82.心証
生き残った貴族派の貴族達は、様々な事件の犯人として訴えられた。
その立場はあくまでも平民であることと、貴族院の裁判所には未だ貴族派の影響が残ることもあり、その裁判は平民向けの判事事務所で行なわれる運びとなった。
同じ事件に関わったとされる被告5名を柵の向こうに立たせ、雑に罪状を読み上げ、提出された証拠を積み上げて見せた後、治安判事は人の良さそうな笑顔で
「認めるかね?」
と尋ねる。
元貴族達は、自分たちのやった何が問題なのかを理解すらしておらず
「そのような悪事など知らぬ!」
「身に覚えがない!」
等と叫ぶ。が、これはまだまともな方で
「貴族に対して治安判事ごときが無礼であろう」
等と言い出す者もいる。
治安判事のライナーは、
「黙らせろ!」
と護衛の兵士に命じ、兵士は元貴族の腹を殴って黙らせる。
「治安判事が民を裁く権利は国からお預かりしているもの。裁判の最中に於ける治安判事への侮辱は国家に対する侮辱と知れ」
ライナーは冷たい目で蔑むように睨み付けながら言った後、再び人の良さそうな笑みを浮かべる。
「それで? 先の告発について、認めるかね?」
「……私は貴族としての待遇を要求する」
ひとりがそう言えば、全員が
「私もだ!」
「儂もだ!」
と騒ぎ出す。
「貴殿らは、自分が貴族だと、そう主張するのかね?」
「そう言っている」
そして被告全員が同意の頷きを返す。
「ふむ。聞いたか?」
ライナーが兵士に尋ねると、兵士は
「この者ら全員が貴族を騙ったのを確かに確認しました」
と答える。その返事を聞いたライナーは、
「では、身分詐称の現行犯だ。治安判事の前で貴族を詐称したのであれば、死罪が確定だな。先ほどの他の罪について素直に認めるのであれば、多少は心証が良くなるかも知れんが、どうするかね?」
「待て! 俺は貴族だ! 詐称ではない!」
「貴殿が貴族だった事実は認めるが、これまでに何回も伝えたように、その爵位は王命によって身柄拘束時点で失効しているのだよ。貴殿らは、平民……いや、死刑囚になったのだから並の平民の権利すら主張出来ない最下層の存在なのだよ」
こうして、大半の貴族派の元貴族達は、多くが身分詐称の罪で死罪となり、一部は告発された罪で死罪が確定した。
◆◇◆◇◆
そうした日々の中、元フンメル公爵の裁判も行なわれた。
彼の場合は他の者よりもかつての身分が高く、悪事の数も多かったことから、単独の裁判となった。
「被告、カスパル。君はこれらの告発について罪を認めるかね」
「……」
治安判事に尋ねられた元フンメル公爵は、何も答えず、口をへの字に閉じて天井を見上げていた。
「だんまりか。いいのかね? こちらは多少乱暴にする許可は得ているのだが?」
「……儂は貴族としての誇りと共に生きてきた。そこに罪はない。貴族としての働きに不満があるなら、貴族法廷で裁くが良い」
「つまりは、拷問でもなんでも好きにしろと?」
「……貴族として遇せと言っておる」
「あくまでも貴族であると?」
「この身には王家の血も流れておる。その事実は消せぬ。平民に好きにされる謂れはない」
ライナーが兵士に視線を向けると、兵士は首を横に振った。
貴族を詐称したわけではなく、単に事実を述べたに過ぎないためだ。
それを見てライナーは溜息をついた。
「だが、今の貴殿は平民であり、罪人だ。並の平民以下だと自覚し、罪を認めたまえ」
「……あくまでも法に則り裁くという建前か。ご苦労な事だ」
「いや……まあ……うん。そういう態度なら構わんよ。告発について、貴殿は何も認めず、答えなかった。一切の認否確認を拒否した。という事で良いかね? では本日の答弁はここまでとする」
「…………」
目を閉じ何も答えないカスパル。
何かを主張したりして、下手に言質を与えるのは危険だ、と考えている辺り、彼は他の元貴族達よりも賢かった。
(うまく凌げたか。ふん、このような雑なやり方で嵌められる貴族などおるものか)
他の貴族派の元貴族たちの惨状を知らない彼は、そうほくそ笑んだ。
「……おっと、伝え忘れる所だった。判決は死罪だ」
「なぜだっ!? 証拠は!?」
予想もしていなかった判決に、カスパルは目を剥いた。
本来、王が死罪を望むのならば、裁判などは不要だ。
それなのに、わざわざこうして裁判の形式を取っている以上、これは記録を残すためのものと彼は予想していたのだ。
ならば、もう少し論理的に犯罪を立証したりと言った手続きがある。それがなければ茶番劇の意味がない。
「証拠は先に提示してみせた通りだ。なんだ知らんのか? 貴族院の裁判は証拠主義だが、最近の平民の裁判は心証主義なのだよ……つまり、最終的な判決は私の心証で決まる」
「ふ、ふざけるな! そんな無法がまかり通るとでも思っているのか!」
「貴族派の官僚がそのように変えたんだ。恨むなら貴族派の貴族達を恨むんだな」
心証主義では、事実認定・証拠評価について治安判事の自由な判断に委ねる。
ただし、治安判事には、恣意的な判断ではなく合理的な判断が求められる。
だが、やろうと思えば恣意的な判断を合理的な判断だと主張出来てしまう。
貴族派の貴族達は、商人の財産を奪うために証拠主義から心証主義に変更させ、悪用する用意を整えていたのだ。
「……なぜそのような事を……」
「さてね? だがいずれにせよ、貴族派は治安判事が民を裁く際に証拠は不要、心証で決めてよし、としたのだ。だから貴殿は私の心証で裁かれる」
「死罪とまで言うなら、せめて理由くらいは教えてくれ!」
「本来はその必要はないのだが……まあ、餞別だ。貴殿は告発内容について反証どころか一切の認否を行なわなかった。無実なら反論出来るし、する筈だ。しないなら、それは無実ではないという自覚があるからだ。私はそう考えた」
「な、ならば否定する! 犯罪など関わっておらん!」
「聞こえませんな……答弁が終ってから何を言っても手遅れ。それが法だ」
「馬鹿な! ならばなぜそれを予め伝えなかった! 卑怯ではないか!」
椅子から立ち上がったカスパルは、即座に兵士によって床に押さえつけられる。
数回体を震わせて、抵抗しても無駄だと分ったカスパルは、ぐったりと体から力を抜く。
「個人の無知をこちらのせいだと主張するかね? それなら、それも罪としようか……ああ、いずれにせよ、これ以上重くはならんか」
それを聞いたカスパルは、床に押さえつけられたまま、顔だけをライナーに向けた。
「……死罪とは、どのようなものになるのか?」
「元貴族なら知っていて当然の知識なのだが……王国の法に従うなら、王命に背いた者、王家に叛意を示した平民は斬首だ。その範囲は罪状により異なるが、今回は一族郎党を含む。貴族の場合は家名で判断されるが、平民の場合は、よそに養子に出た者も一族と見做されるから、貴族派の大半は消えることになるな」
「……なっ! そのような非道が許されるものか!」
「罪に見合った罰を与えるのは非道とは言わんよ。今回は民衆の不満を解消するための公開処刑となる……ああそうだ。『家名を汚して貶め、断絶させた愚かな罪人』と、『貴族の義務を放棄して権利だけを貪った強欲な罪人』、公開処刑の際に使う但し書きはどちらが良いか、希望はあるかね?」
◆◇◆◇◆
食料消費量の増加に対応するのが、現在のアントン達の最優先項目だ。
木の精霊魔法で食料生産をすることで、短期的に見れば成功しているが、長期的には、木の精霊魔法なしの一般的な耕作で需要を満たせるのが理想となる。
そのため、荒れ地開拓の研究や樹脂の生産は、開拓村でのみ行なわれていた。
その日、ヘンリクは開拓村で、マーヤの領地から来た、木工細工職人に話を聞いていた。
これまでの経緯を説明した後、ヘンリクは、幾つかの質問をした。
「まず。やりたいのは砂礫を樹脂で固めて水が漏れない層を地下に作ることだから、ザシャさんがそれに適した樹脂を知っていたら教えて欲しいんだ」
「まあ、そんなら松脂でも出来るなぁ……やりたいのが防水なら、木の実でもええなぁ、樹脂が採れる木の実なんかからは木蝋も採れる事があるよなぁ?」
木蝋とは漆などの木の実を蒸し、圧搾して抽出した、木から採れる蝋に似た性質のものである。
狭義の蝋は主成分がワックスエステルの蝋を差すが、広義の蝋は、主成分が中性脂肪の木蝋を含む。
いずれも室温では固体であり、加熱することで融解し、気化すると燃焼する物質である。
蝋燭はその性質を用いて作られており、日本の和蝋燭などは木蝋を利用する。
なお、西洋で使われる事がある蜜蝋は蜂の巣を原料とし、天然素材のため含有成分は様々だが、エステル系の物質が多く含まれる。
「木蝋かぁ、木蝋は蜜蝋より低温で溶けちゃうんですよね?」
「そりゃ、作り方にも寄るが、確かにどっちかっつーとそうだなぁ。溶けにくい方がええのか?」
「砂礫を固めて、水が抜けない層を作るから、壊れやすいのは困るんですよねぇ」
この荒れ地の砂礫は、地下でもあまり温度がさがらない。
日向の砂礫ほどは熱くならないにしても、蝋が柔らかくなる程度の温度になる可能性があるのなら、地下の砂礫を固める素材としては使いにくい。
「あー、なるほどなぁ。木蝋はちょっとあっためると柔くなっからなぁ」
「木蝋はしかし、木の実というのが良いですね。それなら、木の精霊魔法で育てられます」
ヘンリクが試した限りでは、樹脂を取った木は枯れてしまった。
樹脂が採れる程度まで木が育つためには最低でも十年。
それだけの時間を木の精霊魔法で短縮すれば、大人が大勢集まって次々に魔法を使わなければならず、それで得られる樹脂は、木、一本分――木にもよるが、漆ならコップ一杯にも満たない――だけだ。
あまりにも効率が悪い。
それに対して木の実が生るほどに育った木から木の実を得るなら、長くても一年分の成長で済む。
掛る労力が十から数十分の一になるのは大変な魅力であるとヘンリクは考えた。
が、融点が低い木蝋は少々使いにくい。
「そうなると、もっと色々と探すべきですかねぇ? ああ、木を枯らさずに樹脂を採る方法とかあるんでしょうか?」
試した木は全部枯れちゃったんですよねぇ、とヘンリクが尋ねると、ザシャは不思議そうな表情をした。
「ん? 枯らさないように採れば採れるわなぁ」
「そんな方法があるんですか?」
「まあ、毎年、時期を決めて少なめに傷を付けて樹脂を採りゃ、翌年も採れるさぁ。その木の実を集めて木蝋を作ったりもすっから、儲けはそっちでも出るなぁ、樹脂はまあオマケだなぁ」
一年で回復する程度を計算して樹脂を採取するやり方ならば、年間採取量は激減するが数年以上の採取が可能となる。
実を採るのが主目的で、樹脂はオマケ程度と考えればそれでも良いのか、とヘンリクは納得した。
「木蝋は木蝋で用途があるから、合理的なのかな? おっと、樹脂が豊富な木材の見分け方とかがあれば教えて貰いたいんですが」
「あー、オレもそうまで詳しかねぇが……まず、色々な木を集めて燃やし比べてみんだ。よく燃えるのは樹脂が豊富かもしれねぇ。樹脂ってぇのは木の油のこったからなぁ」
「なるほど。それでは、先ほどの、木が枯れないように樹脂を採る方法を、この村の職人候補に教えて貰えないでしょうか?」
「まあ別に秘伝ちゅうほどのもんはないし、構わんよぉ……あー、それより、あんたらぁがいるのは防水で、砂礫を固められるもんっちゅうことでええんかなぁ?」
「そうですね……あと、この辺で採れるものという条件もありますが」
ヘンリクの返事に、ザシャは少し言い淀んだ。
「この辺にあるかは知らんし、オレも使ったこたぁねぇけどよぉ。樹脂の代用品として地面から油が出てるあたりで採れる土瀝青ちゅうのもあると聞くなぁ」
「土瀝青? ああ、アスファルトですか」
現代では天然アスファルトと呼ばれるが、それは利用されるアスファルトの大半が工業製品となったためである。
人工アスファルトがほとんど存在しないこの世界に於いては、天然アスファルトこそがアスファルトである。
土瀝青はアスファルトの塊として地層の中に出来る事が多いが、地表に露出したものもあり、例えば日本では日本書紀に「燃土」についての記述があり、これは土瀝青の事だと言われている。
木の油である樹脂とは異なるが、防水性能があり、ある程度の形状加工も可能なアスファルトであれば確かに使える。とヘンリクは考えた。が。
「残念ながら、この辺りで手に入るかどうか……」
荒れ地の来歴が、かつて、火の精霊に灼き尽くされた土地である事を考えると、上流から流れて地層を作るようなものと違い、油の地層は地中奥深くに潜らないとないのではないか、とも考え、それでもヨーゼフには聞いておこうと心に留めるのだった。
いつも誤字報告などありがとうございます。
念のため。心証主義は創作じゃありません。