Stay by my side
待ち合わせの場所に着いたら、香取は既に来ていた。
カジュアルなスタイルにアクセサリーを合わせいて、それが凄くサマになる。最近伸びた前髪が一筋程、長い睫毛に触れていて色っぽい。一瞬見とれたら、向こうもこっちをガン見している事に気付いた。
お互い、至近距離でにらめっこ。
「・・・香取、透視でもしてるの?」
「いや、ああ・・・」
香取は眉間に皺を寄せて、片手を顎に持って来て、感慨深く言った。
「すんげぇズン胴だなぁ、って思って・・っぃて!」
「『馬子にも衣装』って言葉、知らないのっ?」
「それ、褒め言葉かよ?」
「あんたの台詞よりはマシよっ」
頭をさする香取を尻目に、あたしはプンっと横を向く。着物はね、ズン胴になる様に着るものなのよ。その方が綺麗なの。だから腰にもタオルを巻くんでしょ。でも確かに、自分で馬子にも衣装は自虐過ぎる。
そしてそのまま膨れて言った。
「あーあ。よっちゃんはメッチャ褒めてくれたのになぁ」
本命に褒められなくちゃ、意味が無い。
何だか拗ねたくなってくる。明日にはお別れしちゃうのに。だから頑張ったのに。
「・・・あいつ、いたの?」
「だってこの浴衣、よっちゃんが着せてくれたんだもん。メイクだって彼。髪はなんと水島さん。イケメンが寄ってたかって・・何?」
香取が乱暴に、あたしの手首を掴んで引き寄せた。
睫毛の長い眼が、吊り上がっている。ギクッとなった。
「宮地、あいつらにそんな事頼んだのか?」
「たっ、頼んだっていうか、よっちゃんが『やってあげる』って言って・・」
「裸見せたのかよ? 顔、触らせたのか?」
「えぇー?」
更にグイっと引き寄せられたので、あたしは彼の尖った光の瞳を、まともに覗きこむ羽目になってしまった。
綺麗なんだけどやっぱり恐くて、慌てて目を反らした。
「はっ裸なんて見せてないよっ。・・顔は、まあ・・・」
よっちゃんの手の温もりを思い出す。彼の動揺した瞳と、自分のした挑発を思い出す。
一気に後ろめたい気分になった。
香取は僅かに俯き、小さく舌打ちをした。
「・・あいつら、ぜってぇ締め上げる・・・」
言うなりあたしは顎を掴まれ、強引に彼の方を向かされた。
「何っ?」
荒々しい動作に思わず身を固くする。彼はポケットからハンカチを取り出し、それであたしの唇をごしごしと擦り始めた。
眉間に皺が、寄っている。
口が、への字に曲がっている。
・・・これは、拗ねている。
「よその男が塗ったリップに、彼氏がキスできると思う? あいつはソレ狙ってんだぜ」
「え? 嘘? あ、取っちゃってるの?」
「当り前だろ。寝ぼけんなよ」
「・・・香取、怒ってる・・・?」
後ろめたい気分を引きずって恐る恐る聞くと、香取は半眼であたしを見下ろしてきた。
「へぇ、それは分かるんだ? よかった。じゃ、俺が今、どうするか分かる?」
冷えた言い方。無条件に、ぞくっとなる。
本気で怒らせた? と思って焦りと少しの恐怖に襲われた時、乱暴に上を向かされた。
「香取っ・・・んっ・・・」
いきなり彼の唇が覆いかぶさってきた。
ここは駅前。所謂待ち合わせスポットで、公衆の面前。
そこで彼は、あたしの唇全体を覆う様に食み、その中に隠れている舌で舐め上げた。
ざらつく舌を唇に感じ、さっきとは違う感覚で背筋が粟立つ。
彼は角度を変え、何度もあたしの唇を舐めつくした。彼の唇は、まるであたしに息をする事を許さない様に離れない。
甘い感覚が首筋を伝い、肩が小さく震えた。
やっと口づけが終わった時、彼の黒い瞳が、煌めきながらあたしを覗き込んでいた。
真顔で言う。
「消毒」
あたしは真っ赤になった。自分の唇は、彼の唾液で濡れている。恥ずかしいくらい、赤く濡れている。塗ったリップなんて、既にない。
羞恥心が一気に襲ってきて、彼の胸を突き飛ばした。だってこの駅って、学校の近くだよ? 誰か知り合いに見られたらどーするのよっ。実際、周りの視線を痛いほど感じるもの。ああ、みんながこっちを見ている気がするっ。
「ひ、人前だよ・・・っ」
「関係無いね。自業自得だろ」
香取は冷たくそう言うと、まるであたしを煽る様に、更に顔を近づけた。
そして、低く掠れた声で囁いた。
「文句があるなら聞いてやるけど」
彼の怒りと色気の両方を同時に感じてしまい、あたしは息を止めてしまった。
そんなあたしを見つめた香取は、しばらくしてふっと力を抜いた。あたしから顔を離し、一瞬苦笑した。
「・・・嘘だよ。宮地のせいじゃない。怒ってるのは本当だけど。あいつらに・・・つーより、コントロールが効かなくて、情けない自分自身に」
そう言ってあたしを見つめる。真摯な黒色の光が、真っ直ぐにあたしを射抜いた。
「似合い過ぎる。すげぇ可愛いよ。それをあいつがやったかと思うと、マジムカつく」
・・・こ、こんなに真剣に言われると、逃げ場が無い・・・。
「・・・言ってて恥ずかしくない?」
「そう? これくらいフツーだと思うけど」
「・・・その顔だから許されるんだよ・・」
「何?」
「何でも無い」
この台詞を、見た目の宜しくない男の子に言われたら、寒いよなぁ・・・。自分の彼氏とは言え、容姿のいい男は得するものなのね・・・。
とにかく香取のご機嫌も治った事だし、あたしは複雑な溜息をそっとついた。
香取は悪戯を叱られた悪ガキの様に、少ししょぼくれてちょっぴり拗ねながら言った。
「リップ、取っちまって、ごめん」
「大丈夫だよ。持って来てるし」
「本当? じゃあ、俺にやらせて」
「はい?」
「本当はその浴衣も脱がせたいけど、着せられないから次回に取っとく。絶対、習得してやる」
意欲に満ちた顔で、キリッと言う。
お互いに告白し合ってから、この子は随分素直になった。
素直に・・・嫉妬心を見せて、甘えてくる。普段の彼と、ギャップありすぎ。
あたしは感心して言った。
「・・・張り合うなぁ」
「違うよ。脱がせたいのは、そういう意味じゃない」
ニヤッと笑いながら、「リップ頂戴」と言うので、持ってきたグロスを渡す。
彼に顎を摘まれたのであたしは素直に顔を上げ、少し唇を開いて、何となく目を閉じた。
「・・・コレ、やったのかよ。ホント、ムカつくな」
不機嫌な声と共に、あたしの唇には再びグロスが塗られる。丁寧に、優しくそっと。
塗り終わって、あたしは目蓋を開いた。
彼はあたしの真正面に立ち、見下ろしながら不敵に微笑んだ。
「来年は、俺が着せて俺が脱がせるから。他の奴には触らせんなよ?」
「・・来年・・?」
来年が、あるんだ?
「そ。この唇も、絶対、他の男に触らせんな?」
愛おしそうに、親指が唇の端を撫でる。
彼の眼は少年の眼だけど、瞳の色は大人の男の色をしている。だからそのギャップに、再びドキッとした。
「・・・来年も、一緒に行けるの? 夏祭り・・」
「・・・多分ね」
「多分?」
眉間に皺が寄って、彼を見上げてしまった。
香取は得意そうにあたしを見下ろして、言った。
「俺、転校、やめたから。秋には日本に戻って、この高校卒業する」
・・・え?
あたしは大きく目を見開き、口も開き、息が止まった。
転校、しないの?
「・・・うそ・・・」
「ほんと」
「・・・な、んで・・・?」
「んー、色々と、ね。一番の理由は、俺の激しい反抗期かな。生まれて今までで最高、親父に反抗したからさ。代わりに色々と交換条件、飲まされたけど」
「すげぇだろ」と言いながら彼は、驚きのあまり立ちつくしているあたしの両肩に腕を乗せ、ニッコリと笑って小首を傾げた。
「嬉しい?」
初めて見るかもしれない。香取の、あどけない笑顔。
「・・香取・・・」
あたしは、声が震えてしまった。
次の瞬間、思いっきり彼に抱きついた。
「可愛いっ」
「・・は?」
「どーしようっ、滅茶苦茶可愛いっ」
そう言って胸元に額をグリグリ押しつける。
香取は呆気に取られた様に両腕を空中に浮かせ、あたしに抱かれるがまま立ちつくした。
「・・・俺は嬉しいかって聞いたんだけど・・」
いきなり転校するって言ったり、やっぱりやめるって言ったり、なんだか彼のお家の事情が絡んで見るみたいで複雑そうで、あたしにはさっぱり分からないけど、
そもそもここに留まるのだって、あたしの為かどうかも分からないけれど、
滅茶苦茶嬉しいよ、決まってるじゃないっ。
あたしは思いっきり力を込めて、彼を抱きしめ続けた。
しがみつくあたしに呆れたのか、頭上で彼がクスッと笑った。
嬉しくって嬉しくって、天にも昇る気持ちってきっとこういう事を言うんだ。
好きな人がいて、その人も自分を好きと言ってくれて、これから先も一緒に居られるなんて、なんて素敵な奇跡なのだろう。
彼以外は考えられない、と思える相手に出会えて、その人の一番になれて、ずっと傍にいられるなんて、なんて幸せなんだろう。
「・・・ぐふふふ」
「・・・気味の悪い喜び方をするな・・・」
香取が引いた様な声を出した。
残念な事に、ここで嬉しさのあまり涙が出る様な可愛い乙女ではないのよ、あたしは。ああ、ウキウキと心が躍り力がみなぎり、抑えようと思っても抑えられないこの笑い。まるで何かを企んでいる悪徳業者の様な笑顔になってしまうのは、性格のせいかしら?
あたしはガバッと顔を上げると、勢いよく彼に言った。
「よぉーし! 今日はお祝いに食べまくるぞーっ。わたあめに焼きイカっ。でもね、一番の好物はフランクフルトなの。食べたいっ」
「フランクフルト? 却下」
「・・・はあっ? なんでっ?」
「俺が寝れなくなる」
綺麗な顔で、真顔で言われた。
あたしはキョトン、とした。
「・・? じゃあ焼きりんご」
「却下」
「なんでよっ!」
「目の毒」
「毒ぅ? 着色料が悪いとか言わないでよ? あ、じゃあチョコバナナ。あれにするからねっ」
「無理だっ」
いきなり香取が吠えた。
そしてうんざりした様な表情で、あたしを自分の胸からベリっと剥がした。
「おーまーえーはーっ。どーしてそう、エロいものばっかり食べたがるんだっ」
「・・は・・・?」
「焼きそばとかタコ焼きとか無難な物を口にして、射的でもやってろっ」
顔を僅かに赤くして、あたしに向かって開き直ったように喚いている。
あたしはさっぱりついていけなかった。え? この人、日本語喋ってる?
「エロいって何が? フランクフルトと焼きリンゴとチョコバナナのどこがエロいの? 全然分からない。香取って変態?」
「そうだ、俺は変態だ。あいつに釘刺されて我慢してんだから、少しはこっちの事情も理解しろ」
あいつ? 釘を刺す? 事情?
「・・・全く分からない・・・」
ポカンとして、彼をマジマジと見つめてしまった。
よくわからないけど彼はやっぱり16歳男児で、なんだか色々と事情があるらしい。
少し恥ずかしそうに、しばらく膨れてそっぽを向いていた香取は、不意にあたしに視線を戻した。
すごく優しく見つめてくる。
そして幸せそうに微笑み、あたしの右手を握りしめて、言った。
「行こうぜ」
あたしはやはり、満面の笑みで彼を見上げて、小さく頷いた。
うん。行こっか。
これから。どこへでも。
一緒に。だよね?