Sacred or secular 2
マックでの騒ぎから小一時間後。
「何か感じる?」
テーブルの上に置かれた獅子鷲を、至近距離まで顔を近づけて睨んでいると、ヒトミに訊かれた。
あたしはそれを睨んだまま答える。
「いやさっぱり。ヒトミは?」
「うん。色々と」
ここは水島屋敷。無駄に広い食堂には、あたしとヒトミと、水島さんとよっちゃん、そして香取がいる。
ヒトミがこの置物から何か感じる、というものだから、あたしは食いついた。
「うそっ。どんなっ?」
「凄い綺麗だなー、とか、金粉が付いているなー、とか、ほしいなー、とか」
・・・は?
水島さんも頷いた。
「ご利益もありそうだしね」
「ああ、やっぱり? 有り難そうですよね」
「仰々しいもんね」
「おいこら」
「ちょっとぉ!」
あたしとよっちゃんが二人同時に、声をあげた。
あたしは膨れて、ヒトミと水島さんを睨む。
「ふざけてるんでしょ?」
水島さんの隣でよっちゃんが、そうだそうだ、とばかりに真顔で頷く。
だけどヒトミは、ケロッとして言った。
「真琴の方が無関心過ぎない? 全然興味ないんでしょ、美術品として」
「・・・えぇ~・・・?」
美術品としてー?
あたしは思ってもいなかった事を言われて、マジマジとそれを眺めた。
うーん。ミニチュア狛犬に羽が生えているようにしか見えない。
こんな犬よりは、
「ス○ーピーの方が可愛い」
「○ヌーピーって・・・」
「○ティちゃんよりスヌー○ー派」
青い置物を観察しながらよっちゃんに応えると、真面目に考えたかったであろう彼が頭を抱えた。
その時、部屋の扉が開いた。
新谷さんだった。
「確認が取れました。エジプトのカイロ博物館から紛失したもので、ほぼ間違いない様です」
「レプリカでもなくて?」
「金粉の位置まで、寸分一致しています」
「ふーん、そう」
水島さんが腕を組んで、置物を見下ろす。
あたしは、こんどは新谷さんに食いついた。
「ね、ね、新谷さんは何か感じる?」
グリフィンを指さして尋ねる。
だって噂のパワーアップアイテムだよ? やっぱちょっぴりワクワクするじゃん。どんな魔法が飛び出すのか、イットの血が半分の新谷さんならきっと何か・・・
「ええ、美しいですよね」
「・・・そうじゃなくって」
「これが紀元前3千年も前の物かと思うと、畏敬の念を抱きます。彫りの一つ一つに、神や自然に対する畏怖が表れている。人類の芸術能力、美意識とは本能に組み込まれたもので、だからこそ私達の胸に訴えてくるのでしょう」
そうだった。この人は芸術感覚に優れ、綺麗な物、美しいもの、バランスのとれたものが大好きだった。
方向違いの答えをされて、あたしは肩をガクッと落とした。
そして少し拗ねるように、彼を上目遣いで見て言った。
「質問チェンジ。これを持ってると、パワーアップする?」
「いいえ全然」
ニッコリと微笑まれる。
あたしは今度こそ、テーブルに顔をうずめたくなった。つまんないっ。
「ウソじゃんウソじゃんっ。神話も噂も、全っ然ウソじゃんっ」
誰よ、何でも出来るようになるなんて言ったのはっ。
「問題は、これを誰が彼女の鞄に入れたか」
よっちゃんが考え深げに言った。
「そしてこれをどうするか、だな」
シーン、となった。
あたしは置物を指さして、年上組に言った。
「こんなの持ってたら、変な噂が立って、イットがうようよ集まってきちゃうよー」
「・・・・今までエジプトの博物館にあって、誰も盗らなかったのか?」
ここについてからずっと口を閉ざしていた香取が、口を開いた。
それを新谷さんが、事務的に答えた。
「そもそも博物館の手に渡ったのが、1970年代です。それ以前は、出土されて以来、コレクター達が所有していました。博物館が買い取ってからは、強盗にあった記録はありません」
「へー。あんなにイット皆が欲しがっているのに」
素朴な疑問。だってそうでしょ? 無法者集団が狙ってるんだよ?
「厳重な警備、が表向き。博物館を管理している権力者がイットであり、敵にまわしたくない、というのが裏事情です」
「え? その権力者イット、パワーアップしたの? これで?」
「・・・・さっきから、真琴の言うパワーアップって何?」
ヒトミに呆れた様に訊かれて、
「怪我が治るんでしょ? 念力使えるんでしょ? 何でも願いが叶うんでしょ? 空、飛べちゃうかもよ?」
「・・・・あんたじゃあるまいし」
水島さんがダルそうに溜息をついた。あたしが何よ、そんな事出来ないわよ、空を飛ぶのとテレポは違うのよっ。
「見ての通り、古代の素晴らしい彫刻です。使用されている石もラピスラズリで、最高級品です。歴史的にも大変価値があります」
「・・・つまりただの石?」
あたしが恐る恐る訊くと、新谷さんは再びニッコリと微笑んだ。とっても魅惑的な笑顔だった。
あー、やっぱり! うー、密かに期待していたものが崩れたっ! もー、やる気なくしたっ! ワクワクを返せっ。
「つまり、これは元あった所に戻せばいいんじゃね?」
あたしが思いっきり膨れたら、壁にもたれて腕を組んていた香取が、再び口を開いた。彼っていつでも、現実を対処しようとするよね。どんな状況でも。あたしがテレポっても。イットに襲われても。
あたしは、彼の、幼さが少し残る綺麗な顔を改めて見つめた。偉いよなぁ。少しは動じなよ。
「それは無理だろ。あの国の現状を見てみれば、自国の美術品を保存するどころじゃない」
「じゃ、似たような所に移せばいいんじゃね?」
香取はよっちゃんに向かって言った。
「俺、イギリスしか知らねーから他言えないけど、例えば大英博物館とか? あそこならエジプトの品物、当然の顔して受け取るぜ?」
一同、ポカン、となった。
よっちゃんが、ハンサムな顔で唖然と、香取を見つめる。
「大英博物館・・・・」
なんて突拍子もない事を、と言うかと思ったら、その隣で水島さんが呟いた。
「・・・・いいかも」
彼は少し眉根を寄せて、納得した様に頷く。え? 納得してんの?
よっちゃんも空中に視線を移しながら、考えるように言った。
「ああ、いいかもな」
「警備も万全」
「保管も最高」
「あそこなら、確か上に・・・」
「だよな。聞いた事がある」
「じゃ、僕は親父に聞いてみる」
「俺はオフィスに」
そう言って二人は、新谷さんを連れて慌ただしく部屋を出て行っちゃったのよっ。
後に残されたあたしは、ひたすら唖然とするしかなかった。
「なんなのこの人達・・・・話が大きすぎる・・・」
こんな日本の片隅で、大英博物館の話が出るとは。そもそも何故イギリスに? フツーに日本のどっかに預ければいいだけでは?
話についていけないあたしが呆れかえっていると、ヒトミが面白そうに、ニヤッと笑いながら言った。
「警察庁にヤクザなんて、CIAとマフィアが手を組んでいる様なものだからね。怖いもの無しかもよ」
・・・・なんだそれ? つまり、無法者はどっちなんだ、って話?
しばらくしてヒトミと香取が水島さんに呼ばれ、入れ替わりによっちゃんが入ってきた。
いつもよりちょっぴり真面目そうな顔をしている。こういうの、仕事の顔って言うのかな?
「君は、引き続き香取くんといた方がいい。誰がやったかなんて、学校を調べる方が手間がかかるだろうし。イットを素手で殴れる人間なんて、貴重だよ。おまけに彼は君と相性まで「わーっ!! わっかりましたーっ」
大声で遮った。か、香取にもし聞こえたらどうすんのよっ! オッソロシイ事になるじゃないっ!
よっちゃんは、アタフタしているあたしを見て、綺麗な瞳でクスッと笑った。
「逃走中の事務員、忘れるなよ? あれだけ生徒の気を吸っていれば、もう見境がなくなっている」
そう言うと一転、強い光であたしを見据えて言った。
「必ず、君を喰いに来る」
あたしはドキッとした。この場合、彼に見つめられたからドキッとしたのだとも思うけど、それだけじゃ、ない。
よっちゃんが言い切るなら、本当にあの人は、あたしに会いに戻ってくるのだろう。
「あたし、どうすればいいんですか? 身を隠しながら逃げるだけ?」
「うーん、特にこれと言ってな。あいつらは多少の怪我でも、人間の気を吸っちゃえばその場で治せちまうし。香取クンみたいに殴れないなら、逃げるしかないよ」
よっちゃんは空気を和らげるかのように、苦笑した。あたしはそんな彼を見つめながら思う。
逃げてばっかり。
でも、あたしには彼を殺す勇気なんて、ない。
よっちゃんはそれを分かってくれている。
・・・・けれども、あれって、勇気って言うの?
「・・・・でもいつも、逃げるのですら、ままならなくって・・・・」
再び浮かんだ疑問を振り払う様に、あたしは軽く頭を振った。
すると彼は甘いマスクをあたしに近づけ、真顔で、あたしの顔を覗き込んだ。
そして言い聞かせるように、話した。
「目だよ。目を見ちゃダメ。ヤバいと思ったら、振り返るな」
「・・・・」
誰の目? あなたの目? 見ちゃったよ、もう。ほんと、ヤバい。
いやになる。昨日と同じで、反らせない。あたしはこの目が、堪らなく好き。
だけどわかっちゃった。今あなたの目には、真っ直ぐな光以外、何も無い。昨日の様な、色が無い。
昨日の様には、あたしを見ていない。
ううん、昨日だって、あたしを見ていない。
「わかった?」
「・・・・はい」
「すぐに俺達が助けに行くから」
「・・・・はい」
「よし」
満足した様によっちゃんがあたしの頭を撫でて、それからハッとした様に手を止めた。
彼の空気が変わった事が、分かった。
「真琴ちゃん」
先ほどとは違った意味で、シリアスな声。あたしはギクッとなった。
「・・・あのさ、昨日の事なんだけど・・・」
「いいって、言ったです」
あたしは身を強張らせまいと注意しながら、彼を見上げた。
うまく、笑えているだろうか。
「ほんとに、多分。よ・・・・由井白さんが思うほどは、気にしていません」
あんな事、何でも無かったんだよ、ってカッコつけたいだけかもしれない。
それとも、彼の重荷になりたくないから、かもしれない。
名前を呼ばずに名字で呼んだのは、あたしのささやかな、抵抗。
それに本当に、あたしはそんなに、気にしていない。
あんな事があっても、あたしはどこも変わっていない。昨日も今日も、そして明日も多分、同じ。
あたしは、同じ。
「俺、君の事は・・・・すごく大事な妹だ」
「・・・・兄貴が増えると、ウザイなー」
「・・・・だな」
よっちゃんは苦笑して、それから一瞬、あたしを切ない眼差しで見つめた。
「ほんと、ごめん」
そういうと、部屋を出て行った。
妹の、ワケが無い。
妹を、あんな危険には曝さないだろうし。利用したりなんか、しない。
でも彼は、そんな事すら気付いてないんだ。
「おい」
「え?」
いつの間にか、戸口に香取がもたれかかってこっちを見ていた。
あたしはギクッとなる。い、いつから見ていたんだろう? 焦るじゃない。
「笑ってんなよ」
「え?」
「泣きそうなんだろ。俺にはそう見えるけど」
不機嫌そうな香取の表情。言われたあたしは、頭が真っ白になった。
・・・さ、最悪・・・・振られる所、人に見られた・・・・。
「・・・な・・」
「不器用な能天気が馴れない事すんな」
容赦無くバッサリと言われる。
あたしは恥ずかしさのあまり、顔に血が上ってくるのが分かった。
「馴れない事って、」
「自分を隠す事」
間があいた。彼の言葉を理解するのに、時間を要する。
次の瞬間、顔に上った血が頭にまで行った。
あたしの事、知らないくせにっ!
「こんなあたしが自分を出せる訳ないじゃん。親友の唯にも打ち明けられない、こんな力。自分なんて、物ごころついた時から隠しているよ」
「知ってる」
間髪いれずに香取に言われた。
射るように見つめられて、あたしは胸まで射られたようになった。一瞬、本当に分かってくれている様な気になってしまった。
でも、この人は知らない。
秘密を抱え続けて友達と接する事が、どんなに苦しいか。
本当の自分を洗いざらい話せる友人を作れない事が、どんなに辛いか。
いつも上辺だけの付き合いで、相手の顔色うかがって自分を出せない事が、どんなに悲しいか。
それでもあたしは、やって来なくちゃならなかった。頑張らなくちゃいけなかった。
それを、軽々しく、自分を隠すな、なんて言うなっ!
怒りのあまり、目が潤んできた。
すると香取は、そんなあたしの声が聞こえたかの様に、フッと表情を和らげ、
今まで見た事もない様な、優しい眼差しと微笑みを、あたしに向けた。
「でも俺には、最初っから怒鳴りまくって出しまくってたろ?」
グッときた。
「それは・・・・」
確かにそうだけど。出会った時から、彼には本気全開だったけど。言われてみれば、そうだけど。
だけどそれは。
ぽろ、っと、ついに涙が零れた。
ヤバい。あたしは香取を睨みつけた。
「泣いてない」
「泣いてないな」
ヤツは真顔で答える。
すると後から後から、涙が頬を伝って来た。
恥ずかしいけど、恥ずかしすぎて、拭えない。
「・・・泣いてないっ」
「うん。泣いてない」
彼は少し首を傾げながらあたしに近づき、そっと、あたしの頭を抱いた。
撫でるでもなく、抱きしめるでもなく、
だけど、当り前の様に、自然な動作で、そっと。
あたしは抱かれるまま突っ立って俯き、涙をぼろぼろと床に零した。
もう、自分が何で泣いているか分からない。振られたからなのか、まだ好きだからなのか、それとも今まで自分でも気付かないほど、人生に我慢をして来たからなのか。
或いは、香取があまりにも、優しすぎるからなのか。
いずれにしてもコイツのせいだっっ! 弱ってる所に現れんなあっちに行けーっ。
あたしは心の中で、お得意の責任転嫁を叫びながら、香取の胸に頭を押し付けた。
「年下のくせにっ。ほんと、えらそーっ」
「・・・・年上のくせに。ほんと、バカ」
その時、ほんの少し緩く彼に抱きしめられ、頭上に彼の顔が落とされた気がするけど、
それは黙って見過ごしてやる。
心地よい彼の腕の中で、しばらくあたしは動けなかった。
数分後、部屋の外から足音が聞こえ、赤い目を誤魔化すために慌ててトイレに駆け込むまで。
「妹~?」
義希と何があったんだ、と冷たく見下す水島智哉に根負けして(今朝のあたし達の様子に、この人溜息ついてたもん。そんでイラッと睨まれて、かなり凄味があったんだもん)、あたしがよっちゃんに振られた話を口にすると、彼は素っ頓狂な声を上げた。
「そんなワケないでしょ。あいつ、自分の妹は溺愛しすぎちゃって眼の色変わってるよ? あんたのお兄さんの方が数倍マシだよ?」
「・・・・ウソ・・・・」
「ホントホント。自分のオヤジと妹の取り合いで、見ていて引くから。あ、それからね、前も言ったけど、あの人キス魔で加えてかなり惚れっぽい性格。それに潰された女の子達、かなり見てきたよ。僕が言うのもなんだけど、家庭向きじゃないね。本人が自覚していない所が、更にタチが悪い」
開いた口を塞げずにいると、水島智哉は、軽蔑と憐みが混じったような視線を向けた。
「そうゆうこと。わかった? 迷える子ザルちゃん?」
・・・・・ごめん、よっちゃん。今からあなたは、あたしのブラックリストに載りました。今後は各所で攻撃させて頂きます。ロックオンだ。
というか水島智哉っっ。人から無理やり聞きだしておきながら、毎回毎回、あたしに嫌味をいうんじゃねぇっ。というよりバカにしたように笑うなっっ。