And next 1
「お前ら二人揃って俺の授業をサボるとは、いい根性だな。どういう事だ?」
数学教員室で、担任加藤は椅子に座って、大股開きで、腕を組んで、あたし達を睨み上げた。
あたしと香取は、黙って突っ立ってる。あたしはこっそり、溜息をついた。
あーあ、この歳でこんな叱られ方をするとは、情けない・・・・。今まで、上手に誤魔化しながらサボれて来たのに。
「・・・・・・・・・」
「数学では、確かにクラストップツーの二人だけどな。成績が良けりゃ、なんでも許される訳じゃないんだぞ特に香取」
「・・・・・・・・・」
香取の傍若無人振りは、確かに目に余るものがある。あたしと違って、興味の無い授業は堂々とサボったり、或いは授業を無視して一人で違う教科を勉強していたり、教師への態度が全くなってなかったり、散々だものね。
あたしは、ほら、そーゆーのはコソコソ隠れてやるタイプだから。
香取は不機嫌に黙り込んで、そっぽを向いている。わかりやすいなあ、ある意味、素直だわ。
加藤はそんなあたし達をしばらく眺めると、溜息をついて、苦々しげに言った。
「似た者同士がくっつきやがって。いつから付き合ってんだ?」
その台詞にあたし達は、一瞬固まった。
そして同時に口を開いた。
「似た者同士って何だよっ俺はこんなサルじゃねぇっ」
「付き合ってないわよっこいつ完璧な人権無視なんだからっ」
「うるさいっっ」
三人同時に大声を出したものだから、教員室中の注目を浴び、他の先生や数人の生徒が目を丸くしてこっちを見た。
「今度やったら内申落とす。罰として、微積の問題集38から52まで解いて、明日朝一で提出しろ」
「うっそ、無理だよそんなの」
「だから罰なんだろうが」
あたしの抗議を一蹴して、加藤はジロッと香取を睨んだ。
「香取は違うぞ。古文の岩田先生のとこに行って来い」
「え? 何でだよ?」
「数学じゃぁ、お前の罰にはならないからだよ」
加藤の台詞を聞いて、あたしは内心、ちょっと感心した。香取ってよっぽど数学が得意なんだ? あたしも得意だけど、彼とあたしの間には、よっぽど大きな溝があるらしい。微積のあの問題集が罰にならないなんて、凄すぎる。
「宮地はこのまま進路指導と行きたいところだけど、昼のゴタゴタで先生達も落ち着かないからな。日を改める。覚悟しろ」
加藤の台詞に、あたしは暗くなった。
4時間目の授業中のあの事件は、学校中を大騒ぎさせたからだ。
昼休みを経て、急きょ、全生徒下校となった。
あたし達の証言で、あの事務員は警察に届けられた。事件性がある、と判断されたみたい。現在、捜索中だ。
男子生徒は、目を覚まさない。呼吸と脈が弱いらしい。救急車で運ばれた。
原因不明の昏睡状態。本人の容体とあたし達の証言から、様々な症状が推理され、処置を受けているけど、
誰も、本当の事はわかっていないと思う。わかった所で、特別、打つ手があるわけでもないらしい。それは以前、ヒトミから聞いた事がある。
事態は、あたしが思っていた以上に、深刻だった。
「・・・・・・あの子、大丈夫かな?」
あたしが小さく呟くと、隣の香取が無言の一瞥をくれた。
そして、先生に聞いた。
「あの事務員って何?」
「・・・・・最近、事務部の入れ替わりが激しいんだ。急に複数の人達がやめてしまったらしく、その補充員の一人だったらしい。身元は確かなハズだったんだ」
入れ替わりの激しい事務部。それは、何を意味するんだろう?
あのイットが、全部喰っちゃったんだろうか?
それとも、新しい事務員がみんな、イットなんだろうか?
そもそもなんで、この学校にいたがるんだろうか?
「何を根拠に『確か』なんて言ってるんだか。頼もしい学校だな」
香取が冷たく言う。加藤は一瞬苦しそうな表情を見せ、黙り込んだ。
そしてあたしを見ると、真剣な目つきで言った。
「宮地。誰かお家の方に、迎えに来てもらいなさい」
「え? 何で?」
「顔を見られたんだろ? 女の子が危ないじゃないか。俺が連絡を入れるから、一人で帰らない方がいい」
「あ・・・・もう、連絡は入ってます」
「じゃ、誰か来るのか?」
「あー・・・・えっと・・・・・」
「いーよ、せんせ」
香取が会話を遮る。
少し口をすぼめながら、視線は誰とも合わせず、ぶっきらぼうに言った。
「俺が送ってく。それでいいだろ?」
「・・・・・・まぁ、いいか。香取も気をつけろよ」
「あいつ殴ったの、俺だぜ?」
片眉を上げて、ちょっと迷惑そうに先生を見た後、香取はプイっと教員室を出て行った。
呆気に取られてそれを見ていると、加藤に「お前も帰れ」と促されて、あたしは慌てて部屋を出た。
すると廊下の壁にもたれかかる様にして、ポケットに両手を突っ込んだ香取が立っていた。
あたしを見て、ゆらっと体を起こす。
顔を斜めに傾け、あたしを上から見下ろす様な態度で、かったるそうに言った。
「お前、ここで待ってろ。ちょっと行ってくる」
「いいよ、無理しなくても。大丈夫だから」
「無駄だよ」
予想外の即答。
あたしが少し眼を見張ると、香取は一瞬、黙り込んだ。
また、少し口が尖がってる。
「別に、担任に言われたからじゃ、ない」
視線を下げて、低い声で呟く。
長い睫毛が、綺麗な影を落としていた。
その瞳が、ふっとあたしを見つめた。
「あんなの見て、一人で帰せるか」
あたしはドキッとした。
あんなのって・・・・・イットの事?
それとも・・・・あたしが香取に縋りついて、泣いてしまった事?
マズイものを思い出してしまった、と思い、あたしが唇を軽く噛んだ時、
香取はいつもの表情に戻り、ニヤッと笑った。
「いくら、サルでもな」
それすら、以前と違って見える。
以前と違って、聞こえる。
「礼?」
飛び上がるほど、驚いた。振り向くと、香取の彼女、はるなちゃんがいる。
あたしは心臓がバクバクして、我に返った。な、何、あたし今、軽くトリップしてなかった?
はるなちゃんは、大きな目で香取をじっと見ながら、近づいてくる。
「なんか、騒ぎに巻き込まれた渦中の人が、礼って聞いたんだけど」
香取がムッと黙り込んだ。
「・・・」
「大丈夫?」
「・・俺、教師に呼ばれてるから」
「そう。待ってるよ」
「予定もあんだよ、帰ってろ」
「・・・・・ふーん・・・・」
いるよねぇ、彼女や奥さんにはどうしても頭が上がらない男。とにかくもう、逆らえない男。
二人の間にどんな歴史があるのかは知らないけれど、香取ははるなちゃんには、とことん弱いらしい。言葉も態度も悪いけど、結局は言いなりになっている気がする。
そんな二人を眺めていたら、はるなちゃんがこっちを振り向いた。
ギクッとなる、あたし。何でだ?
「礼のクラスの先輩ですか? 前もお会いしましたよね?」
「あー・・・・はい」
「こんにちは。私、香取はるなです。礼の従妹です。宜しくお願いします」
知ってます。幼少より、香取とキスしちゃってる事も、知ってます。
『彼女です』と言わないのは、分をわきまえた奥ゆかしさからなのかしら?
「あ、こちらこそ。宮地真琴です」
「宮地先輩、あの時、礼と一緒にいたんですってね?」
心配そうに、可愛い瞳で見つめられた。
・・・・・・ちょっと待て? 雲行きが怪しくなってきたぞ? 女の勘がアラーム出してるよ?
「怖かったでしょ? 大丈夫でしたか?」
「あ・・・・・まあ」
「礼は昔から喧嘩っ早くて、正義感も強くて、弱い人は誰でも守っちゃうようなところがあるんですよ。私もよく、守ってもらいました。いつも一緒にいるせいかな? 多分一番「おい、黙れよ」
ついに我慢が出来なくった香取が、はるなちゃんの台詞を遮った。
あたしは後ずさる。なんかヤバいぞ? ヤバいぞ?
だけどはるなちゃんは動じず、肩をすくめてクスッと笑った。
「あ、ごめん。喋りすぎちゃった?」
「・・・・・・・」
「うふふ。なんだかんだ言って、礼っていっつも私に甘いから、つい」
そう言って、甘えるように香取を見つめる。あたしがいなかったら多分、ここで香取の腕に、自分の腕を絡ませてしなだれかかるんだわ。
あたしは更に後ずさった。逃げ出すタイミングは、今しかない。
「では、私はここで」
「あ、お前」
香取が咄嗟に、あたしを引き留めようとした。
冗談でしょ? あんた達の面倒事に巻き込まないでほしいわ。はるなちゃん、かわいいだけの子じゃないわよ。
そりゃそうか。こんな性格最悪男を長年相手に出来ている時点で、ハンパないテクニックと根性を持っているに違いない。
あたしはお得意の、造り微笑みをして言った。
「香取くん、岩田先生の所に行くんでしょ? じゃあまた来週」
あたしが踵を返すのと、香取が何かを言いかけるのが同時。あたしはそれを無視して、小走りにその場を後にした。
教室に戻って鞄を取って、サッサと退散をしよう。逃げろ逃げろ。
世の中で一番怖いのは、イットよりも、女の子かも知れないもん。
なのに心のどこかが何となくモヤモヤしていて、これって何だろう?
教室を去ろうとしたら、ポケットの携帯が震えた。
見ると、ヒトミから。あ、やっぱ迎えに来ちゃったか。
あたしが返事をするより前に、ヒトミの声が聞こえてきた。
『今、どこ?』
あたしは努めて、呑気で明るい声を出した。
「向かってまーす。大変だったよ」
『あ、そうだ。義希さん、来るよ』
義希さん?
一瞬、誰の事か分からなかった。あ、よっちゃんか。
て、あの人も来るの?
「何で?」
『自分で聞いてみれば?』
興味なさそうな、だけどちょっと面白そうな声色で、ヒトミが言った。
あたしは眉根を寄せた。あの人は、いわゆるヴァンパイアハンターだから・・・・・やっぱ、それ関係だよね?
思わず黙りこくった。嫌な予感がする。学校で、どんな騒ぎを起こされるんだろう?
てもう、起こってるか。
ヒトミは、気にせず会話を続ける。
『どんな奴だった? 本物のイット』
「・・・・・・おぞましかった。正直、あんまり思い出したくないな」
『・・・・だろうね。こっちにも充分伝わってきたから、相当だったんだろうな』
「・・・・・なんでここにいたんだろ?」
『・・・・・真琴のせい?』
真面目な声で言われた。からかわれている訳では、無いらしい。
あたしは、あの時の光景を思い出しながら言った。
「あたしも始め、そう思った。でも違うみたい。だって初めてあたしを見た時、あの人、『この学校にはサイがいるんだ?』みたいな事を言っていたもの。予想外みたいだった」
言い終わるのと、校門が見えるのが同時。
鞄を片手に、校門にもたれかかって電話をしているヒトミが見えた。向こうもあたしに気付いて、軽く手を上げる。
あたしは彼女に近づいて行った。
「ねえ、ヒトミ」
「何?」
前から言ってみたかった事を、口に出す。
「今度、あたしと一緒に、コンサート、行く?」
「コンサート? 何の?」
突然の話題転換に、ヒトミがキョトンとする。
あたしは彼女の表情を観察しながら、ゆっくりと、慎重に言った。
「・・・・・お兄が渡した、クラシックチケット。ヒトミのおじさんかおばさんが、出ているんでしょ?」
キョトンとしたヒトミの目が徐々に見開かれ、やがて気まずそうに視線を反らした。
下唇を軽く噛み、しばらく黙りこくった後、片手で口を覆って呟いた。
「・・・・・まいったな」
「ヒトミ、束でチケットを鞄から落としていたよ? 気付いてないんでしょ?」
ヒトミは苦笑して、あたしを見た。
「真琴んちに落ちてなきゃいい、と思っていたんだけど。それじゃ、薫は・・・・・」
「ヒトミに嫌われているから、チケットを無視されていると思ってる」
「・・・・・うーん・・・・・」
「誤解、解く?」
「・・・・・・自分で、どうにかするわ」
「・・だね」
軽く舌打ちをしながら首を振って苦笑いを続けるヒトミに、あたしは、努めて気軽に言った。
「いいんじゃない? 好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。欲しけりゃ、買う。行きたくなければ、行かない。無理しなくていいと思うよ? だってヒトミは、悪い事は何もしていない」
すると、ヒトミの苦笑いが消えた。
真顔で黙り込む。
表情からは感情が読めないので、あたしはちょっと焦った。
なんかヤバい事、言った?
「・・・・悪い事を何もしていないから・・・・・好きな事をしているから・・・・」
切れ長の瞳を揺らして、彼女は低く呟いた。
「心が休まるとは、限らない」
その深刻な表情にあたしは驚いて、心の中で身構えてしまった。
だってヒトミが、自分の心を打ち明けようとしている。そんな事、滅多に無い。
彼女は顔を上げると、遠くに視線を向けながら、気だるそうに言った。
「克服しなくちゃいけない、という脅迫観念は、いつもついて回るんだ。克服を諦めようとしても、ついて回るんだ。自分がコントロール出来る感情とは、次元が違うんだよ」
憂いを含んだ眼差しが、流し眼の様にこちらに向けられた。
そして、あたしのちょっと驚いた表情を見て、クスッと笑った。
その時、後ろから声をかけられた。
「まこちゃん」
この声は!
そう思って思わず、嬉々として振り返ってしまったら、
「よっちゃん!・・・・・と水島智哉」
「何、そのテンションの差」
相変わらずのお人形さんの様な綺麗な顔が、不服そうに眉根を寄せた。あったり前でしょ、あんたの顔を見ると自然とテンション下がるのよ。
よっちゃんは、素早く校内の敷地に目を走らせている。目が、鋭く光ってる。口元が、抑えきれない様にわずかに上がっている。
体全体から、彼が興奮している様子が伝わってきた。パッと見、すごくカッコいいのだけれど、あたしは別の意味でドキっとした。
多分、イットを狩れると思って喜んでいるんだ。
やっぱ、怖い。
「ここがそう? どこにいたの、ヤツは?」
「あ、えっと彼は元々はこの学校の新任事務員で・・・・・すごい荷物ですね」
改めて彼を見る。
Tシャツにジーンズ、腰にチェックのシャツを巻いて、大振りのアクセサリーを首や手首に無造作につけて、その姿は抜群の体型にマッチして、とても素敵なのだけれど、
肩に、長くて黒い袋をぶら下げている。手には、キャスターの付いた、大きな布製の荷物を引いている。
ちなみに水島さんも、全く同じものをぶら下げている。
「うん。剣道やってんの」
「剣道?」
「中、入ってもいい? 一応チェックを入れておきたいんだ。一緒に来てくれるかい?」
あたしの質問にはまるっきり興味が無いらしく、それどころじゃないらしく、よっちゃんはあたしを見ずに校門を通ろうとした。
あたしは咄嗟に引き留めてしまった。
「あ・・・・でも、部外者は」
「部外者じゃないでしょ? 君の保護者代理」
初めてこっちを見て、ニヤッと笑う。あ、やっと見てくれた。
「本物の保護者代理が、来ますよ」
水島さんが、親指で向こうの方を指した。見ると、お兄が小走りにやってくる。
うわぁお。全員集合だわ。なんて仰々しい・・・・。
「真琴。大丈夫か?」
「うん、まあ。そもそもあたしが狙われた訳じゃないんだし・・・・・」
こうも皆に集まられると、何だか恥ずかしくなってきて、あたしは柄にも無く俯いてしまった。
するとお兄は眉間に皺を寄せ、よっちゃんと水島さんを睨みつけた。
水島さんが、飄々と肩をすくめた。
「見るからに嫌そうな顔してるよ、この人」
「しょうがないだろ。まこちゃんを初日にあんな目に合わせたの、俺達なんだから」
よっちゃんは事も無げにかわした。今の彼には、周りの事なんてどうでもいいみたい。さっきから一つの事しか目に入っていない様子だもの。
「じゃ、行こうか。案内してよ、真琴ちゃん」
彼はあたしを見てニコッと笑うと、軽快に中に入って行った。
水島さんもその後を、当り前の様について行く。
「あ、はい・・・・・・」
チラッとヒトミとお兄を横目で見ると、ヒトミは「しょうがないんじゃない?」と言う様に肩をすくめた。お兄は憮然とした表情で、それでもお祖母ちゃんに何か言われてきたのか、渋々と彼らに従う。
だからあたしも、後に続いたの。
昨日といい今日といい、なんだか嵐が吹き荒れている気分になっていた。