What's happened with you? 2
唯は地理の授業を休んだだけで教室に戻ってきた。
そう言えば最近、彼女は疲れた顔をしている。きっと真面目に勉強をしているんだろう。
控えめで穏やかで、芯から心優しい唯が、あたしは大好き。
面倒事は大っ嫌いだけど、唯が困っているならなんとしても助けてあげたいと思う。
でも受験勉強ばかりは、助けてあげられないものねえ。
「唯、先は長いんだから、今のうちから根を詰めない方がいいよ?」
そう声をかけながら唯の分を板書したルーズリーフを渡したら、彼女は少し微笑んだ。
「本当に、ありがとう」
「読めるといいんだけど」
加藤にはくやしいけど、あたしは本当に悪筆だ。何故かは知らないけれど、クラスでも相当有名なの。
その時、クラスの女子がやってきた。少し恥じらいながら、でも目を輝かせている。
「ねえねえ宮ちゃん、香取君ってどんな人?」
・・・何であたしに聞く?
「どういう意味?」
「ほら、あたし達って彼と話せないじゃん? だから、どんな人なのかなーって」
あたし達?
見ると、彼女の後ろに3人の女の子が控えていた。自称、ヒトミファンの子達だ。成程、あたし達、ね。
「話せばいいじゃん」
「えー、だって恐いもん」
あたしはちょっとビックリした。だって彼は、クラスでかなり上手くやっているハズでは?
「香取君ってさー、女の子とは話さないよねー。ちょっと近寄りがたくって。でも宮ちゃんとは仲いいじゃん」
そっか。確かにあんな性格じゃ、女の子とヒヨった会話なんて出来そうにないものね・・・てちょっと待って。
「・・・仲が良い?」
聞き間違ったのかな?
「だって地理の授業、二人で仲良く資料持ってきたでしょ?」
「・・・・」
「多分、香取君とお話出来ている女子って、宮ちゃんだけだよ。ねー」
そう言って彼女は、後ろにいるお友達に同意を求めた。後ろの子達も、ねー、って言っている。
「ね、だから教えてよ。香取君て背が高くて美形でかっこいいのに、恐いよね? どんな話をするの?」
「・・・世界経済、かな・・・?」
「え? 何?」
世の中、お金が全てだそうです。
「何でもない。話してないよ、全然。無言だった」
「えー、そっかあ。仲直りしたんだとばっかり思っていた。喧嘩するほど仲が良いって言うじゃん」
「良くない良くない、さっぱり良くないから」
「そっか。宮ちゃんにはヒトミくんがいるもんね。あんな優しくてカッコいい彼氏がいたら、他に興味なんて湧かないよねー」
「・・・・」
唯が笑いを堪えてあたしを見上げる。
あたしは得意の笑顔をした。ここは黙ってやり過ごすに限る。沈黙は金なりよ。
その日の夕方。薄暗くなった辺りに輝く商店街の光。予備校からの帰り道。
あたしは耳にはイヤホン、手にはipodで歩いていた。日課になった、英単語の暗記をやっている。
こういう、コツコツとした積み重ね作業は本当に苦手で、だからこそ、時間を決めて流れ作業的にやっている。例えばこういった帰り道。例えばバスの中。
だからその時のあたしは、目も耳も、塞がれていた。
誰にも邪魔をされないハズだった。
なのに、気付いてしまったのだ。
匂いを、感じてしまった。
あたしは何かを感じる時、何でなのかは分からないけれど、匂いで感じる事が多い。
昔、可愛がっていた近所の犬が死んだ時、学校に居たあたしは匂いで、それを知った。
そして今、この匂いは、なんだかとてもイヤな匂いがする。
あたしは顔を上げた。
何だろう? 変な胸騒ぎがする。
落ち着かない気分で周囲を見回すと、正面から歩いてくる一人の中年女性の姿が、目に入った。
買い物帰りの主婦の様だった。買い物用のエコバックを肩にかけ、小型犬を腕に抱いている。白い毛並みの小型犬。
犬の顔は、彼女の胸に隠れて見えない。
女性は清潔そうな身なりをしていた。結構な美人。時々、腕の中の小犬に頬をすりよせている。愛情を込めて。
愛情を?
視線が反らせないあたしは、その女性と目が合ってしまった。
その人の瞳が少し見開かれた理由を、あたしは知らない。
ただ、彼女とすれ違う時その匂いが一段と強くなって、体が震えた。
「あの・・・?」
女性が立ち止まって、訝しげに口を開いた。
「何ですか?」
あたしの凝視の事を聞いている。本当に清潔そうな、綺麗な普通の人。
どうしよう、誤魔化さなきゃ。ほら早く。得意でしょ、作り笑い。
なのに出来る事は、ごくりと生唾を飲む事だけ。
どうして? なんだかすごく嫌な感じがする。体中の毛が逆立っている様な感覚がする。
あたしはこの事態が、何なのかがさっぱり分からなかった。
けれども、不快と恐怖が入り混じったこの感覚を、何故だか知っている。
どうしてだろう? どこでだろう?
あたしは喉から声を絞り出した。
「・・・かわいいですね、その犬」
「え?・・・ああ、はい。ありがとうございます」
戸惑いながら女性は、不審そうに私をジロジロと眺めまわた。
あたしは益々、不快な汗をかいてくる。
子犬が僅かに、震えた様に見えた。
「あの・・・抱かせて、くれませんか?」
「え?」
「えっと、私・・・そういう犬を飼ってみたくて・・・だから、あの・・・抱かせて、もらえたら、なんて・・・」
分からない。
恐くて怖くて、一刻も早くそこから逃げ出したかったのに、
何故だか、彼女の腕の中の小犬を、彼女から引き離してあげなくてはいけない気がした。
彼女から、救ってあげなくては。
「でもこの子、ちょっと病気なんです」
「え、・・・そうなんですか?」
納得する。そうだろう。病気の筈だわ。何故だかは知らないけれど。
「じゃあ、病院に連れて行かれるんですね?」
「ええ、まあ」
「よければ私がお連れしましょうか?」
咄嗟に言葉がついて出た。
「うちは獣医なんです」
「え?」
「よろしければお預かりしますよ?」
「・・・・」
ごめんね、おばあちゃん。変なモノ、連れて帰るかも。
女性の顔がますます険しくなった。
そしてあたしの鼻は、ますます強い匂いを感じた。
たけど、我慢してその場に踏みとどまる。だってここは人通りの多い往来。
相手だって見境のない行動は取らないだろう、よくわからないけど。
・・・でも、すごく恐い!
この人、何者なの?!
その時、後ろから人が近づく気配がした。
気付くと同時に、背後からそっと、腕が回される。
ビクッとした。今度は何っ??
男性の、甘く囁く声が耳元で響いた。
「ごめんね。待った?」
・・・は?
え? どう言う事?
その台詞に驚いて私は後ろを振り向き、そしてますます驚愕した。
だってこの人、すっごい美人な男の人なんだもん。
てか、誰?
目の前に立っている男性は、男なのに美人、という表現がピッタリ。
柔らかそうな髪は少し色素が薄い。その下にある長い睫毛と憂いを帯びた瞳は、日本人以外の血が混じっているのではないかと思わせた。事実、瞳がわずかに明るい茶色。
シャープな顎に薄い唇。
まるでお人形さんみたい、とか思っちゃった。
その彼が微笑んだ。天使みたいな微笑みになった。
「ごめんね、遅れちゃって。怒った? だから一人で歩いていたんだろ?」
・・・えっと、あれ? 誰かと勘違いしていますか?
商店街の人目を引いている事がわかる。道行く人達が彼の美貌と笑顔に釘付け。
目立つわ、この人。すっごく目立つわ。
彼は笑顔を緩めず、さらに手を私の背にあてて軽く押した。
「機嫌を直して? 行こうか」
「・・・え?」
更に口をポカンと開けた、その時、
彼の背後からもう一人の男性が飛び出してきた。
年の頃同じ、多分20代前半。
作り物の様な完璧さを誇る目の前の彼の美しさと比べ、この男性はかなりハンサムではあるけど、生命力に満ち溢れた明るさを放っていた。
整った顔の甘いマスク。結構背も高くてカッコいい。
その彼が、満面の笑みを浮かべ屈託の無い笑顔で元気に言った。
「へー、これがお前の彼女か。びっじんだなーっ」
「だろ?」
人形の様な彼が彼に応えて、優雅に微笑む。
あたしは唖然とした。はい? 彼女? 何の事?
その時、ある事に気づいた。
二人のイケメンの、瞳だけが笑っていない。二人とも、意味有り気な視線をあたしに送ってくる。
・・・この人達、ひょっとして、あたしをこの場から連れ去ろうとしている?
アイドル君が、目の前の中年女性に笑顔で言った。
「あれ、お話し中でした? 突然ごめんなさい」
警戒心など抱かせない、明るい笑顔。
小犬を抱いた目の前の女性は、その笑顔に反応して顔を赤くした。
アイドルくんが続ける。
「すみません、失礼してもよろしいですか?」
「え、ああ、はい。通りすがりの者ですから。お構いなく」
すると今度は、人形の様な男性が彼女に緩やかに微笑んだ。
こちらも完璧なスマイル。先程から天使の様な微笑み。
「そうですか。ありがとう。失礼します」
そして彼は、優雅とも言える動作で私を促して歩きだした。
後ろからもう一人の彼が、ハンサムな笑顔と甘い視線を周囲に向けている。
「あ、どうもー」
誰に言ってんの??
そして私達はしばらく歩いた。
・・・こ、恐かった・・・。
どっと疲れが出た。自分がどれだけ緊張していたのかに気づいた。
助けてあげれなかった小犬が僅かに心残りだけれど、そんな事を言ってられないくらいに恐かった。
一体何が、どうなっているんだろう?
「だめだよ、声をかけちゃ。」
先に口を開いたのは、甘いマスクの彼だった。
「え?」
「君一人じゃ、どうにも出来ないだろ?」
少し苦笑しながら私を見下ろしている。
可愛い顔だな、とか呑気に思った。
「あの?」
「奴らが本性見せたらどうなるか、知ってるの?」
「・・・本性?」
ビックリして、あたしは立ち止ってしまった。
この人達って・・・何を知ってるの??
目を丸くした私を見て男性二人も立ち止まり、可愛い顔の彼は少し困ったようにわざとらしく腰に手をやった。
そうして、まるで小さい子に物を言い聞かせるように言う。
「僕らもね、こうやって二人一緒につるんでて、しかもよっぽど頭に来た時しか手を出さないよ?」
「妙な事をするなよ」
美人の彼が口を開いた。
最初に登場した時に見せた天使の笑顔とは打って変わって、鋭い冷気を放っている。瞳が限りなく冷たかった。
「無責任な行動をおこすなよ。人間を襲っていないだけマシだろ? 全員過激化されたら、あんたどうするつもりだ」
「智哉。そんな言い方はないだろ?」
「事実だよ」
智哉と言われた男の容赦無い物言いに、甘いマスクの彼は顔をしかめて諌めたけど、智哉って人はそれをはね付けた。
私はそんな二人をマジマジと見つめた。
「あの・・・」
「何? さっきから」
智哉さんがジロッとこっちを見る。こわっ。
「いえ、(それはこちらの台詞だって)・・・何ですか、さっきから?」
「あ、僕達の事? ごめん、自己紹介がまだだったね」
アイドル君の笑顔。残念ながら、それに見とれている場合じゃないあたし。
「あ、いえ、それだけじゃなくて・・・あのおばさん、何?」
「あんた、分かってて声、かけたんじゃないの?」
智哉さんが呆れた様にあたしを眺めた。
あたしは無言で首を振った。
今度は二人が、揃って驚愕の顔をした。
「マジで? じゃ、何も考えずに?」
「まさか何も感じてなかったとか?」
同時にあたしに詰め寄ってくる。あたしは少し後ずさった。
「いえ、それは・・・なんか、嫌な感じがするなぁ、と」
アイドル君がホッとした様に、胸を撫で下ろすならぬ、肩を落とした。
「そりゃそうだろう。伝説の宮地恵美子の孫なんだから、失礼な事を言うなよ、智哉」
「そうか? かなりボーっとした顔だぞ?」
「ウソウソ。とってもかわいいよ」
アイドル君が、あたしに向かってにっこりと笑う。そんな、あなたの方が可愛いです。
じゃなくて。
伝説のお祖母ちゃん?
でもなくって。
「あの女性って一体・・・?」
「君のお祖母ちゃんから、何も聞いていない?」
あたしは再び、無言で首を振った。
「そっかぁ。君のお祖母ちゃんって豪胆だなあ」
アイドル君は感心した様にあたしを見つめた。
そして言った。
「アレはね。世間が言う所の、ヴァンパイアみたいなモノだよ」
・・・なに?
何ですか??