Make contact 1
昼食休みなのです。・・・が。
「あー痛ぇ。マジ痛ぇ」
後ろの席の奴が、机に両足を乗っけて、態度悪くふんぞり返ってあたしにガンを飛ばしている。
彼の頬には、濡れたハンカチがあてがわられている。どんどん腫れて行く頬を見かねた唯が、用意したものなの。
あたしは購買で買ったパンを、自分の席で、縮こまる様にして食べていた。うっいびられ過ぎてクリームパンが喉を通らないわっいつもは三つはいけるのにっ。
香取の隣の机を陣取ってお弁当を食べ終わった中森くんが、こっちを見てクスクス笑いながら言った。
「二度も同じ女に殴られるなんて。お前実は、運動神経鈍いんじゃね?」
「つか何であいつに殴られなくちゃなんねーんだよ」
香取がイラついて言う。ご、ごめんってば。そんなに腫れるとは思ってもみなかったんだよ。確かにカッとなって手加減はしなかったけど、ほっぺたってそんなに手形通りに腫れるとは知らなかったんだってばぁっ。
あたしは益々縮こまって、二個目のパンの最後のかけらを口に入れた。
その時、香取のイライラマックス、怒りの声が背中に刺さった。
「あのさぁ。俺ってお前の何なワケ?」
・・・な、何、その爆弾発言っっ。
あたしは一瞬固まってしまい、その拍子にパンを喉に詰まらせたのっ。
「うっ」
向かい合わせに座っていた唯が手を伸ばし、「ちょっと大丈夫?」と言って背中をさすってくれた。
あたしがなんとか飲み込んだ時、彼女が小声で耳打ちしてきた。
「香取くんが従妹を振ったって話、すごく有名。今日一日、彼女荒れてたって」
・・・・すごく有名って、ちょっと・・・。
あの子、どんだけ荒れたのよ? 怖すぎるじゃない。
お願い、あたしには手加減して。というより、香取に矛先向けて? 悪いのは香取だから。だよね? だよね?
あたしはふぅぅぅ、と深ーい溜息をついた。
そして、唯を上目遣いで見た。
「通りで皆、あたしをチラチラと見るなぁ、と」
「でしょう? 香取くんと噂のカップルになっちゃってるよ? 皆、真相を聞きたくてウズウズ」
「で、唯は? あたしに何を聞きたいの?」
「真琴、何で最近予備校にも行かないの? 行けない程、香取くんに弱みを握られてるの?」
今までで一番、応える事が難しい質問・・・・。
あたしは机に突っ伏した。最近、この体勢が多くて可哀想なあたし。
唯は、あたしと香取が何らかの事情を抱えてつるんでいる事を、察している。
でもこの子は、あたしのプライベートを立ちいって聞いた事が、一度も無い。
だからあたしと、友達をやれている。
そしてこの子は、いつも明るく柔らかに笑っている。洞察力と思いやりに溢れている。
だからあたしの、親友になった。
唯にとっては数ある友人の一人だろうけど、あたしにとっては数少ない友達の一人なの。だから本当の事を言いたいのに。
ちなみにヒトミはさ、親友とはちょっと違うんだよな。強いて言うなら、戦友?
あたしは机に顔をつけながら俯いて、小さく答えた。
「・・・あたしね、実は家庭の事情が複雑なの。ところが最近、そこに香取がぐいぐいと入り込んで「何だとおい」
目ざといならぬ耳ざとい香取のダメ出しが入る。
あたしは横目でジロッと後ろを睨んだ。
「ウソは言ってない」
「大きく違うだろ」
「それは聞き手の問題です」
「あ、ねえ、この間のあれ、どうなった? 誰のものか分かった?」
急に唯が聞いてきた。あたし達二人に。
ギクッとなる。あれ、って、あれ、ね?
どうしよう。何て答えよう・・・・。
「・・・あー・・イマイチ。捜しているんだけど・・・」
あたしは答えにならない、怪しげな苦笑を浮かべた。唯が不思議そうに小首を傾げる。
すると香取が、そんな事をまるっきり無視した、俺様マイペースでしかもエラソーにあたしに言った。
「おい、帰り買い物付き合え」
何だ、その話題転換?
「・・・え? あたしが? てか何? その誘い方」
あたしは体ごと後ろを向いてしまい、ますます香取を睨み上げた。
あのね、心の闇を抱えてるんだか年下なんだか知らないけどね、そんなの態度悪い理由になんかならないのよっ。一度あたしが、しっかりばっちり躾してやるっ!
決心も新たに立ち上がろうとすると、目の前の香取は机から脚を降ろし、グイっと身を乗り出してきた。
思わず引き気味になったあたしの腕を彼は掴むと、ニヤッと笑う。い、嫌な予感っ。
彼の唇が近づき、耳打ちされた。
「もっとまともなのを身につけろって言ったろ? 今度はロシア柄かよ。捨てろ、んなもん」
雰囲気のある小声の囁き。息が耳にかかる。彼の睫毛が、あたしの髪に触れる。
隣で見ていた唯が、顔を真っ赤にした。
あたしは違う意味で真っ赤になった。
「・・・・・・やっぱ見てんじゃないのよっ」
「ちなみにあの柄、サラファンって言うんだぞ」
「んなトリビアいらねぇっ!」
「サイテーのセンス。まともなの買えよ。付き合ってやる」
「余計なお世話ってんでしょっ」
「黙れよ。約束だろ」
「んな約束してないっ!」
おかげで唯の追及は免れたけど、あたしは本日何度目かの沸騰をしてしまった。
やっぱりあんた、しっかりあたしのスカート中見てるじゃないっ!
何が被害届出すよっっとぼけるのもいい加減にしろっ!
いやむしろもっとムカつくのは、あたしのパンツを見ても顔色一つ変えない所だっっ!!
「お前達、ヒソヒソと何盛り上がってんの、ヤラシーな」
中森くんがニヤついてからかって来た時、
「おい香取」
クラスの男子がやってきた。
少し声を潜めて、だけど好奇心を見せながら彼に言う。
「お客さんだぞ」
あたし達が顔を上げると、教室の入り口にはるなちゃんが立っていた。
噂の中心人物。クラスの視線が彼女に集中する。時々チラチラとあたし達を見ながら。
香取は真顔になると、じっとはるなちゃんを見つめた。彼女は俯いている。
彼はふっと息を吐くと、無言で立ち上がって入口へ行った。
そして彼女を促す様に、廊下へ出ていった。
唯が苦笑いをした。
「香取くん、大変そう」
「気が強そうだもんな、あの女。しつこい相手を切るのは疲れるぜ? 山田はどこ行ったんだよ」
中森くんも苦笑いを浮かべながら、お弁当を片付けていた。親友の山田くんと一緒に、香取の窮状を憂いてやりたいのかもしれない。
午後の授業が始まるギリギリの時間になって、香取が席に戻ってきた。
眉根を寄せて、唇を小さく結び、険しい表情を浮かべている。
あたしに気付くと、少し溜息をついた。
「悪い。俺、放課後ちょっと・・・」
「ん。いいよ、一人で帰るから」
「それはダメだ」
間髪入れずに、否定をされた。
「待ってろよ、ここで」
あたしは唯の手前、笑って茶化した。
「もー、束縛強いなぁ。女の子に嫌われるよ? なんつって」
「すぐ話終えるから。5分くらいで」
「そんな簡単な付き合いじゃないでしょ、あなた達」
あたしはつい、声を荒げてしまった。5分で終わる筈無いじゃない。
唯や中森くんの視線に気付いて、あたしは慌てて取り繕った。
「あたし達は付き合っていないって、ハッキリ言ってあげれば? 今だけの事情だって」
「お前には関係ない」
香取に冷たく言われる。
あたしはドキッとして、そして恥ずかしくなった。だって確かに、そんな事あたしには関係無い。
「-・・・わかりましたよ。待ってます。・・・しぶしぶと」
「ああ。すぐ終える」
香取は素っ気なく言うと、椅子に座って授業の準備を始めた。
あたしは何だか悔しい気持ちで前を向く。
唯が眉根を寄せていた。
「・・・・なんか、本当に複雑そうねぇ・・・」
「・・・ホント、複雑なの」
先生が入ってくる。
あたしは唯に、力無く笑って見せた。
「唯には話せたらいいんだけど」
「気にしないで」
唯はニッコリと微笑んだ。
「あたし、そんなの全然関係なく、真琴が好きだから」
「・・・ああっ。あたしも愛してる唯ちゃんっ」
「席につけー」
あたし達の抱擁を、先生が白い目で見て言ったけど気にしない。友情を温めあっているのよ邪魔しないで。
あれ? 唯、その迷惑顔は何?
香取は授業が終わると、帰り支度もせずに出て行った。
あたしは待っている間、勉強をする事にした。地理の暗記用問題集を取りだそうとして・・・あれ、無い。
手帳よりちょっと大きいくらいの、小型で持ち運び用の問題集。おかしいな、今朝入れたと思ったのに。車の中で勉強しようと思ってさ。結局香取と一緒に登校したから、出来なかったけど。
・・・そっか。ひょっとして、あそこに落としているかも。
あたしは急いで、例のフェンス前に足を運んだ。
そしてそこで、見なくてもいいものを、見てしまった。
「お願い、礼」
「・・・はるな」
「お願いだから・・・」
はるなちゃんが、香取にしがみつくように抱きついている。涙を流している。
香取は、瞳を伏せて、彼女の頭上を見つめていた。
別に香取は、彼女を抱き返している訳でも、キスをしている訳でも、無い。
ただ、彼女をつき返さないだけ。
だけどあたしは、何故かとてもショックだった。
と言うよりも、物凄くイラついてきた。
多分、これはきっと、あたしのお気に入りの場所を侵されたからだ。この人達は、前もここでキスをしていたもの。いい加減にしてよ。
「・・・・・ここでやらないでよ・・・」
というか、連れて来ないでよ・・・。
あたしは地理を諦めて、教室に戻った。
席に着くと、黙って数学を取りだした。あたしには関係無い。関係無いんだ。
気付くと、一時間。教室には殆んど人が残っていない。唯ももちろん、帰っている。
・・・何が5分よ。バーカ。
あたしは集中力が途端に切れた。まったくやる気が出てこない。
しばらくボーっとした後、ふと気付いた。
変な匂いがする。
僅かだけど、匂わない?
「宮地さん」
呼びかけられて振り向くと、クラスメイトがいた。
「山田くん」
山田くんが、いつも通り爽やかにニコニコ微笑みながら、座っていた。
柔らかく聞いてくる。
「もう終わり?」
「あれ、みんなは?」
「え? みんな帰っちゃったよ。だってもうすぐ教室、閉まるから」
「もうそんな時間?」
「うん。早いよね」
時計を見ると、確かに5時を過ぎていた。校舎を閉める時間だ。
あたしは急に、胸騒ぎがして来た。何で香取は戻らないんだろう?
そんなあたしの様子を特に気に留める事も無く、山田くんが言った。
「ねぇ、数学得意だよね?」
「うん? まあ」
「教えてよ。どうしても分からない所があって」
そういって彼は、自分の隣の椅子を引く。ここに座って、と言う事らしい。
「これ」
あたしは促されるままにそこに座り、彼の問題集を覗き込んだ。
「これは・・・三角関数を使って解くといいのよ」
「何でわかるの?」
「何でって・・・公式を覚えてるから、何度か解いていけば・・・」
そこで言葉が途切れてしまった。何か山田くんの様子がおかしい。
顔があたしに異常に近い。思わず横目で覗うと、彼は気のせいか、焦点の定まらないような目をしていた。なのに笑ってる。
山田くん、酔っぱらってる?
そんなバカな。ここ学校だし。
あたしは驚いて、体ごと山田くんに向き直った。
彼は微笑みながらなんだか気持良さそうに、益々あたしに接近してくる。
「ちょ・・・どうかした?」
「んー? どうもしないよ?」
「だって・・・ちょっと・・・」
あたしは後ずさって、ついに椅子から立ち上がった。そしたら彼まで立ち上がったの!
うそっ。完璧、狙われてる?? 何でっ?
彼の異常ともいえるふわふわとした微笑みに、あたしはあり得ない事が頭をよぎった。まさかイット? そんなはずは無い。だってイット特有の気配と言うか、恐怖感は無いもの。だけどそれなら、さっきから薄く鼻にまとわりつくこの匂いは何?
そして彼のこの態度。
「山田くん?」
すると彼は、いきなりあたしの腕を掴み抱き寄せ、、信じられない事にあたしの首筋に顔を埋めたのよっ。
「宮地さんって、いい匂いがする・・・」
「やだちょっとやめてよっ」
つき返そうとするのに、強い力で両腕を掴まれて動けない。
「香取なんかやめなよ。僕の方が、ずっといいよ。絶対君を、優しくしてあげる・・・」
「山田くんってばっどうしたのっ?」
「大丈夫」
優しく言うと彼は顔を上げて、うつろな目つきであたしを見つめて、うっとりと微笑んだ。
「君が好きだから」
途端に強く押される。後ろの机に倒れ込み、そのまま床に押し倒された。
あたしはあまりの展開に、驚愕して、正直体がついていけなかった。
ゆるり、と彼は笑い、なおもあたしを見つめる。両腕を固定され、下半身は密着され、あたしは本格的に身動きが取れない。
冗談でしょ? 一体何がおこってるの?
あたしは彼の、幸せそうな笑顔を見ながら、頭の中が真っ白になっていた。