアの白磁の肌が露になり、怒りと羞恥心が全身を桜色にほんのりと染めた。ソフィアの感情の起伏には一切気にも止めずに、全身を丹念に調べつくしたチェシャが首を傾げた。


「あら、まあ、これは、これは、まだ、男を知らないようね。あの方たちにしては珍しいこと、自分のお手付きでない暗殺者を寄越すなんて」


 血液が重力に逆らって、全部頭に集まったんじゃないかと疑いたくなるくらいに顔を真っ赤にして、ソフィアは怒っていた。恨みがましい目でチェシャをにらみ、声も出せないほどに唇をわななかせた。チェシャがクスッと忍び笑いを洩らした。


「気が強いところはいいけど、案外無防備すぎるわね。まあ、先程の男も今頃は殿下に捕えられている頃よ。あなたが吐かなくても、あの方たちの内のどちらが送った暗殺者か、あの男が吐いてくれるわ。殿下は男には容赦しないから」


「ロスモールは関係ありません!」


 ソフィアの顔が瞬時に蒼ざめた。自分のためにこれ以上、ロスモールを巻き込みたくなかった。ロスモールは両親の死後、ずっと自分を守り育ててくれた忠臣なのだ。切れて血が滲みでる程に唇をキリリとかみ締めた。口の中に幾度も味わった錆びたような血の味が広がる。


「ロスモール?それがあの男の名前?どこかで聞いたことがあるわ。どこだったかしら?」


 チェシャは額に手を当てて、ジッと考え込んだ。諦めに似た敗北感がソフィアの全身を包み込んだ。


「言います。全てを話します。だから、ロスモールには一切手だしをしないで下さい」


 夢中だった。この際、自分のことなどどうでもよかったのだ。ロスモールさえ、無事に生き延びてくれればそれでよいのだ。ソフィアは哀願するように、チェシャを見つめた。


「ロスモールという男が、それほどに大事なのか?」


 不意にフォーサスの声が響いた。ソフィアは、ビクッと身体を震わせた。男の険しげな双眸が、ソフィアの浅ましい姿態を捉えた。


「姫様、申し訳ございません」


 フォーサスの後ろから、一人の騎士に引き立てられて、縛り上げられたロスモールが入ってきた。ソフィアの全身を絶望という文字が駆け抜けた。


 部屋の中央につかつかと歩み寄ったフォーサスが腰の長剣を抜き放ち、ソフィアを吊り上げているロープを断ち切った。ソフィアの身体が床に落とされ、ドサンという鈍い音を響かせた。痛みが身体を襲う。


「どうやら、いつもとは違うようだ。その男は牢にでもぶち込んでおけ。俺はたっぷりとこの女から話を聞かせてもらう」


 フォーサスは軽々とソフィアを抱きかかえて、奥へ通じる部屋のドアを開けた。奥には二階へと上がる階段があった。階段を昇るとまたドアがあり、フォーサスの私室に繋がっていた。フォーサスはソフィアの身体をドサッとベッドに投げ降ろした。


「いやです!」


 ソフィアはベッドの上で体勢を整えながら、男を避けて必死に逃げようとた。両手首が縛られたままなので、思うように逃げられず、男の腕の中に抱き竦められた。


「話を聞かせてもらおうか?神聖ルアニス帝国のソフィア姫」


 男のささやいた言葉にソフィアの身体が凍りついた。絶望に打ちひしがれた瞬間だった。



語彙が少ないので、つなたい文章です。

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