第五話 魔王シリウス12世
意気揚々と勇ましく扉の向こうに突入した。中には人影が二つ。
「魔王様、お下がりください」
片方がもう片方を庇うように前に出る。その短い言葉で庇われた方が魔王だということがわかった。魔王を庇う軍服の魔物は鋭い目を梅子に向けてきた。
「貴様、人間の娘! なぜここまで来れている!?」
剣を勇ましく抜き梅子に切っ先を突き付ける。それを握りしめる。痛みとともに掌に血が滴った。
「まさか他の四天王を全員倒したのか……!? 一人で!?」
「まあ倒したっちゃ倒したけど」
軍服の魔物は愕然とした。剣に加わる力が弱まる。どうしてこうもここの四天王は感情豊かなのかと呆れながら魔物に庇われている魔王に目を向けた。
「!?」
今度は梅子が愕然とする番だった。日本人じみた黒の髪に、驚いたように見開かれる菫色の瞳。体を包む分厚いマントの下の体は細く弱弱しい。そしてその顔立ちの見覚えは、梅子がこの世界に来てから数時間で初めて味わう、そして求めていた感覚だった。その名前を思わず叫ぶ。
「春樹!」
「梅子ちゃん!?」
そう、魔王としてそこに立っていたのは紛れもなく梅子のバンド仲間、久米春樹。
「シャドー、下がって。梅子ちゃん、無事だったんだね」
シャドーと呼ばれた軍服の魔物は複雑そうな表情で剣を下ろした。刀身に梅子の血がべったりとついている。梅子が掌を広げると、切り傷から血が流れだしてきていた。
「うわ、すごい傷。ちょっと手貸して」
言われるままに掌を差し出す。春樹は梅子の右の手首を持ち、手をかざす。
「『傷よ治れ』」
紫と緑が混ざり合った淡い色の光が梅子の手を包んだ。たちまち梅子の傷が塞がる。
「おおー、すごい!」
「ありがとう。シャドー、これは僕のお客様だから丁重にもてなして。お茶を淹れてきてくれるかな?」
「か……かしこまりました」
シャドーは戸惑いつつも部屋を出ていく。扉が完全にしまると、春樹は椅子に深く腰掛けた。机を挟んだ向かいの椅子に促され腰かける。
「それで、梅子ちゃんはなんでここに?」
「私? 私は……」
梅子は春樹に今までのことをすべて話した。聖女として召喚されたこと、偽物だと言われ国から出されたこと、船に乗せられ魔国に蹴り落されたこと、四天王や魔物を蹴散らし春樹のもとまでやってきたこと。話終えて口を閉じたとき、春樹は手を顔の前で組んで重々しく口を開いた。
「なんか……理不尽だね?」
「だよね! 私もそう思う!」
梅子は身を乗り出し春樹に訴える。春樹は梅子に詰め寄られ苦笑いを披露する。それは紛れもなく春樹がよくしている表情で、梅子は安堵とともに体の力を抜いた。机に顎を乗せると春樹に目で訴える。
「それで? なんで春樹は魔王になってるの?」
「僕はあの光に呑まれたあと……」
「……ん!?」
光が視界を奪ってからどれくらい経っただろうか。掴んでいたはずの怜の手はいつの間にかなくなっていた。パニックになる声が聞こえなくなり春樹は恐る恐る瞼を上げた。そこにはコンビニではなく黒い森が広がっている。
「……え? ここどこ?」
戸惑い周囲を見渡す。厚い雲に覆われた黒い植物が生い茂る森。驚いていると足元から声が聞こえた。
「ああ……召喚に成功したか」
「え? うわっ!?」
驚いて足元を見るとしわしわになった老人が転がっていた。落ちくぼんだ眼窩から真っ青な瞳が覗いている。春樹はしゃがみ込み老人の顔を覗き込む。
「だ、大丈夫ですか?」
「ああ、いや、大丈夫だ。ただ体にガタに来ていてね、もう魔法なしじゃ立てないんだ」
「魔法?」
老人は手にした木を削って作ったような無骨な杖を地面に突き立てた。春樹を巻き込んで魔法陣が大きく展開される。
「え、えっ!?」
「『体よ、浮き上がれ』」
老人の体が浮き上がり、宙にとどまる。春樹は腰を抜かし黒い芝生にしりもちをついた。
「人が……人が浮いてる!?」
「おや、君は魔法のない世界から来たのかね」
今度は老人が春樹の顔を覗き込んだ。戸惑う春樹をよそに老人はふよふよと宙を舞う。
「ええええええええ……」
「自己紹介をしようか。僕は魔王シリウス11世。すべての魔物、魔族を支配する者だ」
「シリウス……11世……魔王!?」
「そうだ。僕は魔王だ」
春樹は信じられないものを見るような目でシリウスを仰ぎ見た。
「まあなんだ。君がそう驚くのは、君の元いた世界に魔法がないからで合っているのかな」
「え? ええ、と、そうです」
「なるほど。じゃあ、一から説明しなければないかな。まず、ここは君がいた世界とは全く別の世界だということはわかるかな」
そう言われて春樹は改めて周囲を見回す。自身が座り込んでいる草はとても緑とはいえないほど黒い。厚い雲の隙間からは雷が迸っている。何よりその雲の中に見えるのは、天空に浮かぶ禍々しい城。それは現代にはありえないほど巨大で、何かに支えられているようには見えない。
「あれは魔王城。これからお前が住む城だ」
「僕が住む……どういうことですか!?」
老人はおもむろに春樹に手を差し出した。それをおずおずと握ると、老人は春樹を連れて勢いよく飛びあがる。
「うわあああああああああああああ!」
春樹の情けない悲鳴が灰色の空に響いた。地面がどんどん遠くなっていく。老人の方に担がれ空まで連れていかれる。急速に強まる浮遊感に心臓が悲鳴をあげるように鼓動した。不意に肩を叩かれ全身に入っていた力が抜ける。ゆっくりと瞼を持ち上げると、そこに魔王城があった。春樹が驚いて下を見ると、大地が悠然と広がっていた。
「僕、空飛んでる……!?」
「空を飛ぶのは初めてかな。じゃあ特別にサービスしてあげよう」
背中に掌が添えられる。春樹の体が薄紫の光に包まれた。老人の肩から下ろされ、春樹はそのまま空に放りだされた。
「え、わっわっわっ!!……あ、あれ?」
落ちるかと思い身構えるが体はいつまでも空から落下する気配はない。気が付けば春樹は魔王城と同じ高さに浮いている。春樹が立っていた大地ははるか下の方だ。
「島だったんだ」
海に囲まれた黒い島はよく目を凝らすと蠢く獣の気配がある。春樹たちのすぐ横を足の生えた鷹が通り過ぎた。鷹は春樹とシリウスの周囲をぐるりと一周してから
「うわ!? なんだ……?」
「今のは魔物の一種だよ。グリフォンという」
「グリフォン!? あれが!?」
ゲームに登場するデフォルメされた姿とはまったく別物だった。去っていくその後ろ姿を観察していると、今度は巨体を持つドラゴンが少し離れたところを飛んでいた。ドラゴンが羽ばたく風圧で髪がめくれ上がる。春樹はそれに唖然として口を開いた。
「すごい。僕、本当に異世界に来たんだ」
大好きなファンタジーの世界に興奮しくるくると回る春樹にシリウスは笑う。その小さな吐息に春樹は頬を赤くし咳ばらいを一つ。
「じゃあ、本題に入ろうか」
シリウスは悠々と空を泳ぎ春樹の遥か上へ行く。両手を広げ、声を張り上げた。どこからか風が吹きシリウスの髪がなびき始める。
「この島は魔物が蔓延り、魔王が支配する魔国アルティヤ。君にはこれからこの国を支配する魔王になってもらう」
「僕に? なんで?」
「ああ。この世界には共通してある逸話が残っているんだけど……その逸話に基づき、魔王になれるのは異世界から召喚された者のみなんだ」
「じゃああなたも、異世界から?」
シリウスは頷き、春樹に顔をぐっと近づけた。弱弱しい老人の身なりをしていてもどこか威厳を感じる。
「そうだね。僕が元いた世界は魔法があったけど」
「魔王になるのは強制なんですか」
「強制だね。魔王が生涯で召喚できる異世界人は一人と相場が決まっているし」
その時、春樹の脳裏に浮かぶ光景。共に光に呑みこまれた三人。置いて行ってしまったであろう友。そして自信を育てた親の顔。
「元の世界には……戻れないんですか?」
声が震えてしまっている。自分が酷い顔をしているのがありありとわかった。シリウスはきょとんとしたあと合点がいったように指を鳴らした。
「帰れる可能性はあるよ。現時点では方法はないけど」
「え?」
「君がこの世界に召喚された他の異世界人と協力すれば見つかるやもしれない」
頭の先から靴の先端までシリウスの姿を観察する。推定して祖父と同年代だろう。自身といくつ年齢が離れているのか頭の中で計算してしまった。道が見つからなければ二度と元の世界に帰れないという事実を突きつけられ、春樹はしばし言葉を失う。シリウスは答えを急かすことなくただ春樹を待っていた。
「……わかりました。魔王になります」
「ありがとう。これで僕も長年の責務から解放されるよ!」
シリウスは溢れんばかりの笑顔で春樹の両腕を強く掴む。そのまま引っ張られて魔王城のバルコニーに降り立った。
「今日から君は僕の名を継ぐ魔王、シリウス12世。アルティヤを統べる魔族の頂点だ!」
「とまあ、そんな感じだったよ」
一連の話を聞いていた梅子は肩を震わせる。春樹がどうしたのと声をかけると梅子は思い切り息を吸い込んだ。
「あっははははははは!」
「梅子ちゃん!?」
「なんだよシリウス12世って……さすがに似合わない名前すぎるでしょ……あははははははは!」
腹を抱えて笑い声をあげる梅子に春樹は頬をかいた。
「僕が決めた名前じゃないって。最初の魔王が付けた名前なんだよ」
「だとしてもシリウスは流石にさ。……ふ、ふふふふ……」
笑わないでよ、という春樹の情けない声が部屋にこだました。