The closing day 2.5
第三者視点です。
真琴と加藤が面談を始める、30分程前。
「・・なんっだ、コレ・・」
礼は教室内の自分の席にだらしなく座り、自分の携帯に帰ってきたメールの返信を見て呟いた。教室内には、彼一人。
真琴からの返信にはCCが付いている。それは礼が不本意ながら、真琴の安全を守るためだと渋々連絡先を交換した相手の内の、一人だった。その相手と一緒に茶を飲めとは、どう言う事だ? 冗談じゃない、なんであんな嫌味な奴と。
「あー、いたいた」
まるで図った様なタイミングで、その嫌味な奴がやってきた。
性格とは裏腹に、切れ長の瞳にスッキリした顔の輪郭、華奢な長身に長い脚、といたって爽やかなご登場だ。
礼はジロッと彼女を睨み上げた。
「・・お前・・他校の生徒がこんな所を、何堂々とウロウロしてんだ」
「友達に呼ばれた、って言ったら普通にスルーだったよ。元々、大体の人と顔見知りだし」
「相変わらずユルイ学校だな。あんな事が起こったのに、学習能力は無いのか。問題じゃないかよ」
「身元が確かですから。見逃してよ」
唇の両端が上がる。少し首を傾げて礼を覗き込んだ時、長めの前髪がサラっと揺れた。
楽しそうに目を細めるその姿に、礼は益々不機嫌になった。目つきが鋭くなり、元々の女顔を感じさせないくらいに鋭く尖った表情になる。
「・・何しに来たんだ」
「あ。やっぱり怒ってる。残り僅かな逢瀬を邪魔されて、拗ねてる」
「わかってんならサッサと消えろよ。お前とサシで茶飲みなんてお断りだからな」
「怖いな。残念。それも面白そうなのに」
「面白いのはテメェだけだろ」
プイっと顔を背けると、長めのウェーブの前髪が彼の表情を隠した。
ヒトミは楽しそうに笑いながら、腕を組んで彼の机の上に腰かけた。
「はは。色々掘り出し物の小ネタが満載だよ? なんてったって、あの子とは付き合い長いんだから。聞きたくはないの?」
「聞いてるとなんかムカつきそうなんだよ。女のお前なんて想像できないから、無理。余計なエネルギー消費したくねぇし」
「相変わらず素直だねぇ。赤面モノの愛情表現。憚るって事を知らないの? おまけに嫉妬深い奴。男の嫉妬は醜いよ? 嫌われるぜ?」
「・・幸いすぐに消えるからな。嫌われる程には側にいねぇよ」
最後の礼の呟きに、ヒトミは軽く目を見開いた。意外そうな表情で、けれど少し納得したかのように、礼を見ながら頷く。
そして視線を空中にずらした。
「真琴は、こういう事に免疫ないから」
先程までのからかいの台詞とは声のトーンが違った為、礼は横目で僅かにヒトミを見上げた。
彼女は腕を組んだまま、空中を見つめて言った。
「あの子はあまり深く物事を考えないし、割り切りも早い。執着心が薄いから、頭の中身を切り替えるのが得意なんだ」
「・・・」
「・・それが分かってるから、礼は焦ってる。だろ?」
「・・・」
「気持ちは分かるけどさ。感情に任せて彼女を傷つけるんじゃないよ」
「・・は?」
「やり逃げするな、って言ってるの」
ヒトミは礼を見据えてキッパリと言う。
彼女の口からいきなり出た直接的な表現に、礼は一瞬身を引いてしまった。
そこに畳みかけるように、ヒトミは言葉をねじ込んだ。
「真琴は君を支えたっくって、必死で背伸びしている。君が思っているよりずっと深い所で、君の事を理解している。そんな可愛い年上の彼女を、衝動に任せて壊すんじゃないよ? それほど強くはないよ、あの子」
「・・知ってるよ」
「本当? そうは見えなかったけど。ギリギリのところで、騎士の顔を保ってますって感じで」
多少、見下げる様な視線。しかし全てを言い当てられた為、礼は返す言葉が無い。
「・・お前、マジでムカつくな」
「それは光栄。ありがとう」
ヒトミは満足気に、ニヤッと笑った。真っ直ぐに自分を見返す彼が、彼女はとても好ましく思った。まだ幼さが残る顔つきなのに、瞳の奥には強い信念が見える気がする。初めて会った時、彼は何かを求めている様な目つきをしていた。今は、あの時より格段に、男の目をしている。
「次に会った時にも、再び彼女を取り返す、くらいの気構えを持ったら? それでいいだろ?」
「マジウザイ。次、口開いたらぶん殴る」
「こわっ」
わざとらしく肩を竦めるヒトミを見て、こいつはやっぱり女だな、と礼は思った。男言葉を使って男の立ち振る舞いがすっかり板についているが、人間関係など一つの物事を深く考え詰めるのは、女の特徴だ。男は利害が絡まないと、それほど深くは考えない。台詞は端的だが、彼女は真琴と自分の事を随分と観察していて、考えている。これに比べたら真琴の方がまだあっさりしていて、そう言う意味では男っぽいのかもしれない。或いは単に子供っぽいだけか。
根はしっかり女なのに、男のふりをして生活している。コイツも中々複雑な奴だよな、と横目でヒトミを見た。彼女は面白そうに、他校の教室内を見回している。俺の事を分析している場合かよ、その観察眼、自分に向けろよ。お前の方が俺よりよっぽど、現実から目を反らしているじゃないか、と礼は心の中でヒトミに毒づいた。
それでも、彼は彼女に対する信頼を感じていた。コイツは頭がいい。そして俺や宮地と違って、感情に支配される事が少ないのだろう。
・・自分の利益と宮地の利益が相反した時、どっちを取るかな?
「ところで唯ちゃん、知らない?」
振り向きざまにヒトミが問う。
「は? 山本の事?」
「うん。呼ばれたんだけど連絡つかなくて。携帯も繋がらなくておかしいんだよね」
「充電でも切れたんじゃねぇの?」
「あの子がそういうタイプに見える?」
「・・見えないな。宮地ならありうるけど」
「でしょ?」
彼女は礼の前の席の椅子を引き寄せると、背もたれを前にして椅子を跨いで座り、礼に片手を出した。
「という事で、真琴が終わったら聞いてみる。なんか暇潰しするものない?」
「はあ? ふっざけんな」
礼は顔をしかめたが、彼女はそんな彼の表情に頓着せず、白々しくもニコニコと差し出した手を引っ込めない。
礼は諦めた様に溜息をつくと、自分の鞄の中から携帯ゲーム機を取り出して、彼女に乱暴に押しつけた。
すると今度は彼女が顔をしかめる。
「・・えー。ゲーム嫌い」
「じゃ文句言うな。あいつはコレで何時間でも潰せるぞ」
「えー? 二人でそんな事で時間潰してるの? 時間が無いのに、なんて無駄な事をしてるんだ」
「うっせぇな、さっきから」
礼のイラついた様子が面白く、ヒトミはくつくつと笑いながら、そのゲーム機を握った。そして馴れた手つきで戸惑う事無く起動させる。始まったゲームに感想も文句も出さない。その様子に、何だよコイツ、やり馴れてんじゃねぇかよ、と礼は再び毒づいた。
黙ってゲームを続けるヒトミを尻目に、礼は本を広げる。実は礼もゲームにはさほど関心が無く、本に費やす時間の方がよほど長い。派手な外見と崩れた口調とは、かけ離れている。活字中毒かと言う程、多種多様な本を読む。
十分程経った頃、礼は何気なく顔を上げた。ヒトミの、あえて言うなら気配が、変わった事を肌で感じたからだ。
「・・・」
ヒトミはゲームの手を止めて、呆然としたように前方を見つめている。
礼は不審に思って、彼女が見つめている先に視線を移した。何も無い。
再び彼女に視線を戻した。
彼女は一点を見つめたまま、呟いた。
「・・真琴は今、どこにいるの?」
「・・知らない。担任との面談だから、誰かに聞けば分かるんじゃないか? どうしたんだよ?」
「なんかヤバい気がする」
「・・は?」
「多分、ヤバい事に巻き込まれている」
「何だって?」
礼は素早く反応した。昨日まで自室に引きこもっていたくせに、その間ずっと恐れていた事が蘇る。戦慄にも似たものが胸の中を走った。あいつがまた襲われているのか?
礼が腰を浮かせた時、ヒトミは携帯を取り出して躊躇なく誰かに電話をかけた。
そして淀みなく話し始めた。
「もしもし、東田です。・・真琴が多分、トラブルに巻き込まれています。ハッキリした事は分かりませんが、かなり良くないと思います。・・・おそらく。・・学校です・・はい」
無機質なまでに落ち着いた口調。礼はそれを注意深く観察した。
ヒトミは電話を切ると、そのままの体勢で動きを止めた。
「・・あの人にも知らせるか」
そう言うと再び電話をかける。
「もしもし・・はい。・・・はい・・多分・・・恵美子さん、私思うんですが、彼らは少々、暴走しすぎやしませんか?・・・それはそうです、上手くいってます。でも、一度ご覧になるのもいいかと・・・・・要は私が少し不安なんです。・・・はい、ありがとうございます」
電話を切ると、ヒトミは強い眼差しで礼を見て、鋭く言った。
「捜そう」
立ち上がりかけたヒトミの腕を、礼が掴んだ。
「どう言う事だよ、おい」
鋭く睨む礼を、ヒトミは探る様に見つめる。
そして決心した様に言った。
「・・・私と真琴は、パイプで繋がってるんだ」
「・・・はっ?」
「私が今まで見た事があるビジョンは、両親と、真琴だけ。最近じゃ彼女ばっかり見える」
「・・・」
「昔は私も真琴も、身内との繋がりの方が強かった。でも成長するにつれて、多分、波長の合う人間と繋がる様になったんだと思う。詳しい事は分からないよ、何もかもがあやふやなんだから」
スッと立ち上がると、ヒトミは指を三本立てて、礼に突き付けた。
「私が最近見たのは、三つ。一つは彼女が礼の所に初めて飛んだ時。二つ目は彼女が初めて学校でイットに出会った時。三つ目は・・礼が地面に倒れていた時」
礼が驚いた様にヒトミを見つめる。
彼女は僅かに笑って言った。
「最後のヤツは、かなり鮮烈なイメージが来たよ。相当ショックだったんじゃない、真琴」
「・・・」
「切れ切れなんだ。断片的な事しか分からない。こんな事滅多に起こらない筈だから。そもそも専門外なんで」
自嘲気味に笑って視線を下げる。そんな彼女を見た後、礼はハッキリとした口調で言った。
「二手に分かれよう。面談中だから教室の筈だ。しらみつぶしに捜すんだ」
顔を上げて礼を見て、ヒトミは頷く。二人は走りだした。
「・・どこだよっ」
校舎中を見回したのに、真琴がいない。
二人は携帯電話で連絡を取り合った後、正面玄関前に来ていた。
礼がイライラと首を振る。
「そもそもなんであいつは俺ん所に飛んで来ないんだよ・・・まさか」
「・・・唯ちゃんもいない」
ヒトミは悔しそうに唇を噛んだ。
「偶然じゃ、ないね」
気持ちを抑えられなくなった礼は、ヒトミの胸倉をネクタイごと掴み上げた。
「お前、何を見たんだよ? どこだったかハッキリ思い出せっ」
「そんなに簡単な話じゃないんだ」
「んな事問題じゃねぇっ。思い出せっつってんだよっ」
ヒトミは掴まれた事に全く抵抗を見せず、悔しそうに唇を引き締めながら、目を細めて言った。
「屋内・・だと思う。・・薄暗い・・・物が積み上がっているのか・・窓が小さいのか・・・影が多かった・・・」
「倉庫か?」
「光はあった。窓の光だと思った」
「窓があって、物が積み上がっている所・・・教室じゃないとすると・・」
一瞬考え込んだ礼が、顔を上げると同時に弾けるように駆けだした。
ヒトミもその後を追う。礼は数学教員室に駆けこんで行った。
ヒトミが着くと、中では一人の数学教師がキョトンと礼を見ていた。
「僕達が自由に使える部屋? なんの話だい?」
「数学の先生たちが自由に使える部屋ですよ。教室以外に」
「教室以外? ここだよ」
「ここ以外」
「はぁ?」
話が見えない教師は唖然とする。
「ああ、部室とか?」
「・・加藤先生は何部?」
「加藤先生? 水泳部だよ。忙しそうだよ、夏だからね」
「今日も練習?」
「じゃないのか? 知らないけど。一体どうしたんだ?」
「いえ、ちょっと」
活動中の部室内で、何か事が起きるのだろうか? だとすれば、とんでも無い惨事を招いたりしていないだろうか? そうなるとマズイのは宮地自身だ。
礼がギリっと奥歯を噛み締めた時、数学教師が思い出したように言った。
「ああ、そうだ。数学資料室もある」
「・・数学資料室?」
「うん。滅多に使わないけどね。あそこなら自由に使えるよ? 何? どっか部屋でも捜してるのかい? 何をしようとしているの?」
「鍵、ありますか?」
「鍵? 何に使うのか教えてくれないと、おいそれとは貸せないよ」
「そうじゃなくって。今、誰か使っているのかだけ知りたいんです。鍵、ありますか?」
怒鳴りつけたいのを必死に我慢して、礼は訪ねる。今、目の前の教師の反感を買うのは避けたい。
「えー?・・あれ、無い」
緊張感の無い驚きの声に、礼は息を飲んだ。ビンゴだ。
「おかしいなぁ。滅多に使わないのに。誰が使ってるんだろ」
「それどこですか?」
「4階の旧校舎西端。使い辛くってね、殆んど利用していないんだよ。珍しいよね、誰が何を取りに行ったんだろう?」
台詞の最後は二人とも聞いていなかった。瞬時に駆け出す。
旧校舎は盲点だった。あそこは普段、授業で使う教室は少ない。
礼は校舎を結ぶ一階の廊下を走りながら、目の端に何人もの人影を捉えて思った。今頃この時間に、なんでこんな所に人が沢山いるんだ? 狭い中庭もどきに。
益々嫌な予感がする。
目的の部屋から大きな物音が聞こえた時、彼は心臓が凍りそうになった。喉が張り付いて塞がるようだった。
勢いよく扉を開けると、真琴が派手に人を殴っていた。倒れている女の上に、馬乗りになって、血だらけで。
礼は、自分の体に血液が戻ってくるのを感じた。呼吸も戻る。
真琴は手近にあった大きなガラスの欠片を掴むと振り上げた。
そこで初めて、自分が彼女に見とれている事に礼は気付いた。
ためらいが無く、凛とした表情。冷徹なまでに美しい。
ヤベぇ。見入っている場合かよ。
礼は駆け出し腕を伸ばし、真琴をすくい取った。