The closing day 5
少々残虐な表現が出てきます。苦手な方はご注意ください。
天使のような超絶美系の水島智哉が、木刀を手に提げて悠然と歩いてくる。その様子が、すらっとした長身を一層際立たせて、思わず見入ってしまった。前髪が少し乱れていて、余裕のある態度より以前には、相当ご乱闘を繰り広げたんだろうな、という事が分かる。
彼は周りを見渡しながら、呆れたように冷たく言った。
「どーなってんの、この学校」
その後ろから、彼よりちょっぴり背の高いよっちゃんが顔をのぞかせた。
いつもは人懐っこい表情が、あたしを見て少しほっとしたようになった。
「まこちゃん、無事だね? よかった」
「おかしいでしょ、三流ホラー映画の真似でもしてんの? 何、この数」
水島さんが言ってるそばから、更に変な奴らが集まってくる。本当、湧いて出たようにわらわらと、その数10人以上! ぎゃーっ!!
あたしはゾンビもどきから目を反らせないまま、後ろにいた香取をひっつかんだ。
「やだっっ恐い恐い恐いっどんどん来るっこんなの観たっゲームでやったっやだやだやだっ」
「落ち着けってば」
「落ち着けるかっ!!」
「DSで高得点出してたじゃねーか」
「DSはあたしを襲わないっ!」
もう、問答無用で気色悪いのよっ。こんなリアルバイオ○ザードみたいな世界、耐えらんないっ! 元は普通の生徒達であたしと一緒に生活していたのにこの豹変、って所が最高に恐怖なのよぉっ。
よっちゃんが彼らに向きあいながら、素早くあたしの所に異動してくれた。にこっと笑って、あたしの頭を軽く撫でてくれる。
うっ優しいっ守ってくれるのね。守って守ってっ。
彼はあたしの顔を覗き込んで、包容力溢れる、魅力的な笑顔で言った。
「大丈夫だから、ね? 絶対上手くいくから。なんならこれ使う?」
手渡されたのは、木刀。木刀かいっ。これで殴れば心強いでしょって??
「そーゆー問題じゃなぁいっ!」
「怖くない。ほら、怖くない」
よっちゃんに、眩しい笑顔で優しく背中をポンポンされて、
「キツネリスでもなぁいっ!」
「え? 何、それ」
「もーやだっどーにかしてよっ、げ、か、香取っ、やり過ぎは良くないよっ」
「だから手加減してんだろがっ。どうにかしろっつったりやめろっつったりうるせぇなっ」
「そうは見えないっ全然見えないっ。うわっ足加減もしてないっ」
「宮地もちょっとは手伝えよっ。俺がどんだけお前に殴られたと思ってんだっ」
「だって相手は香取じゃなぁいっ」
「そりゃどーゆー意味だっ!!」
「いやあっまた復活したっ、えいっえいっよっちゃんこっちもなんとかしてっ」
二人でぎゃあぎゃあ騒ぎながら、次々と来る相手を殴っていった。あたしは相変わらず、叩くのが精いっぱいなの。よっちゃんはあたし達の様子にポカンとしながらも、洗練された手さばきで木刀を使って相手を倒していってる。でも目が呆れてる。
「いーかげんにしろ」
騒ぎながらグルグルに手を振り回していたら、いきなり香取に襟首をグイっと掴まれた。
そして乱暴に引き寄せられ、鼻先が触れ合うくらいの距離で、低く脅された。
「その口塞ぐぞ」
・・目が、据わってる・・・。口塞ぐって・・・方法は、聞かずもがな。
「・・・黙ります」
「よし」
突き放す様に解放されて、マ、マジでビビった・・・。
「「「・・・・」」」
相手を一通り地面にのした水島さんとヒトミ、そして間近のよっちゃんが絶句した様にあたし達を見た。
「・・開き直った子供って、こえー・・・」
水島さんのドン引きした声。まったくだ。
その時、向こうからまたもや人影が複数、近づいて来た。あぁ~。
足元に倒れている生徒達は、再びゆっくりと動き出す。
逃げ出そうとしたあたしの近くで、ヒトミがうんざりした様に言った。
「埒が明かない。こういうのって好みじゃないな。どうにかなんないんですか?」
「お上品なお嬢様には無理があるって訳ね」
水島さんが厭味ったらしく言う。けれども彼女は平然と返した。
「おっしゃる通りです。相手は一般人でしょう? 切り捨てる訳にもいかず、ただ殴り続けても意味が無いと思うけど? 被害が拡大するだけ」
すると彼は前方とチラッと見て、それからヒトミに視線を向けると、満足そうにニヤッと笑った。
「同感だね。だから我らがヒーローに期待を寄せよう」
そう言ってよっちゃんに目配せをする。
よっちゃんは目を見開いて、憎々しげに前を睨みつけていた。
そんな彼を眺めて、水島さんは皮肉と信頼に満ちた目で言った。
「そっちは任せたよ、義希」
「・・・やっと来たか」
よっちゃんは彼の言葉も聞こえていない様子で、低く呟く。顔からは憎悪が溢れていて、目から暗い光が放たれている。そして前方の人間・・沙希に向かって歩いていった。
いつの間にかそこに立っている沙希は、首から肩にかけて血だらけで、微笑んでいた。だけど、見るからに狂っている。あたしは戦慄した。
よっちゃんは手に真剣を握っている。そして彼女に向かって歩みを止めない。怒りはあるのに、緊張とか間合いとかを感じられない彼の後姿は、まるで自分がここで死ぬ事を悟っているみたいに見えた。一度そう思ったら、もうどうしようもなかった。
「ごめん、香取」
「宮地?!」
ぎょっとしたような声の香取を置いて、よっちゃんの後を追う。こちらに向かってくる相手なんて、本当は飛び越せばいいだけだもの。唯が気になるけど、水島さんもいるし大丈夫だろう。
「義希」
彼女のうっとりとした声が聞こえたかと思ったら、もの凄い衝撃を受けて吹き飛ばされた。体をおこす間もなく立てつづけに爆風みたいなものが来て、人や石や木の枝などが飛んでくる。中々顔を上げられない。
「大好きよ」
何が起こっているんだろう。どうなっているんだろう。
とてつもない不安が襲ってきて、あたしは懸命に立ち上がった。やっぱり顔を上げる事が出来ず、それでも走りだそうとした。
するとあたしの足元に、彼の日本刀が転がってきた。握りの部分が血で染まっている。
あたしは驚愕した。よっちゃん?!
「愛してるわ・・この上なく」
「俺も」
途端に、すべての風がやんだ。
「愛していたよ」
世界が、呼吸を忘れたかのように、止まったみたいだった。
沙希が腕を伸ばして、よっちゃんの喉元を握りつぶそうとしている。そのまま、彼を凝視していた。
彼は頭から血を流して、切なそうに彼女を見つめていた。
彼女のお腹に刺したナイフを、彼は更に奥へと、ねじ込んだ。
「・・・っ」
「堪らないくらい」
呟く彼の瞳が揺れている。それはどこか、憐みを含んでいる様だった。
まるでテレビのワンシーンの様に現実味を帯びていない光景を、あたしは不思議な気持ちで眺めた。
信じられない様に彼を見つめていた沙希は、次の瞬間、瞳を鮮やかなオレンジ色に変えた。
憎悪と狂気。
ハッとした時には、彼女は腕一本で彼を空中に持ちあげていた。彼の喉元に彼女の爪が喰い込んで、血が流れ出す。彼は僅かに唇を噛み締めたままぶら下がった。垂らした腕や足が不自然に曲がっている事に気付く。折れているのかもしれない。
大の男を片手で、空中にぶら下げている。お腹にナイフが刺さったまま、血だらけで、目があり得ない色に光って、口元は醜いくらいに歪んで笑っている。
この人、間違いなく、化け物だ。
「あの時私に全部食べられていれば、こんな痛い目に合わなくて済んだのに」
「義希!」
水島さんが叫んだけど、まるで殴られた様に倒れた。吹き飛ばされて動きを止めていた生徒達も、次々と立ち上がり襲ってくる。
「くっそ!」
水島さんはもどかしそうに彼らを振り払い、こちらに駆けて来ようとした。
だけど沙希は見向きもせず、よっちゃんを見上げて口角を更に上げた。
「ただで殺すのはもったいないけど、そんなに悠長な時間はないの。・・・ごめんね?」
ギリっと握り潰されて、彼の喉元が捻じれる。爪が皮膚に喰い込み、肉が抉れる。彼が苦しそうに口を開けた。
「さようなら」
あたしは本能的に手元の日本刀を掴んだ。同時に跳躍する。彼女の脳天に向かって、日本刀を振り下ろそうとした。
何も考えられなかった。どうなるか、なんて頭を掠めもしなかった。
上から降ってくるあたしと、彼女の目が合う。仰天した顔つきで、彼を掴む手から力が抜けた。
あたしが腕を振り下ろす瞬間、誰かに突き飛ばされた。
日本刀は、彼女の肩を切り裂いた。
「ぎゃあっ」
日本刀が手から奪われる。よっちゃんは地面に転がって咳き込む。
あたしを突き飛ばしたのは、加藤先生だった。
先生はオレンジに光る瞳であたしを見た。不意をつかれたあたしは、体の自由を奪われてしまった。先生の手には、あたしからもぎ取った日本刀が握られていた。
しまった。まさか先生にやられるなんて。
あたしは受け入れられなくて、驚愕した。油断した、なんてものじゃない。
あたしはバカだ。
先生は顔を歪めて、唇を噛み締めてあたしを見下ろした。その唇から血が出る。
やられる、と思って、あたしは息を飲んだ。
先生の後ろで、沙希があたしを激しく睨んだ。
「このガキっ」
先生はなおもあたしを見下ろしている。そして日本刀をかざした。
皆が叫ぶ声が聞こえる。あたしは先生から目を反らせない。
先生が切りつけた相手は、沙希だった。
意外な光景に、誰もが息を飲んだ。
首筋から胸にかけて大きく切られた彼女は、だけどそれほど血を流さない。胸の骨が覗いた気がした。
先日、よっちゃんが一振りでイットを消した事を思い出し、ああ人を切るにもコツがあるんだなぁ、なんて心の片隅で冷静に感心してしまった。
先生がもう一太刀、大きく振りかざす。
その時、手から日本刀が飛び落ち、先生は襟首を彼女に掴まれた。
ごうっという激しい耳鳴りと僅かな頭痛がした。
それは一瞬の出来事かもしれないし、長かったのかも知れない。先生は地面に転がった。
先生の服をきた、ミイラだった。
「バカみたい。今更人間のフリして、自分だけは特別だとでも思ってたの?」
吐き捨てるように言う彼女は、お腹にまだナイフが刺さったままだし、胸の骨は白く見えている。肩の抉れた肉まで見えている。
なのに、流血が止まっている。
先生を、吸ったんだ。
それで、回復したんだ。
あたしは呆然と彼女を見やった。
「ああ、そうね。あなた、イットの自分を消したかったのよね。よかったわね、願いが叶って」
冷たく言い放つ彼女を見ているあたしは、収まった耳鳴りの代わりに頭痛が激しくなるのを感じていた。
先生が、あたしから刀を奪ったのは、
あたしに人を斬らせない為だった。
あたしを守る為だった。
なのに自分が殺されてしまった。
どこまでも、どこまでも、読みの甘い人。
頭痛が激しさを増す。目眩がして周りがグルグル回る。なのに体の感覚が全く無い。
あたしはゆらっと、立ち上がった。
沙希が暗闇の中に立っている。彼女が何故狼狽しているのかは分からない。
だけど分かる事がある。あの先には、更なる暗闇が待っている。抜け出す事の出来ない、沼の様な暗闇。
そこに、突き落とせ。
「何ここ」
初めて見る、彼女の怯えた瞳。
突き落とせ。
あたしは彼女に向かって、暗闇に向かって手を伸ばした。
そして一歩、暗闇に向かって踏み出した時、別の腕を、誰かに強く引っ張られた。後ろに戻される。
あたしはそれには構わず、彼女のお腹から出ているナイフの柄を、グイっと押しやった。
押された彼女が、僅かに暗闇の中に埋もれる。
後ろに引っ張られたあたしはバランスを崩す。
次の瞬間、彼女は消えた。
怯えた目をして、暗闇ごと消えた。