79.樹脂
大勢の生活環境を作るため、南の開拓村候補地に向けた運河工事が始まった。
先だって北側に運河を作った経験からその作業は効率化されたが、増えた人数での人海戦術と相まって、伐った木の処理が間に合わない程となった。
そして、切株の処理をして大穴を作り、それらを繋げて広げて固める。
伐った木の一部は、枝を払って運河沿いに並べておき、運河が開通したら南の開拓村候補地に送り込み、当面の薪とする。
残りの木は、板材に加工済の材木と交換し、開拓村の建材として利用される。
そうした作業をヨーゼフとマーヤ達に任せ、アントンはクリスタを伴って北の開拓村に来ていた。
運河の船着き場に到着したアントンは舫い杭にロープを舫い、クリスタを船から降ろして階段を上り、辺りを見回して
「ここもかなり変ったな」
と呟く。
増えた人口の内、1割ほどがこの土地の開拓に従事し、元々の倍ほどの広さに広がっていた。
アントンが前に来た時は、まだ川との間には林と呼べるほどの木々があったのに、今では街路樹程度にしか残っていない。
そして、川縁には真新しい水車が並び、強制的に乾燥させた木から板を切り出している。
板の増産に全力を挙げている状況であっても板はまったく足りていないようで、家屋建設予定地にはまだ天幕が張られている所が多い。
畑と用水路はしっかり整えられており、食料生産については問題無さそうだとアントンは満足げに頷いた。
「おじいさま、あそこは何を作っているのでしょうか?」
クリスタが土が剥き出しの土地を指差してそう尋ねる。
畑にしては畝がない。が、用水路の水はその土地にも流れている。
「ん? 柵の形からすると畜産系にも見えるが……その場合、用水路が邪魔になりそうじゃな」
と、そこにヘンリクがやってきて声を掛ける。
「来たね。クリスタ君も一緒とは珍しいね」
「今回はクリスタにも視察させようと思っておるんじゃよ。それで? 緑地化の件で話があると聞いたが?」
「んー、まあ、こっちに来て見てみなよ」
ヘンリクはアントンを荒れ地の方に先導する。
「随分と急ぐな。そこまでの事なのか?」
「ああいや、僕としたことが気が急いてしまったよ。少し休んでからにするかい?」
「いや……別に疲れているわけでもないが……それにしても……」
最終的に開拓村は、3000人の増員の2割を受け入れる予定となっており、現在、急速に建物が増えつつある。
板材などが未だ不足していて大半は天幕生活を続けているが、共用の建築物などはかなりの部分が完成しつつあった。
それにちらりと視線を向けた後、アントンは溜息をついた。
「どこもかしこも凄まじい勢いで開発されておるなぁ。最初の村が霞むわい」
「最初の村がなければここまでの事は出来なかったんだし、僕としては周囲の開発が進んだら、最初の村を街に格上げしたいんだけどね。ああ、見えてきた、あれだよあれ」
ヘンリクが指差す先。柵の向こう側の荒れ地には、5本の木が植えられており、そのそばにはこの辺りでは珍しい黒っぽい石がたくさん転がっている。
木の根元は土が敷き詰められており、その表面は湿っている。
「ふむ……ここまでは今までも出来ておったように思うが」
荒れ地で植物は育たない。
とは言え、鉢植えにして水を絶やさなければ普通に育つ。
それはこれまでにも見ているし、川を渡る橋を禁則地帯にするために鉢植えを並べるなどして利用もしている。
「今までは漆喰の盥を下に埋めてたけど、ここは木と水の複合精霊魔法で作った樹脂で砂礫を固めて作った盥を埋めているんだ。ここらに転がしてる黒い石もその方法で作ったものだけど、軽くて水が染み込まないって性質があるんだよ」
「ほう?」
「前に僕が話した事、覚えてるかい? 漆喰の盥を埋めても、それが割れてしまうって話」
「……ああ、氷の影響かも知れないと言っていたやつじゃな?」
漆喰で水が漏れないように盥のようなものを作って、そこに荒れ地の砂礫を入れて、その上に土の層を作る。
水を掛けると、その水は土の層に染み込むが、一定量を超えると、砂礫に染み込んで盥の中に貯まる。
過去の荒れ地開拓では、様々な手法が研究され、それを複数重ねたものが最も長く水を保持した方法として知られている。
が、それでも数週間から数ヶ月ほどで保水能力が失われてしまう。
そんな短期間で畑の土を掘り返して漆喰の盥を作り直すのではろくに収穫も出来ないため、実験以外でこれを行なっている所はない。
この構造の試験中、なぜか夜間、盥に貯まった水が軽く凍ったりする事があると知ったヘンリクは、それが漆喰の盥が短寿命となる原因だと考えた。
「……そこまで温度が下がるのなら、別の利用価値もありそうじゃな」
「それは面白そうだね。原理が解明できたら、その内誰かが荒れ地専用の氷室を開発するかもしれないね……でも今はそれは置いといて、だ。さっきも言ったけど、この樹脂には漆喰よりも水が染み込みにくいって特徴があるんだよ。漆喰の盥が割れる理由が、染み込んだ水が氷になることなら、これは割れないと思うんだ」
「回りくどいな。ヘンリクならもうある程度目処が立っているのだろ? どうだったのだ?」
「アントン君はせっかちだね……もう少し長期の試験も必要だけど、取りあえず今までの所、これが割れそうな徴候は見られない。それにさ、これは結構柔らかいから、圧力が掛ったとしても割れにくいんだよね」
足元の黒っぽい石にしか見えない樹脂を拾い上げたヘンリクは、それをアントンに渡す。
「どれ……石にしては軽くて爪で傷が付く……硬さは緩く固まった松脂ほどか? これを木と水の精霊魔法で?」
「樹脂の採取はそうだね。傷を付けて、魔法で木の中の水分を移動させて樹脂を絞り出すんだ。それをやると木が枯れてしまうから、大量生産は難しいんだけどね」
「そうか……ならば植林の際に、その木を増やしてやらねばな」
木の精霊魔法で植物を育てる場合、水や肥料が必要になる。
木を育てるのであれば、それに加えて更に相応の時間も必要だ。
だから樹脂を採取する際に木が枯れてしまうとなると、積極的に植林をしなければ、開拓に使うほどの量は取れない。
アントンの意見にヘンリクも頷き、既に植林場の準備は始めていると答える。
「と言っても、今はただの空き地だけどね。苗木の用意が出来たら、植林を始めるよ」
ヘンリクがそう答えると、クリスタは目を輝かせる。
「用水路が流れ込んでいた空き地はそのための物でしたのね?」
「ああ、あれに気付いたのかい? そうだよ。この樹脂の使い道は他にもありそうだからね、この開拓村の特産物にできないかと思ってるんだ」
◆◇◆◇◆
フンメル公爵の潜む砦に農民として接触したフロリアンは、川で獲った魚や森で狩った小動物などを献上して騎士達に顔を覚えて貰う事に成功した。
騎士に顔を覚えて貰えば、後は慣れさせるだけである。
この農民は貴族に献上して気に入られようとしている。
そう思ってもらえれば、後は早い。
お互いに利のあることと思っている騎士達は、そうした品を受け取り、公爵には近隣の平民が公爵に感謝をして付け届けをしていると伝える。
それで義理を果たしたと思った騎士は、肉をもっと獲ってきて欲しい等とやや遠慮がなくなる。
フロリアン達は、無理のない範囲でそれに応え、鶏を仕入れて不定期に卵を渡したりもする。
山菜なども頑張って仕入れてそれを届ける。
時折、近隣諸国軍の動きについて聞かれれば、
「行商人の話じゃ同盟軍を名乗る連中があちこちに出没しているらしい」
等と無知な農民が頑張って仕入れたように聞こえる知識を披露する。
そして、騎士達から
「もしも近隣に同盟軍が来たら、ここに伝えてくれ」
と言われれば、フロリアンの仕事はほぼ終わりとなる。
◆◇◆◇◆
そして、その時が来た。
国内にはない色使いの旗を立て、全員が区々の防具を着けた軍が、砦のそばに展開した。
フロリアン達は
「外国の軍隊が攻めてきた」
と砦に助けを求め、厩舎で良ければと砦の中に匿って貰う。
そのすぐ後に小隊規模、30名ほどの部隊が砦と指呼の距離までやってくる。
「討伐隊先遣部隊隊長グスタフである。この砦には尊き血のお方がいるとお聞きしてまかり越した。開門を!」
「どういった御用向きか?!」
「無駄な血を流すことは望まぬ。開門できぬなら、この場での対話でも構わぬのでお待ちする!」
隊長以下、30人ほどの小隊は、砦のそばに陣幕を張る。
砦からは弓矢どころか投石や槍でも届く距離に無防備に張られた陣幕に、騎士達は敵対の意思は薄いと推測する。
そしてまずは、騎士数名が陣幕を訪れ、目的などについて話し合う事となった。
グスタフは、
「自分は残兵の討伐隊の先遣部隊の隊長に過ぎず、交渉権は持っておらず、また、情報開示の許可も得ていない斥候のようなものである。よって、伝えられることは少ない」
と告げた上で
「ここに尊き血のお方がいるのであれば、討伐隊ではなく交渉権を持つ者を呼ばねばならぬ。そうでないなら、全員の武装解除を要望する。断る場合は、森ごと焼き払う手筈となっている」
と続けた。
貴族がいればそれなりに対応するが、そうでない場合は降伏か死か、好きな方を選べ、という意味の言葉に騎士達は
「御主張は承った。我々も貴殿達同様そこまでの交渉権は持たぬため、一度情報を持ち帰って我らが主に確認の後、正式に回答したい。他に伝えておくことがあればお聞かせ願おう」
と、3日の後に再び会うことを約束して砦に戻るのだった。
誤字報告など、ありがとうございます