76.フンメル公爵
ヴィードランド王国は、同盟諸国との平和条約を締結した。
国家間に荒れ地という広大な緩衝地域があること、他国の者が密入国しにくくする必要があることから、国境線が変ることはなかった。
ただ、交易のための土地が確保され、監視のために必要な要員と施設が用意される事となった。
その作成と維持管理はヴィードランド王国の責任で行なう事となる。
平和条約は、従来の条約に水源の管理のために必要な諸々を加えたものであった。
ただ、今回のような事が二度と起きないように、曖昧さが残ると誰かが異議申し立てをした場合、その意図についての意識合わせを行えるような仕組みは作られた。
また、今回の騒動で、他国に与えた被害に対する賠償についても条約に記されていた。
貴族派の不始末で、短期とは言え、水が流れなくなった国もある。
そうした国への賠償は、原因を作った領地の財産が充てられるよう、条約は作られた。
「悪いことはすべて貴族派のせいにする気かっ!」
王の側近のカールの伯父、グーラ侯爵などはそう叫んだが、同盟が攻め寄せる中、多くの貴族派が逃げ出したことが切っ掛けとなり、彼らの犯罪が明らかになっていた。
貴族派の犯罪は上級官僚に多く、官僚の席を空席にするためのでっち上げ、部下に対して仕事を丸投げにするため、部下に渡してはならない承認印を渡していたこと、部下からの問題提起を握りつぶしていたこと、年次で行なうべきとされる保守作業を行なわずに予算を浮かして着服していたこと、等々が明らかになった。
そうした者は多くは単独犯ではなく、その実家も犯罪に手を貸し、複数の貴族家が共謀していた事例も数多く散見された。
これまでは、貴族派の官僚がそうした訴えを握りつぶしていた。
しかし貴族派の官僚が逃げ出した事で訴えを隠蔽する者もいなくなり、日々、貴族派を訴える書簡が王宮に届くようになる。
証拠を確認し、相手に通達し、期間を設けて反証の機会を与える。
ごく当たり前のやり方で、彼らは裁かれた。
幸か不幸か、同盟軍との戦いのため、王都には貴族派以外の軍事力が集合していた。
それが貴族派の軍事力による暴発を防止したのは皮肉な話だった。
「同盟との戦いに際して貴族派が王都に兵を派遣していたら、クーデターが起きたかもしれませんな」
ドミニクはそう言って笑った。
同盟にすりよって戦後の立場を守ろうとしていたのは、グーラ侯爵だけではなかった。
貴族派の領地の多くでは、家族を呼び戻し、多くの領主は同盟との接触のタイミングを計るために腹心の騎士を伴って姿を隠し、領軍には無抵抗で通過させることを命じた。
その結果、同盟軍が王都を包囲した時、その包囲の中に貴族派はほとんど残っていなかった。
自ら残ったカールの他は、家族から切り捨てられた者ばかり。
結果、貴族派はヴィードランド王国内での立場を失った。
「他国に貴族派の処分を任せる事について、反対意見を述べる者はいなかったが、ドミニクにも迷いはないのか?」
王は少し迷いを見せつつそう尋ねた。
それは貴族派の討伐に関する策だった。
各地に身を隠す貴族派の貴族達を捉え、その財産を接収する事を同盟軍に許可する。
そのかわり、抵抗がない限り民には手を出さない事を求める。
それがヴィードランド王国からの申し入れだった。
そして、同盟もその申し入れに同意していた。
同盟軍の将軍と参謀は、今回の戦争が休戦に至った理由を正しく理解している。
だが、毒の危険性を末端の兵士に説明する訳にはいかない。それを知る者は少ない方が良いからである。
それを知らない末端の兵士はなぜ勝てる戦争をやめて休戦したのかを理解できない。
戦争を始めて、勝てるのに勝たない。
戦いもほんの数当てしただけである。
民からの略奪も禁じられており、戦いの興奮を醒ます事の出来ない兵士達は鬱憤がたまっていた。
このままでは禁を破って抜け出す者が出る。
そうなれば平和条約を結ぶための障害となる。
だから同盟軍の参謀達は一計を案じた。
倒しても文句を言われない者を倒し、その財を略奪する。
略奪した財は、その一部を同盟の被害を受けた国に分配し、残りは各々の手に持てる量に限って兵士達の好きにさせる。
それでも残るなら、それを今回の戦費の補填にあてる。
そういう計画だ。
「いずれにせよ、今回の騒動の責任は取らせねばなりません。それに彼らは戦時中に敵に内通しようとして、だまし討ちに合うだけです。後の問題とはなりますまい。そういう点では迷いはありませんな」
条約の発効日は、掃討が完了した日となる。
従って、それは戦時中の戦闘行為でしかない。
国を裏切ろうとした者が相応の罰を受けるだけだ、とドミニクは笑った。
「それに国軍で討伐する場合、万が一にも同盟軍との遭遇戦があっては困ります。ですので、取り決めの通りで宜しいかと」
「……分った。余ももう迷わん。ならば、我らはフンメル公爵のみの討伐に注力するか」
フンメル公爵領は南東の辺境を守る土地である。
他国とのトラブルを避けるため、王家の血を引く公爵をその地に置いたのは6代前の王だった。
王家の血を引く事から、先々代のフンメル公爵までは親王派であったが、代替わりを機に貴族派に転向し、今回の騒動でも他の貴族家同様、問題を起している。
元々は、そこも同盟軍に任せる方向で話が進んでいた。
が、公爵家というのが不味かった。
王家の血を引く貴族家だから、という訳ではない。
公爵家は毒の知識を持つ。
だから、毒の使用に至る前に確実に潰さねばならない。
そのためには、顔を知る者が処理にあたる必要がある。
追い詰められて毒を使う前に止めるには、毒の使い方を知る者がいた方が確実性があがる。
同盟軍が各地の領主に接触するのと平行して、ヴィードランド王国軍は、フンメル公爵領の水源の確保と、公爵が隠れている場所を調べるため、公爵領に農民に扮した兵士と普通の兵士それぞれを派遣した。
複数の隊が侵入したところ、公爵の居場所は一般兵による聞き取りであっさり判明した。
領民に何を隠すでもなく、多くの馬車を引き連れて逃げる姿が目撃されていたためである。
「これだけ目撃情報があると、罠を疑いたくなるな」
フンメル公爵領に隣接するアウラー子爵家。
その領主であり、今回、土地勘を買われて呼ばれたローベルトは、そう呟いた。
「アウラー子爵もそう思うか」
「あ、根拠のない憶測のようなものです。エルスター公爵のお耳に入れるようなものでは……」
「公爵呼びはまだ慣れぬな。アロイスと呼んでくれ……それに、感じた事はすべて伝えて欲しい。その要不要は私が判断する」
故・エルスター公爵の長男であるアロイスは、そう言って笑った。
この度、この隊を率いさせるため、王はアロイスにエルスター公爵の後を継がせていた。
この隊を率いる者は公爵でなければならなかった。
万が一、フンメル公爵が毒を使おうとした場合、それを予想し、対処するためには毒の知識を持つ者が必要となる。
ヴィードランド王国に於いて毒のことを知るのは、王家の者とその側近以外だと、公爵家当主と次期当主のみである。
他にも公爵家はあるが、戦いで負傷しているなどの理由から選択肢はそう多くはなかったのだ。
「……ならば。身を隠すと言うときに、これだけ目撃情報があることに疑問を感じました」
「通常の戦いであれば私も同じように考えた……だが、貴族派の狙いを考えると、また違ったものが見えてこないか? 奴らの狙いは?」
隊を率いるアロイスの問いかけに、ローベルトは不快気に眉を寄せる。
「貴族派の狙いは敵に内通し、戦後の立場を確保することです」
「そう。であれば、彼らは同盟軍に接触する必要がある」
「……つまり、こうやって発見される事は彼らの目的に適っていると?」
「ああ、自国軍がこの時まで残存し、国境に近いフンメル公爵領まで来る、というのは想定外だろうがね」
なるほど、と納得しながらローベルトは地図を広げ、発見報告があった街道を辿り、分かれ道の奥にある山を指差した。
「そうしますと……ここで街道から分岐して、行き止まりに山がありますが、この山は守りやすい場所と聞きます。目撃報告もこの山に向っているように見えます。隠れるならここかと」
「そうか……面倒な……」
毒の存在は王家の者とその側近以外だと、公爵家当主と次期当主のみが知る情報である。
だから、ローベルトは問題に気付いていない。
が、エルスター公爵は、フンメル公爵が隠れる山に、南西部に流れていく川の源流があると知り、厄介な事になったと溜息をついた。
それを知ることのないローベルトは、地図上の道を指差した。
「山の規模から言えば、確かに探し出すのは面倒ですが、馬車を使っていたという目撃証言もあります。ならば道からそう遠くない位置に砦なりがあるのではないかと……」
「そうだな……隊の指揮官を集めろ」
アロイスの読みでは、フンメル公爵が毒を使う可能性は低い。
使ってしまえば手遅れとなり、相手を怒らせて、苛烈な攻撃に晒される事になる。
脅しとして使うには、相手が毒についてある程度知っていればならない。
そう考えると、フンメル公爵が毒を使うとすれば、追い詰められた後だと予想できる。
どうあがいても逃げられない。
フンメル公爵がそう考えた時、死なば諸共と毒を使う可能性が出てくる。
「追い詰めるのは悪手。さて、どうするか」
アロイスは地図を見ながら、策を講じるのだった。
誤字報告など、ありがとうございます。




