第1話: 田舎の剣士、異世界の扉を開く
朝霧が村を包む時刻、エテルニアの辺境に位置する小さな村「ルナリス」は静寂に満ちていた。朝露に濡れた麦畑が、昇り始めた陽光にきらめき、遠くの森からは鳥のさえずりが聞こえる。だが、その穏やかな風景に、エランはどこか落ち着かない心を抱いていた。
エラン、18歳。農民の息子として生まれ、鍬を握る日々に慣れ親しんだ少年だ。薄茶色の髪は乱雑に伸び、日に焼けた顔にはまだ少年のあどけなさが残る。だが、彼の瞳には、どこかこの村の枠を超えた何かを求める光が宿っていた。
「エラン! またぼーっとしてる! 畑仕事サボったら、父さんに怒られるよ!」
声の主は、隣の畑で麦を刈る少女、リリアだった。17歳、長い金髪をポニーテールに結び、青い瞳が朝日を映して輝く。彼女はエランの幼馴染で、村一番の魔法の才を持つと噂されていた。とはいえ、普段はそんな才をひけらかさず、エランをからかうのが趣味のようだった。
「サボってないよ、リリア。ちょっと…考え事してただけだ」
エランは苦笑しながら鍬を握り直す。だが、心の中では別の思いが渦巻いていた。数日前、村の酒場で旅の吟遊詩人が語った物語が、頭から離れなかった。「冒険者ギルド」の話だ。モンスターを討伐し、ダンジョンを踏破し、レベルアップで己を高める者たち。エランは、その自由で輝かしい生き方に心を奪われていた。
「考え事? まさか、冒険者になるなんて夢見てんじゃないよね?」
リリアがくすくす笑いながら、腰に手を当てる。彼女の声にはからかいの色が濃いが、どこか心配そうな響きも混じっていた。
「…もし、そうだとしても、悪いか?」
エランがぽつりと返すと、リリアの笑顔が一瞬消えた。彼女はエランを見つめ、口を開きかけたが、その瞬間——
ドオオオン!
村の外れから爆音が響き、地面が揺れた。鳥たちが一斉に飛び立ち、畑の麦がざわめく。エランとリリアは顔を見合わせ、鍬を投げ捨てて音の方向へ駆けた。
村の外れ、森の入り口。そこには、かつて見たことのない光景が広がっていた。巨大な狼型モンスター「フォレストウルフ」の群れが、村の柵を破壊し、咆哮を上げていた。牙は鋼のように鋭く、毛皮は血で濡れている。村人たちが悲鳴を上げて逃げ惑う中、エランは恐怖で足がすくんだ。
「エラン、逃げなさい!」
リリアが叫び、両手を掲げる。彼女の手から青い光が放たれ、炎の矢が一匹のウルフを直撃。モンスターは悲鳴を上げて倒れるが、群れは止まらない。リリアの魔法は強力だが、彼女一人では数の暴力に押し負けそうだった。
「くそっ…! 俺、何もできないのか…!」
エランは歯を食いしばり、近くに落ちていた古い剣を拾う。父が昔、村を守るために使っていた錆びた剣だ。手に握る感触は冷たく、重い。それでも、彼はリリアの前に立ちはだかった。
「エラン、馬鹿! やめなさい!」
リリアの叫びを無視し、エランはウルフに向かって突進。だが、剣を振り下ろした瞬間、ウルフの爪が彼の肩を切り裂いた。血が噴き出し、激痛が走る。エランは膝をつき、意識が遠のきかけた。
その時、雷鳴のような轟音が響いた。銀色の光がフォレストウルフを貫き、一瞬で群れを半壊させた。エランが顔を上げると、そこには一人の男が立っていた。長剣を肩に担ぎ、革鎧に身を包んだ大男。赤い髪と豪快な笑顔が、戦場の恐怖を吹き飛ばすようだった。
「よお、若造! 無茶すんなよ! ここは俺たち冒険者ギルドに任せな!」
男——ガルドと名乗る戦士——は、仲間と共にウルフを次々と薙ぎ払う。剣戟の音、モンスターの断末魔、冒険者たちの掛け声が響き合い、戦場は一気に活気づいた。エランは呆然とその光景を見つめ、心臓が激しく高鳴るのを感じた。
戦いは数分で終わった。フォレストウルフの群れは全滅し、村は救われた。だが、エランの家は燃え尽き、両親はモンスターの爪に倒れていた。彼はがれきの中で膝をつき、涙をこらえた。
「…俺、強くなりたい。こんな無力な自分、嫌だ…!」
その夜、村の広場でガルドがエランに声をかけた。
「なぁ、若造。冒険者になりたいって顔してるな。どうだ、ギルドに来ねえか?」
エランの瞳が揺れる。リリアがそばで心配そうに見つめるが、彼は決意を固めた。
「…行きます。俺、冒険者になります!」
数日後、エランはガルドに連れられ、ルナリスから遠く離れた街「エルドリア」の冒険者ギルドへ向かった。リリアも同行を決め、魔法使いとしての登録を済ませた。ギルドの建物は石造りの巨大なホールで、壁にはモンスターの剥製や伝説の武器が飾られている。受付の女性が微笑み、エランに木製の冒険者バッジを手渡した。
「エラン、レベル1、剣士クラス。ようこそ、冒険者ギルドへ!」
その瞬間、エランの体を温かな光が包んだ。ステータスウィンドウが目の前に浮かび、HP、MP、スキルの項目が表示される。初めてのレベルアップの感覚は、まるで体中に力がみなぎるようだった。光の粒子が彼の周りを舞い、まるで星屑のようにきらめく。エランは息をのんだ。
「これが…レベルアップか!」
リリアが隣で笑う。「ふふ、気持ちいいよね! でも、エラン、レベル1じゃまだまだ雑魚だよ!」
「うるさいな、リリア! 見てろよ、絶対強くなるから!」
最初のクエストは「スライム討伐」。森の奥で、初心者向けの弱いモンスターを倒す任務だ。エラン、リリア、ガルドの3人で森へ向かう。森は薄暗く、苔むした木々が湿った空気を漂わせる。エランは緊張で剣を握る手に汗をかいた。
「スライムなんて楽勝だろ! ほら、エラン、さっさと斬れ!」
ガルドの豪快な声に押され、エランはスライムに突進。だが、足元のぬかるみに滑り、ド派手に転倒。スライムがぷるんと跳ね、彼の顔にべっとり張り付く。
「うわっ! 何だこれ、ヌルヌルする!」
リリアが爆笑しながら炎の魔法でスライムを焼き払う。「あはは! エラン、初戦でスライムに負けそうって、最高にダサいね!」
「笑うなよ! くそっ、次は絶対…!」
その後もスライムを倒し続け、エランはレベル2に到達。光の粒子が再び体を包み、力がわずかに増す感覚に笑みがこぼれる。ガルドが肩を叩き、リリアが「まぁ、初日としては悪くないかな」と微笑む。3人の絆が、ほんの少し芽生えた瞬間だった。
その夜、天空の神殿。雲海に浮かぶ金色の宮殿で、神々が見下ろしていた。戦いの神アレスは、玉座にふんぞり返り、巨大な水晶球に映るエランの姿を見つめる。
「ふむ、この人間、なかなか面白いな。弱っちいが、目に火がある。どうだ、イリス、こいつを大会の餌食にしてみねえか?」
癒しの女神イリスは、静かに微笑む。「アレス様、相変わらずの暇つぶし好きですね。…でも、この子、ただの人間ではないかもしれませんよ」
アレスの笑い声が神殿に響く。「ハハハ! いいね、そいつがどこまで這い上がるか、楽しみだ!」
エランは宿屋のベッドで、剣を握りながら眠りにつく。夢の中では、家族の笑顔と、燃える村の光景が交錯していた。だが、彼の心には新たな炎が灯っていた。冒険者として、強くなるための第一歩を踏み出したのだ。
(続く)