第七話 梅子と四天王
「……ん、ん……ん?」
遠くから聞こえるドラゴンの咆哮に梅子は目を覚ます。天蓋のついた大きなベッドは梅子一人には少し持て余す。窓の外で黒い鱗のドラゴンが悠々と飛翔していた。
「……ああそっか、ここ魔王城か……」
ベッドから這いずり出て靴を探す。少し探し回った後にナイカに取られたことに気が付き自然とため息が出る。石の床に足をつけるとひんやりとした硬い感触が伝わった。
「ねみ……起きる合図がドラゴンってなんだよ……」
春樹が用意した部屋にはベッドと壁掛け鏡だけが詰め込まれていた。魔王城の空き部屋を急いで誂えたらしい。鏡の前に立ち乱れた髪を櫛で梳く。手鏡と一緒にブレザーのポケットに入れていたプラスチックの櫛は木製に変わっていた。部屋をノックされて櫛をしまう。
「はーい」
「おはようございます」
ノックの主はシャドー。扉を開けないまま声をかけてくる。梅子が扉を開けるとシャドーはその手に靴を持っていた。
「靴がないようなのでお持ちしました。どうぞ」
「あ、どうも」
シャドーが持っていたのは細い革ひもを使ったサンダル。ないよりはましかとそれを受け取り履く。
(昨日はずっと裸足で走ってたのに痛くないな)
転生効果かと首を傾げているとシャドーが紙を渡してくる。開いてみると何かの間取り図が描いてある。シャドーは端的に告げた。
「魔王城の間取り図です。魔王様からここで生活するとお聞きしたものですから、必要かと」
「ありがとう」
「……それと、あなたと話したいと仰っている方々が。大広間へお願いします」
シャドーは梅子から視線を逸らした。その仕草はまるでやましいことがある時の莉希のようだった。梅子は首を傾げつつもシャドーとともに大広間へ向かう。大広間の扉について手をかけると扉は容易く開いた。
(あれ? この扉昨日は体当たりしないと開けられなかったのに……)
梅子が開いた扉の前で立ち止まっていると、シャドーがそっと肩を叩いた。
「ん?」
シャドーに促されて大広間の中に入ると、見覚えのあるシルエットが三つ。
「ああ、来たね。いらっしゃい」
大広間に立っていたのは梅子の前に立ちはだかったフォセとニゴト。それから露出の多い女の魔物。見覚えはあるが誰だか思い出せない。記憶を探りつつ大広間の中心に歩んでいく。
「やあ、昨日ぶりだね。元気かい?」
フォセは相変わらずの美貌を振りまいて梅子に話しかけてくる。そう感じることにげんなりした。
「まあ元気だけど」
「我を無視しないでいただこうか」
「あー……ニゴト。角、大丈夫そ?」
梅子が自身の手で追った立派な角を見る。そこにはスカーフのような布がかぶせられていた。目隠しとしてひらひらと舞うそれはよく目立つ。
「大丈夫なわけがあるか! まったく。我の強さの象徴をいとも簡単に折られるとは……」
「えー、ごめんね」
ニゴトは大きなため息をついた。巨体から吐き出されたそれは人間には少々威力が強い。整えたばかりの前髪がめくれあがって手で押さえつける。ニゴトが少し複雑そうな表情をしていた。視線が梅子の後ろへ向いている。振り返るとそこに女の魔物。露出が高く、布面積より肌面積の方が広い。おまけに背中から紫色の光沢を持った羽が生えていた。
「あなた魔王様とどういう関係なの!?」
「えーと……誰だっけ?」
「はあ!? とぼけるのも大概にしなさい! 私をあんなふうにコケにするなんて許さない!」
「あ」
「止まりなさい! 私は四天王の一人、誘惑のフェリシア」
「思いだした……」
梅子に浴びせられた甲高い声に魔物の正体を思い出す。魔王の塔に続く扉を守っていた魔物だった。あまりに邪魔な位置に立っていたから力に任せて蹴り飛ばしてしまった。
「質問に答えなさい!」
フェリシアは眦をさらに釣り上げて梅子を睨みつける。梅子は少し考えてから答えを口にした。
「どういう関係って、仲間だよ。バンドの」
「バン……ド? 魔王様はバンドをやっていらしたのですか?」
それまで行く末を静かに見守っていたシャドーが口を挟んできた。
「そうだよ。あいつはドラム」
「魔王様がバンドを!? しかもドラム!? そんなの解釈違い……いや、結構ありかも?」
フェリシアは梅子をよそに考え込み始める。フォセとニゴトを振り返ると二人も驚愕した表情をしていた。フェリシアはしばらく床を見つめていたが我に返ると勢いよく梅子に詰め寄る。
「っあんた! 魔王様がバンドをしているときの肖像画とかないの!?」
「肖像画? ……ないよ。そんな趣味ないし」
どうして! とフェリシアは床に崩れ落ちた。
(春樹のやつ、惚れられてる。あいつにもとうとう春が来たか……春樹だけに)
ここに莉希が居たら突っ込みの一つでも入れていただろう。フェリシアが床を力なく叩くのを見下ろした。シャドーが一つ咳ばらいをする。
「皆さん、本題から外れています。失礼いたしました」
「いや、別にいいけど……」
シャドーが四天王たちの中央に立つ。突然廊下に繋がる扉から蝙蝠のような影がなだれ込んできた。蝙蝠はシャドーの周囲に集まり、彼の肌が黒く変色していく。蝙蝠はシャドーの体内に一匹残らず吸収されて、その黒い嵐が晴れた。人間じみた容貌をしていたシャドーの肌は黒く陶器のような輝きを持っている。白銀の髪が腰の長さまで伸びて、眼鏡に隠されていた赤い瞳が姿を現した。
「あなた様が今後もこの城で暮らすのなら、改めて自己紹介をしておきたいと思いまして」
そういってシャドーは両手を広げる。四人の魔物は綺麗に整列した。
「僕は四天王の一人、耽美のフォセ」
「我は四天王の一人、獰猛のニゴト」
「私は四天王の一人、誘惑のフェリシア」
「そしてわたくしが四天王の一人、服従のシャドー」
四人の声が重なった。
「以降お見知りおきを」
梅子は思わず拍手をした。かっこいいと思ってしまったのは四人には内緒だ。梅子の拍手に気をよくしたのか、フェリシアが胸を張る。
「あなたの名前も教えなさいよ」
「私? ……私は梅子。聖女だよ」
そう告げると上機嫌だったフェリシアの表情がみるみるうちに歪んでいく。フォセとニゴトも目を見開いた。唯一シャドーだけは顔色を変えない。
「なるほどね。あんたが聖女だから、フォセは取り逃しニゴトは角を折られ魔物たちは蹴散らされたと。……気に食わないわ!」
「ごめんって。春、いや魔王の仲間だって知らなかったから手出しちゃった」
そう言うとフェリシアは動きを止め、じわじわと頬を染め始めた。
(わかりやす。仲間って言われて喜んでるな)
フェリシア、と名前を呼ぶとハッと息を呑み目の焦点が合う。よく手入れされた艶のある髪を勢いよく払う。
「ま、まあ! そういう訳なら許してあげるわ!」
「典型的なちょろさだな」
しみじみと呟く梅子の頬をフォセがつつく。
「ねえウメコ、君はこの国に住むんだよね?」
「あ? んーまあ、行くとこないし」
「じゃあ仕事はどうするんだい?」
仕事か、と考え込んだところで梅子は気が付く。ここは魔物が蔓延り魔王が支配する魔国である。
「この国って人間の雇用あるの?」
「あるわけがないだろう」
ニゴトがきっぱりと言い切った。
「じゃあどうやって仕事探せばいいのさ」
「自分で作り出すしかないんじゃない?」
「ええ……マジで言ってる?」