第7話
太郎は今川義元の情報を手に入れ、信長に報告するために急いで尾張へ戻る。太郎が持ち帰った情報により、信長は今川義元が尾張を目指して進軍していることを知る。信長は家臣たちと軍議を開き、どのようにして今川義元に対抗すべきか検討する。
軍議の最中、太郎は自分の現代の知識と歴史的事実を駆使して、桶狭間の戦いでの奇襲作戦を提案する。彼は永禄3年(1560年)5月19日に今川義元率いる本隊が沓掛城を出発し、大高城の方面に向かって進軍することを説明し、その隙を突いて奇襲を仕掛けるべきだと提案する。
太郎の提案に、信長は興味を持ち、家臣たちもその知略に驚く。しかしこれまで太郎を疎んでいた家臣たちの中には、彼の提案に嫉妬する者もいた。それでも信長は、太郎の提案を採用し、奇襲作戦を決行することを決定する。
信長の決断により、織田軍は桶狭間の戦いで今川義元に対する奇襲を試みることになる。しかし、戦いの序盤では織田軍の一部が意気揚々と単独で今川軍の前衛に攻撃を仕掛けるが、逆に反撃を受けて佐々政次や千秋四郎ら30余りの兵士が討ち取られてしまう。
その後、今川軍が丸根砦と鷲津砦を順調に陥落させ、数々の戦闘に勝利したことに今川義元は大いに悦び、謡を歌わせる。しかし、織田軍は太郎の提案した奇襲作戦を実行し、まず前方に展開していた今川軍の前衛軍を打ち破る。その混乱の中、織田軍は今川軍の本陣に突然攻め込むことに成功し、乱戦が繰り広げられる。
この突然の敵の奇襲を知った今川義元は、300人の旗本に守られながらもすぐに逃げ出す。しかし、逃げる途中で織田軍に討たれ、今川義元は戦死する。今川軍総大将の今川義元の戦死により、今川軍は戦意を喪失し、軍は総崩れとなる。結果的に、この桶狭間の合戦は織田軍の勝利に終わり、太郎の提案した奇襲作戦が功を奏することとなる。