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第13話「距離感のバグ」

空き教室が、僕たちの「居場所」になりつつあった。


放課後になると、どちらからともなくあの部屋に向かう。最初は偶然のように。でも三日目には、それが当たり前になっていた。


「浅羽くん、今日も来たんだ」


「七瀬さんこそ」


彼女は窓際の席に座って、文庫本を読んでいた。僕はその向かいの席に座って、課題のノートを開く。


会話は少ない。でも、沈黙が苦ではなかった。


「ねえ、浅羽くん」


「うん?」


「浅羽くんって、いつも誰かに囲まれてるよね。クラスでも、部活でも」


「まあ、そうかもね」


「寂しくないの?」


「……寂しい?」


「人に囲まれてるのに、寂しそうに見えるときがある」


心臓が跳ねた。


「……見えるの?」


「うん。たまにね」


七瀬さんは本から目を上げて、まっすぐ僕を見た。


「私、人の表情を見るのが癖なの。中学のとき、周りの顔色ばっかり伺ってたから」


「……そうなんだ」


「だから、わかるよ。浅羽くんが笑ってるとき、ときどき目が笑ってないこと」


これは、まずい。


僕の「完璧」を見抜かれている。それも、こんなにあっさりと。


「買いかぶりだよ」


「そうかな」


「そうだよ。僕はただの普通の高校生だし」


「普通の高校生は、こんなところで私と二人きりにならないよ」


返す言葉がなかった。


確かに、クラスの人気者がわざわざ空き教室で孤立した女子と過ごす理由なんて、普通はない。


「……なんでだろうね」


「わからないの?」


「わからない。ただ、ここにいると楽なんだ」


「楽?」


「うん。何も演じなくていいから」


言ってしまった。


七瀬さんの目が少し大きくなった。


「演じる……」


「あ、今のは——」


「浅羽くんも、仮面を被ってるんだね」


その言葉は、まるで鏡を突きつけられたようだった。


「仮面……か」


「私も被ってたよ。中学のとき。でも、うまくいかなくて、外したら——」


彼女は言葉を切った。


「外したら?」


「……誰もいなくなった」


その声は、静かだけど確かに震えていた。


「だから今は最初から被らないことにしたの。そうすれば、外すときに傷つかなくて済むから」


それは、僕とは真逆の選択だった。


僕は仮面を被り続けることを選んだ。彼女は仮面を捨てることを選んだ。


どちらが正しいのか、わからない。でも——


「七瀬さん」


「うん?」


「僕は、仮面を外した七瀬さんのことも、嫌いじゃないよ」


彼女の頬が、少しだけ赤くなった。


「……変な人」


「よく言われる」


「嘘でしょ。言われてないでしょ、絶対」


少しだけ笑い合った。


その瞬間、ドアの向こうで足音がした。


僕たちは同時に息を止めた。


足音は、ドアの前で止まり——そのまま遠ざかっていった。


「……誰かいたね」


「うん」


「見られたかな」


「わからない」


七瀬さんの表情が曇った。


「もし見られてたら、また噂になるね」


「気にしなくていいよ」


「浅羽くんは困らないの? 私といるところを見られて」


「困らない」


即答した。でも、本当にそうだろうか。


クラスの人気者が、孤立した女子と密室で二人きり。噂になれば、僕の「完璧」に傷がつく。


でも。


「困らないよ」


もう一度言った。今度は、自分自身に言い聞かせるように。


七瀬さんは少し驚いた顔をして、それから——


「ありがとう」


と、小さく笑った。


帰り道、僕は考えた。


僕の距離感は、確実にバグを起こしている。


七瀬花音という人間に対して、僕の「完璧な対人マニュアル」が通用しない。彼女の前では、計算された優しさも、練習された笑顔も、意味をなさない。


それなのに、僕は彼女のそばにいたいと思っている。


これは——なんだろう。


まだ、名前をつけたくなかった。

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