「君を愛することはない」と言った夫と、愛情のハードルが低すぎる妻の結婚生活。
「これは…………愛ですわ!」
シンディーは出てきた夕食の前菜をじっくりと見つめて、それからハッと閃いてそれを愛だと口にした。
具体的には前菜が愛なのではなく、定番の前菜の中からシンディーがどうしても食べられない香りの強い野菜が無くなっていて、それについて愛だと断定したのだった。
「なにを言っているんだ、早く食べなさい」
しかし夫のエリアルは眉間に深い皺を寄せて、シンディーの言葉を冷たくあしらってパンを口に運ぶ。
けれどもそんなことなどシンディーにはまったく気にならない。
むしろシンディーの言葉に返してくれた。それにまた、じわっと体が熱くなって頬を染めてシンディーは言った。
「愛、愛ですわ~、エリアル様」
「そんなわけがないでしょう。単に君が食べられないものを夕食に出す無駄に私が気が付いただけです」
「それも愛ですわ~」
「はぁ……君はどうしていつもそうなんですか……」
エリアルは神経質にピシャリと背筋を伸ばして鋭い視線でシンディーのことを睨みつけながら、機械みたいなまったく同じ動作で食事をとる。
一方シンディーは妻と呼ぶにはまだ若く、少女の面影を残している。
そんなシンディーは、ゴキゲンに少し体を揺らして楽しんで食事をとっていた。
そしてシンディーの不注意からカシャンと音を立てて、カトラリーが一つダイニングホールの床に落ちる。
「!」
シンディーはそれを見てとっさに少し背を丸めて拾おうと手を伸ばした。
しかし、エリアルは「シンディー」と短く呼びかけてそれから言う。
「そういう時は、使用人に任せれば良いんです。君が拾うのは品がない」
「……すみません」
きっぱりとした口調で、シンディーのマナー違反を未然に防いだ彼に、シンディーは少ししょんぼりとして、謝罪をした。
するとエリアルはちらりとシンディーの方へと視線を向けてそれから、自身もカトラリーを置いて言った。
「いいえ、そういう失敗は誰にもあることです、気にしないことが重要です。いちいち悩むのは効率が悪い。それに君が貴族らしいマナーを身に着けていなかったとしても、選んだのは私ですからそれをとがめるつもりもありません」
「……」
「ただし、愛だなんだのと言うのはやめてください。式をした当日に言ったはずです。私は君を愛するつもりはありません」
「……聞きましたわ、ちゃんと」
彼の言う通り、シンディーは彼に選ばれて、こうして今彼の妻をやっている。
シンディーはシーグローヴ子爵家の生まれであり、更にはあまり良い血筋ではない。
学もない、品もない、伝手もない、ないないづくしのシンディーだったが一つ見初められたものがあった。
それは、有能な魔法使いとして有名な彼との魔力の相性だった。
エリアルはストークス伯爵家の跡取りで、彼に選ばれて伯爵夫人となったシンディーは誰もが憧れる玉の輿だ。
けれども、結婚式を挙げた当日に、こういわれた。
『今日までの私を見ていて、わかると思いますが、私は君を愛することはありません』
きっぱりと宣言されて、結婚生活はスタートした。
そうして今日も、彼はきちんとシンディーに愛するつもりはないと告げる。
「わかっているなら、結構です。それで話が途中で終わっています。今日あったことをきちんと報告してください」
「……」
「侍女と魔法の勉強をしたところまでは聞きました」
「……うん。それでですね」
そうして彼はシンディーの話の続きを促す。
彼はシンディーのことを愛することはない。
けれどもシンディーは彼が静かにシンディーの話を聞くその様子を見て、心の中で思った。
……やっぱり愛ですわ~。
口にはしないけれども小さく微笑んでシンディーは今日あったことを彼に話す。
彼の言葉は優しくないし、気の利いたご機嫌取りの言葉も、愛情を示す言葉もないけれど、それでもシンディーは愛情のハードルが低いので深く愛を感じていた。
「今日は布団がふかふかだったんですわ」
「そうですか、侍女たちがほしたのですから当然のことです。他愛のない重要性の薄い報告ですが、そういった些細な日常の出来事に隠れている情報もあるはずです、続けてください」
「ふふっ、愛を感じますわ~」
「……」
エリアルは、自分の娶った四つ年下の嫁に対して、眉間の皺を濃くしていた。
とにもかくにも彼女のことがエリアルにはわからなかった。
最初は彼女が「愛ですわ~」とのんびりいう様子を見て、皮肉かと思った。
まったく愛してなどいない事務的な会話に言葉で、報告を求めて食事の場を窮屈にしているエリアルに対してそんなことを言うのだから、皮肉を込めて愛されていると言っていると思ったのだ。
けれどもこうしてともに過ごしていれば、彼女が本音でそれを言っていることが理解できて、エリアルはさらに意味が分からなかった。
愛しているつもりなど毛頭ないし、愛したいとも思わない。
「あとはね、エリアル様、庭園を眺めていたら退屈そうに見えたのか、庭師が植物のことを教えてくれたんですわ」
「そうですか、専門の者から知識を得ることは良い刺激になる」
「それにね、あなたが私の勉強の進捗度について真剣に検討して今後のことを決めたと魔法使いの先生に教えてもら貰ったのですわ」
「……」
彼女は、いつの間にか食事のマナーもすっかり良くなって、気兼ねなく話をしながらエリアルに報告を続ける。
しかし彼女の勉強の進捗について話し合ったことが彼女に知られ、エリアルは食事の手を止めて、少し構えるような気持ちになった。
なぜなら、エリアルはよく面倒くさいと言われる。
普通に付き合いをしていても面倒くさいと言われるし、なんなら距離を置いて接しているぐらいでも若干嫌な顔をされることが多い。
特に、妻となる人間なんて、エリアルはきっとうっとおしくて仕方がない人間だろう。
しかし、身近にいる人間のことはある程度知らなければ気が済まないのだ。
他人という生き物は多くの場合予想外の行動をとる。それがどんな影響を与えるにしろ、エリアルはそのことを予測しておきたい。
自分は柔軟な方ではない、だから多くのことに干渉して、知らなければ気が済まない。そういう性分なのだ。
だからエリアルは、シンディー自身にも話をさせて、彼女の周りも含めて細かに状況を把握することをどうしてもやめることができない。
そしてそれが一番、厄介に思われる理由だ。
だから彼女がエリアルの行動を知って、当たり前のように嫌悪感を抱くのだろうと考えた。
しかし、シンディーはいつものようにのんびりと笑って「愛ですのよ~」と笑っている。
その様子は恐ろしく不可解だった。
「……」
「エリアル様は私を愛してくださるの。今日はそれがとっても嬉しいことですわ」
「…………」
更に言葉を続けて、彼女が今日そのことを心にとめて置いて、こうして話をした理由は愛されていると感じたからだと示した。
そんなわけがないだろうと、エリアルは否定したくなった。
いつものように意味が分からず思わず、思わずそう言いたくなったというわけではない。
いつもよりも、つい口から出てしまいそうな、自分はこんなにも他人から面倒くさがられる性質をしているというのに、どうしてシンディーはそう言ってくれるのか。
それを確認したくなって、そう言いたくなった。
けれども口を閉ざす。
事務的なことはきちんと話をできる無口なわけではないエリアルだったが、肝心なところでは自分の気持ちを表に出すことができない。
「ねぇ、それでエリアル様は、今日はどうだった? 良い日だったかしら、私はあなたと結婚してからずっと良い日ですわ」
「……良い日だったかどうかなど一概に言えることではない」
「あら、そうなの? 難しく考えるんですね、エリアル様」
「……」
そうしてシンディーの幸せそうな言葉に、エリアルはまた冷たい言葉を返す。
しかしエリアルが答えるだけでシンディーの頬は緩んで、おっとりと笑う。
それにたいしてエリアルはどうしようもない気持ちに駆られて、非効率的な感情を抱いたが自分の中では決して認めないのだった。
愛することはないと言われた妻であるシンディーだが、シンディー自身はとても愛されている自負があった。
むしろ溺愛のレベルであるとまで思っていた。
そして今日は彼とのお出かけの日であり、たまの休日であり、シンディーにとって楽しみにしていた日だった。
彼は愛していないと言いつつも、休日には二人で出かけることの意義を理路整然とシンディーに対して説明して、さらにはシンディーが行きたい場所に行くことの大切さを説いた。
彼の説明は、序盤の五分は聞いていたが、それ以降シンディーは少しぼーっとしていたので最終的にデートに誘われたことしか覚えていない。
しかし当日はあいにくの曇天で、王城の城下町には暗雲が立ち込めていた。
彼はそれを気にすることはなく、快晴と何ら変わらないような顔をして、シンディーと街を歩いた。
「それにしても、こうして見て歩くだけでも本当に楽しいのですか? 私としてはなにかを買うならば商人から買い付けるだけで充分だと思いますが」
「そんなことないですわ。例えば……アレ」
そうしてシンディーは目についたジュエリー店の窓ガラスを指さした。
「欲しいのならば買いますが」
すると、その中のどれがいいのかと視線を巡らせて首をかしげる。
「君はあまり物を欲しがることがありませんから予算も余っています、しかし物の品質が気になります、信頼がおける店かどうか確認をする必要があるでしょう」
彼は、腕を組んでいるシンディーのことを引いて、店の中に入ろうとする。
しかし、シンディーはその場を動かずに、彼を見上げて言った。
「そうではないですわ。違います」
「では、どういう意図ですか」
「ただ、これが私に似合うかどうかという話をしたいのですわ」
そうして、ケースの中から一つのネックレスを指さしてシンディーは目を細める。
彼は、首をかしげて自身が見当をつけていた品物と違うことに驚いて、それからシンディーとそのネックレスを見比べる。
それは少し奇抜なつくりをしていて、真っ赤なザクロの実のような色の宝石と繊細な金細工が特徴だった。
「…………普段、君がつけている物と毛色が違いすぎますし、似合うかと聞かれると答えは否ということになります」
「そうですわ。私もそう思います。……でももしかしたら気に入っていたかもしれません」
「……」
「商人の方はこういうものを持って来ないですわ。似合う物を用意してくださいます、でも似合わないものも、似合わなくても好きなものも、いろいろある中から選んで知って、どう思うかお互いに考えるのが、楽しいんですの」
似合わないとは思う、けれどたしかに目はひいた。
ハッとするぐらい美しくて、こんなものが似合う女性になってみたい。
そういう話をしたい。
型に決まったものを与えられるだけ、それは愛ではない。
だから彼を連れ出したのだ。
そしてシンディーも彼がどう考えるのか、どんなものが似合って、どんなものを好ましく思って興味を惹かれるのか。街を歩いて、聞いて感じて、そういう時間を過ごしたかった。
「著しく無駄な行為にうつります」
しかし、シンディーの意図が正しく伝わったにもかかわらず、エリアルの答えは一刀両断だった。
……まぁ、それもまた彼の考えというもの、ですわ~。
そうシンディーは当たり前のように受け入れた。
そもそもそういうことを好まない人もいるだろうと納得したが、続けてエリアルは言った。
「ですが、私には無い観点です。君はそう考えるのですか、興味深いです。続けてください、効率は悪くとも君を深く理解するいい機会です、次に行きましょう」
「!」
とても何気なく、当たり前のことのように彼はそうしてシンディーのことを受け入れる。
それにまたシンディーは「……愛ですわぁ」とつぶやいた。
そのつぶやきは彼に聞こえていなかった様子だけれど、そんなことはどうでもいいのだ、歩き出した彼についていって、似合う似合わないの話を延々とし続けた。
数時間すると、雨が降り出した。
誰もが予想していたことで人々は傘を広げて、行く先を進む。
シンディーたちについていた侍女もすぐに傘を取り出して、エリアルに手渡そうとした。
普通の貴族ならば従者などにさしてもらって移動するのが優雅さの象徴である。
しかしここは平民も行き交う城下町であり、シンディーもエリアルも傘を持つことぐらいでプライドが傷つくような気質ではなかった。
そういうわけで受け取ってエリアルは傘を開き、シンディーも貰おうと手を伸ばした。
しかしふと、侍女に通行人の肩が当たる。
咄嗟のことに、傘が地面に落ちて、運悪くそのまま馬車の通る道路へと倒れこんだ。
ガタガタガタとやってきた馬車によって、傘はばきっと音を立てて真っ二つになってしまった。
「…………」
「…………」
「も、申し訳ありません。代わりのものをすぐに……」
侍女が謝罪して、すぐに彼女はとても焦っている様子だった。
替わりのものを用意するという頭はある様子だったが、彼女たちは雨が降るだろうと予測していたので軽い雨をよけるためのケープをつけているだけで、替えの傘は持っていない。
次々にひかれて、シンディーの傘はボロボロになっていく。
そんな中で、シンディーの頭の中には過去の出来事が閃いた。
母が死んだ日。
シンディーの母はシンディーがまだ十歳にも満たない時に亡くなった。
母を埋葬する途中、静かな雨が降ってきた。
丁度今と同じようにしとしとと、雨がゆっくりと体を濡らす。
今までだったら、侍女たちがすぐに傘を差しだして、シンディーは濡れることがなかった。
けれども、母は死んで、シンディーはシーグローヴ子爵家の厄介者となった。
母と父の仲は悪くて喧嘩ばかり、第二夫人のことを父は愛していて、母が死んだ今、正妻には第二夫人が座るだろう。彼女には四人も子供がいた。
だから、シンディーは邪魔者になった。
そうして雨の中いくら泣いていても放置されて、それから誰にも構われた記憶がない。本当の意味で愛さないというのは、ああいうことを言うのだ。
誰もシンディーのことを見ないし、聞かないし、話さないし、興味も持たない。
嫌悪も同情も、いじめも何もない。
ただ、それが愛されないということだとシンディーはとても深く知っている。
それを考えると、シンディーは途端にくらりとして、血の気が引いてしまって、よろめいた。
あわや、道路へと倒れこんでもおかしくない立ち位置だった。
「っ、こら。急に危ない」
しかし、腕を組んでいた彼は少しよろめいたことに気が付いて、すぐにシンディーの肩を掴んだ。
「入りなさい、その方が効率がいいです。卑しいなどと文句を言う人間はここにはいないでしょう。それに君が雨に濡れて風邪でもひいたら様々なことが滞る」
「……」
「私のルーティンだって崩れます。食事を一緒に取る相手がいないというのは困るんです、もっとよってください」
そうして彼は、事務的な調子で、効率的を重視してシンディーのことに注目している。
彼は、そうではないというけれど、シンディーにとってそれは立派な愛だった。
見て、聞いて、話をして、どんなに彼の情がわかりにくい形をしていようと、それは素敵な冷たい愛情だった。
柔らかく温かいものでは無いけれど、冷たくてテキパキしているけれど、彼が与えてくれる関心も理解も、そのすべてがシンディーにとって嬉しいものだった。
……そうです、わ。今は、エリアル様がいてくれる。この人は私のことを深くとても強く思ってくれている、愛してくれている。だから大丈夫、ですわ。
「……嬉しい」
「なにが嬉しいというんですか、まったくわかりません。不運じゃないですか、年に一度あるかないか、というレベルの。それに君も嫌でしょう、自分を愛してもいない男とこんなにもそばによって、効率重視の面倒くさい男のそばを一刻も早く離れたいと願うのでは」
シンディーはぽつりと言った。
そしてその言葉に、彼は、やっぱりテキパキと答えた。
けれどもシンディーはその言葉にゆっくりと首を振って、彼に体を近づけて言った。
「愛してくれていますわ。傘を私に差してくれるんですもの、愛です」
「……そんなことは当たり前の行動であり先ほど言った通り、風邪をひかれては━━━━」
「あなたは私のことをまっすぐに見て、関心を持って、話を聞いてそばにいてくれる、それは愛なんですわ。それが私はなにより嬉しい。幸福なんですもの」
「……」
「私、幸せですわ。あなたのそばにいることができて」
そうして、シンディーはなんだか泣きそうな気持になって、瞳に涙がにじんだ。
それはうれし涙というもので、ニッコリおっとり笑ってゆっくりと歩きながら彼を見た。
エリアルは、眉間に深く皺を寄せていたけれど、しばらくシンディーと見つめ合って歩いて、それから「そんな程度ことで?」と短く聞いた。
「こんな程度のことで君は心底喜ぶと?」
「うん。そうです」
「……私は君がまったくわかりません」
「はい」
「けれど、君がそういうのならそれでもかまいません……愛でも構いません、シンディー」
そうして、彼は折れた。
シンディーの感じる愛情を肯定して、視線を逸らす。
それは照れ隠しのように映って、けれどもシンディーをきちんと引き寄せている手は変わらなくて、シンディーはニッコリ笑って「嬉しいですわ」と言ったのだった。
「つまりですね、愛とはなんたるかその答えを誰も知らないわけですし、私も定義できていない。その状態で、結婚というものをし、お互いになにを求めているか明確にできないまま求め、奪い合う、それはとても恐ろしいことでしょう」
彼はふと思い立ったようにシンディーに言った。
隣に座っていたシンディーはぽかんとしていて、まさか観劇デートの感想が愛についてだとは思わなくて、驚きそのままに話を聞いた。
「だからあらかじめ言っておくことにしたんです。君を愛することはないと、それに私は違わない行動を取っていたと自負しています」
腕を組んで、馬車に揺られて、彼はシンディーにいつものように事務的に言葉を紡ぐ。
眉間には深いしわが刻まれていて、その姿は少し威圧的ですらある。
身長だって座っていてもシンディーが見上げる程度の身長差があるのだ。
それでもシンディーは彼のことを怖いとは思わなかった。
それにもしかして観劇の内容がラブロマンスだったからいい機会だと考えたのだろうか、とやっと可能性を見出した。
「けれども、君は私の想像とずいぶん違っていて、あれもこれも愛情だとあの時はどうしようかともいましたし、正直戸惑いました」
「……知ってますわ」
思い出して言う彼に、シンディーは同意して、それからこの話は長くなるだろうかと考えながら、彼の手にそっと手を伸ばした。
彼の腕を解きほぐして、彼の手を自分の腿の上に持ってきて両手で握って右手の人差し指から順番に彼の手に指を組んでいく。
「聞いていますか?」
「うん」
「戸惑いましたが、同時に君は愛情を感じるととても嬉しそうで、それを頑なに否定することは憚られました。君を愛していることにした理由はそれだけです」
彼は、とても平坦な声で愛について語る。
「ただ、それ以降のことですが、多少なりとも私の中で、君への思いは変化しました。愛とはなんたるか、その答えは未だ私の中にはありませんし、今のような劇を見てもわかりません」
右手の指をぎゅっと彼の手と組んで恋人のようなつなぎ方をした、それからシンディーは左の手を彼の手の甲側から指を絡ませていく。
「誰もが言うその抽象的な概念を私はあまり好みませんし、正直、未だに嫌悪感があります」
「そうですわね」
「しかし、たった一つだけ、少しだけ前から出ている答えが私の中にはあるんです……シンディー」
話半分に聞いていたシンディーだったが名前を呼ばれて、ふと顔をあげる。
エリアルの手が伸びていて、彼の片手に絡みついている両手にそのまま手を添えて、真剣な目でこちらを見ていた。
「どうしたんですの」
「……愛は未だにわかりません、しかし、君が愛情を受け取って嬉しそうにしているところ、私の多くを愛情として受け取ってくれるところ、それが心底嬉しいんです」
「…………」
「論理的に考えて、効率的ではないだけだった愛というものは二人の間に限って君が定義してくれた、そしてそれを感じて幸福を感じてくれることは、私にとっての幸福でもあると同時に思いました」
それは突然の告白だった。
彼が自分の気持ちを口にするなど滅多なことではありえない。
きっと相当悩んだのだと思う。
シンディーの中では、彼が愛していることにしてくれた、ただそれだけで、もうずっと前から満たされているというのに、彼の中では愛についての話はまだ終わっていなかったらしい。
「だから私は、君に愛されて幸福になってほしい。同時に、あんなに嬉しそうに愛されていると喜ぶ君に対して、酷い接し方をしてしまったことが気がかりでした」
「……」
「一般的に考えても、個人的な気持ちとしても……私は酷い夫だったと思う」
額がくっついてしまいそうなほど瞳の中を覗き込まれて、シンディーは少し身を後ろにひいた。
しかし生憎シンディーの背後には窓があるだけで、それ以上後ろに身を引くことはできない。
「愛することはないなんて言って申し訳ありませんでした。撤回します、君がそう思いたいから肯定しているのではなく、一般的な愛が何かはわからなくとも、たしかに君を愛しています、シンディー」
彼はふっと気が緩むような笑みを浮かべて、その時ばかりは眉間の皺も消えていた。
そうすると少し年相応に見えて、青年らしい印象だ。
離れた手がシンディーの頬を撫でて、突然のお詫びと愛の言葉に、心臓がドコドコと音を立てる。
「……きゅ、急ですわ……でも嬉しい……けれど……」
「そうですか、私の中では繋がっている文脈です」
「……そ、そうだとしても、驚きました」
「申し訳ありません、でも言うべきだと思いました」
「……」
「愛しています」
再度言われて、シンディーは羞恥心と戦いながらも小さく微笑んだ。
シンディーは結婚してすぐに言われた「君を愛することはない」という言葉を聞いて、本当はすぐに思っていたのだ。
きちんとそうして言ってくれる彼なら、シンディーは少なくとももう悲しい思いだけをして生きている必要はないのだと。
だから最初から彼のことを好意的に想っていた。
そして、どんな人でも救い出してくれた彼を愛そうと思っていた。
だから彼の言葉は本当に今更で、改めて言われる必要もないことだと思った。
けれど愛しているという言葉を言われると胸がじんと熱くなって、私もだと強く思う。
嬉しく感じたからこそ、愛情を感じるだけでなく、シンディー自身も伝えていきたいと思った出来事なのだった。
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