【第03話】ダンジョン
「ん……。朝か?」
目が覚めた俺は、寝ぼけ眼を擦りながら上半身を起こす。
隣で寝ていたはずの彼女はおらず、昨晩のことは夢だったかと気落ちしてしまう。
逃げるチャンスがあるなら、俺が寝てる間だしな……。
そんなネガティブなことを朝から考えてると、部屋の扉が開いた。
「……あっ。ご主人様、起きてたのですか? ……あの、朝食を作りました。食べますか?」
奴隷服にエプロンを着たリントが、ベッドの近くまで歩み寄る。
「ご主人様?」
「……おはよう」
「おはようございます」
四人の中で戦闘能力が低い俺は、パーティーで一番活躍できないポジションだった。
その代わりに、家事などは率先してやっていた。
俺以外の誰かが朝食を作ってくれた経験は、この家に来てから初めてかもしれない。
「食べるよ……」
彼女が用意してくれたのか、ベッドの横に折り畳まれた服へ手を伸ばそうとしたら、素早く下着をリントがつかんだ。
「私がやります」
「あっ……。じゃあ、お願いするよ」
「はい」
安物のカボチャパンツじゃなく、高い下着を買っとけば良かったなと、ちょっとだけ後悔した。
下着から衣服まで手慣れた動作で、リントが俺を着替えさせてくれる。
なんだか王様になった気分だな……。
「こういうのも、奴隷商会で教えてくれるの」
「はい。実際に服を着せる練習をした時は、女性の先輩奴隷でしたが。暇がある時は、デニス様の別荘の掃除などをして。先輩奴隷から家事のやり方を教えてもらいました」
奴隷として生まれた以上、毎日ぐーたら寝て過ごすなどありえないとは思ったが。
リントの話を聞く限りだと暇さえあれば、将来ご主人様の家で仕事をすることを想定しながら、家事に限らず先輩奴隷と一緒に迷宮へ潜るなど、忙しい毎日を過ごしていたようだ。
「あの……。朝食も、一緒に食べて良いのですか?」
戸惑いながらも、リントが椅子に座る。
「うん。この量は、一人で食べきれないよ」
そういえば、朝食も四人分の献立で教えてたのを、訂正するのを忘れてたな。
カゴに入った四つのパンを手に取り、一つをリントの皿へのせた。
四枚ある薄切りの干し肉に手を伸ばすと、一枚を俺の皿に載せて、もう一枚をリントの皿へ移す。
「ダンジョンに潜ったら、リントは身体をいっぱい動かすと思うから、しっかり食べてくれ。余ったのは、お昼ご飯に回すから……。ダンジョンへ入る前に携帯食も準備するけど、後で教えるよ」
「わ、分かりました。ありがとうございます」
おそらくは、肉までもらえるとは思ってなかったのだろう。
薄切りの干し肉を齧り、スープにパンを浸してから口へ運ぶ。
乾燥された肉は薄切りにしても硬いが、リントは大丈夫だろうかと目を移す。
彼女はニコニコと笑顔で干し肉へ歯を食いこませ、力強く噛み千切っていた。
亜人とはいえ、やはり獣人の血を引いてるのだろう。
これからもご飯をしっかりと食べさせたら、もっと健康的な身体になりそうだ。
お風呂で彼女の身体を洗ってた時に思ったが、アバラ骨が浮いてるのに気付いた。
俺の勝手な想像だが、奴隷商会では生きるのに必要な最低限の食事しか、彼女はもらえてなかったのでは?
将来有望な双子の兄は、それなりに食事をもらえてそうな身体をしていたが、食事量については兄妹で多少の差別があったかもしれない。
* * *
「先輩奴隷とは、この迷宮にも来たことはあると思うが。油断はしないように」
「はい。ご主人様」
奴隷服の上に着せた胸当てなど、リントの装備の最終チェックをしておく。
ダンジョンの浅い階層へ潜ってた時に使用していた古い装備を、売らずに倉庫へしまっておいてよかったな。
まさか、新人探索者を再教育する機会があるとは思わなかった。
鞘に収まったショートソードを腰ベルトに提げて、反対側の手には盾を持ったリントが俺の後をついて来る。
自分の装備がもらえて嬉しかったのか、彼女の足取りは軽快だ。
「やっぱり一階層は、人が多いな」
「……ですね」
石造りの階段を下りて、地下一階の様子を覗いたが。
やはりというか、いかにも初心者らしき探索者が大勢いる。
新人探索者に教育をしてあげようと勧誘するベテラン探索者なども入り混じり、沢山の人が入口近くの広間にたむろしていた。
このまま一階層を奥へ進んでも、モンスターを狩れるかどうかも怪しい。
「直通階段で五階層までいけるから、人の少ない五階層まで降りようか」
「はい。ご主人様」
地下迷宮の石壁は一マスが、一メートル幅で正確に区切られている。
一メートルの立方体を積み重ねるようにして、地下迷宮が作られていた。
信じられない話だが、千年前に実在したとされる土魔法を極めし伝説の大魔導士、パラケル・ススが創造した古代遺産だと伝えられている。
それが、どこまで本当かは分からないが。
俺としては、どこか聞き覚えのあるパラケル・ススの方が気になっていた。
前世の記憶では、医学者兼錬金術師と呼ばれたパラケルススと呼ばれる偉人が実在している。
地下迷宮の伝承についての話を聞いた時に、その偉人の名前を知っている俺と同じ地球人が、この世界にいたのかもと思った。
しかし二十年もこの世界で生きてる間に、同じ転生者らしき人とは出会ったことがない。
俺と同じように、この異世界に転生した地球人がいたら話してみたいな……くらいの気持ちで考えてる。
誰にも喋れない俺だけの秘密を、いつものように妄想しながら階段を下って行く。
ルーン文字が刻まれた壁に、俺の指先が触れた。
足を止めた俺は、青白く仄かに光る壁を指差す。
「この迷宮灯のルーン文字は読めるか?」
「……すみません。魔法使いの才能は無かったので、一部しか読めません」
後ろへ振り返ると、しょんぼり顔をするリントと目が合った。
「いや、大丈夫だ。リントの知識を俺が知りたいだけだから。分からないことは、素直に分からないと言ってくれ」
「はい。分かりました」
うん、素直でよろしい。
「先輩奴隷と迷宮に潜った時は、何階層まで下りた?」
「五階層ですね。階段の近くなら、危険なモンスターと遭遇しても逃げやすいからと、先輩奴隷に教わりました」
「それが正しいな……。よし、じゃあ今日は。五階層の階段近くで、リントの腕試しをしようか」
「はい。お願いします」
* * *
ダンジョンに関するリントの知識を再確認してると、五階層に到着した。
「やっぱり、一階層に比べて人が少ないな」
「ですね」
一階層は百人はいそうなくらい、広間が人混みであふれかえっていたが。
この広間は、指で数えられるくらいに人が少ない。
広間からは長い一本道が伸びており、扉の無い小部屋がいくつもあった。
「誰かがケガをした時は、空いてる小部屋に入って治療をする。まあ、今日はポーションを持って来てないから、俺の治療魔法を使う予定だけど」
「あの……ご主人様は、聖教会の信徒でしょうか?」
「……ん? どうして、そう思った?」
「えっと……杖の形を見て……」
俺が手に持っている長い杖の先端を、リントがじっと見つめている。
ああ、そういうことか。
この杖は、聖教会のシンボルによくある十字架を基調にしたデザインだからな。
「これ、拾い物だよ。たぶん聖教会の神官が、モンスターにやられて落とした杖だと思う」
「え? そのまま使っても良いのですか?」
「うん、大丈夫だよ。本人が死んで、パーティーを組んでた仲間も拾えなかった時点で、もう誰の物か分からないからね」
世界で一本だけの魔剣とか、古代遺産などの希少なアイテムなら、過去に誰が所持してたとかは特定されそうだけど。
「俺はマッピングをするから。この階層を初めて攻略するつもりで、行けるとこまで探索しようか……。どっちに行く?」
分かれ道で足を止めると、狼耳をピンと立てたリントが顔を左右へ動かす。
「ご主人様……。気のせいかもしれませんが。遠くで女性の悲鳴が聞こえた気がします」
「……え? どっち?」
羊皮紙に黒いチョークを走らせてた手を思わず止めた。
「たぶん。こっちです……」
「五階層なら、そこそこ探索に慣れた人達だと思うけど……。ちょっと行ってみるか?」
「はい」
少し迷いはしたが、なんとなく気になってリントが指を差した通路へ足を向ける。
四方に十メートルくらいありそうな広い部屋に到着したタイミングで、こちらに近付く複数の足音が聞こえた。
最初に俺の視界に移ったのは、三角帽子を被った少女を背負ってるイケメン男性。
羨ましいなと思ったのは一瞬で、背負われた魔法使いの腕の服が、無残にも引き裂かれている。
そして彼女の露出した肌は、血で真っ赤に染まっていた。
魔法使いの少女を背負った男性を追うようにして、通路からもう一人の女性が走って来る。
ショートソードと魔法使いの杖を握り締めた赤髪の少女と、俺の目が合った瞬間――
「ごめんなさい!」
いきなり謝罪の言葉を口にして、すれ違った赤髪の少女が部屋から立ち去った。
「ご主人様、何かが来ます!」
「たぶん、モンスターだ……。いきなり、なすりつけられたな」
俺の予想通り、褐色の体毛に覆われた五体の狼が部屋に駆け込んで来た。
「ダイアウルフと戦ったことはある?」
「あります!」
「よし……。後ろから魔法で攻撃するから、前を頼むよ」
「分かりました!」
ショートソードを握り締めたリントが駆け出す。
同時に俺も神官杖を高くかかげて、詠唱を始めた。




