Sweet heart 2
その病院は、水島さん家が懇意にしている病院で、所謂そういう所らしい。香取はそこの個室にいた。
この期に及んで、あたしは彼の親を見ていない。言えた立場ではないかもしれないけど、保護者は一体どうなっているのだろう?
開け放たれたドアを軽くノックする。彼は気だるく雑誌を読んでいた。
「どう? 溶けた内臓、再生した?」
「・・なまこかよ・・」
挨拶もせずに軽口を叩くあたしに、彼は眉間の皺を寄せる。あたしは気持ちよく無視をした。
「はーい、甘党の君に差し入れでーす。キ○チのシュークリーム。欲しいかなぁ? 欲しいよねぇ?」
「・・何そのムダな元気」
「うん、それこそ未遂だし、吐いたらスッキリした。やたら気分爽快」
「そのエネルギー、停電の時に使えねぇかな?」
「なんて言った?」
「何も」
香取は澄まして雑誌を脇に放り投げる。いつも通りの彼に見えた。こうやって改めてみると、まだ可愛い感じのする『少年』かも。髪型が粋がっちゃってるけど。
「いつ退院?」
「明日。大袈裟なんだよ」
「肋骨折ってたら、そりゃ大袈裟にもなりますわね。もっと病院に閉じ込められちゃえばいいのに」
「折ってねぇよ。薄くヒビ入ってただけだ」
「はいはい。ムキになっちゃって。かわいいね」
「・・一体どうしたの、お前?」
テンションの高いあたしを見て、香取は気味が悪そうにした。そんな彼の前に、洋菓子の可愛い箱を開けて見せる。そして人に見せておきながら、自分で先に言っちゃった。
「わ。おいしそ」
「なんで三つ?」
「あたしと香取と・・はるなちゃん」
「・・・・」
「お見舞い、来てるんでしょ?」
あたしがそう言うと、香取は黙った。長い睫毛が伏せられ、唇が固く結ばれる。
不服そうな、辛そうな、切なそうな、そしてどこか悔しそうな表情をした。
「・・追い返す訳にもいかねぇし。それであいつの、気が済むなら」
また逆戻りだ。はるなちゃんの言いなりになっているんだ。
想像して分かっていた事なのに、彼の台詞を実際に聞いたら、あたしは憤りを感じた。香取に文句を言いたくなった。慌てて言葉を飲み込む。
だって、そんな事、あたしが言えた立場じゃない。
「あいつを守ってやれなかったのは、確かに俺だし」
「・・それ言うなら、全部あたしのせいだよ・・・」
シーンとなる。お互い、何を言っていいのかわからない。こんな気まずい空気は初めて。
あたしは黙って、シュークリームを一つ取ると、彼の目の前に付きだした。
彼はあたしとシュークリームを交互に見やると、口角を僅かに上げてそれを取る。
あたしは彼の目の前で、わざとらしく大口で、ゆっくりと、自分の分をかじって見せた。
ほら。食べなさいよ。
彼は少し眼を丸くしてそれを見ると、面白そうに微笑んで、自分の手の中にあるものを口にした。「ん、うまい」と言ってちょっぴり驚いたようにそれを眺める。嬉しそうだった。
あたし達の間に、こんなに素直で穏やかな空気が流れたのも、初めて。
あたしは何だか凄く嬉しくなって、そして満たされた気持ちになって、ニコニコしながらそんな彼を眺めていた。
すると彼の動きが止まった。
真剣な面持ちで俯き、何かをジッと考えている様だった。
そんな彼に驚き、あたしもシュークリームを食べる手が止まってしまった。て、そうか、もう食べ終わったからだった。
「はるながやられた時」
ギクッとした。あたしが見たくないものを、彼が付きつけようとしている気がする。
・・でも、多分避けられない。ついに来た。
「俺・・・あいつら、殺してやるって思った」
「・・・うん」
「絶対、何が何でも殺してやる、八つ裂きにしてやるって・・・すげぇ、訳わからなくなって」
そうだよね。ごめんね。そうだよね。
はるなちゃんは、操られていたあの男子生徒の一人の口車に乗せられ、彼を人気の無い所に連れ出した。その間に山田くんがあたしを襲う事を、知った上での行動だった。香取をあたしから引き離したくて、あの場所を選んだ。彼女が学校で、香取とキスをしていた場所。
そんな事は、どうでもいいの。
だってそれは、彼と彼女の問題。
そりゃ一歩間違えば、犯罪だったけど。
あたしは、香取の大事な従妹を危険にさらしてしまった。そしてそれは、香取の心を大いに傷つけた。
香取は他人をあまり寄せ付けない分、一旦自分の中に入れた人達は、とことん大切にする。本人は気付いていないけど、彼らの存在そのものに依存する。
だからそんな香取の従妹が傷つけられると言う事は、彼自信が傷つけられるより、耐えがたい事なんだ。
彼の受けた辛さを思って、切なくなる。
「だけど、お前があの女に喰われそうになった時」
香取は俯いたまま呟き、そして黙った。
何だろう、と思いあたしは顔を上げた。
香取はなおも俯き、しばらくして、はぁぁ、と言う長い溜息をついた。
「頭に血が上るよりも・・・心臓が止まった」
あたしは眉根を寄せる。うん? それはどういう意味だろう?
彼は顔を上げると、この上なく真剣な眼差しであたしを見つめた。あたしは驚いて軽く顎を引く。
彼はあたしの瞳を捉えて、ハッキリと言った。
「お前がもし目を覚まさなかったら・・俺、多分死ぬよ」
・・え?・・え?
それって・・・・
・・・まさか。
絶句。
あたしは彼を凝視した。
彼の強い眼差しは、あたしに逃げる事を許さない。あたしは次第に、胸がドキドキしてきた。
けれども同時に、とても納得していた。この状況で納得だなんておかしいのだけれど、今まであたしの中でくすぶっていたモヤモヤが、全て、すーっと、消えて行ったのだ。
ああ、そうだ。あたしが思っていたのは、これだ。
あたしはこれが、欲しかったんだ。
胸が熱くなる。あたしは今、彼の心の中に入れているんだ。
どうしよう。
もっと欲しい。
彼は尚も、強い眼差しで続けた。
「あいつら全部、皆殺しにした後だけど。自信あるけど」
「・・ついてる」
「え?」
「クリーム」
あたしは腕を伸ばして、彼の唇の端に付いていたクリームを指ですくい取った。
香取が一瞬、恥ずかしそうな顔をする。
あたしはそんな彼を見て、それから指に付いたクリームを見た。美味しそう。
そしてその指を、軽く口に含んだ。
甘い。
香取の目が見開かれるのが分かった。口の端には、さっきのクリームの跡。
あたしはゆっくり彼に近づいて行った。
香取は目を見開いたまま、動く事無くあたしを見ている。
あたしはベッドに両手をついて屈み、彼の唇の端を、
ペロ
と舐めた。
やっぱり、甘い。
香取が息を飲んで、少し身を引いてあたしを見つめた。
あたしも彼を見つめ返す。強くって、激しくって、少年ぽくって、熱くて綺麗な目。戸惑っているけれど、揺れる瞳であたしを見つめ続けている。もう一度、って言っている。
だからもう一度、今度は唇全体を食むように、ゆっくりと、ゆっくりと味わった。
表面を、舐める様に。
見た目通り薄くて男らしい彼の唇を、舌に感じる。香取の肩が、一瞬僅かに震えた様に見えた。
唇を離すと、彼は信じられないと言う様に、だけど少し余裕を無くした様に、眉根を寄せてあたしを見た。
その瞳が妙に大人っぽくて、熱っぽくって、ゾクリとくる。
あたしの目の前で彼の唇が僅かに動いた。彼の綺麗な喉が、一回、鳴った。
あたしは身を起こして、少し離れた。
そして気持ちを落ち着かせ、出来るだけ、静かにハッキリと言った。
「香取。あたしもう、自分の身は自分で守る。一生懸命鍛える。今までみたいに、逃げたり投げ出したり、しない」
彼が驚いたようにあたしを見上げている。
あたしは丁寧に言葉を紡いだ。それが彼の真剣な姿勢に応える、一番正しい形だと思ったから。
「決心がついた。あたしが頑張る事で誰かが救われるなら・・・・こんな能力、やっぱ運命だもんね。与えられた環境の中で、最善を尽くそうと思う。あたしにとっての『最善』が、今変わったの」
あたしは、彼の心に入れたのかもしれない。彼の大切な人達の一人に、なれたのかもしれない。
ありがとう、香取。
でも彼が、そういう人達の存在に依存し過ぎる事は知っている。彼の中の寂しい何かが、そうさせているに違いない。
だったらあたしが、それを変えてあげたい。
そして香取を、幸せにしてあげたい。こんなに不器用で激しくて、真っ直ぐな人を。
お願い。自分の存在価値まで、他人に求めたりしないで。
お願いだから、あたしがいなくなったら死ぬなんて言わないでよ。
そんな事をしなくても大丈夫。
あなたは幸せになれる。
あなたはこんなに愛されている。皆にも。・・多分、あたしにも。
だからそんなに怖がらないで。
「だからあたしを守るとか、失敗したら死ぬとか、そういうの、もう、無しね」
「・・・・」
「あ、言うの忘れてた。今まで本当にありがとう。あなたのおかげで、あたしはここまで乗り切れた。あなた無しでは過ごせなかった。・・本当に心強かった」
「・・・・・・・」
「これからは、香取の手は煩わせないよ」
そのかわりこれからも、一緒にバカをやって行こう?
息を飲んであたしの台詞を聞いていた香取は、呆然と固まっていた。
あたしが少し首を傾げて彼を見つめると、彼はハッと気付いたような表情を見せた。
「・・・・そうか。頑張れよ」
「うん」
静寂が、訪れる。
香取は窓の外に視線を移した。無言のままで。
あたしは彼が黙ってしまったので、少し不安になってきた。
すると彼は振り向いてあたしを見上げ、薄く笑って言った。
「俺、疲れたからちょっと寝るわ」
「・・・そ?」
「ん。またな」
表情が、妙に優しい。あれ? 優しいとはちょっと違う?
「あ、それから。もうまっすぐ教室に行けよ」
「え?」
「ちゃんと朝飯も食えよ。な?」
「・・・・あ、うん・・・」
あたしは妙な気持ちになった。何とも腑に落ちない。
優しく病室を追い出され(? そもそも優しい香取なんて既に変だ)あたしは益々パニックになった。
部屋の外で、呆然と立ち尽くす。
え? あたし、何か間違った? 何を、どこらへんで??