71.実験
北の開拓村を基点とする開拓は、川から水を引いた後は、反対の西方面に向って進められていた。
西の林を切り拓けば、その先には一面の荒れ地が広がっている。
当然ながら荒れ地の手前までの土地は畑にするし家も建てる。
鶏なども連れてきて、病などで家畜が全滅しないように分散させる。
そうした基本的な開拓計画とは別に、一部の者は川から離れた荒れ地の開拓実験の準備をしていた。
元々、最初の拠点はたいして広くない。
東の川縁から丘のある草原を抜ければすぐに西の荒れ地に辿り付き、その荒れ地には大穴があり、更にその向こう側には不思議な形状の岩山が立ち並ぶ。
大穴の底には、この周辺では稀少な数種類の鉱脈が露頭しており、水没させる訳はいかないため、西の荒れ地は開拓には不向きなのだ。
それに対して開拓村の西の荒れ地には特徴らしい特徴もない。
人間にとって荒れ地の開拓は悲願と言っても良い。
例えばヴィードランド王国と他の国の間には荒れ地が広がっており、川はその荒れ地を通って別の国に流れている。
学者の試算では、ヴィードランド王国から隣国に流れる川からは、多くの水が失われているという。
乾いた荒れ地の風に触れて蒸発するというのも馬鹿にならない。
が、川底に沈殿した土や粘土を抜けて、川底から流出する量も相当量になると言われている。
水資源は有限なのに、そうやって『無駄に』失われる事で人間が使える水は減っていく。
それが本当に『無駄』なのかを彼らが知るには、科学の進歩を待たねばならないが、現時点の彼らの視点からすればそれは無駄なのだ。
それはさておき。
そういう背景があるため、これまでも多くの国が荒れ地の開拓に挑戦してきた。
だが、それが成功した試しはない。
荒れ地に植木鉢を持ち込んで水を絶やさなければ植物は育つが、植木鉢から出して地植えにすると途端に土が死ぬ。
荒れ地の大地は水を飲み込んでしまうのだ。
砂礫は砂よりも隙間が大きいため、撒かれた水は砂に撒かれた時よりも素早く飲み込まれていく。また、砂礫の隙間は乾いた空気を通してしまうため、地下に流れた水は砂より早く乾く。
砂漠で明け方に砂を掘れば湿った砂が出てくる事もあるが、荒れ地の乾燥した砂礫を掘っても湿った砂礫が出てくる事は極めて希なのだ。
例えば砂礫の上に土を被せれば、その下の砂礫が乾燥する速度は低下する。その代わり、表面の土は凄まじい勢いで乾燥していく。
地面を漆喰などで固め、そこに薄く粘土を入れ、砂礫と土を被せてやれば、その下に抜ける水の量は激減する。が、それも漆喰が割れるまでの話だ。
数多の国家の様々な試行錯誤の結果、荒れ地の開拓は割に合わないと言われるようになったが、新たな仮説と共に思い出したかのように実験が行なわれたりもしている。
現在、ヘンリクが主導しているのはその『荒れ地の開拓』だった。
幾つかの計画を立て、皆の意見をいれて修正案を作る。
最初の拠点の祠の前に集まった彼らは、そうした机上での議論から開始した。
「まず、漆喰と粘土を使って水を保持するんだよ」
ヘンリクの言葉に、アントンは首を傾げる。
「それは他の国でもやって、失敗したやり方ではないのかね?」
「失敗した事例は、漆喰と粘土で地下に大きな盥を作るようなやり方なんだ。で、盥の上の砂礫の上に土を置いて畑を作ったらしいよ。これ、暫くは使えるんだけど、一般的な岩盤なんかと比べると厚みがないから、ヒビや穴が空いて、すぐにダメになっちゃうんだよね。割と長持ちしたのが、積層にして、間の粘土を増やすやり方で、層が増えるほど長持ちする。けど、なんと言っても設置に手間とお金が掛るし、長持ちするって言っても年単位までは行かなかったそうで、その都度、資金を投入すると赤字になるって諦めたらしいんだ」
「やはり失敗したやり方か。しかし、ヘンリクの考えているのは違うやり方なのだな?」
アントンの質問に、ヘンリクは困ったような顔をする。
「違う点はあるね。似てる点もあるけど。結局のところ、砂礫に水を飲まれるのが問題だから、対策は似通ったものになるんだよ」
「なあヘンリク。分らんのだけんど、地下にある漆喰に、なぜ簡単にヒビや穴が空くんだべか?」
「うん。良い着眼点だね。先人達もそこは考えてて、色々な仮説があるけど、砂礫は砂ほどじゃないけど流動性があるようだから、砂礫が動く際の圧力じゃないか、なんて説が有力視されているかな」
「鉱山の土砂も川みてぇに流れることがあっから、ないとは言わんけど、平地の砂礫がそこまで動くんか?」
「言ったろ。仮説なんだよ。確かめた者はいない。だから僕としてはそれを確認する所から始めるべきかなって思ってるんだ」
荒れ地に数種類の杭を打ち込んで、10日ごとにその位置を記録する。
杭が動けば、仮説の前提となる『砂礫が動く』が事実であると確認できる。
そうしたやり方を説明したヘンリクに、頷きながら聞いていたヨーゼフが、
「その程度ならまあ、大した労力じゃねぇけど……いや。砂礫の移動はガセだべな」
突然、そう断言した。
「なぜ、そう言い切れるんだい?」
「アレが証拠だべ」
ヨーゼフが指差したのは、西の荒れ地だった。
「岩山は動いてねぇように見える。が、そりゃまあ正確な測量ばしとらんから、そう見えるだけかも知んねぇ。んだけっど、砂礫が動くんなら、手前の大穴が崩れとる筈だべ?」
大穴の底には露頭した鉱脈があり、ヨーゼフは何回も底まで降りて鉱石を採取していた。
そのヨーゼフから見て、大穴が崩れかけている様子は見受けられなかった。
「他にもあんぞ。川ば渡る橋は川のこっちと、川向こうの荒れ地に杭があるけんど、橋が歪んだなんて話もねぇべ?」
「なるほど……まあ、杭の実験それ自体は簡単にできるし、確認のためにやっておくよ」
「そういう言い方をするという事は、別の理由も考えているのね?」
そう尋ねるマーヤにヘンリクは頷いた。
「うん。仮説は他にも色々あって、荒れ地を生み出した火の精霊の仕業から、砂礫の中に住む魔物のせいまで色々言われているね。だけど砂礫の移動じゃないとすれば、僕の一押しは昼夜の気温差とか、そうした系統かな」
「じゃあ、その仮説が正しいかも確認しないといけないわね。どうやるの?」
「面倒だけど、漆喰の盥を埋めて水を入れて、昼夜ごとに周辺の温度変化を確認する。とかかな?」
◆◇◆◇◆
「昼夜の温度差が想像以上に大きいと分ったよ」
それから10日ほど後の事。
開拓村に出向いていたヘンリクとリコが、調査結果をまとめた資料を持って、戻ってきた。
「想像以上?」
畑に出て、作物を確認していたアントンは手を止めてヘンリクの顔を見上げた。
「うん。驚いたよ」
「皆を集めるか?」
「いや、まだそこまではしなくて良いと思うけど……取りあえず特定の条件下では、砂礫の下は氷が出来る程に冷えるっぽいんだ」
「氷? 冬ではないのにかね? それで、特定の条件というのは、特定出来たのだろうか?」
「取りあえず、一例だけはね。砂礫の下に漆喰で盥を作る。漆喰表面に塗る防水のための粘土は少なめ。盥の中を8割くらいまで砂礫で埋めて、その上に土を被せる感じかな」
ヘンリクに促され、リコは、その状況を絵にした紙をアントンに見せた。
まず砂礫を70cmほど掘る。
そこに漆喰で深さ30cm程の盥のような容器を作り、内側に5ミリほど粘土を塗る。盥の中には八分目程まで砂礫を入れて平らに均す。
その上に40cmほど土を入れる。
そういう図面だ。
「開拓を目指す割りに、土の層が薄いな?」
「各国が行なった研究について記した本があって、それを元にしてるんだよ」
「ふむ……土に作物を植えて水を掛けると、余分な水が盥の中の砂礫の隙間にたまるんじゃな? 氷ができると言ったが、それは水が溜まった部分かね?」
アントンの疑問にヘンリクは頷いた。
「漆喰の盥の中の砂礫の部分が本当に軽くね。あと、漆喰に染み込んだ水が凍ったりもしてたね。初めて見たときは僕も目を疑ったよ」
「なぜそこまで冷えるんじゃろうか? 元々、荒れ地の夜はかなり冷えるが、この季節に水が凍るほどではない筈じゃ」
「うん、夜は冷えるよね。だから最初は地面の下はそれなりに冷たいんだと思ってたんだ。けど、昼は地面の下まで暑いんだよね」
砂礫は砂と比べると空気をよく通す。
礫の間に砂が混じれば通気性は低くなるが、砂はすぐに砂礫の隙間に飲み込まれていく。
米粒を通すザルに大豆と米を混ぜ入れて、ザルに軽い震動を与えれば米は大豆の間を抜けてザルから落ちる。
単純化すれば、そうした事が起きているのだ。
いずれは全ての隙間を砂が埋め尽くし、これ以上砂を飲み込めなくなる日が来るのかも知れないが、まだそうはなっていない。
その砂礫の隙間には温かく乾いた空気がそれなりに入り込むのだ。
乾燥した空気が砂礫の隙間の水気を取り去るのであれば、気化熱が奪われそうなものだが、奪われた気化熱は周囲の礫に吸収される。
現代の科学知識を元に述べるなら、それが昼に砂礫に穴を掘ったとき、穴の中が温かい理由となるかも知れない。
夜間、砂礫が冷えるのは、昼の間に暖まった地面から熱が放散するから――放射冷却――だと言う事も出来る。
湿度が十分に高かったり、空に雲があれば放射冷却の影響は抑えられる。地面からの熱――赤外線――を水蒸気が吸収し、それを地面に返すからだ。
しかし、荒れ地ではあまり雲は出ない。
空気も乾いている。
だから、明け方は特に冷え込むのは自然な事と言える。が、残念ながらヘンリク達にはそうした知識はない。
「なんで夜はあんなに冷えるんじゃろうな? ヘンリクは知っておるか?」
「荒れ地は火の精霊に焼かれた土地だから空に太陽がある間は火の精霊が大地を温め、水や木を消していく。夜は火の精霊の力が低下して、土地本来の状態に近くなるっていう『学説』なら見た事あるけど、昼に荒れ地に雨がふることがあるとか、国家間の川がなぜ涸れないのかの説明がないし、夜に荒れ地に水を撒いても日の出前に乾いてしまう説明もないから正直微妙なんだよね」
ヘンリク達の知識では、これは十分に先進的な『学説』である。
地球の古代ギリシャの四元素に似た学説もあり、特に精霊信仰と上手に絡む知識は、彼らにとっては重要な教養とされたいた。
仮説を立て、例外を考え、例外を説明出来る仮説を考える。というのが基本的なやり方なので、仮説を立てて、しっかり検証するだけ、ヘンリクのやり方は洗練されているとさえ言える。
「それで? 氷ということは、真冬に水瓶が割れるようなものじゃろうか?」
「そこまでは凍らないけど、似たような現象じゃないかと思ってるよ」
「しかし、凍り付くのが原因だとしたら、対処は難しそうじゃな」
「そっちは開拓村の方で実験中だね。だけど、今仕込んでいる実験が一段落したら、暫くは実験より、開拓地の用水路整備を優先しないとならないかなって思ってるんだ」
ヘンリクは、開拓村の完成予定地図を広げてアントンに見せた。
「荒れ地の開拓を行なう場合、川から荒れ地まで水を引かないとならないからね。運河との関係とかを少し考えないとならないんだ」
「南北に流れる運河と、東西に流れる用水路か。交差させるのかね?」
「そうなるかな。後々を考えると伏せ越しかな」
川を交差させる方法は幾つかあるが、それぞれの水面に高低差がある場合、交差点を作ってしまうと、低い方にばかり水が流れることになってしまい、水底が高い側が干上がってしまう恐れがある。
そうならない方法として、ひとつは揚水水車で高い所に作った樋まで水を持ち上げて、樋を通して渡すやり方で、これは頻繁に保守が必要になるのが欠点である。
もうひとつが、川を十字に交差させる際に、水面が低い川を、もう一本の川の地下に埋設して、立体交差させる伏せ越しという方法である。
こうすることで、地下に飲み込まれる側と地下から出てくる側を比較すると、水面の高さはそのまま維持され、水が混じり合うこともなく、別々の川が別々の川として流れ続ける事が出来る。
逆サイフォンの原理によるものだが、日本では江戸時代から使われている技術である。
「伏せ越しか……人手と資材は足りるじゃろうか?」
「運河の堰を閉じれば、用水路の埋設は簡単だから人手はなんとかなりそうだけど、埋設するための漆喰や粘土が不足しそうなんだよね。そっち優先するから、実験はしばらく停滞するよ」
「土管か……伏せ越しで十分な水量を確保するには、それなりの数が必要じゃしな」
本来、土管は粘土を焼いて作ったものを指す。ここでも粘土を主原料にしたものを土管と呼称している。
現代日本人は、コンクリートの土管を連想しがちだが、あれの俗称こそ土管だが、正式名称はヒューム管で、土管とは別物である。
それはさておき、必要となる資材の量を理解したアントンは、粘土や石灰の採取計画の見直しが出来ないか、考えるのだった。
「そうなると開拓村の開拓ペース自体も見直すべきじゃろうか?」
「いや、レオン達が新しく連れてきたから、食料生産と資源確保は今まで以上に必要になるし、今後、もしも誰かが来た時に受け入れられるように考えておくことも大事じゃないかな?」
誤字報告など、ありがとうございます。