Are you serious? 4
絵に描いた様な螺旋階段。踊り場には虎の毛皮ラグ。多分本物。
そして本当にあるのね、大理石の床。メッチャ固そう。
・・・ここで誰かを突き飛ばしたら、頭打って殺人事件だなあ。
場所的には申し分無さそうだなあ。ね、コナン君。
「こっち」
先を歩いていた水島さんが振り返った。
「どうぞ」
扉を開けて、優雅な仕草であたしを部屋の中へと促す。
そこはモダンとアジアンとクラシックが入り混じったテイストの、広い部屋だった。なのに統一感があってセンスがよく、あたしは目を見張った。
誰か、この部屋を好きな人がコーディネイトしたに違いない。あのチェストとかその壁の絵とか、机の上の陶器の置き者とか、誰かの匂いがするようだわ。この部屋を愛している人。
・・・匂い?
「何か飲み物持ってくるよ。何がいい?」
声をかけられて顔を上げる。水島さんに、人形の様な顔で微笑まれた。
「・・・・」
この人は多分、性格が相当捻くれている。だけどそれをカバーするだけの顔と品を持っている。
おまけにこの豪邸と、おかしな能力(チカラに関しちゃ人の事を言えないけど)を持っている。
本当、彼って何者なんだろう? 胡散臭いよなあ。
あたしは言葉に詰まった。全てに、慣れない。
「・・・えと・・・」
「一応お客様だから、遠慮しないで。大抵のリクエストには答えられるよ」
見とれる様な笑みなんだけど、目が全く笑ってないの。
というか、全然興味が無さそう。
つまんなさそう、というより、何も映していない、瞳。
ふいに気づいた。
この人、よっちゃんから離れると途端にかったるそうだな。
さっきまであたしに絡んでいたのが嘘みたい。
「じゃあ、スイカジュース」
つい、口をついて出た。
いやだってね、スイカジュースって飲んだ事無くない? メロンジュースでも良かったんだけど、メロンソーダがこの世にはあるし。
それに、ちょっと彼を驚かしてみたい、そんな衝動に駆られたから。
狙い通り? 彼のつまんなさそうな瞳が一瞬見開かれた。ビックリしている。
豪邸育ちでもスイカジュースは珍しいのね、きっと。成功だわ。
・・・でも、美味しいのかな、スイカジュース・・・? 後悔すべき?
「余裕って訳ね。いいよ」
水島さんが肩を竦めた。
部屋の隅にある小さな木製の丸テーブルの上に、クラシックな電話がある。
それを手に取ると、話し始めた。
・・・内線だ。内線があるんだ、この家、じゃない豪邸。さすがは豪邸。
内線で飲み物を注文するなんて、カラオケルーム以外で見た事無いよ。ほー。
電話を置くと、彼は両手をパンツのポッケにいれて、壁にもたれかかってテラスの方を見やった。
視線の向こうには、見事なお庭。
それをつまらなさそうに見ている。無言で、あたしをチラとも見ない。無視ですか。
でもその美貌に見つめられた方が冷や汗モノだから、存在を無視してくれた方がまだ楽かも。
あたしはあっさりと、彼に絡む事を放棄した。
程なく扉が開いた。
濃いグレーのスーツを来た20代半ばくらいの男性が入ってくる。手にはトレーがあって、その上には飲み物が二つあった。グラスと、カップ。多分、水島さんが注文したものね。
・・・てことは。
え? 使用人? かわいいメイドさんじゃなくて、男の使用人?
使用人が、家の中でスーツを着て働いているの?
あたしはとっても驚いた。
あ、それとも今流行りの執事? ・・・執事って、何?
しかもかなりのイケメンで、何でだろう? 顔採用?
誰の趣味で?
「ありがとう、新谷」
水島さんは壁にもたれかかったまま、片手でコーヒーカップを上から軽く掴み、柔らかに微笑んだ。
「はい」
執事の彼も、当り前に微笑む。うわ、なんかなんか、倒錯しているぞぉ。
その倒錯執事さんが、あたしの方にも近づいてきた。
同じく、極上の笑顔を見せてくれた。
「どうぞ」
そう言って手渡された長細いグラスは、紛う事無きスイカ色。おお、スイカジュースだわ。
お礼を言って手に取り、一口飲んで見る。おお、まさしくスイカの味だわ。本物のスイカだ。今、まだ6月に入ったばかりなのに、こんなに美味しいスイカをどうやって手に入れていたのかしら? お金持ちだなあ。
コーヒーカップを手にした水島さんは軽く口を付け、それを脇のチェストの上に置いた。
そしてスタスタと部屋を横切ると、今まで自分が見ていたテラス扉に近づき、そのカーテンを全て閉めた。
部屋が暗くなる。
彼は一番手近にあった、肘かけ付の一人用のクラシックソファに身を沈めると、足を組んだ。
そしていつもの口調で軽く言った。
「どうぞ」
え? 何が?
と思ったら、あたしの隣に立っているイケメン執事さんが言った。
「よろしいのですか?」
「うん。いいよ」
まるで日常会話の様な、当り前の返答をしている。顔も穏やか。
何の事かさっぱり分からないあたしは、だけどいつの間にか落ち着かない気持ちになってきた。
あたしの知らない、何かが始まる?
執事さんが振り返った。あたしを見つめる。
吸い込まれる様な、綺麗な目。
真顔で、言った。
「失礼します、お嬢様」
その途端、背筋がゾワっとなった。
背中から首筋にかけて、鳥肌が立った。
部屋の中の空気が、一気に変わった。
匂いも、先ほど僅かに感じたあの匂いで、一気に満たされた。
息を、飲んだ。
「・・・なっ・・・」
あたしは目を見開いた。思わず後ずさる。
視線を執事の彼から外せない。外す事が、出来ない。
背筋を何かが這い上がるかのように、痺れと震えが走った。
これはっ・・・この感覚はっ・・・
「ちょっ・・・・これっ・・・」
言葉にすら、ならなかった。
彼はイットだ! ヴァンパイアだっ!!
何でっ?! どうしてっ?! さっきまで全然普通だったのにっ!!
目が彼から反らせない。まるで見えない糸に絡み取られてしまった様な感覚。吸い込まれる様な、不自然な程の黒い瞳があたしを捉えて離さない。
体まで思う様に動かないのは、ショックのあまりに動けないのか、それとも目の前の彼の能力によるものなのか、それすら分からない。
文字通り、あたしは硬直してしまった。
彼がそっと片手を伸ばしてきた。
あたしの首元に手を添え、指で首筋を撫で上げてきた。
途端に、何とも言えない感覚が体に走った。
「何っ?! やめてっ!!」
振り払おうと手を上げたのに、力が出ない。
それと同時に目眩を感じた。腰から下の力が、急に抜ける。
それを待っていたかのように、彼のもう一方の腕があたしを脇から抱き抱えた。
体の自由が効かない、目眩がする、なのに自分の瞳が見開かれたままなのが分かる。
あまりの展開の速さについていけないっ。
彼が、あたしの鎖骨の窪みの辺りに唇を寄せた。
すると途端に、ものすごく甘い感覚があたしを襲った。経験した事の無い甘さが、体全体を包む様な感覚。
彼の唇が触れた部分から、熱がじわじわと広がっていくようだった。
「・・・やっ・・・あっ・・・」
視界が霧に覆われたかの様に感じた。
自分の口からついて出る言葉が、いつの間にか抵抗の色を示していない事を、自分の耳で聞いている。
遠くから水島さんの、冷たい声も聞こえてきた。
「ほら。早くしなよ」
早くしなって、なんの事だろう?
痺れる頭で考えた。
彼を促しているのだろうか? 先に進めと?
それともあたしを促しているのだろうか? ・・・あたしに何をしろ、と?
何だったのかな?
考えなきゃ。考えなきゃ。
なのに、恐怖が、全く、無い。
彼に、全てを、委ねてしまいたい。
自分が、一気に落ちて行くのがわかった。
誘惑に。
「・・・あ・・・・」
甘さと心地よさと痺れの中、犯してはいけない罪に入り込んだような妙な罪悪感を感じながら、
あたしは徐々に意識を手放していった。
暗闇に落ちる直前に感じたのは、彼の唇の熱い感触と、
部屋の隅にいる水島さんの、冷たい視線だった。