余命1日 更正ビッチ
彼女にはあらぬ噂が流れていた。
金と遊びにしか興味が無い、頼めばヤらせてくれる、今までの経験人数は二桁は優に超えている、と。
つまり彼女はビッチだと、周りは俗言していた。だが、彼女はその事を否定したり等はしなかった。その噂が本当か嘘かはつまるところ分からなくなっていたのだ。
俺の好きな彼女、それは単に片想いなだけで接点すらあったのか自分の記憶を掘り起こしてもそんな場面は訪れた事はない。
しかし、それと同時期に俺は人生の絶望を知ることになった。
「末期です。残念ですが、他の場所に転移していて摘出することは難しいでしょうね。
余命は持って数週との事だった。体調の変化に気付けなかった俺のミスだった。昔から身体が弱いせいだと勝手に納得していたからだろう。
理由は告げず、学校を休んでしまっていた。思っていたよりもショックだったのだろう、頭のどこかでは分かっていても、それでも認めたくは無かった。
どうして俺だけ。なんで俺なんだ。
そればかりが脳裏を埋め尽くし、自分を追い込むような日々を病院で送っていた。
まだまだやりたいことが沢山あった。志半ばと言われればそんな大層な事は思っていないが、それでも生きていたかった。
だが、確実に死ぬという時期がハッキリしているなら、それまでにやりたいことをやるのも手なんじゃないか? そう思い始めてから俺は自宅療養に移った。
「どうせ死ぬなら、慣れ親しんだ自分の家の方が安心できます」
そう医者に言ってから許可が下りるのは時間の問題だった。それから父親が迎えに来て、家へと帰る。
医療費が嵩むといけないから、病院からの支援は断った。それは独断で、両親ともに反対していたが、そっと微笑む俺の顔を見て諦めてくれた。
「学校へ行きたいんだ」
ある日、ベッドから起き上がりキッチンに居る母親に告げた。
最初、母は戸惑いを隠せなかった。進んで学校に行きたがるような子に見えなかったからだろう。俺はあることを決意していた、だから学校に行きたいと……行かなければならないんだと母を説得した。
いつ死ぬかもしれないという息子の頼みを断るのは心が苦しいだろう、母は一日だけ学校へ行く事を許してくれた。学校にも電話をして快く許可をいただいた。
「じゃ、行ってくるよ」
「本当に送らなくても大丈夫?」
「うん、なんかいろいろと新鮮なんだ」
そう言って俺は玄関を閉める。
登校するためには最寄りの駅から四駅分乗り継がないといけない。普通なら面倒くさがって素直に母親に送ってもらえば良かったんじゃないかと、そう思うのは当然に感じるだろう。
ここの駅は改札口がない、切符を買って駅員に見せるだけでホームに立てる。そんな今の時代では珍しい風景。
この二番乗り場、ここのホームに立っていると必ず彼女は現れる。だから俺はここから登校することに何の苦も感じない。あの日から俺が気になっていた女の子、そのときから姿は一切変わらない。
そして彼女は駅構内へと姿を現した。二番乗り場に来ようと階段を上って、こちらへと降りてくる。
綺麗に染めた金の長い髪、規定よりも若干短いスカート、鞄からジャラジャラとキーホルダーを下げている。イヤホンで音楽を聴きながら俺の隣に並び立った。
そう、見た目だけで言えば彼女はいわゆる不良だった。
隣の俺を一瞬だけ、チラ見したがフッと視線を前に戻しイヤホンを耳から取り、ポケットに突っ込む。
無言で立ち並ぶこの時間が気難しく、もどかしくて、でもなんだか嬉しかった。そんな待ち時間、だが今日はここから変化を及ぼさなくてはならない。心臓の鼓動が早くなる。でも不思議と迷いは無かった。
「俺とデートしてくれない?」
俺の中の時が止まったように周りから音が消えた。
彼女は俺の方を見て、驚いたがやがて警戒するように一歩距離をとられる。それもそのはずだ。俺と彼女には接点が無い。
「……何企んでんの?」
「何も」
警戒心を解ければと思って表情を柔らかくしたのだが、余計に警戒されてしまったようだ。
「訳わかんない」
そう言われても仕方が無い事だけど、面と向かって言われるとちょっと凹むな。そもそも何故こんなところで口にしたのか。答えはすぐにやってくる。
タイミングがいいのか悪いのか、二番乗り場に電車がやってきた。彼女は俺と距離ととるために離れた乗り場から電車に乗った。そして、先に乗っていた女友達とツルみだす。
俺と彼女が二人になれる場所がそこのホームだけだったのだ。電車が来るまでの待ち時間という短い間だけ。
今の段階で俺はそれを見送る事しかできず、吊り革を握って学校ふもとの駅に着くのを黙って景色を見ながら過ごす。
駅から改札口を出て、学校まで歩いて四、五分くらいのところにある。音楽をフルで一曲くらいは聴ける、という感覚でしか覚えていないのもあるだろうが。
「でさ、あいつあそこでバカみたいに叫んで警察呼ばれてんの!」
「ヤバ、マジでバカじゃーんww」
周りの事も顧みない、そんな連中の中に彼女は当然の如く居る。時折、後方を見て何かを探しているようだったが、やがて俺と目が合うとプイっと前を向いて、それ以上後ろを気にすることはしなかった。
そう、この距離感が懐かしいのだ。普通に学校に通っている時でも、この時間帯でこの景色でこの距離感。
そのすべてがもうすぐ終わってしまうというのは少し寂しい。
学校へ行けば、職員室に直行してほしいと言われていたのでそちらの方へと向かう。
「大丈夫か、気分は悪くないか?」
「大丈夫です。すみません無理言って来てしまって」
「いや、お前が来たいって言ってくれただけでも嬉しかったぞ」
担任とそんなやりとりをして、ようやく教室に向かえると思っていた。だけど、予定には無いことを言いだされた。
「お前の病状のこと、クラスの奴等に話さなくていいのか?」
余命宣告されたことは、生徒には伝えずにいてほしい。それが俺の出した条件だった。そんなことを伝えてロクに話さなかったやつから心配されるのはあまり好ましくないからだ。そうやって接してくる態度を変えたり同情されたくなかった。敢えて体が弱い、ということだけを話して普段通りの状態で居て欲しかった。
だから、
「大丈夫ですよ。いつも通りの日常を過ごしたいだけなんで」
そう言って俺は職員室を出て行く。
教室へ向かう途中、俺を見てヒソヒソと話す人がチラホラ居た。意外と俺の存在を覚えているやつが居るもんだな、と少し嬉しくなってしまう。
そして教室に入ると、何人かはこちらを黙って見ていたがやがて誰もがそれぞれの時間を過ごし出す。
俺なんてたまに学校に来るか、来ないかの存在だ。気にする人なんてほとんど居ないだろう。
だが、彼女だけ俺の方を見つめていた。朝か ら変に声を掛けられて、まさか同じクラスだなんて思っていなかっただろうな。
そして暫く使われていなかった席に、俺の席に着くと鞄から今日ある授業の内容を取り出す。担任から今日ある授業については連絡を受けていたおかげで難なく準備は進められた。
それらを机の中に仕舞うと俺の目の前に金髪の長い髪が横切る。
「昼休み、屋上」
それだけ言うと、素通りするように教室を女友達と出て行った。周りがそのやりとりに気付いた様子は無かった。
そして昼休みが訪れる。
仲が良い奴らで机を囲って飯を食う。購買に行こうとする奴ら、学食にしようかと悩む奴ら。
そして、誰よりも先に教室を出て行く金髪の彼女。俺はそれを横目で見送って、立ち上がる。
「おい、またすぐ出て行ったぞ」
「また誰かに身体を捧げるんだろ、どうせ」
彼女が席を立つとそんな話ばかり周りの奴らは風評する。不良が苦手な真面目生徒ぶっている奴らと不良のような奴ら。大きく二つに部類されるこのクラス、俺は真面目ぶっている方に分けられるのかな。
俺はそんな話声になんら関わることもなく教室を出て行く。向かうは屋上、恐らくは彼女もそこに出向いているだろう。
階段の踊り場は誰も居ない。ごく自然に屋上の扉前まで来られた。この学校では自殺者が全くと言っていいほど現れないおかげか、屋上は解放されている。だからといって進んで屋上に来ようという奴は恐らく居ない。
なぜならここは、
「ホントに来たんだ」
彼女のプレイスポットなどと呼ばれているからだ。
もし、そう呼ばれているなら彼女の行為を一目見ようと見物人が来たりするだろうが、生憎外から鍵を掛けられるらしくて、その時は先客が居るなどと言われている。だから覗くに覗けないそうだ。
「言っとくけど、ヤらせる為に呼んだわけじゃないから」
そう言って誰も入って来られない様に鍵を掛ける。彼女は弁当を広げていた、いつもこんなところで一人で食べているのだろうか。もしくは身体を売った誰かと、食べているのだろうか。
「あんた同じクラスだったんだ」
「あ、うん」
「だったら分かんでしょ。私がなんて呼ばれてんのか」
「端本希望。学校一の不良 娘、頼めば二つ返事で大抵ヤらせてくれる。そんなところかな」
「もっと酷い事いう奴もいるけどね」
乾いたように笑う端本。
「でも誰も私に寄り付かないし、学校生活でヤらせてくれなんて言う奴今まで居なかった」
そうだ。誰もそんな度胸があるわけじゃない、噂も立ちすぎて端本にはお得意様のヤクザが後ろ盾に付いているとかいう話もあるからかな。尾びれ背びれが付きすぎだろ。
「なんでそんな私に告ったの? 罰ゲーム?」
俺は端本の対面に座って弁当袋を広げる。
「ちょっ、なんで居座る気満々なわけ!?」
目の前で立ち上がって息を荒げる端本。俺は構わず箸を取り出す。
「話すと長くなるから」
「ふざけんな。私はアンタと話すつもりなんかない」
「じゃ、なんで俺をここに呼んだの?」
「きっぱりと断るため」
冷徹な声音で彼女は言った。そして俺が広げていた弁当を蹴飛ばした。俺の弁当は宙を舞い自殺防止のフェンスに当たって地面にグチャリと落ちた。
「分かったらさっさと出て行け」
やれやれ、どうしたものか。
「俺はただ話を聞いてほしいだけなんだけどな」
立ち上がる俺に一瞬だけ身体を強張らせる端本。何か仕返しをされると身構えていたのだろう、だが俺は何もしない。
「話を聞いてもらえるにはどうしたらいい?」
どうあっても退こうとはしない。そんな俺に対して彼女は戸惑っているようにも見えた。普通は弁当を蹴飛ばされたら逆上するか、ショッ クでこの場を去っていくか。俺の見た目から察してこの場を去ると考えていたのだろうが、そうは上手くいかない。
やがて何かを察したように彼女は無理に笑うように口を開いた。
「じゃあ、ここから飛び降りてよ」
そう言って、反対側のフェンスを指差す。
「どうせ出来っこない「いいよ」」
「え?」
俺はフェンスに向かって走り出した。思いっきりジャンプしてフェンスに手を掛けると悠々と上りきる。足を着いて立ち上がると目の前に広大な景色が広がる。
そして――――、
「!?」
体が宙に浮いていた。そう思った時には服がやけに締め付けられる感覚があった。上を見ると金の長髪が目に映った。
端本が俺の襟首を掴んでいた。
「は……やく、足掛けろ……よ」
言われるがまま俺は反対側のフェンスに足を掛ける。力が抜けたように端本は飛び上がっていたフェンスから足を放して尻餅をついた。
その間に俺は外側のフェンスをよじ登り、内側へと飛び降りる。
「ハァ……ハァ……、バカじゃないの」
端本は呼吸を整える様に言った。
「アンタ……人から死ねって言われて、ハイそうですかって平気で死ぬような奴なの?」
「別に死ねとは言われてないけどな」
「同じことじゃん!」
ワケが分からないと頭を掻き毟る端本。
「自分の意思なんて関係ないわけ?」
「意思ならある」
俺は端本に手を差し伸べる。
「端本、俺とデートしてくれ」
端本はしばらく黙ったまま俺を見つめてい た。そして諦めたように溜息を吐いて俺の手を握り立ち上がった。
「一回だけ、それ以降は私に近付いたり話しかけたりとか絶対すんなよ」
「おっけ。じゃ、今度の土曜、いつもの駅で待ち合わせ」
そう言って俺は屋上を去ろうとして、
「あ、忘れてた」
端本の弁当箱を思いっきり蹴飛ばした。
「あっ!!」
「これであいこね」
そう言って逃げる様に屋上から逃げ去った。
「マジ、訳わかんねーヤツ」
いつもは長いと思った昼休みも、この日だけは短く感じた。
たった一日というのは短すぎた、そう思ってはいようが約束は約束。日にちも場所も伝えることは出来た。だけど午後の授業時間はただひたすら 呪い殺されそうな視線を浴びていたわけなんだけど。
「時間」
「え?」
放課後、帰り道の電車で降りたところ、隣の車両から全く同じタイミングで降りた端本が俺 に声を掛けてきた。
「時間って?」
聞き返すと、端本は周りを見渡して知り合いが居ない事を確認すると、小さく溜息を吐い た。
「アンタが言ったんじゃん。デートって」
あ、そういえば時間については話してなかっ た。それにしても、
「デートしてくれる気、あるんだ」
「別にしなくていいけど」
「あ、嘘嘘ごめんなさい。超嬉しい」
そんなやりとりをしながらも頻りに周りを警戒するようにしている。そんなに知り合いとかにバレたくないのだろうか。
「お昼頃とか予定しているんだけど、どう?」
「私の予定とか確認せずデートを割り込んだ奴 が今さら何言ってんの」
「じゃ、おっけーってことだ」
不機嫌そうな表情が顔ににじみ出ている。
「じゃ、これ」
彼女が片手にスマホを持っている。
「赤外線!」
急かすようにスマホをブンブン振っている端本。これはアドレス交換ということなのだろうか。
「口約束だけでデートとか、いつの時代の話っ て感じじゃん」
「でも、俺なんかを登録していいの?」
更に不機嫌な顔をされる。今ので怒るものなの?
「デートやめる?」
「光栄極まりない話でございます」
それにしてもスマホ捌きが早すぎる、長い付け爪までしているのにどうしてこんなスムーズ に指が動くのだろうか。
おぼつかない感じでようやく端本とプロフィール交換を果たせた俺は、一日だけでもなんとか事足りたな、と満を持しているところ頭 を小突かれた。
「アンタどうせ明日とか学校来ないんでしょ」
「え、あ、うん。でもどうしてそれを?」
視線を逸らしがちに端本はホームの階段を上り出す、俺もそれについて行く。
「あそこの席って空いていることばっかじゃ ん。アンタの席なんて知らなかったけど、身体 弱いんじゃないの? 私となんかデートしてい いわけ?」
それなりに情報は渡っているってわけか。
「大丈夫、大丈夫。こう見えてほとんど仮病み たいなもんだから」
「……変なの」
駅員に切符を渡して、駅を出る。
「じゃ、私こっちだから」
「あ、じゃあ土曜日にね」
「ホントこれっきりだからな」
そう言って別れた俺の胸は弾むように踊って いた。
嘘みたいだ、今まで勇気を出さなかった俺が たった一日でデートにこじつけることが出来た なんてまるで夢みたいだ。おまけにアドレスま でゲットした。こんなに人生充実したことなん て無いぞ。でも、
「そう遠くないうちに全て無駄になるんだな」
アキアカネが飛ぶ空は淡い橙に覆われてい た。
そして土曜日、晴れ渡るくらいの晴天。
前夜は興奮して眠れなかった、まるで修学旅行前みたいに。因みにあの日以降、外出は禁止されてしまった俺は、この日あらかじめ用意は 済ませて部屋の窓から抜け出して駅へと向かっ た。きちんとデートするという書置きを残し て。
駅に向かって歩いていると気が付いたことが あった。身体の芯がやけに怠く重みを感じてい たのだ。
「よく寝れなかったからかな」
このままのペースだと遅れそうなので少し早 歩きで駅へと向かう。休日ということもあって か、お昼時という時間帯もあってかいつもは人 の少ない駅も今日はちらほらと人が居た。
「まだ、来てないか」
着いてみると何人か待ち人が居るような感じはしていたが、約束の時間までまだ十分はあ る。それでも端本が来るかどうかなんて分かり はしないんだけどな。半ば強引にこじつけたと ころがあるからな。
「遅い」
頭をチョップされた。後ろを振り返ると特徴的な金髪の彼女が居た。俺は目を疑わざるを得 なかった。
白を基調とした清楚な佇まい。どこかの令嬢 と言われても疑いはしないほど、それを着こな して俺の方へ不機嫌な表情を向けていた彼女は 間違いなく端本希望なのだから。
「着いたら連絡。番号交換した意味分かって る?」
このままずっと見惚れて居たかった。時間さ えも忘れていいほどに。
「ごめん、柄じゃなくて。アンタどうせ落ち着 いた服とかしか着ないだろうからそれに合わせ たつもりだったけど案の定ね」
言われた通り、俺の服装は無彩色が決め手の 成人男性が着てそうな地味な服装だった。確か にこれに合わせたとなれば物凄くお似合いな感 じになりそうな気はした。
「クララみたい」
「お前殴り飛ばす」
腹にゴスゴスと地味に重たいダメージを受け ながらも俺は自分の言った事に爆笑していた。
「で、今日はどうする予定」
「都心で買い物とかどう?」
俺の提案に少し唸り声を上げる端本。よく見 たら髪飾りも睡蓮を模したような洒落た雰囲気 を醸し出していた。女性ってやっぱ着こなし上 手だよな。
「私、今日あんま金持ってきてないんだけど」
「デートで男が金出すのは常識の範囲で捉えて おります」
ポケットから財布を取り出して左右に振る俺 に対して端本は「へぇ」と感心したような声を 漏らす。
「教えてやるよ。女の子とデートするのにどれ ほど金が掛かるのかってのをさ」
その笑顔に若干ブルっている俺だが、その心 配は恐らくいらないだろう。今日はどれだけ金 を遣ってもイケる気がした。
二番乗り場で電車が来るのを待つ二人、学生 服を着てではなく二人とも私服。いつもの光景 でもこの日は特に新鮮だった。
時折スマホの画面で前髪を気にしている端本 をチラリと見やる、俺なんかのデートでもこう してお洒落にしてくれるあたり物凄く嬉しく感 じてしまう。
「こっち見んなよ」
棘のある言い方をしていても照れ隠しである のが分かってしまうあたり、可愛いなと感じて しまった。
どうしてこんな子にあんな噂が立っているの か、気になる部分ではあるがヘンに聞くのも野 暮な気がした。
いつもは人の少ない電車内でも都心に近付く と次第に人が多くなってくる。
「あ、どうぞ。座ってください」
俺の隣に座っていた端本が老齢な女性に席を 譲った。
意外に気配りが出来るモノなのだな、と呆気 にとられていたらそれに気付いた端本がこちら を睨み付けていた。
「柄じゃないって思っただろ」
普通のやつからすれば、な。
「少しね」
量らずも端本の本性を少しは知っている俺は、あまり驚きはしなかったもののまさかここ までとは思ってもみなかったわけだ。
「というわけで俺の席を譲ってあげよう」
俺は自分の席を立ちあがり、端本の背を引いて座らせる。
「ちょっ、あんまり押すなよ」
「デートかい? 若い子を見てるとこっちも元気になってしまうでの」
端本が席を譲ったおばあちゃんが微笑みかけてくる。
「そんなんじゃ……ない、し」
「デートじゃないの?」
俺がきょとんとして訊ねると、
「うっさい! 面と向かって言うなよ、恥ずかしい」
若干顔を赤らめて俯いてしまった、うん可愛い。
「「ほっほっほっ」」
俺とおばあちゃんは二人して笑っていた。
「アンタ、二度とあんな公共の場で変なこと言ったら私帰るからな!」
駅を降りた俺はこっぴどく怒られてしまっ た。公共の場で怒ることもないだろうに、そんなことを言ったら絞められそうなので口を紡ぐ ことにした。
駅を降りた先、さまざまな人が行き交なかで 何故か端本の姿が目立ってしまって仕方が無 かった。
ここまで金髪と清楚で白い服が似合うとは誰が思っただろうか。学校で見るビッチだと呼ば れた彼女の姿は見る影もない。
「なんでこんなに人が多いんだよー」
そんな事は気にもせず、俺に向かって愚痴を 言っている。まあ、そうくるだろうな。
「そりゃ、端本が可愛いからいててててっ!」
俺の耳を引っ張りながら先行しだす端本。流石の俺もここまでくると照れ隠しに思えなくなってきたぞ。
「あの店から行こう」
初めは駅ビルかと思ったが、どうやら洋服専門の建物の様だ。こういうところは行ったこと なんてないが、この場合は端本がリードしてくれるだろう。
「それで」
「で?」
「どんな店があるんだ?」
え?
俺が驚くほどに目玉を飛び出させていると端本が顔を赤くして不機嫌そうな顔をした。
「し、仕方ないだろ。こういうとこってあんま来ないんだから」
「つかぬこと伺うが、私服とかどこで買って る?」
「大抵は雑誌で探して通販だな」
便利な世の中ですもんねー。
あれ? ってことはもしかして……。
「今までデートとかってしたことある?」
…………。
「あ、あるに決まってんじゃん。バカにするのも大概にしとけってーの」
あれ?
別にビッチが好きってわけじゃ無いんだけど、俺の中の端本のイメージが良い方向に払拭されすぎて逆に不安に感じてきたぞ?
果たして俺にこんな重大任務がこなせるだろうか。
「ゆっくり自分に合いそうな店を探しに行こうな」
「う……お願いします」
変にしおらしくなられるとこっちが悪者みたいだ。まあ、もともとは俺が無理言って誘ったわけなんだし、別にいいんだけどな。
「ここなんてどう?」
なんかポップティーンエンジェルとか書いてあるけど、名前からしてチャラチャラしてそう。
「名前からして微妙」
まあ、確かに。流行のファッションって普段の生活で着るのに何となく勇気が要るやつとか たまにあるからな。
こういうのって気軽な服とかがかえって良かったりするんだけど……あ。
「俺さ、どうしても端本を連れて行ってみたい店があったんだ」
「えー、どういうところ?」
うわ、物凄くイヤな顔をされてる。そんなに信用されていないのか、それも当たり前か。だけど俺は、この店に関しては絶対的にイケると確信さえしているほど自身たっぷりなのだ。今日の服装を見て確信はより深まったと言っても 過言じゃないね。
「ホラホラ、こっちこっち」
「ちょ、押すなってば」
エスカレーターに彼女を乗せて上の階へと移動する。このフロアは先ほどの色合い的にも明るめの服ばかりを扱ってる店が多い。
どっかのカーニバルとかでしか似合わなそうなものばかりだ、そりゃテレビでタレントさん が着ているのを可愛いとか言う女子が多い気も するけど、それはタレントさんの個性を出す為 であって普段から着ていたら逆に引いてしまう な、俺だったら。
そして更にもう一つ上がった先は、先ほどのフロアとは打って変わった落ち着きのある服装 ばかりを取り扱っている店が多い。
「まさか、この辺の店ってわけ?」
「そうだよ」
「む、無理無理」
下りエスカレーターに向かう端本の腕を掴んだ。
「は、離せ」
「まあまあ。モノは例に、ね?」
そう、若い子のイケイケファッション的なイメージを持っている彼女からしたら、大人な女性向けの店は天敵といってもいいほどに馴染み が無かっただろう。
端本とツルんでいるあの子たちもまさに今どきのファッションみたいなのばかり着ているイメージが強いからな。名前とか噛みそうなタレ ントが着ていそうなああいう感じ。
「端本ってさ」
とうとう下ることを諦めた端本の手を引いて 俺は件の店に向かって歩き出していた。まるで 母親に連行される子どもみたいな図だ。
「他の子たちになんか、合わせてるだろ」
そう言われて端本の歩みがピタリと止まった。
「なんで?」
「他の子よりも露出が少ない」
背中を殴られた。
「そんなところばっかり見てんのかよっ! だから男なんて……っ!?」
言いかけたところで口を塞ぐ端本。
「……ほら、着いた」
俺が指差す方向を見た端本が少しだけ緊張を隠せないようだった。
「まあ、スポーティー系も似合うかなって思っ たけど寒くなってくるだろうしやっぱりコート とか買った方がいいかなって」
「私にこういうの着こなせるって思ってるわけ?」
いやに真面目な顔をしてそう尋ねてくる。そんな風に言われると茶化したりするわけにもい かないな。
「実は今、端本が着ているような服を見ようかなって最初は思っていたんだけどさ、先に着こなされててびっくりするほど似合ってたから ね。それに見合うコートとか、やっぱ端本は落 ち着いたコーデが合うんじゃないか?」
俺が言う言葉をどう受け取ったのか、端本は黙ったまま前へと歩き出した。
「ほら、早くしろって」
どうやら俺の提案は受け入れてくれたってことでいいよな。
「ほー」
店内では見渡す限り服、服、服と最新のマストアイテムからより取り見取りだった。見ているだけでも充分に楽しめそうな気はした。
「あ、これとかちょっといいかも。でも、こっちもなー」
あまり乗り気ではなかった端本もなんだかんだ楽しんでいるようだ。俺は少し距離をとるようにして他の服を眺めていようかな。
やはりこういう服もけっこう値が張るのだろうか……。
「おい」
声を掛けられて振り返るとむすっとした顔で 端本が両手に服を持って立っていた。俺が小首を傾げているとその手に持っている服を差し出してきた。
「どっちが似合うと思う?」
ふむ、どちらも似合いそうだとは思うけど……、ここはあえて第三の選択肢、いやいや 悩むな。
「男ならさっさと決める!」
「じゃ、そっちの黒い方で」
パッと見で端本に来てほしいと思った方を選んでしまった。まあ、露出とかあまりしていないし無難といえば無難かな。
「じゃ、着替えるから」
「あ、見てもおっけーな感じ?」
率直過ぎる質問に端本は更に口の端を歪めた。
「何のために選ばせてると思ってんだよ、 はぁー」
凄く溜息を吐かれてしまった。
「あ、ちょっとトイレ」
「戻ってくんな、ばか」
ふてくされながらも試着室のカーテンを閉める端本。さてと、その間にトイレでも探しましょうかね。
「こういうのはどう……って居ねーじゃん」
カーテンを開けると私はアイツが居ないかと辺りをキョロキョロと見渡す。あまり自分の好 みではないがせっかく選んでもらった手前、どうするかと考えていた私だがまだ自分で確認していなかったと、ふと鏡を見る。
「これが私」
鏡の向こう、いつもバカみたいに友達と笑いあっている自分が果たして今の格好を見ると何と言うのだろうか。
「お会計がこちらになります」
最悪だ、今すぐ買ってアイツを驚かしてやろうとしていたがよくよく考えてみればこの服を アイツに奢らせれば良かったんだ。
「ねえ、君。一人かい?」
「んぁ」
「げっ、お前端本じゃんかよ」
私の事を知っている。ああ、あの話経由でってわけか。
「私はアンタを知らない」
「ふーん。なぁ、お前頼めばスグにやらせてくれるんだろ?」
またそれか。
「失せな、今日は別件で来てるんだ。アンタに空ける予定は微塵も無いね」
「へぇー。見た目とのギャップあって逆に燃えてくる」
「ちょっ、離せよ」
やばっ、コイツ力がつよ……す、ぎ……。
「何が清掃中だ、せっかくの一日の大半がトイレに消えるところだった……」
ようやく帰って来られた……は、いいものの端本のやつどこに行ったんだ?
「電話も出ねーし……、すみませーん。この辺で金髪の清楚な服を着た女の子を見掛けませんでしたか?」
「ああ、さっきこの通路を通って下の階に行ってたよ」
「ありがとうございます」
通りがかった人に教えて貰った道を進む。電話にも出ないで勝手に何処かに行くなんて、 やっぱり俺とのデートはつまらなかったのだろうか。
でも良かった。最期に少しでも彼女と関わりを持てて、少し前の俺だったら声を掛けることすら躊躇してしまう端本とここまで過ごせたんだ。悔いはないな。
「ねえ、警備員とかに言った方がいいんじゃな い?」
「でもなんか関わるとロクなことになりそうに無いじゃないか?」
「でも、なんか可哀そうよ」
示された道を来てみたが端本はこの近くには居ない様だ。しかし、さっきからカップルが何か話している内容が少し気になるけど……。
「あの金髪の子、ぜったい嫌がってたってば」
「金髪の子を見たんですか!?」
俺はカップルの女性に声を掛けた。咄嗟に男の方が警戒してきたので、やや物腰気味に訊ねる。
「ええ、でもこれって言っていいものかどうか」
「俺の連れなんです。お願いします、どっちに行ったんですか?」
「なんか、男の人に無理矢理連れていかれてる感じで、あっちの方向に……」
指を指されたその時、俺の足は既に走り出していた。
「なぁ、ちょっとだけでいいんだ。金なら出すからさ」
ビルを出た先の地下構内、地元の不良の仕業 か蛍光灯の大半は叩き割られていて物々しい雰囲気を醸し出している。そのせいか、この通路を使う人間はほとんどいない。
「うるっさい! 離せって言ってんだ ろッ!!」
両腕を壁に押さえつけられ脚で抵抗しようにも距離を詰められすぎて自由が利かない。
いやだ。息が荒い、汚い、臭い、気持ち悪い。こんなのとヤるくらいなら死んだ方がマシ だ。
誰か、助けて。
「安っぽい生き方してっくせに、お高く留まるのもいい加減にしとけよ」
ち、違う。誰か、誰か居ないの!?
「怪我とかしたくないなら、大人しく俺に身体を預けることだな」
恐い。喉が震えて、声が出ない。
男なんてみんな同じだ。結局は体目当てで、抱けるならどうだっていいって、そういう奴らばっかりだ。
私の身体を貪ろうとした父のように。
「御開帳~」
スカートをめくろうと男の手が太ももに触れる。本当、私の人生っていいこと無いな。高校に上がって、仲のいい女友達が売春しているってだけで私にもその噂が広まって、変に否定したらその友だちさえ否定しているんじゃないかって無視していたら、その噂が余計に酷い内容へとなって私にのしかかってくる。
男たちの見る目が明らかに変わって、毎日が息苦しくて。
ああ、でもたまに駅のホームで見るアイツは、どこか優しい目をしていたっけ。穢れなんて知らないような、学校でもあまり言葉を発したりせず、大人しく過ごしているような見るからに文学系の男。
私も無理に友達を選ばなければ、こうやって何の重みもない生活を送れるのだろうか、と。
誰よりも自由に生きていそうな、アイツみたいに……。
「あれ? 可笑しいな。端本がこの辺に居る気がしたんだけどなぁ」
え?
「あ?」
男が私のスカートを放して声のする方向を見た。
「あ、弱々し過ぎて気が付かなかったww」
男の顔を思いっきり殴りつけた、アイツは私を助けてくれた。
「端本めっけ」
俺は端本に詰め寄った男の顔を思いっきり殴りつけた。
「端本が金髪の似合う美人で良かったな。おかげでここを見つけることが出来た」
よろけた男が腫れた頬をさすりながらこちらを睨み付ける。その間に端本の身体を俺の方へと抱き寄せる。
「いってぇな! いきなりなんだよお前」
「悪いね、端本の躰は予約制なんだ。俺の番が終わるまで手出さないでくれる?」
「誰が予約制だ!」
頬を引っ張られる、痛い痛い。
「その調子なら特に何かされた訳じゃないな、安心安心」
俺は端本の頭にさりげなく触る。髪の毛サラサラだな、意外と背も低いし、それに震えている。
「どうせお前も、ソイツの体だけが目当てなんだろ。だったら独り占めしなくていいじゃねーかよ」
「生憎、独占欲が強すぎてね。そのせいでロクに彼女が出来ない人生だった」
「ふざけやがって」
俺の場合だと単身だったら退くことが出来た。だが、俺の腕の中には端本がいる。つまりは、お互い引けない立ち位置にいるわけだ。
「ちょっと下がってて」
「アンタ、喧嘩強そうに見えなんだけど」
端本の声音が未だに震えている。一時はピンチを凌いだだろうが、相手が諦めない限り安心するには早い。
「俺もギャップを見せたいと思いましてね」
そんな事を言ってみるが冷や汗が滲むように出てくる。勝てる見込み、あまりなさそうだな。
身を挺してでも護りたい人が居る、俺には気遣うような体は持ち合わせていない。そんな俺が負ける筈ないじゃないか。
「そらっ!」
再び殴りかかろうとした俺の焦点は男の全体を捉えきれてはいなかった。俺より身長が高い男はみぞおちに蹴りを入れてくる。
「ぐぅううっ!!」
腹部の痛みに耐えながら蹴りを入れてきた脚を俺は掴む。
「放せよっ」
相手が何かを仕掛けようとしてくる、瞬間的に俺は掴んでいた足の裏側を蹴り上げる。
片足立ちになっていた男はその一撃でバランスを崩して横向きに倒れる。
「っつ……」
腹の痛みに打ちひしがれていると即座に起き上がった男が俺の頭部に肘を入れてくる。壁に体ごと叩き付けられた俺はずるずると地面に落ちていく。
そこに追い打ちするように蹴りを胸部あたりに入れてくる。全身を打ち付けるような重みが幾度となくのしかかってくる。
あ、やば……。
「もうやめろよ!!」
端本が男の行動を止めに入る。だが、逆上した男は端本のことなどどうでもよかった。
「邪魔するなっ!」
腕を振りほどいて再び俺に蹴りを入れようとした瞬間を俺は見逃さなかった。先ほどのやりとりの間、くずおれていた体を起こして、靴の裏を地面と壁の境目に付けて地面を思いっきり蹴る。
「ぐえぇっ」
俺の全体重が男の腹部を貫く様に圧した。男は一瞬宙を舞い、地面に倒れ込むとお腹を必死で抑え込んだまま、唸っていた。
「はぁ……はぁ……」
俺は男がもう立ち上がってこないことを確認すると黙ったまま俺を見ていた端本に声を掛ける。
「怪我はないか?」
「怪我はしてるよ、主にアンタが」
俺は口の中に溜まった血を吐きだすと、端本に笑顔を向けた。
服についた埃や土などを掃ったが、どうも綺麗にならないので服を見繕ってもらうことにした。
「アンタの替えの服と、あとはさっき買った服は私の金だからノーカンとして、他にもいろいろと寄らなきゃいけないところが増えたね」
歩くのがやっとな俺に随分とスパルタじゃ、ござらんかな。
「まあ、そうだな」
こんな波乱万丈な一日なら臨むところだと言ってやろう。
「それとさ、ありがとうな」
俺は後ろからついてくる端本の方へ振り返る。
「うーん、最後の方は俺が助けられたって感じだったからなんか素直に受け止めきれない」
「黙って感謝されとけって」
背中をバンと大きく叩かれ、さきほどのダメージがぶり返してきそうだった。それでも、そこはかとなく端本の表情が明るくなったことに気付かない俺じゃないけど。
休憩合間、小腹を満たそうとファストフード店へと入る。
「買い物はまだまだ続くんだから、そんな疲れたような顔してるんじゃ先が思いやられるね」
席に着いて気の抜けた俺の顔を見て端本がやれやれと愚痴を零す。
「いいよ、私が適当に頼んできてやるからさ」
席を立って注文を取りに行こうとした俺を制止して彼女が向かう。
なんか心配掛けちゃってるかな。
先ほどのやり取りから体の重みが消えてくれない。腕も少し痺れてきた、恐らく疲れが顔に出ているせいだろうな。
やがて三番の番号札を持った端本がこちらへ戻ってくる。
「なに、俺の顔になんか付いてる?」
端本がジッと俺の顔を見つめていたので、気になって尋ねてみる。机に肘を付いて俺を見ていた端本が少し唸った後、口を開いた。
「なんで私なんかとデートしたいって思ったの?」
「なんでデートって、そりゃ好きだからじゃない?」
「いや、だってさ。私って学校でなんて呼ばれてるのか、アンタだって分かってる筈じゃん。最初は罰ゲームのネタなのかって思ったし、さっきもあんなのに絡まれてアンタがボロボロになる必要性も私にはさっぱり分からないし」
「いや、だって端本ってビッチじゃないじゃん」
俺の真面目な答えに端本は呆気にとられたような顔をしていた。あれ? 俺なんか変な事言ったかな。
「周りの奴らのチャラさと比べると端本はどちらかというと控えめ、スカートだって若干他の子より長いじゃん、さっきも言ったけどさ~。それに昼休み屋上に行くのはビッチという噂が流れ出してから、俺だったらそんなこと言われたら教室に居づらくなるし、屋上だったら一人になれるもんな。風も気持ちいいし」
「それだけでそこまで確証が持てるアンタっていったい何なの?」
「右の方の脇、まだ痛むでしょ?」
「!?」
「ま、気付いたのは男に押さえつけられているときになんだけど」
その部分は、恐らく俺が屋上から飛び降りようとしたとき、端本が腕一本で俺を支えきれる筈がない。フェンスの部分との重圧で痛めてるんじゃないかって、そう思った。端本はそれについて何かを言おうとはしない。
気付けば店員が三番の札を呼んでいたので俺は席を立ってカウンターまで歩く。
「私には本当のアンタが分からないよ」
腹も軽く満たされた俺達はさらに店を転々としていく。気付けば荷物も多く、時間も経っていたのでどこかで休もうと考えていた。
「あー、沢山買っちゃったなぁ」
噴水前に座る俺と端本。夕暮れが俺達を照らすように遠くで揺らめいている。
「今日だけじゃなくて、今後もアンタの事いろいろと利用しちゃおうかなー。もちろん金ヅル的な意味でさー」
「…………」
「ちょっと、何か言いなよ。冗談じゃん」
「いや、そうなれればどれだけ幸せかなって考えてた」
「ぷっ。なにそれ」
今日は本当にいろいろあった、数えきれないほどの思い出が作れた。思い残すことが無いと言えばそりゃたくさんあるさ。だけど、今は目の前にある幸せを手放したくない。そう思っていた。
「ねぇ、私たちってさ……周りから見たらカップルみたいに見えてたんだよね」
「うん、そうだね」
暫しの沈黙。噴水の音だけが場を繋いでいるような、そんな救いさえあったような気がした。
「一日だけって、言ったけどさ」
ダメだ、その先は言っちゃダメだ。お願いだ、俺に望みを与えないでくれ。
「その、さ。本当に私たち、付き合わない?」
その言葉が聴けて俺は嬉しかった。思いっきり彼女を抱きしめてあげたい、そんな気分だった。
「……ねぇ、なんで」
俺は彼女の方を向いた。
「なんで泣いてんの?」
「え?」
俺は知らないうちに涙を流していた。分からなかった、俺自身どうなっているのか。心が痛い、心臓が熱い。
やめてくれ、そんな悲しそうな眼で俺を見つめないでくれ。楽しかった気持ちが、幸せが逃げていくみたいだ。俺に現実を突きつけるみたいに。
お前は手にしたもの、手にしようとする全てをもうすぐ失くすんだと。
手が震えた、脚に力が入らなくなった。嗚咽が俺を襲い掛かった。
「え、何が、なんで? 具合悪いの!?」
彼女に支えられることが喜びとなり、愛おしくなり、でも決して手が届かないんだとさらに悲しくなる。
どれほど時間が経っただろう、夕日もいつの間にか沈んでいた。
落ち着きを取り戻した俺は端本に笑顔を向ける。
「俺さ、もうすぐ死ぬんだよ」
その言葉を聞いた端本の眼が僅かに見開かれた。だが、すぐに表情を穏やかなものにして、
「なんとなくそうじゃないかって思ってた」
俺は気まずさから視線を下に逸らしてしまう。
「ごめん。騙す様な感じになっちゃって」
「アンタは私を騙してなんかないよ。付き合おうかって聞いたのは私のほうなんだからさ」
俺は噴水の近くに生えていた木々のイルミネーションを見ながら疑問に思った事を尋ねる。
「どうして気付いたの?」
端本は俺を見てゆっくりと口を開く。
「アンタって、いつも大人しいじゃん。身体が弱いって言うせいで学校も休みがちだし、たまに来てもあまり喋らないで自分の時間ってのを確立してるなって羨ましかったりする。なんでだろうね。たまにホームでアンタを見掛けると、今日は来るんだなって思ったりする。居ないとまた休みかって思ったりもする。そんなアンタがさ、私に声を掛けてきたことに関しては本当にびっくりしたけど……それ以上に、ね。なんかさ……」
端本が少し淋しげに続ける。
「必死な感じがした」
俺は、いや確かにそうだった。思い返せば、少し意地になってしまっていたのではないだろうか。そう思ってしまう。そういう意味じゃ、俺は端本を本当に騙していたことになってしまうのではないだろうか。
「端本は俺が見惚れたとおりだった。やっぱり全然ビッチなんかじゃないよ」
「私だって好きでビッチなんて呼ばれてたわけじゃない! けど、けど仕方が無いじゃん。私が否定したら友達の事まで否定しちゃう気がして……」
俺は思いつめる端本になんと言ってあげたらいいか、頬をポリポリ掻いて空を見上げた。
「優しいな、だけどもっと自分を大事にしたっていいんじゃないか?」
「ズルいよ。アンタが言うと全部が重く感じる、逆らえなくなる」
自分の命を恋の駆け引きにしてしまったんだ。それなりの代償もきちんと払わなければならない。
俺が居たということを覚えていてほしい、これは相手の気持ちも汲まない身勝手な願いだって事は重々承知している。
春も夏も秋も冬も、端本はいつだって俺の隣で電車が来るのを待っていた。そんな二人の時間があったおかげで学校での彼女の状態に気付けた。
暗闇でもがき続けている。自分でも知らないうちに無意識に助けを求めていたんだ。可哀想じゃないか、もうすぐ死んで何も残らない俺と違って端本はまだ未来に希望があるんだ。だから俺は希望という名前が好きなのかもしれない。俺とは正反対で、羨ましいその響き。
「だから、俺からの最期のお願い聞いてくれない?」
最期のお願い……。その言葉がどれほどの重みを抱えているのか。まだ私には分からない。それでも、こんな私に優しくしてくれる人間が居た事に私は心が既に挫けそうだった。
なんで、そんなに私に優しくするんだよ。
小さい頃、泥だらけになって帰ってきた私に父は言った。
『もっと自分の身体を大事にしなさい』
初めは優しく思えたその言葉も、しばらくすれば意味が違ったんだと気付いた。発育途中で父の私に対する視線が気持ち悪かった。だからどこに行くにも必ず鍵を掛けることにしていたが、やがて高校に上がる前に父が私を犯そうとしたのだ。
覆い被さろうとする父親を決死に引き剥がしてその場から逃げた。ほどなくして父に逮捕状が突きつけられることになった。驚いたことに父は母と結婚する前、前科があったという事が明らかになった。
男なんてそんなものなのか。そう思っていた。
だけど、だけどコイツは違う。
「アンタの願いだったら……」
コイツは私の事が好きで、そんな私もコイツの事が、好きだから。
「聞いてあげる」
例えどんな願いだったとしても、私はそれを受け止めてしまうのだろう。それだけの相手だということが分かったから。
「もう自分を苦しめることはしないで」
これほどまでに欲を見せない男が、口にしたお願い。それは重く、暖かく耳に残る。それは私の人生に対しての願いで、私自身の幸せを願っている。
嬉しい筈なのに、どこかぽっかり穴のあいた自分が居る。
アンタの幸せはそうかもしれない。私が幸せになる事、だけどそれはアンタが居なきゃ叶わなくなっちまった。
「私からもお願いあるんだけどさ」
俺は恥ずかしそうにしている端本の姿が目に焼き付くようだった。死んだあとでも、この光景を忘れたくないな。
泣きじゃくっている端本は、学校中でビッチと呼ばれた存在とはほど遠い。だって俺の目の前にいる女の子は心も体も清らかで、真っ白に生まれたてのような笑顔で俺を見つめていたのだから。
泣いているのか、笑っているのか、恥ずかしがっているのか。その決断の意図が理解できたとき、俺の人生に何も残らないという考えが愚かだったことに気付く。
「今まで認めた事は無かったけどさ……今日だけ、アンタの前だけ、ビッチでいさせて」
その日以降、俺の容体は急変。死ぬその瞬間まで端本が現われることは無かった。
とある学校でこんな噂が流れた。
「なぁ、端本って突然学校やめたじゃん」
「あーそれ知ってるわ。なんか避妊失敗したらしいじゃん。もうすぐ卒業だったのに残念だったよな」
「その相手がさ、既に死んでるらしいんだわ」
「まじで!? 子育てとか大変じゃね?」
「いや、なんか男が残した金を全部養育費に充ててるって聞いたぞ? 噂では」
「あーあ。俺も機会があればヤらせて貰いたかったなぁ。もう叶わないことだけどさ」
「相手の男ってさ、もしかしてアイツじゃないかって話も上がってるんだ」
「あ、そっか。端本が学校やめた時期と被るもんな、まじか。そんなことする奴には見えなかったけどな」
「名前なんつったっけ。確か、夕凪光輝だったかな。あまり学校来てなかったやつ」
「いたな、そんなやつ」
とある駅のホーム、二番乗り場。そこに私は居る。長い黒髪、白いブラウスに黒いカーディガンを引っ掛けてベンチに腰かけている、他には誰も居ない。
「ほら、もうすぐ桜が咲く季節だよ、輝」
お腹を優しく撫でながら芽吹いた命の重さを確かめる。
「四月になったら、アイツも結婚できる歳になってたんだし籍を入れとかなきゃな」
向こうの両親も、アイツの残した最後の宝だと言って私を快く受け入れてくれた。アイツが言っていた私にとっての幸せというのは恐らく違ったのかもしれない。だけど、アイツの名前を受け継いだ子どもを私は一生手放すことは無いだろう。
「男の子だったらヒカル、女の子だったらヒカリ。どっちなんだろうなぁ、男の子だったらアイツみたいに育ってほしい……かな」
そうだ、この子にも物事が分かるようになったらどこかに引っ越してみる手もありかもしれない。
新しい土地で新しい環境で、この子にも素敵な異性が現われるかもしれないもんね。まだ小さな命かもしれないけど、この子は確かにここに居る。
アイツが生きていた世界を私だけが知っている。お腹の子が証明してくれている。
「私たちにとっての希望の光」
暖かい風が桜の花びらを駅構内に運び込む。線路を軋ませる音が徐々に近付いてくる。
「ほら、天見行きの電車が来たよ……輝」
next『気付かされた光』
前々から書きたい話でした。