Sweet heart 3
香取からの連絡が途絶えた。
元々、連絡なんて取ってはいなかった。でも毎日学校に行けば顔を合わせるから、気付きもしなかった。
香取は退院した筈なのに、学校に来ないのはどうしてだろう? まだ体の調子が戻って無いのかしら? でもだとしたら、あたしに一言、なんか無い? あ、でもそう言えばお互い、携帯番号も知らない。
ヒトミから貰った香取の電話番号を(なんであの子が知ってるのよ?)ジッと睨む。やっぱりあたし、あそこで何かやっちゃったんだ。地雷を踏んだのかもしれない。それともただ単に、こんなあたしに引いているだけとか? ならあたしが電話なんかしたら勘弁してくれって感じだよね。既に終わってるじゃん。あー、やっぱあんな事しなければよかった。
悶々と悩む、そんな日々が続いた。そんな時。
「みっともないわね」
唯と二人で教室移動から戻ってきた所を、ガッチリ待ち伏せされていた。あたしはいい加減疲れて、溜息が出てしまう。この一年生、どれだけヒマなのよ。あたしに執着していたってなんの進展も収穫も無いじゃない。彼女がやってきた事って全てが空回りしているのに、それに気付かないのかしら?
本当はなんとなく分かってる。無駄だとか意味が無いとかじゃなく、あたしの事が気になってイラついて仕方が無いんだ。あたしを自分の視界からなんとか消したくって、そうしないと自分の心が休まらないから必死なんだ。全てをあたしのせいにしたいんだ。
でもそんな事思われたって困るし。あなたの視界から消えるにはあと8カ月はかかるんですけどね。
はるなちゃんのギラギラとした挑戦的な目つきを、あたしはまともに見る事無く教室に入ろうとした。
あたしの隣では唯が、怯え半分怒り半分で彼女を見ている。
はるなちゃんは、無視するあたしを更に無視して、大きいくらいの声でハッキリと言った。だから廊下にいた周囲の生徒達にも聞こえていたと思う。
「ガツガツしてたから、逃げられてるし。彼女面して礼にまとわりついた結果がこれでしょ? 滑稽って言葉がピッタリ。あんまりにも見物で笑っちゃう」
「・・あたし、あなたには同情するけど。謝罪以外は聞かない」
「本当、いい気になっておかしいったら」
すると唯が、我慢ならないと言った調子で彼女に言った。
「おかしいのはあなたでしょ?」
「あんたは黙ってて」
彼女は唯を一瞥もせずに言い放つ。
あたしは彼女に一言、かなりキツイ口調で言った。
「黙るのはあなた。はるなちゃんよ」
自分でもわかる。あたし、目が座っちゃってる。こういう時のあたしの目つきはかなり悪いらしい。気をつける様に、とよくお兄やヒトミに注意されていた。
あたしは今それを、出し惜しみする事無く存分に、彼女に浴びせている。
「そうやってあたしにまとわりついて、これ以上自分を惨めにするのはやめなよ。いつか取り返しのつかない事になるよ? 落ち着いて、自分を追い詰めるのはやめなさい」
「何バカな事を言ってるの? あたしはあんたを追い詰めてるのよ」
「追い詰められてないよ。・・例え誰を使っても」
あたし達の横を、山田くんが中森くん達と通り過ぎて行った。こっちを見て少し訝しそうに、そして少し心配そうにしている。
山田くんはあれから数日学校を休んでいたけど、出てきた時にはいつもの彼だった。優しくって爽やかで、あの時の記憶が全然無い。あたしに対してもいつも通り、控えめで柔らかな笑顔を見せてくれていた。彼があたしの事を好きかもしれない、という話は、あたしの心の奥底にそっと、大事に閉まっている。
あたしははるなちゃんに向き直ると、彼女の心を言葉と視線で貫くように、強く言った。
「自分と彼との問題を、あたしとの問題にすり替えないで」
彼、とはもちろん、香取の事。
はるなちゃんは動じず、鼻で笑った。
「礼に逃げられた事に気付きもしない癖に、偉そうに、バカみたい」
「・・会話、成立しないね?」
そのまま彼女を置いて行こうとしたら、再び背中に声をかけられた。
「結局は元の鞘に収まるのよ。礼はイギリスに帰って、いつかあたしと結婚する」
「・・・」
「あなたは置いて行かれるんだから」
先程から彼女は、まるであたしに喧嘩を仕掛けている様に話す。余裕を見せ、まるでビルのビップルームから下を見下ろしているかのように、自分だけの特別感を漂わせて話しを続ける。
だけどそのタイミングや彼女の体全体から、それとは真逆な、むしろ切羽詰まった不安感というものを感じてしまった。あたしに縋りつき、ねじ伏せ、負かす事で自分を保とうしている。そうしないと、今にも彼女自身が崩れ落ちてしまうかの様に。
あたしは再び溜息をついた。
やっぱり、この子を見捨てられない。
彼女を振り返ると、真っ直ぐに目を見据えて言った。
「はるなちゃん。あたし、あなたの事許してないけど嫌いじゃないから、今からアドバイスをする。香取と話をしなさい。今、あたしに言った事も、言いたい事も、思っている事も全部、全て。あなたが自分の思いをぶつける相手は、あたしじゃなくて香取よ? 受け止められるのは、あたしじゃなくて香取よ」
「・・・」
「そして何をどうするのかを決めるのは、前も言ったけど、あたしたちじゃなくて香取本人なんだから」
はるなちゃんは言葉に詰まったようだった。
睫毛の長い大きな目であたしを見つめた。その瞳が一瞬、あたしに縋る様に見えた。
彼女はすぐに目を伏せ、低い声で怒ったように言った。
「礼はイギリスに帰るって決めたの。今すぐに」
・・・はあ??
「・・今すぐ?」
あまりにも仰天して、妙なイントネーションで返してしまった。アタシニホンサンネンメデスって感じに。何ですって?!
あたしの驚き様に、彼女は形勢逆転を感じたらしい。
急にニヤッと口の端が上がった。
「そう。7月中にね。向こうの学校に戻って、そのまま大学に行くのよ」
・・・7月中??!!
「・・うっそ」
そんなの世界中で、学校終わってんじゃん! 夏休みじゃん!
って、そんなんじゃ無くって!!
「・・何の為の転校?」
何の為に日本に戻ってきて、何の為にまた外国に行くの? 思いっきり無駄な動きをしていて、嬉しいのは飛行機会社だけじゃんっ。香取が動けばエアが儲かる、ってそんなんでも無くって!!
何なのよ、一体!
はるなちゃんは顔を上げるとすっかり得意満面、眉が吊り上がって意地悪な顔いっぱいに笑って言った。
「ほーら、何にも知らない。礼にとってあなたは、その程度の人間だったのよ」
「・・・」
「二度と私達の前に姿を現さないで。なんてね、言わなくったて出来ないものね、残念」
「・・真琴・・」
唯が心配そうに、あたしに声をかける。あたしがショックを受けていると思っているみたい。
・・ショック、受けてますっ! 思いっきり!!
ハッキリ言って、泣きたいわよっ!!
ああ、でも先ずは目の前のこの小蝿ちゃんを追い払わないといけないし、こんな時でも悲しいかな、あたしの丈夫な両足は震えもしないのよっくっそ!
あたしは気を取り直すと再び相手を見据え、年上らしく毅然とした態度で言ってやった。
「はるなちゃん。他人を思い通りには動かせない。皆それぞれ意思を持って行動していて、それを操ろうとしたっていつかは歪みが来るものなのよ。そして物事は常に変わる。人間関係だってね。だから出来る事は、いかに臨機応変に対応するかって事。・・覚悟した方がいいよ」
「それって負け惜しみ? 単なる遠吠えにしか聞こえないんだけど? 訳わかんないし。あたしはね、自分のしたい様にするの。それこそあんたの指図なんか受けないわ」
ええ、負け惜しみですよ遠吠えですっ。自分でも何言ってるのか分からないわっ。
でも要はね、これで済まないわよあたしを舐めるな覚えてろって事なのよっ!!
「人を自分の思い通りに動かすなって事。あなたが好きで縋りついているのは昔の香取だって事。しっかり今の彼を見てやって、それに対応した行動を取らないと、いつかあなたにしっぺ返しがくるよって事。・・いいよ、通じないなら」
今度こそプイっと彼女から顔を背け、教室に入っていく。
その背後から彼女の小さな呟きが聞こえてきた。
「やっぱバカ」
失笑を含んだその言い方! うーっマジムカつくっ!
教室で怒りを抑えていると、隣で唯が感心した様に言った。
「真琴って、実はディベート向きなのかも」
「は?」
我ながら支離滅裂のこの話の、どこが??
ノックもせずに数学教員室の扉を開けた。
「先生っ」
だけど加藤も馴れたもので、全く動じずに返した。
「あ、宮地。明日終業式の後、何が何でも面談やるぞ?」
「香取がイギリスに帰るって本当?」
加藤が、少し警戒した様に片眉を上げた。
「・・・あいつから聞いたのか?」
「本当なんだ? 何で? 何でまた今頃? 日本に来て数カ月も経って無いじゃん」
「・・ご家庭の事情らしい。俺じゃなくて本人に聞けよ」
「何か知らないの? 知ってんでしょ、教えてよ」
「知らないし、知ってても言えないだろ、そーゆー事は」
「・・・あいつって、何者?」
いつの間にか俯いていたあたし。呟くように言ったその台詞に、加藤の呆れた様な声が降ってきた。
「・・・お前さ、聞く相手を間違ってないか? ちゃんと香取本人に聞いて、向き合えよ」
「・・・」
「お前は他人とうまくいっている様に見せかけて、実は我儘娘で勝気だからなー。つまらん意地とプライドを張りあっているんだろう? 我儘を隠していない分、香取の方が不器用で大変だろうけど、分かりやすいよな。ま、女子って言うのは色々大変そうだから? しょうがないんだろうが?」
「・・あたしにだって、色々あるんだい」
「人は誰でも色々あるんだよ。環境だって、心の持ち様だって人それぞれだ。みんな自分の持ち場で頑張るしかないんだよ。だからお前だって頑張っているんだろう、色々と」
耳の痛いお説教があたしを益々凹ませていたんだけど、『頑張っている』と言われて、その言葉一つで、あたしは顔を上げてしまった。ほら、あたしって褒められるの好きだから。
後から冷静になって考えれば、相手を落として、それから上げる、なんて典型的なマインドコントロール術だよ。ヒトミがお兄に使った手だわ、ちっ姑息なっ。単純なあたしにピッタリっ。
「・・・あたし、頑張っている様に、見える?」
「おう、見える見える。頑張ってるぞ、お前は。我儘でお気楽でいい加減な性格の割には頑張っている。偉いぞ」
「・・我儘そうでお気楽そうで明らかにいい加減な性格の教師に、褒められちゃったよ」
「同類だからな。よくわかるんだな」
加藤はニヤニヤと笑うと、足を組んで椅子に深く座りなおした。そのままクルッと椅子ごとこちらを向き、肘を机に付いてあたしを見た。
「香取の家は、よくは知らんが、所謂お偉いさんとのパイプがぶっといらしい。つまり親父さんの権力が世の中に通用し、あいつは色々苦労を背負ってるって事・・・多分な」
「・・・」
「そういう時はな、正面からぶつかっていったり寄り添ったりできるのは、宮地や中森達みたいな、同じ世代の友達しかいないんだよ。だから本当は、俺がとやかく言うよりも、宮地が自分の頭で考えて行動する方が、絶対いいんだ。香取の為にも、頑張ってやれよ」
「・・・・」
香取が、友達は少なそうだ、というのは何となく分かる。彼の性格がそうさせているんだとばっかり思っていたけど、彼を取り巻く環境も、中々複雑みたい。お父さんが偉い人だとしたら、下心満載で彼に近づいてくる人達も、沢山いたのかもしれない。だとしたら、デリケートな彼はかなり傷ついた事だろう。
掛け値なしに付き合えるのは学校の友人。確かにそういうものかもしれない。けど。
だとしたら、あたしは?
香取のあの台詞、『お前が目を覚まさなかったら、俺、多分死ぬよ』って、あれが友人としての台詞だったとしたら? それくらい大切な友達だと思っている、という意味だとしたら?
あたしがした事って、あのキスって・・・
ひょっとして、彼の気持ちを裏切った事に、なるんだろうか?
「俺って今、教師やってる?」
事情も知らない加藤が得意そうにあたしの顔を覗き込んできて、教師じゃ無かったらぶん殴ってやろうかと思った。
でもまあ、今日は珍しくいい事言ってたから、見逃してやる。