80.搦め手
「尊き血か! やはり分る者には分るのだな!」
騎士団長から討伐隊先遣部隊との対話結果の報告を聞いたフンメル公爵は喜びの声をあげた。
彼は、公爵である。
この国に於いてそれは、王家の血が入っている事を意味する。
血筋に意味を見出す者に取って、公爵という存在はそうした点に価値があるのだ。
それが認められた、とフンメル公爵は解釈した。
貴族派の多くは爵位に意味と価値を見出す傾向があるが、公爵であることを誇りと感じる彼は特にその傾向が強かった。
「単なる敗残兵であれば討伐は当然のこと。だが貴族がいるなら交渉して自国に迎えようという事か。ふむ、彼らのやっている事は理に叶っている。それで? この後はどのような予定となっておる?」
「この後は、公爵様の身柄についての話になると考えられます故、我らが勝手に決めることは出来ず、3日後に再度話し合いの場を設けることとなっております」
「うむ。あちらも私の顔を見ないことには話が進められないだろうし、良い判断だ」
「顔を……もしや、3日後の会談に公爵自らが?」
その場合、騎士数名が伝言を携えて向うのとは訳が違う。
総出で守りつつ、威厳を示さねば公爵が臍を曲げる。
しかし、砦にいる騎士の半数ほどは貴族の子弟という理由でここにいるだけの役立たずである。
現在の砦の守りは残り半数の比較的戦える者たちがいるから成り立っているが、総出となればどうしても粗が目立つ。
久し振りに、身内以外から貴族として遇されて気分を良くした公爵は
「礼には礼を持って対応せねばなるまい?」
と笑う。
騎士団長はその言葉の意味を読み取り、
「しかし……先遣部隊の隊長は平民かも知れませんぞ?」
と返す。
フンメル公爵はそれを聞き、平民ならば礼は不要だな、と呟く。
「……ならば相手が爵位持ちを連れてくるまでは待つ事にしよう」
「かしこまりました。では、相手の話は受ける方向で、こちらに公爵様がおられる事も伝えます。状況に変化がありましたら、またご報告に参ります」
「うむ。ああそうだ。この前の獣肉は旨かった。また獲ってこい」
「あれは近くに住む平民が公爵様にと持ってきたものですが……騎士の訓練で対応出来ないか考えてみます」
平民が獲ってきたものだから難しい、と言いかけた所で、公爵が不満げな表情を見せたのに気付いた団長は、そう言って頭を下げて下がるのだった。
◆◇◆◇◆
3日後。
会談の場にて、この砦にいるのがフンメル公爵であると騎士団長が伝えると、グスタフは
「公爵様ですか、王家に連なるお方とあれば、こちらも相応のお迎えの用意が必要ですね。何かご希望などを仰ってましたか?」
「出来れば責任者……爵位持ちの方とお話がしたいと」
「……そうですか……私は騎士爵ではありますが、これでは失礼にあたりますな。このお話を持ち帰り、上官に確認します」
「感謝します。ところで、処遇はどのように?」
「公爵様は王級預かりとなると思います。騎士殿たちについては公爵様の仰りよう次第かと」
騎士の中には貴族の子弟も多くいるが、公爵と比べればその価値は低い。
騎士たちについては解散もあり得るということか、と騎士団長は頷いた。
「承知しました。して、上官殿についてお尋ねしても?」
歓迎すべき相手の情報を聞き取る騎士団長は、歓迎とスケジュール調整に必要となる情報のヒアリングを始めるのだった。
◆◇◆◇◆
荒れ地の開拓が可能になるかも知れない。
それは、今まで川沿いにしか作れなかった畑を川とは逆方向に作れる可能性があることを意味する。
取りあえずは樹脂を使って西に向う用水路を作成し、長期の実験の結果を確認した上で、樹脂製の大きな盥を埋めた上に畑を作る。
同時に、もっと簡易な方法がないかの研究も続ける。
北の開拓村は食料生産をしつつ、そうした研究を行なう場となった。
もっと効率の良い樹脂がないか。
樹脂以外に使えるものがないか。
樹脂の経年劣化はどの程度か。
散布する水によって樹脂の延命が出来ないか。
この村では農作業と平行して、そうした研究が行なわれる。
普通の農業であれば、そこまでの余力はないが、この村では魔法を前提とした農業を主体とすることで、そうした余力を生み出す予定なのだ。
「当面は効率的な樹脂の採取方法を調べることになってるけど、アントン君、アイディアはあるかい?」
「……ワシは詳しくはないのだが、農民の手仕事として、木工細工の樹脂塗りの話を聞いた事がある。地味な茶色じゃが丈夫になるとか。昔、クリスタのオモチャがそれじゃった筈じゃ。クリスタは覚えておるか?」
「……茶色い木のオモチャ? あ、苦いオモチャですわね?」
苦い、と聞いてアントンは懐かしそうに笑った。
「そう言えば、昔のクリスタはオモチャを口に入れる癖があったな……あのオモチャからはそういう事をしなくなったが、苦かったのか?」
「ええ……すっかり忘れていましたわ。あれが樹脂の味なんですの?」
「そうなのか?」
アントンがヘンリクに尋ねると、ヘンリクは困ったような顔で笑った。
「いや、色々な検査はしたけど、僕も味までは調べてないよ。ただ、樹脂には甘いのも苦いのもあるというのは知ってるけどね……でもそうか、種類が違うにしても樹脂の知識がある人がいるなら、招聘したいな。ここにはいるのかな?」
「ワシらが荒れ地に出た村でもやっとった筈じゃから、ディーター達が知っとる筈じゃ。戻ったら、こちらに顔を出すように伝えておこう」
「頼むよ。ああ、それと、もうひとつ急ぎの話があるんだ。まだ先だと思っていたんだけど、これだけ人数が増えたんじゃ、村ごとに精霊神殿の祠を作らないといけないね。奉納の儀式についても全員を集めては無理だろうし、やり方を考えないと」
「……本職の神官が必要になるかの?」
月に一度。満月の晩に水の精霊魔法で作った水を、木の精霊に指定された器に入れて奉納する。
今までは、精霊の存在を印象付けるため、可能な限りすべての村人を集めて行なっていた。
だが今の人数では一カ所に集めるのも一苦労だし、精霊への日々の祈りを捧げるにしても最初の村まで移動して、というのは現実的ではない。
「うーん。まず祠は全部の村に欲しいね。だって今のままじゃ、最初の村の住民しか祈りを捧げられないんだから。これは精霊も頷いてくれると思うけど」
木の精霊は感謝の祈りを強制こそしなかったがそれを所望していた。
だが、現時点では最初の村にしか礼拝施設がない。
そして、人間からするとより強い精霊の加護を求める者ならば祈りを捧げたいと考える。
しかし、きちんと祈りを捧げられるのは、現状では最初の村の住民だけだ。これでは不満の声があがりかねない。
精霊も感謝の祈りを欲していた。だから、そのために施設を増設したいと言えば、むしろ喜ばれる可能性がある。
とヘンリクは予想を語った。
「なるほどのう。日々の祈りのための祠については各村に作るとして、ならば満月の晩の奉納はどうするんじゃ? あれも精霊の存在を感じるためには重要な儀式じゃろう?」
「それは、アントン君には申し訳ないけど、当面は毎月違う村で奉納をしてもらう感じになるね……もっと落ち着いたら、僕らの誰かを神官代理に任じて、毎月二カ所を回るようにするとかも考えないとだけど」
精霊には距離の問題はないらしいから、複数箇所で水の奉納をすると言えば、断られる事はないと思うよ、とヘンリクは笑うのだった。
誤字報告などありがとうございます