Run down 3
「智哉さん?」
「あ、ヒトミくん、丁度よかった。お嬢がトイレで吐いている」
「えっ?」
そう。あたしは今、トイレで吐いています。便器に顔、突っ込んでます。
何故なら今日、2度もイットに襲われかかったからです。そして殺人現場ならぬ、殺イット現場を見てしまったからです。
て、お嬢言うなや、水島智哉っ。まるであんたんちの関係者みたいな響きじゃない、あたしはヤクザじゃないやいっ。
トイレの外での会話が聞こえてきてすぐ、ヒトミが中に入ってきた。
「大丈夫、真琴?」
「・・・・・・・・」
て言うかさ、みんな何かを忘れていない?
ヒトミは中身は女の子だけれど、見た目はモロに男なんだよ?
そんな彼女が女子トイレに入れるって事は、よっちゃんでも水島さんでも、外でオタオタしているお兄でも中に入れるって事なんじゃない?
裏を返せば、いやこれが現実なんだけど、
彼女が女子トイレにいると周りが驚いて、そっちの後始末の方が大変なのですよ・・・・?
と、気持ち悪さと戦いながら顔もあげずにヒトミを迎え入れると、
ヒトミはあたしの背中を軽くさすりながら、低めの声で聞いてきた。
「彼女に襲われた?」
「・・・・・・・」
「義希さん、助けてくれなかったの?」
「・・・・・くれた、よ」
トイレットペーパーを取って、とジェスチャーをする。
ヒトミは紙を取ってくれると、それをあたしに手渡しながら言った。
「当ててあげる。おとりにされたんでしょ?」
「!」
思わず眼を見開いて彼女を見上げる。彼女は腕を組んで言った。
「想像つくって。煽って誘って、現場押えて、狩る。人間のふりを崩さなかったもんな、彼女。そんな彼女の食指を動かすには、真琴は格好の道具だものね。どうせあの部屋にいる時から、真琴の事を喰いたくって堪らなかったんじゃないの?」
「・・・・・・・」
「で、どうするの、これから?」
あたしは無言で、便器に視線を戻した。次の波がくるかもしれない。
でも、中々来ない。少し落ち着いたらしい。
口を拭いて、トイレを流した。
口をすすぎたい。洗面台へ歩いた。
水を口に含むと、後ろでヒトミが言った。
「彼、度胸座ってるね」
「?」
「礼だよ」
レイ?
「香取礼」
ヒトミがそう言って、あたしは驚いて顔をあげて鏡越しに彼女を見つめ、
ごっくん。あ、飲んじゃったよ。
レイ、って香取の事を? い、いつの間に、どんだけ仲良くなったのよ、何で礼って。
そういや二人で学校見回りパトロールをしていたんだ。そういやヒトミは香取が好みのタイプだったんだ。
あたしの頭の中はなんだか混乱して、ぐるぐるぐるぐるぐるぐる・・・・・。
「私にね、『何が起こってるんだ』って聞いてきたんだ。だから答えた。『君の見たまんま。彼らはああやって、人を殺す事がある』。そうしたら彼はしばらく黙って、それから言ったんだよ。『あいつは、どこまで足を突っ込んでいるんだ?』って」
鏡の向こうのヒトミは、腕を組んだまま、少し含み笑いをして話す。
あたしは聞いていて、何だかドキドキしてきた。な、何でだろう?
「『あいつって真琴の事?』って聞いたら、彼はムッとしちゃってね。だから『君は関わりたいの?』って聞いたんだ。そうしたら礼は黙りこくって・・・・。何て言ったと思う?」
試す様にあたしを見るヒトミ。
あたしはゴクっと息を飲んだ。
な、なんなの? ちょっと、溜めないでよっ。
「あいつを置いて一人じゃ逃げられねぇ。お前みたいに、って言われた」
ヒトミはクスッと笑った。
だけどあたしは、呼吸が止まってしまった。
勢い良く振り返り、ヒトミを見て言った。
「別にヒトミは逃げた訳じゃ」
「わかってる」
彼女はあたしの台詞を遮ると、穏やかな口調で言った。
「私達は友人だから。恋人や夫婦の様に、常に同じ行動を取る必要は、無い。別々の行動をする事で生まれる利点、というのもあるだろうし」
「利点、て」
「でもそれが、友情を長続きさせるコツでしょ?」
そう言ってあたしを見つめる。
そして真顔で、低い声で、囁くように言った。
「置いていって、ごめんね」
「やめてよ」
あたしは顔をしかめて、嫌そうな表情を彼女に見せた。
だってあたしは本気で、彼女に置いて行かれたなんて思っていない。そういう選択肢だってありだと思っている。無理に合わせず、だけどそれを責めもしない事が、お互いを尊重し合う事だと思うから。
ヒトミは満足そうに微笑むと、からかう様な目つきをして言った。
「でもおかげで礼の男気も聞けたし。よかったじゃない、早速愛されちゃってる?」
そう言われて、あたしは香取の事を思い出した。
そして何故だか、とてもやるせない気分になった。
「・・・・・香取は、多分、何でも背負い込んじゃうタイプなんだと思う」
「ああ、成程。確かにああ見えて、情が深そうだよね、彼」
うっかり彼の目の前で怯えて泣いてしまい、それが彼を縛り付けているのではないか?
申し訳無く感じているのか、あたしは少し辛い気持になってしまった。
はるなちゃんとずるずると続いているのも。ねだられるままにキスしてしまうのも。
彼女の思いを背負いこんでしまって、それで切れずにいるのかもしれない。男としてはどうかと思うけど、ね。
でもだから、あんな風にぶっきらぼうで他人に不快を与える言動で、周りの人を寄せ付けない様にしているのかもしれない。だって一旦彼の身近に来る事を許してしまうと、彼はもう、その人の全てを背負いこんでしまうだろうから。
そしてそれを手放せなくなってしまい、結果それが彼を苦しめる事になるだろうから。
黙りこくってしまったあたしを、わざとなのか、ヒトミは無視して話を続けた。
「それにしても肝が太いというか、悪く言えば自分が気にかけている事以外は何でもアリ、関係無い、ってタイプで、見事だね。驚いた」
「何が?」
「だって義希さんが目の前で人に日本刀を突き付けてるんだよ? それなのに騒がず、誰かに告げる事も無く、私に聞いてくるのは真琴の事だけ。もし私達がアブナイ犯罪集団とかだったら、どうするんだろうね。女性を刺して逃げたとしたら」
うん。それは言えるかも。確かに香取の器の大きさは、尋常じゃ無い。
「あたしがテレポで突然現れても、クローゼットに押し込んだからなぁ・・・・・」
あたしはしみじみと呟いた。
最初は彼を、単なる鈍感バカだと思っていた。
次にはやっぱり、オウンルールが世界基準、の俺様なんだと呆れていた。
そして昨日は、目先のトラブル回避の為には大きな事でも無視出来ちゃう、究極の事無かれ主義なのかとも疑ったのだけれども。
どうやらそれは、違うらしい。
香取は「何故? どうして?」と原因や過去を追求するよりも、
現実の対処と未来への対応を優先させるタイプであるみたい。
彼が過去の原因を知りたがる時はきっと、それを踏まえないと未来が読めない時だけなのだろう。
あたしが一人で、頭の中で理屈っぽく考えていると、
ヒトミは納得した様に頷いて言った。
「倫理観だけじゃなく、常識まで欠如しているのか」
きっつ。
これが感性で動くタイプのヒトミ。理系人間のあたしとは思考回路が違う。
ヒトミは楽しそうに、からかいの眼差しであたしを見た。
「礼の行動基準はすべて、真琴中心って事なんだね」
「・・・・な・・・・・」
「惚れられたもんだねぇ。これは益々面白くなってきた」
「だから彼は別にあたしが好きな訳じゃ」
「好き好き絶対、だーい好き」
あたしは自分でもわかる程に顔を真っ赤にしながら、言葉通り面白そうなかつ意地悪な表情のヒトミの頭を叩こうとした。
その時、廊下から大きな物音がした。
ビックリして、二人とも動きが止まる。
その後、バタバタと足音が遠ざかっていった。
あたし達は慌てて女子トイレから出た。
すると少し離れた廊下に、水島さんが座り込んでいる。何かに突き飛ばされて倒れた様な姿勢だった。
更に離れたところで、香取が振り返る様に彼を見ている。
水島さんの口から、僅かに血が出ていた。
「どうしたんですか?」
少し緊迫した様子でヒトミが尋ねると
「・・・・・見てわかんない?」
水島さんが不服そうにあたし達を見上げた。口の端の血を親指でぬぐい、「てっ」とか言ってる。
「・・・・・・殴られたの?」
あたしが驚いて言うと、彼はジロッとあたしを睨み上げた。ちょっ、こわっ。
「・・・・・・」
「誰に?」
水島さんが不機嫌に黙り込んだので、今度はヒトミが聞く。
彼は香取の方を見やると、苦々しく言った。
「そこの元気印に」
あたしとヒトミが同時に顔を上げて香取を見る。
そこに突っ立ってた香取は、少し驚いて声をあげた。
「なっ、俺じゃねぇよ」
じゃ、誰なのよ、と聞こうとして、あたしは香取の背後、廊下の向こう側から姿を現した人物を眼にして、一瞬固まった。
お兄だ。
・・・・・しかも、怒ってる。
・・・・まさか・・・・。
「あーあ。やっちゃった」
ヒトミが呆れた様に呟いた。お兄はずんずんこっちに近づいてくる。つり目ハンサムのお兄の目が、更につり上がっている。
「あいつがいねえ。真琴っ。帰るぞっ」
そう言うと、お兄はあたしの上腕をグッと掴んだ。その勢いに、あたしはバランスを崩す。
「お兄」
「ちょっと薫。あんまり乱暴に扱うと、また吐きますよ」
「タクシー呼んでんだよ。家に帰って、寝ろ」
ヒトミに、返事にならない様な返答をする。彼女はそんなお兄の様子に、呆れつつも言葉を続けた。
「鞄は? 今日は週末だから、色々と持って帰るものが・・・」
「許せねぇっ」
お兄が振り返る。更に目が吊り上がってて、あ、キレてる。
「こいつの学校から穏便にイットを排除するためだ、とか言って事前に俺に話を持ちかけやがって。俺に事務長を連れ出させたのは、真琴から引き離す為だったんだっ」
お兄が怒鳴っている先は、水島さん。
彼は冷ややかな視線をお兄に投げると、ゆっくりと立ちあがった。こっちもちょっと、怒ってる。
うーん、察するに、あたしが吐いた事情を知ったお兄がついにキレて、水島さんを殴った後よっちゃんも殴ろうと飛び出して、捜しに行った、てトコかな?
そしてそれを、傍で見ていた香取が呆気に取られていた、と。
日頃から沸点の低い我が兄貴は、その熱い怒りを思う存分、水島さんに向けていた。
で、水島さんは、相手が熱くなればなる程冷たくなるタイプ。冷え冷え~。
「こいつら2度も真琴をハメやがってっ。俺ら舐めてんだろっふざけんなっつけあがってんじゃねぇよっ」
「こっちは命張ってゴキブリ退治してんだぜ?」
「んな事知るかっばかやろうっ」
そこまで言われる筋合いは無い、とばかりにギロっとお兄を睨んだ水島さんをお兄が更に怒鳴り返したその時、
「・・・・・どうしたの?」
素晴らしいタイミングでよっちゃんが登場した。お兄の後ろに。
お兄はクルッと振り向いて、ズンズンとよっちゃんに近づく。
よっちゃんは目を見開いて、ポカンとしている。
「あ、ちょっとお兄っ・・・・!」
あたしは慌てて止めようとした。けど、時、既に遅し。
思わず目を瞑る。派手な物音がして目蓋を開いた時には、よっちゃんは廊下の壁に倒れ込んでいた。ちょっと、柔道の黒帯が人を殴るなんてまずくない? 確かに相手は日本刀所持者だけどさ、て、うわっあたし達ってなんて物騒な集団なの。
そしてああ、あたしの周囲の人間が誰かを殴るのを見るの、今日2回目だわ。本当に何て日。
「・・・・っわー。いってー」
・・・・なのに何でか、よっちゃん笑ってるし。
すごく楽しそう。というか、嬉しそう。え? この人おかしくなった?
よっちゃんは殴られた頬に手をやって、壁にもたれてわははははって豪快に笑ってる。
あたしやヒトミは弱冠引いちゃったんだけど、お兄はそんな彼の態度に益々腹がっ立ったみたい。
まるで軍隊の司令官の様に上から目線で、ヒトミに怒鳴った。
「ヒトミっ。荷物持ってこいっ」
「・・・・・わかりました。後から行きますよ」
ヒトミはお兄の性格を知り尽くしているので、こういう時は何を言ってもしょうがない、とばかりに溜息をつく。後から行く、とは放っておく、と言う事であり、それはつまりあたしは身捨てられたっ。
と思った瞬間、お兄に担がれた。
担がれたんだよ、担がれたっ。米俵担ぐみたいにっ。丸太担ぐみたいに、ヒョイッて。
「わーっちょっとお兄っ降ろしてっうわっ降ろしてっ」
「あはははー。さすがは過保護者ー」
よっちゃん、今度はあたし達を見て笑ってるっ。この人、なんかのスイッチが入っちゃったみたい、やっぱ変だよっ。
「お兄さーん。また後でねー」
よっちゃんは楽しそうに、爽やかにあたし達に手を振った。といってもお兄は後ろ姿を見せて既に歩いてる。
あたしはもう死ぬほど恥ずかしい気分で、お兄に担がれたままチラ・・・と皆を見るしかなかった。
皆は和気あいあい(?)とお話をしていた。
「それにしても彼氏、お兄さんに信頼されてるねー」
と楽しそうによっちゃんが言って、
「付き合い長いですから」
とヒトミが微笑んで、
「え? こいつ・・・・」
と香取が口を挟もうとして、
「おっと。面白いから黙ってて」
と水島さんが真顔で制した。
「(こいつら・・・)」
あたしの気持ちを代弁するかのような表情で、香取が呆れて3人を眺めていた。
・・・それでは皆様、また来週ー・・・。
お読み下さり、ありがとうございます。感謝感激、です。
あと一話で、第3章は終了です。次章で色々な決着をつけ、このお話が終わるかなと考えております。
登場人物が多くて、捕捉すべき点も多々あるかと思います。早くも番外編を検討中です。
もし、他のキャラクターでそう言ったリクエストがありましたら、是非お知らせくださいませ。
このお話が、どうか皆さまのお暇つぶしに役立ちますように・・・・。
戸理 葵