First Incident 2
「いやぁっ」
あたしは知らないうちに涙を流していた。だって、目の前で人が殺される!
なのにあたしは、何も出来ない。恐ろし過ぎて、足さえ動かせない。側にいる人に縋りつく事で精一杯。
しかも、出来る事なら逃げ出したいって思っている!!
涙でぐちゃぐちゃになりながら震えていると、あたしの肩を抱く香取の手に、更に力がこもった。
同時に、低い声が頭上から降ってきた。
「・・・・・ちょっと待ってろ」
「え?」
あたしが顔を上げるとほぼ同時に、香取はあたしから手を離した。
そしてなんと、彼らに近づいていったの!
あたしが声も出せずに驚愕していると、香取は歩きながら彼らに声をかけた。
「おい、あんた」
イットの体がビクっと揺れたかと思うと、次の瞬間には全てが収まっていた。
男子生徒は音を立てて、地面に倒れた。その顔はこちらからは見えないけど、大きな太い手は真っ白になっている。
イットが振り返ったら、目はもう普通の黒目だった。というより、向こうもとっても驚いていた。
目を大きく見開いて、口も、多分気を吸うためではなく、大きく開かれていた。
「え?」
「何やってんだよ、こんな所で」
「・・・・・・・」
きっと、イットが気を吸っている最中に、こうやって声をかける人間って少ない、いや、いないんじゃないかな? だってあの人の驚きようって、半端じゃないよ?
かくいうあたしも、相当驚いています。だって、怖くないの?!
「どういう経緯なのかは知らないけど、・・・少なくとも、学校でやる行為じゃないよな?」
「・・・・・・・」
何だか妙に的がズレている様な台詞を言いながら、香取は臆する事無く、イットに近づいていく。
最初はポカン・・・・としていたイットも、開かれた目と口を段々に閉じ、徐々に瞳に怒りと苛立ちの色を見せ始めた。
・・・ヤバいっ。
あたしは焦った。あの人、香取を攻撃するかもしれないっ。
なのに香取は、気付いていないのか歩みを止めない。
再び、口を開いた。
「しかも彼、倒れてるんじゃないの?」
「香取っ! 逃げてっ!」
あたしは思わず大声を出してしまった。というより、やっと声が出た!
二人が同時に振り向いて、同時に驚いた表情を見せた。
でも、香取は訝しげでもあり、イットの方は初めてあたしを見て衝撃を受けた様子。
香取が間抜けに言った。
「はぁ?」
「早くっ離れてよっ香取っっ」
「・・・・・・・へぇ」
イットが、ニヤリ、と笑った。
あたしを見て、笑った。
ニヤリ、と。
「この学校には、サイがいるんだ?」
あたしは自分の心臓が、凍りついたのを感じた。
心のどこかで思う。
蛇に睨まれて呑み込まれるウサギって、こういう感覚なんだろうな。
今まで呑み込まれた事なんて無いのに、本能で、知っているんだ。
相手がどれほど恐ろしいか、って。
イットの好物は、サイの、気。イットを負かす事が出来るのも、サイ。
あたし、出ちゃっているんだ。サイとしての力を、本当にコントロール出来ていないんだ。
目の前のイットは、あたしから目を反らさずに立ち上がった。
もう、地面に倒れている男子生徒に、目もくれない。
そのまま、歩きだした。こっちに来る!!
「じゃあ、このままにはしておけないな」
「おい、あんた」
あたしに近づくイットを、香取が驚いたように声をかけた。
なのにイットは香取を無視して、その前を通り過ぎる。香取が更に、唖然とした。
イットがあたしを見つめ続ける。あたしは、早くも目眩を感じてきた。
どうしよう、目を反らせないっ。
最早後ずさりも出来ないあたしは、まるで木偶の坊のように立ちすくむだけ。
ズンズンとイットが近づいてくる。その後ろを香取が、慌てて追いかけてその肩を乱暴に掴んだ。
「何やってんだよ?」
「離せ」
「ってっ」
イットが香取を振り払った瞬間、まるで巨大な静電気が起こったようなバチッという音がした。香取は、弾かれた様に手を離した。
そのままの体勢で、信じられない様な表情でイットを見つめている。
そしてイットはお構いなしに、あたしに向かって歩いてくる。あたしは金縛りにあっているみたいだった。
彼の瞳がオレンジ色に光りはじめる。怖い。怖い。引きずりこまれる。
この瞳の暗闇に、まとわりつく様な冷たく濁った、呼吸も出来ない恐怖に引きずりこまれるっ。
「止まれって」
香取が再び、イットの腕を掴んだ。
香取は眉間に皺を寄せ、先程より顔つきが険しくなっている。思いっきりイットを引っ張り戻した。
その瞬間、イットが勢いよく振り向き、腕を掴んでいる香取の手首を掴んだ。
そしてそれを強引に捻じり上げる。
「え?」
香取は手首を捻じり上げられているのに、予想外の事が起きている為か、ポカン、とした。
そのまま手首を掴まれ、ジッとイットの瞳を見つめている。
「・・・・・」
香取を睨んだイットの瞳が、一層オレンジに輝いた。
あたしが息を飲んでいると、イットはそのまま香取に近づいていく。顔がどんどん、近づいていく。
なのに香取は呆気に取られた様に、イットの瞳を見つめている。
「香取っ!!」
あたしは叫んだ。だってイットが、香取を喰おうとしている!! 香取がそれに捕まって、まるで催眠にかかったかのように動けないでいる!!
イットが顔を近づけて、香取の唇の手前で、わずかに顔を傾けた。