The closing day
予鈴が鳴った。香取がさっさと荷物を片付ける。
「行こうぜ」
そう言ってあたしの鞄を持って立ち上がった。あたしはそれを見上げる。この姿、今日で最後なんだ。あさってにはいなくなっちゃうんだ。
彼はあたしに手を差し出し、少し首を傾け、優しく言った。
「来いよ」
「・・・」
あたしは立ち上がると、黙ってその手を取った。すると香取は、指を絡める様にして手を繋ぐ。
あたしは喉がキュッと詰まった。唇を噛み締める。
・・・何でこんなに、優しくなっちゃったんだろ。
もっと早くに、気付けばよかった。
手を繋いでいた時間は一瞬で、人目に付く所に出ると、彼は自然に手を離した。
その代わり、あたしを見る目がひどく甘い。だけどどこか、からかう様な眼差し。ドキッとすると、面白そうにくっと笑って前を向かれた。なによぅ。
教室に入って鞄を置くなり、香取が言った。
「俺、はるなんとこ行ってくる」
「え?」
「あいつにきちんと謝ってくるわ。なんか俺、そういう事が欠けていた様な気がすっから」
「・・・」
「謝ってどうにかなる話しでもないんだけど」
「いいんじゃない?」
一瞬視線を下げた香取に、あたしは努めて明るく言った。
「何をどうやったって、香取がはるなちゃんを大事に思っているって事は、伝わっているよ。だっていつでも真摯だったし」
「・・シンシ?」
香取がキョトン、とする。
そういうリアクションが来るとは思わなかったので、あたしも彼を見つめてしまった。
「・・ああ、ジェントルマンって意味じゃないよ。というか、自分でそこ引っかかるんだ」
そっか、日本語がちょっと弱いんだ。これは使えるぞ。あたしが最近覚えた単語を、後で使ってみよう。満身創痍とか突貫工事とか懐柔政策とか、うふふ。
彼が出て行った後一人でほくそ笑んでいると、山田くんに声をかけられた。
爽やかな彼は、遠慮がちに教室の出入り口を振り返っていた。
「香取、出てきたの?」
「うん。そうみたい」
「怪我は大丈夫なの? 肋骨? だっけ」
「うん。大丈夫そうよ。よくわかんないけど」
「さっき会ったけど、機嫌良さそうだったぜ」
中森くんもやってきた。手ぶらだ。終業式とはいえ、舐めてる。さすがは兄貴。
「なんか落ち着いていた。角が取れた、っていうか」
「・・へぇ?」
兄貴の意外に繊細な発言に、あたしは感嘆の声を上げてしまった。中森くん、そんな感性持ってんだ?
「とげとげしさが無かった、って感じだった。あいつ、転校してきた時は目だけで喧嘩、売ってただろ?」
「ぶっ」
思わず噴き出してしまった。目だけで喧嘩、売ってた売ってた!
「そうか。喧嘩売られていたのはあたしだけじゃなかったのか」
「違うよ。皆に売ってたよ。ただ買ってたのは宮地さんだけ」
「・・嘘。何それ」
「いちいち買ってるから俺らもビックリしたよ。宮地さんってもっと、おとなしいって言うか、事無かれ主義で見て見ぬふりするタイプかと思っていたから。あんなに熱い女子は初めて見たかも」
うわーっ、何だそれ、カッコ悪いっ。なんだか凄く恥ずかしいっ。
あたしは耳を手でふさいで、目をギューっと瞑った。
「ご、ごめん、中森くん、それ以上言わないで」
「だから香取は、いいんだろうな、宮地さんが」
「・・・」
閉じていた目を開けて、中森くんを見てしまった。てかあたし、聞こえてんのバレバレじゃん。
「あんな難しそうな奴に、あそこまで突っかかっていく人間、今までいなかったんじゃないの?」
「・・・」
中森くんってすごいなぁ。伊達に苦労して二年年上じゃないんだなあ、って思ってしまった。
彼が見せる包容力って、単純に年齢だけじゃないよ。経験とか、性格とか、全部だよ。だってお兄にないもん、こんな素敵な包容力。
・・・水島智哉にいたってはさっぱりだな、うん。
山田くんが隣で、首をひねりながら呟いた。
「そっか。香取って今日は機嫌がいいんだ?・・なんか僕、すっげー睨まれた気がしたんだけど」
「それはお前、あいつの逆鱗に触れる様な事、何かしたんだ」
「え? 何をだよ?」
「知らねーよ。怖ぇぞ、覚悟しとけば? いきなり殴られるかもよ?」
「ええー? 僕、喧嘩苦手だよ、どうすればいいんだよ?」
「彼女に頼めば?」
中森くんはニヤッと笑って、あたしを親指で指さす。
あたしが少し驚いていると、山田くんはあたしを拝みながら言った。
「お願い、助けてっ宮地さんっ」
「殴られたら、殴り返す。あたしもやった」
そう答えたら、山田くんはギョッとしたようにあたしを凝視した。
「・・・香取に?」
・・そういや香取には、殴られる前に殴る、だったな。そもそも彼に殴られた事、ないし。
・・・あたし彼を、何回殴ったっけ・・・?
・・・今更ながら、あいつの女の趣味って何なのよ・・・・。
「・・いや、別人に」
誤魔化し笑いにもなっていない様な微妙な笑みを浮かべると、山田くんは口がふわん、と開いてしまった。目はあたしを凝視している。
・・・百年の恋が冷めた瞬間、かしらね。しょうがないわね。だけどなんだか悪い事をしてしまった気がするのは、どうしてかしら?
「・・・こっわー・・」
「暴力の応酬は、何も生み出しませんよ? もっと文明的に解決しましょう」
引いてる山田くんの隣で、中森くんがあたしをからかった。動じていないらしい。それもそれで傷つく。うーん、複雑な乙女心。
その時、唯が登校してきた。気のせいか浮かない顔をしている。
あたしはヒトミからのメールを思い出しながら、いつも通り明るい口調で声をかけた。
「唯。おはよー」
唯は挨拶もそこそこ、あたしに近づくと、耳元で小声で囁いてきた。
「ね、真琴。今日、加藤先生と面談するんでしょ?」
「え? あ、そうだったかも。全然忘れてた」
「どこでやるの?」
「・・・知らん」
「・・待ってても、いい?」
ちょっと神経質そうなその口調に驚いて、あたしは顔を離して唯を眺めた。
唯はなんだか、不安そうな表情をしている。
あたしはどう出たらいいか、一瞬迷ってしまった。
「・・いいよ、もちろん。どうしたの? なんか相談事でもあるの?」
「・・うーん・・そう、かも」
曖昧な苦笑い。
それを見てもあたしは、唯が何に困っているのか、或いは心配しているのか、さっぱり見当がつかなかい。
だから唯と同じような曖昧な苦笑いを、そのままそっくり返してしまった。
「あたしは頼りないもんね。役に立てないかも。ごめんね?」
「そんな事ないよ!」
焦ったようにあたしの顔を見上げる。
ヒトミから連絡を貰った事、バレたかな、と思いながらも、あたしは続けた。
「でもあたしはコンビニ女だから。目いっぱい利用してよ」
「・・どういう事?」
「24時間開店中」
そういってウィンクをしてみせる。
唯は何故だか、少し顔を赤くした。
「便利さが取り柄だから。あ、あと品数も豊富? 大概の事なら驚かないよ、大丈夫!」
「・・真琴・・」
バンバン、とガサツなくらいに背中を叩いて見せる。唯はあたしにつられて、いつもの控えめな笑顔を見せてくれた。
でもあたしの頭の中は、もう既に、香取の事でいっぱいだった。ごめんね、唯。
はるなちゃんに上手く、言えているのかな?