75.条約
ヴィードランド王国が停戦の申し入れに応じた事で短い休戦が成立し、今は休戦終了まで2日と迫っていた。
同盟側では、内容にやや曖昧な点は残るものの、短期休戦を長期の休戦にし、最終的には終戦条約を結ぶべく、各種条約の見直しが行なわれていた。
同盟諸国の方向性は定まっていた。
水源は、滅びに際しても毒の使用を選択しなかったという実績のある国に任せる。
それをもって、ヴィードランド王国への譲歩とし、同盟が戦争を仕掛けたことについてヴィードランド王国は不問とする。
この方針の根本を考えれば、ヴィードランド王国は他のどの国にも占領されてはならない。
そのため、他国の攻撃を受けた場合の対処については既存の条約をベースとする。
防衛については従来の条約の内容を踏襲するが、一部の例外を除き、他国の者がヴィードランド王国内を自由に通行することは禁じられる。
逆にヴィードランド王国の者が他国に出ることも、外交官などの一部の例外を除いて禁止される。
交易などはヴィードランド王国国境付近に作られる事になる、高い塀で囲まれたごく狭い範囲でのみ行なうこととする。
これは他国の商人を装った工作員や、他国で買収されて工作員となった国民が水源に近付くことを防止する事が目的である。
例外は、ヴィードランド王国が他国から攻撃を受けた場合に守るための軍。そして各国から送り込まれる外交官2名と4名の護衛である。
外交官はヴィードランド王国、そして他の同盟国が裏切らないように監視をするための存在となる。
ヴィードランド王国は独立国として残るが、実態としては周辺国の監視下に置かれることになるのだ。
荒れ地を流れる川については、同盟諸国の兵士達が協力して巡回する。
早い段階で毒を発見出来れば、人を含む動物は手遅れになろうとも、土地は守れるかもしれない。
毒が水に触れないように埋めた上に土に触れないように土管や樋を設置して、水車で水を通してやれば、半分以下に減るが、水を下流に送ることが出来る。
十分なサイズの大岩などがあれば、水量を大きく減らさずに迂回という手段も選択出来る。
そうした対策が功を奏するか否かは状況次第だが、何も出来ない状況ではなくなる事が抑止力となる。
確実に相手の国土を殺せない場合、いずれ復讐される可能性が残るからだ。
同盟各国の将軍と参謀達は、自身に与えられている外交権を用いて、他の同盟国との条約も締結した。
戦場では、何が起きるか分らない。
同盟国に助けを求めたり、助けたり、ヴィードランド王国に降伏勧告を行なったり、降伏したヴィードランド王国と条件交渉(ほぼ無条件になる予定だったが)を行なったり。
無線機のない世界の戦争である。彼らはかなりの裁量権を与えられていた。
「さて。これで後はヴィードランド王国がこれに頷いてくれれば良いのですが」
溜息をつくバチーク参謀に、イルク将軍は右の眉を上げてどういうことだ、と問う。
「たしか、ヴィードランド王国側との事前協議も平行して行なっているのではなかったか?」
「協議はしていますが、あちらさんはまだ検討中です。条件を出せる立場ではないと理解はしているようなので、国として威厳を見せるためのポーズというのがこちらの見立てです」
「休戦期限が来れば、そんな事も言ってはおられんだろうに。我らの本国が動けば、休戦協定も意味を失うというのは理解されておるのだよな?」
「ええ。持ち帰って各国で検討となれば、十年単位の時間を要し、下手をすればその後、将軍と参謀を入れ替えて再度の戦争になる可能性が高いとは伝えています」
同盟各国の将軍と参謀達は、全権大使に近い外交権を与えられている。
それは戦争に勝つためのものであり、勝手に新しい条約を結ぶためのものではない。
条約が締結されてしまえば、意図しなかった結果になったからと軽々にひっくり返すことは出来なくなるが、条約がなければ再度ヴィードランド王国に対して戦争を仕掛けても問題はない。
もしも毒の情報を持ち帰れば、その使い方と、使われた場合の対処などの議論が巻き起こるだろう。
そして、毒の真価に気付く者も現れる。
この毒は、これまでの戦争の在り方を変える。
敵に察知されないような少人数で、敵の土地や生き物をジワジワ殺していく。
広がった毒はなかなか消せないし、毒の影響と気付いた時には手遅れである。
軍を展開して宣戦布告をして、というやり方ではなく、僅かな数を侵入させる戦い方は戦費も安く済む。
これまでは荒れ地を渡って軍を展開する必要があったため、隠密行動などはせずに事前に宣戦布告をしていたが、戦争を仕掛けるにあたって布告をしなければならないという明確な根拠はまだない。
この毒を使えば隠密裏に戦争を仕掛け、気付かれない内に勝利を掴む、という戦い方が出来てしまう。
そして、されてしまう。
ここにいる同盟の皆が、バチークの誘導によって、他国が毒の情報を秘したのは、いずれ使うためであると考えてしまった。
悪質な誘導があったからだ。と考えた者もいたが、冷静になればそれは、「あのように誘導されれば、そのように考える」という意味に過ぎないと気付く。
自分なら、あそこまで稚拙なやり方はしない。もっと上手に誘導できると考える者もいた。これも、冷静になれば、それはつまり、誘導する方法はひとつに限らないということを意味すると気付く。
それを踏まえて。
戻って報告すれば貴族達の中にも他国が使うだろうと考える者が出てくるだろう事は想像に難くない。
だが、毒を水源に仕込まれてしまえばその時点で負けだ。
ほんの20名程で仕込めることを考えると、防衛は難しい。
そこまで理解した者にとっては、やられる前にやるという選択肢が正解となる。
その思考がこの同盟に閉じたものであれば、同盟のすべての国が滅びるだけで済む。
しかし、その情報と考え方がヴィードランド王国以外の水源の国にまで広がってしまえば、すべての水源が汚染されれば。
それはヒト種の絶滅に繋がりかねない。
かと言って、自国に伝えないという選択肢は取れない。
それをすれば、いずれ再度の侵攻が行なわれ、ヴィードランド王国以外の国が水源を管理することになるかも知れない。
今後、正しい判断をしてもらうために、少なくとも国のトップはこの情報を知らなければならない。
「気に食わない点があるなら言って欲しいところだが、ヴィードランド王国からは何もないのだな?」
「ええ。まあ予想はつきますが……今後、この国は監視され続けることになります。例えば我が国の王宮の全ての部屋に他国の者を入れろとなったら、抵抗がありますよね? それに近い話ではないかと考えます」
「……だが、監視なしという訳にはいかんだろ?」
「ええ。今の彼らは信用出来ますが、50年先の彼らの子孫を信用出来るとは限りませんから」
◆◇◆◇◆
「さて。条約について、再三の問い合わせが来ているわけだが」
と、王は先王の側近達を集めて切り出した。
王の正面で、条約の精査をしていた、ドミニクとルーカスが顔を上げた。
「何か気になる点がありましたか?」
「……彼らはその意図を隠すことなく説明してくれたが、彼らは我々に対し、見かけ上の自治権を持ったまま、彼らの監視下に入る事を求めている。ヴィードランド王国は水源を管理しつつ、農業に勤しむ国家となれ、という事だ。これを国と称して良いものか?」
「国の有り様は良い悪いで決めるものではありません。どういう国にしたいのか。それを決めるのが王です」
「……ああ、国を率いる者の言としては不適切だったか……忘れてくれ」
「いいえ。常に自問自答し、必要ならば側近には意見を求めるのは正しいことです。ただ、最後の決断は王だけが下せるものです。どうか、後悔なきように」
「そうだな。では、意見を聞かせてくれ。どう思う?」
ドミニクはルーカスと顔を見合わせて、二通りの考え方がある。と答えた。
「自国の防衛すら他国に依存する国家。他国の言いなりになる国家。国としての尊厳はそこにあるのでしょうか? 尊厳なくして、残る意味があるのでしょうか。そういう考え方がひとつ目です」
続いてルーカスが言葉を発する。
「民が平和に生きられる国家。他国に任された立場であってもそれを自らそれを遵守し、他国と協調し、助け合うことを是とする国家。民が笑っていられることが至上である。という考え方もあります」
「貴族派の者たちが騒ぎそうな考え方だな」
「ええ。それでも先王は国は民のためにこそある、という考え方をしておられました。だから貴族派は崩御後の僅かな隙を狙って、今回のような騒動を起したのでしょう」
王は元々王家の方針を理解していたし、それに反するつもりもなかった。
今も、その方針を変えるつもりはない。
情報を歪められた事で失敗したが、失敗の原因が分っているのならやり直せる。
「王家としての方針は変えない。民の平和こそ、国の基礎だ。ただし、今回のような失敗があったとき、それを取り返すための仕組みが欲しい」
「失敗と仕組み、と申しますと?」
「十分な審議を行なわず、思い込みで判断した失敗。重要な決定については複数の立場の者が意見を述べる仕組みだろうか。仕組みについては皆の意見を容れて決めることとしたいが」
「なるほど。良いお考えだと思います……」
ドミニクはそう言って深呼吸をした。
「話を戻しましょう。条約についてはどうされますかな?」
「王の権威など捨て置け。自国の民が平和に生きられる国が我が国の目指す姿だ。可能なら他国の民にも健やかであって欲しい。それに沿うか否か、それを基準として精査する。協力してくれ」
「承知しました」
誤字報告などありがとうございます。




