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68.撒かれた毒

 ヘンリクの息子のレオンと、マーヤの息子のマルクは、それぞれ別のルートで荒れ地に出て、今は合流して川を前に休憩をしていた。


「なあレオン、荒れ地にこんな大きな川があったんだな。母さん達が荒れ地に出て生きていたんだから、本当だろうとは思っていたけど、本当にあったんだな……いや、何言ってるんだ、俺は」


 マルクがそう言うと、レオンは頷いた。


「いや、気持ちは分かるぞ。俺は取引していたから、あるだろうって証拠は沢山見てきたけど、これだけの大河が荒れ地にあるなんて、驚いたよ」


 マルクの馬車には彼らの親族、ヨーゼフの弟子とその家族、職を追われた下級官僚とその家族が乗っている。

 レオンの馬車には商会の中でも特に信頼出来る者とその家族。そして、国外逃亡を選択したいが自身が伝手を持たない商人とその家族。貴族派の不興をかって解雇され、戦争責任を押しつけられる可能性が高い下級官僚とその家族。加えて、レオンが管理する牧場から、仔牛と仔馬、子豚を数頭ずつ。


 開拓村では、とにかく人手が必要な状況が続いている。

 アントン達との橋渡しとなっていたレオンがヴィードランド王国から離れることで、今後の増員はなくなる見込みだが、それなりに若者も増えつつあり、今後は自然増が始まるとレオンは見ていた。


 レオンとマルクが川を見て感動する後ろで、連れてこられた皆が、呆然と川を眺めていた。

 その中の一人、レオンが連れてきた商人、ベルントはレオンに声を掛けた。


「レオンさん。頼みがあるんだが」

「頼み? しばらく休憩だから、川を見てくる程度なら構わんですよ?」

「そうではなく、契約の事だよ。我々は精霊の名の下に秘密保持契約を結んでいる。なるほど、確かにこれは、秘密にすべき情報だ。だが、そろそろ、ここにいる連中とだけは秘密の内容について話し合う許可を貰えぬだろうか」

「許可はあなた方の安全が確保された後。となっていた筈ですが?」

「いや、アレを目にして、それについての感想すら言えないのは酷ではないか」


 なるほど、とレオンは笑った。

 あると知っていた自分ですら感動したのだ。

 それを言葉にして共有したいという気持ちは理解出来る。

 だが、今の彼らは同じ秘密を共有する仲間や家族にすら、「これだけの大河があったのなら、もう安心だ」と言う事も禁じられている状態なのだ。


「分かりました。それでは、精霊契約の条件にあった『私が許可した相手には告げても良い』について、ここにいる人間に対してのみ伝える事を許可します。ただしこれは、今から5日間の期間限定です」

「おお……感謝する。川……そう川だ! この大河はいったいなんなのだ? それに、これは小国が得られる以上の水量だ。しかも川向こうには植物も生えている。これはもう国と言っても良いのではないか?」

「開拓村を率いている人達は、最終的には国家樹立まで考えているそうですよ。かなり時間は掛るでしょうけど。それはさておき、まずは家族と話し合ってきては?」

「そうさせて貰おう……開拓は辛いだろうが、この川にはそれだけの価値がある。レオン殿。我々を連れてきてくれたこと、感謝する」


  ◆◇◆◇◆


 戦争が始まった。


 これまでの小競り合いとは異なり、ヴィードランド王国軍対同盟国軍の戦いである。


 同盟軍水源維持部隊が国境を越えたのは宣戦布告の開戦日時である15日前。そこから王都を望める位置に到達し、陣を張るのにそれだけの時間を要したのだ。


 最初に到着したのは東方担当。

 次が南方担当。

 最後がグーラ侯爵との小競り合いがあった西方担当。なお。同盟軍水源維持部隊に無視されたグーラ侯爵は、砦から出て追いすがろうとした所を、領都の城に残っていた部隊に叩かれて縛につき、現在は親子共々、領都の城の牢に繋がれている。


 王都を囲むように陣を張った彼らは、王都守備隊に対して降伏勧告を行なった後、攻城兵器を組み立て数隊を合流させて王都を守る壁に近付いていく。


 目立つ攻城兵器は三種類。


 王都の壁を越える高さの攻城砦。

 土台に車輪がついた櫓である。櫓の上部には小型の平衡錘投石機が設置されており、離れた位置から壁の向こうを狙うことが出来る。弓兵を配置して、矢を射かける足場にもなる。

 櫓の下部の車輪を利用してゆっくり移動させる事も可能で、壁に密着させれば、侵入経路の足場としても機能する代物だ。


 屋根のある破城槌。

 車輪が付いた頑丈なフレームに丸太をぶら下げた破城槌は、効率よく門を破壊する兵器である。

 門の正面に移動させて、動かないように地面に杭で固定した後、兵達が力を合わせてぶら下げられた丸太を引いて門に叩きつける事で門を破壊する。

 が、門の前に来ると分かっているのだから、相手も接近した所を狙って攻撃をしてくる。攻撃が来ると分かっているのだから、破城槌にも備えとして、上からの攻撃から兵達を守るため、フレームの上に板を重ねた屋根が設置されている。


 平衡錘投石機。

 構造は公園にあるシーソーに似ているが、可動する角度は170度近い。片側に錘が設置されており、反対側に石を載せる網がある。その錘のある側を高い位置に持ち上げてから落すことで、網の中の石が遠くに飛ばされる。

 錘を引き上げるのに人の力を要するが、飛距離と投石可能な重量は、他の兵器の追従を許さない。


 その他、梯子から石弩まで、小さな物も数知れずだが、巨大な攻城兵器にはそれらにはない大事な機能があった。


 それは威圧効果である。


 高い壁に守られているという安心感を崩されることで、守勢側の士気が低下し、阻喪する。

 壁の裏に隠れている者達からはあまり見えないが、戦っている者はそれを目にしながら戦うのだ。

 現代戦ならいざ知らず、ローテクな戦闘に於いて士気の低下は、そのまま戦力の低下となる。


 だが、威圧効果が常に相手の士気低減に役立つとは限らない。

 威圧効果が高い兵器に損傷を与えれば、士気が向上するし、逃げ場のない戦いでは、背水の陣である事を意識させ、思わぬ反撃に繋がることもある。


 王都を守る者たちは、壁の上に設置した投石機や石弩を駆使して巨大な平衡錘投石機に傷を付けた事をきっかけに、ますます意気軒昂となり、接近する者には精霊魔法を併用して矢を射かけ、壁に近付かれれば投石をし、岩を落し、熱した油や糞尿を撒いた。

 そうして戦いは均衡していたかに見えた。が。


 壁の外には大群がひしめき、多少削られてもすぐに次が出てくる。

 対する王都守備隊は、物資こそそれなりに備蓄されてはいるが、兵には余裕がない。

 真正面から殴り合って同等の被害が出た場合、先に力尽きるのは王都守備隊なのだ。


  ◆◇◆◇◆


「アウラー子爵! 王城から王都放棄の指示だ! 下がれ!」

「ロルフ伯爵?! ですが、このままではすぐに押し込まれます!」

軍務卿(指揮官)がおらぬから、タイミングがギリギリなのだ……各員傾聴! この場を放棄し、これより王城での籠城戦に移行する!」

「町の住民はどうするのですか?」


 兵士の一人がそう尋ねる。

 ロルフは、


「希望者は王城に入れて、戦って貰う。が、民の大半はそのまま残す。残った民は参戦していないことを、エルスター外務卿が軍使として相手に伝える。白旗を掲げて暫く待ち、敵の攻撃が止ったら、門を大きく開け!」


 そう叫びながら、兵達が指示に従って壁から降りるのを確認すると、殿となって全員を壁の上から追い立てるのだった。


 兵士達と入れ替わるようにやってきたエルスター公爵は、門の上で白旗を掲げて大きく左右に振った。


 この世界の白旗は地球のそれと同じ意味がある。


 白旗を左右に大きく振るのは降伏を意味することもあるが、厳密に言えば旗を掲げた者に交戦の意思がない事を伝えるための合図である。

 戦場でただ一人がこうした場合、相手は白旗を掲げて来た者を軍使として対応しなければならない。

 敵軍の動きが止った事を確認したエルスター公爵は壁から降りると、準備していた馬に乗って、白旗を掲げたまま敵陣に近付いていく。


「エルスター外務卿である。軍使として参った。攻撃の停止、感謝する」

「礼には及ばん。戦場のしきたりに従ったのみだ。それで? 降伏するのかね?」


 今回、部隊を任されたベルカにそう尋ねられたエルスター公爵は、笑ってそれを否定した。


「いいや。城は徹底抗戦するそうだ。私は王都の住民は我らに巻き込まれただけで、参戦していない事を伝えに来た。だから門は開けておく。そちらが戦勝国の習いとして略奪をするなら止めはしない」

「そうか。王都は自由にしろ。ただし王城は最後まで抵抗をする。という事だな?」

「そうなるな……おっと、そうだ。これを渡しておこう。実は、他の国にも同じ物が渡っている。全員が討ち死に覚悟だから、これがヴィードランド王国の最後の外交文書だな」


 きつく巻かれた巻物を手にして、ベルカは首を傾げる。


「これはなんだ? 降伏の条件を出せる立場ではあるまい?」

「この戦争を無意味なものとする毒だよ。王はこの存在を開示することを拒否した。だから、これは私の独断であり、王命違反だな」

「戦争を無意味にする毒だと?」


 そんな物がある筈がない。子供騙しだ、と笑うベルカに、バチークは見せてくださいと巻物を受け取る。

 そして巻物を広げ、一読。

 一部、不明点があったため、再読。

 そして、空を見上げて大きな溜息をついた。


「こりゃぁ……ベルカ様、これなら確かに川は死ぬし土地も死にます。しかも仕掛けるのは簡単で、取り除くのは至難です。本来、川全体を汚染するのは骨ですが、こんなやり方で下流に流せるのか……」

「優れた参謀だな。この短時間で読み解いたか。その巻物には、川と土地を殺す毒の散布方法が記されている。肝心の毒の作成方法は全て焼却したから、誰も知らぬがね」

「……既知の毒で代用できるだろ?」


 バチークの言葉にエルスター公爵は笑った。


「そこまで読み解くか。本当に優秀なのだな」

「待て、本当に川と土地を殺す毒などあるのか?」

「ええ……うちでも100年くらい前、鉱山周辺の木が立ち枯れたりしたんですが、それを離れた下流全域に対して行なう策です。うちの場合、100年経っても、まだ毒の影響は残ってますし、かなり深刻な影響が出るでしょうな」

「……ヴィードランド王国は、条約の裏でこんな事を研究していたのか?」


 ベルカが咎めるようにそう言うと、エルスター公爵はまさか、と首を振った。


「この研究が行なわれていたのは貴君らと条約を結ぶ前だよ。当時は攻め込んできたらこういう毒を使うぞ、という抑止力にするためだったそうだ。だが、条約で国家間の緊張を高めるような行為が禁じられた。だからこの作戦の存在を秘匿し続けてきたんだ。万が一の時の切り札としてね」

「今がその万が一か。これをされたくなければ、撤退しろと? このような毒を使うなど、ヴィードランド王国は精霊に喧嘩を売る気か?」

「いや? 我らはそれを使わない。実際、国が滅びる間際であっても使ってないだろ? 更に言えば、王は毒の存在を秘密にしたまま滅びる事を選択したのだよ。私がそれを台無しにしたわけだがね。さて、そういう毒があると知った貴君らはどうかね? なるほど貴君らは理性的なようだ。知っても使わないだろう。だが貴君は同盟国の民のすべてに同じだけの理性があると信じられるかね? 国家ではなくとも、兵士が20人ほどいれば、この毒は利用できる。兵士の暴走など起きぬと信じるかね? これから先、貴君らは他の国家を、その民を常に疑い続けねばならない。まあ我が国はここで滅びる。後は好きにするがいいさ。ああ、私は戻ったら王命違反の咎で爵位剥奪の上、追放刑……いや、今は戦時だから斬首だな」


 エルスター公爵はそう呟いて空を見上げた。


先王(アルト兄さん)。済まない。私はどうやら地獄行きだ。また兄さん達と共に飲みたかったぞ」

「待て!」


 エルスター公爵が歯を食いしばるのに気付いたバチークが手を伸ばす。

 が、その手が届く前にエルスター公爵は口に含んでいた毒薬の容器を噛み割り、血を吐いて倒れる。


「毒か!」


 何とか治療できないかとエルスター公爵の口を開かせたバチークは、既にエルスター公爵の脈が弱くなっている事に気付く。


「私に触れぬ方が良い……複合毒だ……ぐっ!」


 大きくのけぞってバチークの手を払いのけ、毒で爛れた内臓からの出血を吐きだしながらうつ伏せになったエルスター公爵は、僅かな時間、痛みにのたうち回り、血を吐きながら事切れた。


「……こりゃ、やられました。我らの負けです」

「なぜだ? 奴らは毒を使わんのだろ? それならあと一歩でヴィードランド王国を攻め落とせる」

「それ、本当にやっちゃって良いんでしょうか?」

「……どういう意味だ? 回りくどいのは好かん」


 バチークは、兜を外し、頭をガシガシと乱暴にかく。

 そしてベルカの質問に対し、ベルカに考えて貰えるように答えていく。


「同盟の条件で、我々が得られるのは国境に近い側。つまりは他国から見て下流でしたよね」

「ああ、そうだな。だが、川の流れを変えたり、水量を大きく減らすような工事を禁ずる条文はある。条約は文官達が問題のないように作った筈だ」

「毒を流さないという条文はありましたか?」

「……いや……鉱山の廃水や下水をそのまま流すことを禁じた条文ならあったが」


 バチークは頷く。


「毒と薬を分けるのは量ですから、毒を禁じるというのは無理なんですよ。綺麗な水だって飲みすぎれば腹を壊します」

「つまり……条約で毒は禁じられていないから、この先、同盟国が毒を流すと言いたいのか?」

「……そこなんですよ。現時点ではしないと思います。ですが、10年後、30年後は? その頃の王は誰で、好戦的なのか否か。国民による叛乱の兆しがあるのか否か。私には『分からない』以外の答えはありません。逆にお聞きします。今後も同盟国――その国民に至るまで――が毒を流さないと信じられますか? 一切の疑いを持たずにいられますか?」


 川と土地を殺す方法を同盟の全ての国が知ってしまった。

 上流に位置する国が毒を使わないだろうか。

 源流が異なる川を利用する国を滅ぼすために使わないだろうか。

 源流が異なる川を利用する国が、自分たちが使う川に使わないだろうか。

 その方法が流出して国民の知る所となった時、無思慮なテロリストが毒を撒かないと断言出来るだろうか。


 自分たちは使わないと言える。だが、それを相手に信じさせる方法はない。

 相手も使わないと言うだろうが、それを自分たちに信じさせる方法もない。

 そして50年後の国家がそれを使わないという保証はない。

 そもそも20人ほどで実行出来る事なのだ。自国を含め、どこかの国の国民がそれを行なわない等と言える筈もない。


 誰も信じられない。

 常に疑心暗鬼である。

 国家間のありようとしてはこれまでも疑心暗鬼だった。と言えば同じように見えるだろう。

 だが、決定的に異なる点がある。

 毒を撒かれた時点で手遅れなのだ。

 今までであれば、戦場での勝利が勝敗を分けた。

 しかしこれからは、戦場で相見(あいまみ)えることなく、軍を動かすことなく勝負が終るのだ。


 ベルカは唸った。

 そして絞り出すように言った。


「打つ手がないではないか……今の我が国なら使わぬだろうが、代替わりした先の事までは分からぬ。どの国も信用ならん」

「ですが、ひとつだけ、信用できる国があるんですよ」

「なんだと?」

「この毒について最も詳しいのに、滅亡の危機に瀕してなお、この毒を撒かない事を選んだ国です」

ヴィードランド王国(この国)か……今から軍を引いて、彼らと和解しろと? 同盟国だって許さんよ」

「ですが、ヴィードランド王国以外に、毒を使わないという選択肢を選べる国家があるでしょうか? 彼らは今回のことで、滅びようとも使わないという覚悟を見せました。そんな愚かな国を他にご存知ですか? そりゃ、ヴィードランド王国だって未来永劫信用出来るとは言いませんが、少なくとも同盟国にはない実績があります。同盟国にもこのことを伝えて、今後の対策を相談する事を進言します……恐らく、一番源流に近い土地を貰う国以外は、真剣に考えると思いますよ」


 バチークの提案を聞いたベルカは、10日ほどの一時停戦を同盟国全体に提案し、今回の対応について話し合う事とした。


「それが良いと思います。しかしエルスター外務卿。最期に酷い毒を撒いていきましたね」

「毒? 撒かれたのか? 撒かれてはおらんよな?」

「奴が撒いたのは同盟に対する、猜疑心って毒です。鉱毒以上に厄介ですよ、これは」

誤字報告など、ありがとうございます。


毒は鉱毒系です。

日本では足尾鉱毒事件なんてのが有名ですかね。

で、そうした毒を、海まで垂れ流すような方法だと思ってください。

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