Make contact 4
あたしは呆然と彼女を見つめていた。
たった一回しか、それも一瞬しか見た事の無い人だけど、直感的に分かっていた。
この独特の雰囲気。凄まじい美貌と・・・妖気。
よっちゃんの元カノ。楽しみで人を喰うイット。つきあった男性は皆殺し。よっちゃん以外は。
そして多分、よっちゃんの『狂気』の部分の、鍵を握る人。
そんな事、言われなくったってわかる。
彼女は悠然と微笑んだ。引きこまれるような笑顔だった。
「ふふ。ところで悪いのだけれど、ちょっと教えてくれる? 獅子鷲って今、誰が持っているのかしら?」
「・・獅子鷲・・・」
「そう。青くて、これくらいの大きさ。翼を持った、ライオンのオーナメント。見た事、あるでしょ?」
「あなたは・・・・」
「私? 私はねぇ、ある依頼であの獅子鷲を捜しているの。ねぇ、知っているんでしょ? どこにあるか」
優しく、甘く、溶けるように囁いてくる。あたしを包むように笑いかける。
「教えてくれない? すごく困ってるの」
あたしは彼女を見つめたまま、ゴクっと生唾を飲んでしまった。
彼女は嬉しそうに言った。
「あなたは知ってる筈よ」
恐怖感が無い。目の前で村本を消した人だと言うのに、そんな事をたった今成し遂げた様な気配が、微塵も無い。
だけどあたしは、鼻に付く様な独特の匂いを感じ取った。彼女の甘い香りに乗って、その奥底に薄く漂う香り。
それに気付いて、あたしは我に返った。
そして気持ちを落ち着けて言った。
「ここからあたし達を帰してくれないと、何も喋りません」
すると彼女の口角が上がった。
「あなたが言わないと、あの坊やは助からない」
僅かな間を置き、彼女が香取の事を言っているのだと分かってあたしはギクッとした。
そんなあたしを彼女が嬉しそうに見つめる。
「大事なお友達なんでしょう? 早くしないと、手遅れになるわよ」
「手遅れって・・・・」
「助けたいんでしょう? 急がないと、彼の内臓、溶けちゃうから」
その衝撃的な言葉に、あたしは心臓が止まるかと思った。
目を見開くあたしに笑い、彼女ははるなちゃんに視線を投げた。
「なんならついでに、あの彼女をこっちで引き受けてもいいわ」
「・・・え?」
「二度と貴方達を煩わせない様に。ね? いいようにしてあげる」
花が咲くようにフフと笑う。優しく、柔らかに見つめられる。艶やかな唇からこぼれる、恐ろしい言葉。
「彼を手に入れて、彼女はいなくなる。いいと思わない?」
「・・・そんな事・・・ダメ、させない」
「どうして? いいじゃない」
「彼女にこれ以上手を出さないで。あの子は絶対に守る」
「・・・ああ、成程」
彼女は何かに気付いたように、頷きながらあたしを見下ろした。
「彼の一番大切なものは、あなたにとっても一番大切。・・・・泣かせるわぁ。なんて純粋」
当り前じゃない。はるなちゃんが死んだら、香取は壊れる。
あたしは彼女を睨み上げると、グッと心を決めた。お腹に力を入れた。
「帰して! あたし達を、今すぐここから行かせて! 全員、あの人達も開放して!」
「・・・んー。駄々をこねる子って嫌い。あなたに指揮権はないの。出来るのは、選択する事だけ」
眉を寄せた彼女の瞳が、一瞬鋭く光った。残忍な色が現れる。ギクッとなった。
「獅子鷲の場所を話して、自分と彼を救うか。物事を正しく判断できなくて、死んでいく彼の後を追うのか」
ドキン、と胸打つ大きな衝撃。一瞬にして空気を全て奪われてしまったかのように、呼吸が出来ない。
その時、声がした。
「勝手に俺を殺すな」
あたしと彼女が同時に振り向く。香取が、肩で息をしながら立っていた。
あたしは再び胸に衝撃を受けた。だけど今度のそれは、さっきは全く無かった興奮が混じっている。
香取が鋭い目であたしを見た次の瞬間、今まで香取の側に倒れていた男子生徒が跳ね上がる様に立ち上がった。目が文字通り白目を向いている。怖い。弾かれた様に香取に飛びかかった。
はるなちゃんの側にいるもう一人の男子生徒も同じ行動をする。
その彼らの顔面を香取が、凄まじい勢いで殴りつけた。
あたしは思わず悲鳴を上げた。
あたしの目の前で、彼女が眉根を寄せた。
「嫌だわ。頼りにならない男って、本当に嫌。役立たずどころか足手まといなのよね。生きているだけムダ」
「逃げろっ! 人を呼べっ! このやろっ!」
「役立たずって、坊やの事じゃないわよ。あたしの周りがみんなそうなの」
「香取っ」
香取は既に一人を地面に倒している。でも随分辛そうで今にも倒れそう。
あたしは香取を襲っている生徒に飛びかかったけど、片手でほっぺたを激しく殴られ、飛ばされてしまった。
「宮地っ!」
声と共に香取のパンチが彼の顔面にまともに入る。続いてみぞおちへのひざ蹴り。
体が降り曲がった所に、後頭部への激しい攻撃。
彼はそのまま、うずくまる様に動かなくなってしまった。
けれども香取も、その彼の上に折り重なる様にうずくまってしまった。
口を大きく開け、今にも何かを吐きそうな表情。
「・・・うっわ・・・」
自分でも体の状態をコントロールできないかの様に、喘いでいる。
「大丈夫っ?!」
あたしは立ち上がって彼に駆け寄った。
「坊や、あんまり動かない方がいいわよ。吸われた直後に激しくすると、本当に溶けちゃうわよ」
彼女の声が背後からかかる。懸命に聞こえないフリをした。
香取が顔を上げて、不安と心配が激しく入り混じったように瞳を潤ませて、あたしを覗き込んだ。
「大丈夫か、お前」
「香取は大丈夫なのっ? 吸われたのっ?」
「・・ん? 未遂。お前、来たから・・っ」
彼は再び俯き喘ぎだす。今にも何かを吐きだしそうで本当に苦しそう。これはイットに吸われた時の症状ではないだろうか? だってあたしはそうだった。
けれどあたしは、香取が動いて話せる姿を見ただけで、正直、安堵してしまった。正気を保っているように見えるもの。
でもそれだけでは、香取には足りない。
「はるなちゃんは? ホントに吸われたの?」
「・・そりゃ、ハッタリだ・・」
薄い唾液に混じって、ついに僅かに吐いた。
そして一息つくと、香取は涙目になりながらあたしを横目で見上げて、口をぬぐった。
「お前が来るまではあいつはやられてない。気絶してるだけ」
初めて、酸素が吸えた。
あたしの肺に、空気が取り込まれた。
「・・・よかった・・っ」
あたしは涙と血で汚れている、香取の頭をかき抱いた。思いっきり、思いっきり、抱きしめた。
よかった神様。二人とも大丈夫。本当によかった。よかった。
「・・・」
香取のウェーブの髪が、あたしの胸に埋まる。彼は一瞬、動きを止めた。
あたしはその頭の上に顔を埋めた。香取の香りが入ってくる。よかったよぉぉぉ。
「かわいい。二人とも」
彼女・・沙希・・の弾んだ声。あたし達は咄嗟に顔を上げた。
あたしの腕の中で、香取がギリっと彼女を睨みつけるのがわかる。
思わずあたしは、香取の服を掴み握った。あたしが彼を抱きしめている筈だったのに、まるで彼に縋りつくように彼のシャツをギュッと掴んだ。
沙希が微笑みながらあたし達に言った。
「坊やくらいの年の男って、本当にスキ。目が堪らないのよね。独特の危うさがあってゾクゾクするわ」
「・・・・」
「ねぇあなた、あたしの物にならない? 大事にしてあげる」
香取は無言。あたしは絶句した。
本当に柔らかい笑顔をしていて、それが怖すぎる。あの人のものになるってどういう事? 話に聞いたみたいに、心まで吸い取られて食べられちゃうの?
香取があたしの腕に手をかけた。そして彼女を睨みながら、低い声で言った。
「お前、逃げろ」
「え?」
「はるな連れて。出来るか?」
「出来ない」
きっぱりと即答をしたので、香取があたしを見上げた。
あたしは彼を胸から離して、その顔を見た。顔があちこち、見るのが辛い程腫れている。
「そんなの出来ない。香取がはるなちゃん連れてって」
「お前じゃあいつは無理だろ。やられる」
「だってあの人ナイフ持っている。今の香取じゃダメだよ。あたしこれでも村本をのしたんだから。あたしがやる。香取は逃げて」
強がりを言っている訳ではない。あたしは本気でそう思っていた。今のあたしは何でも出来る気がする。イットの側にいるとサイの気が増幅される、と言うのは本当だった。
香取は腕を伸ばして、あたしの頬を片手で包んだ。殴られた頬を慈しむようにそっと撫でる。親指が、優しく滑る。
その親指が、唇をなぞる様に動いた。軽く開いたあたしの口から、歯を掠めた。
彼の瞳が細められ、こんな状況なのに、本当に魅惑的な笑顔になった。
「・・・わりぃ。それ無理」
そして彼は立ち上がった。真っ直ぐに彼女を見据える、長い睫毛と気の強い眉。綺麗な横顔がウェーブの前髪に縁取られているのを、あたしは見とれたままだった。
「俺がその獅子鷲っての在り処を教えてやる。代わりにこいつらは離せ。全員」
「・・貴方、知ってるの?」
「ああ。そしてあんたのその情報、どっからどうやって手に入れたものか言え。それからだ」
「-・・素敵。こっちに来なさい」
「・・・・」
「・・本当に効かないのね。その体質も魅力的。益々欲しいわぁ」
「早くこいつら逃がせよ」
「じゃあこっちに来てよ。そうしないと、獅子鷲なんて諦めてあの子、食べちゃうわよ?」
「・・・・」
「香取っ?」
あたしは驚愕して叫んでしまった。だって香取が彼女に近づいていってるっ!
彼女の瞳は既にオレンジ色だけど、それが香取に効かない事はわかってる。あたしはそのオレンジをまともには見れず、さっきから視線を落ち着かなくちらつかせているだけ。
だけど香取は自分の意思で近づいていってるの? バカな事しないでよっあの人、人殺しだよっ?
自分の方に近づいてくる香取を眺めて、彼女は神々しいくらいにゆったりと微笑んだ。
「物わかりがいいのね。それでいいのよ」
そして片手を伸ばし、香取の後頭部にまわした。別の手には、ナイフ。
あたしは彼の後ろ姿しか見えない。ヤバい、なんとかしなくちゃ。飛んで、あの女を殴ってやる。
「あなたで手を打つのもいいかも」
そういうと、彼女はなんと、香取に口づけをした。ゆっくりと、舐めるように。
あたしは文字通り、心臓が止まった。
香取は微動だにしなかった。