第4話:「君の言うスマートでサステナブルな能力で、その地獄を乗り切ってみせてくれ」〜限界社畜の完全勝利〜
「……ほう。前回のプロジェクト、か」
審査員席の中央で、御剣常務がゆっくりと眼鏡を外した。 その瞳の奥で、飢えた猛禽類のような冷たい光が、ギラリと不穏に明滅する。
「君たちは、あのプロジェクトを『自分たちの力で成功させた』と……今、確かにそう言ったな?」
「は、はい! もちろんです!」
城ヶ崎は脂汗の浮いた胸を張り、隣の鬼頭部長も「我が社の優秀な生え抜きです」と言わんばかりに深く顎を引いた。自分たちが今、自ら退路を断ち、鋭利なギロチンの真下に首を差し出したことすら気づいていない。
そんな二人を、御剣常務はゴミを凝視するかのような冷徹な眼差しで見下ろした。 ゆっくりと立ち上がると、その圧倒的な体躯と威厳が、コンファレンスルーム全体を押し潰すようなプレッシャーで支配する。
「白々しい嘘をつくな。このビジネスパーソンとして最低の、風上にも置けない不届き者めが」
低く響き渡った一喝。それは怒号よりも冷たく、重く、二人の鼓膜に直接叩きつけられた。
「え……?」
城ヶ崎の顔から歪んだ笑みが消え、締まりのない口から間抜けな声が漏れる。鬼頭もまた、総毛立つよう
な底知れぬ恐怖に目を見開いた。
「前回のプロジェクト、我が社が億単位の損失を出し、業界内の信用をすべて失うところだった『あの提出書類の致命的な数値ミス』を……君たちはもう忘れたのか?」
御剣の言葉に、城ヶ崎の脳裏に、かつて自分がやらかした「入力数値の桁一つ分の致命的な置き忘れ」の記憶がフラッシュバックし、顔面が急速に土気色へと変わっていく。
「我が社の若手のミスを誘発しかねないあの不整合を、我々のプライドを傷つけないよう完璧に修正し、事前にリスクを完全に圧殺して救ってくれたのは――君たちが『無能』と呼んで追い出した、そこにいる水瀬くんだ!」
御剣の鋭い指先が、最前列に毅然と佇む拓海を指し示す。
「な、何をおっしゃって……水瀬はただの、データ入力の消耗品で……」
鬼頭がガチガチと歯を鳴らしながら弁明しようとするが、御剣はそれを一瞥で黙らせた。
「黙れ! 社内で誰が実務の泥を被り、泥船を支えていたかも見抜けない節穴どもが! 現場のすべてを一人で支えていた『真の功労者』をないがしろにし、他人の手柄を貪るだけの寄生虫に、彼の有能さが見抜けるはずもない! 己の無知で最高の宝をドブに捨てておきながら、その男が作ったデータの焼き増しを我が物顔でプレゼンし、あろうことかこの場で彼を侮辱するとは……。分を弁えぬ恩知らずにも程がある!」
会場全体に、蜂の巣をつついたような「どよめき」と嘲笑が広がる。 帝国物産の巨頭が自ら、直々に三行半を突きつけたのだ。その言葉の絶対的な重みを理解した城ヶ崎と鬼頭は、まるで顎が外れたかのように口を開けたまま、完全に精神が崩壊しかけていた。
拓海は静かに『構造把握』の視界を開いた。
いまや二人の頭上にあった、あの傲慢で不快なバグコードは跡形もなく破砕され、絶望と破滅を示す真っ黒なエラーの奔流が濁流となって二人を呑み込んでいくのが視える。城ヶ崎と鬼頭から伸びていた会社への社会的地位の糸、経済的な糸が、一本、また一本と容赦なく断ち切られていく。
「今回のコンペ、青空エージェンシーは不採用とする。当然だな」
御剣は手元の資料を、ゴミ箱へ放り込むように無造作にデスクへ投げ捨てた。
「そ、そんな!? お許しください、御剣常務! 我が社が潰れてしまいます!」
鬼頭が形振り構わず絶叫し、高級ウールの絨毯にみっともなく膝をついた。だが、御剣の目は少しも揺るがない。
「身から出た錆だ。警備員、この者たちを今すぐ連れ出せ」
「待ってくれ! 水瀬! おい水瀬!!」
城ヶ崎が狂ったように拓海に手を伸ばす。
「僕たちは同期だろ!? なあ! 君がちょっと口を利いてくれれば……僕が悪かった! 謝るから! だから助けてくれよ!!」
通り過ぎていく屈強な警備員に両腕をガッチリと拘束され、爪先を床に擦りながら醜く暴れる城ヶ崎。 拓海はゆっくりと振り返り、冷え切った、しかし最高に晴れやかな笑みを彼らに向けた。
「城ヶ崎、君の言った通りだよ。僕の代わりはいくらでもいるんだろう? だったら、君の言う『スマートでサステナブルな能力』で、その地獄を乗り切ってみせてくれ」
「水瀬ぇえええええーーーっ!!」
負け犬の絶叫を残し、二人は引きずられるようにして会場から文字通りつまみ出された。
その後、彼らを待っていたのは逃げ場のない正真正銘の生き地獄だった。 城ヶ崎は今回の虚偽報告と大損失の全責任を会社から一方的に押し付けられ、即座に懲戒解雇。業界内にその悪名がデジタルタトゥーのごとく知れ渡り、二度と表舞台に戻ることはできなかった。
鬼頭部長は会社を傾かせた戦犯として役職を完全に剥奪。かつて拓海に強いたように、今度は自分が「代わりのいくらでもいる消耗品」として、冷遇され続ける窓際生活の中で、終わりのない泥をすすり続けることになった。
騒がしい羽虫がいなくなり、本来の静寂を取り戻したコンファレンスルーム。 プロジェクターの光に照らされた拓海の『ガイア・クロス』の戦略画面が、一段と美しく、冷徹に輝いていた。
「見事なプレゼンだったな、水瀬くん」
御剣常務が歩み寄り、拓海に向かって右手を差し出した。その顔には、一人の誇り高きプロに対する最大の敬意が込められている。
「ありがとうございます、御剣常務。これでようやく、邪魔な雑音が消えました」
拓海はしっかりと、その分厚い手を握り返した。
その瞬間、拓海の視界に広がる世界の構造が一変する。 今まで彼を奴隷のように縛り付けていた澱んだ錆色の糸はすべて完全に消え去り、代わりに、帝国物産という日本最高峰の頭脳たちが持つ「純白と黄金に輝く強固な信頼の糸」が、拓海を中心に縦横無尽に紡がれていく。
「さあ、水瀬さん! 早速次の打ち合わせを始めましょう!」
「水瀬さんの組んでくれたシステム、本当に現場が回しやすくて助かります!」
集まってきた新しいチームの仲間たちが、本物の笑顔で拓海を囲む。そこには現場を見下す者も、他人の手柄を掠め取る者もいない。互いの能力を認め合い、高め合う、本物のプロたちの世界。
「ええ、始めましょう。僕たちの力で、この国の構造を塗り替えるんです」
窓の外には、どこまでも広がる限界のない青空と、燦然と輝く都心の摩天楼。
限界社畜として泥水をすすり、理不尽に耐えていた日々は、もう二度と戻らない遠い過去だ。 水瀬拓海は、自らの手で掴み取った最高の仲間たちと共に、まだ見ぬ輝かしい未来の構造へと、堂々たる一歩を踏み出した。
その足取りは、羽のように驚くほど軽かった。




