67.力を尽くせ
同盟軍水源維持部隊は、伏兵が潜む小規模な砦を完全に無視してローザ砦に向った。
ローザ砦の近くに簡易的な陣を敷くまでは、兵士達には伏兵の存在を伝えない。
陣を敷く際に騎兵の足止めのための仕込みをさせ、その後、選抜した一部の兵にのみ、その仕込みの目的を伝える。
騎兵が来る可能性が高いこと。
来た場合、仕込みをどう使うのか。
誘き寄せるための策。
そして、タイミングが重要なので、指揮官の指示に従うようにと聞いた兵士達。
「……手柄の機会だ」
「抵抗する相手からなら略奪できる」
「砦攻めの方が手柄が分かりやすいが、こっちは楽そうだな」
その士気は異様な程に高かった。
◆◇◆◇◆
「敵が陣を敷いた。予想通り、輜重部隊はやや後方で待機。護衛の隊はいるがボンヤリしていて動きが悪い。ふん、前線に出せないような足手まといか。これなら楽勝だな」
クリストハルト・グーラ。
グーラ侯爵家の三男にして、王宮の騎士。騎士爵である。
本来、王都を守るために任じられた王宮騎士が、国家の危急存亡の秋にこんな所に単独でいる筈はないのだが、彼は王宮騎士の装備を身にまとい、木の陰から諸国軍の動きを眺めていた。
「砦攻めが始まるまでは警戒する者もいたが、今は完全に油断しているな。見ろ、奴ら、草原に座り込んでるぞ」
敵の部隊は、鬨の声をあげ、ローザ砦に向って散発的に矢を射かけ、と遠間からの戦いを仕掛け始めていた。
仮にも石造りの砦が相手である。近接戦闘では被害も増えるため初手は遠距離で反応を見るのだろう、とクリストハルトは考える。
遠距離で砦の反応を確認した諸国軍の前衛部隊は、教科書通りに大きな盾を押し出して砦からの矢玉に耐えつつ、先の反応から読み取った僅かな死角を突いて距離を詰め始める。
「そろそろ頃合いですかな?」
グーラ侯爵家の騎士がそう尋ねる。
クリストハルトはローザ砦の戦況を確認し、頷いた。
「敵を十分に引き付けたようだ。輜重部隊周辺の兵も油断している。好機だ。各員、火と油を用意し、騎乗」
全員が馬に乗るのを確認し、クリストハルトは静かに進軍の合図を檄を飛ばす。
「皆! この戦いは我らが故郷に進軍してきた悪しき敵に一矢報いるためのものである。あれだけの大軍だ。糧食を失えば崩壊する。輜重部隊を叩けば、我らとて少なくない被害を受けるだろう。だが、これは愛する者の住む故郷を守るための戦いだ。力を尽くせ!」
騎馬隊は灌木などの影になるルートを進み、輜重部隊の荷馬車に向けて一気に駆け込む。
「行くぞ! 接近して小さな油瓶を投げ込め! 松明を持った者は、油の掛った場所に点火しろ!」
そう指示を出しつつ、クリストハルトは少し横に逸れて馬の速度を緩めた。
騎兵に気付いた輜重部隊の護衛達がもたもたと立ち上がるのが見える。
だが、よく見ればまだ武器さえ構えていない。
クリストハルトは楽しげに
「あの護衛の動きなら、余裕で駆け抜けられそうだが、前に出て怪我をするのは俺の役目ではない。皆、俺のために力を尽くすんだぞぉ」
そう呟いた。
彼の目的は、諸国軍の食料に損害を与える事。
これが初手である。
次の一手はグーラ侯爵が指す。
それは、食料を失った相手に対し、食料を売り渡す事を条件に、戦後、有利な条件で投降を受け入れて貰うというものだった。
騎士達はそれを知らない。
王国のため、領地のため、ここで一矢報いるのだと信じていた。
だからこそ後の事など考えもせず、全力で敵の護衛の間を駆け抜け――ようとして転倒した。
一騎だけなら事故だが、先行した騎兵すべてがそうなった。
いつの間にか敵の護衛の足元には杭があり、すべての杭の間に太い縄があった。
さっき見た時には、そんなものはなかったというのに。
「罠かっ!?」
何が起きたのか理解が及ばず、クリストハルトはそう叫ぶ。
そしてそう叫んだ直後、彼は浮遊感を感じながらなぜか青空を見ていた。
大きな音と共に強い衝撃を受けた彼が意識を失う前に聞いたのは、
「罠だよ」
という知らない声だった。
◆◇◆◇◆
首と後頭部の痛みに呻き声を上げながらクリストハルトが目覚めると、そこはローザ砦の中だった。
助かったのか、と起き上がろうとした彼は、自分が全ての武器防具を取り上げられた上で、縛られている事に気付いた。
砦は落ち、自分は捕まったのかと状況を理解しつつ、クリストハルトは自分が何にやられたのか覚えていないことに気付いた。
「罠、と言っていたな」
「ええ。あんたらが奇襲の用意をしていると気付いたんで、隙を見せて一網打尽にしろってうちの参謀が言ったんですよ」
後ろから声を掛けられ、クリストハルトは振り向こうとするが、体を縛る縄がそれを許さなかった。
「……誰だ? 姿を見せよ」
「こりゃ失礼。馬上のあんたをウォーハンマーで打ち上げて捕まえたケチな平民です。今はあんたの見張り番ですね。ああ、拷問も請け負ってますわ。名前は秘密ですが、トムでもジムでも好きに呼んでくだせぇ」
のそり。
と空気が動いた。
地響きのような足音と共に、クリストハルトの目の前に、巨体が現れた。
「デカいな」
「猟師には不向きですが、まあ、気配を殺すのは得意ですよ。あんたはひとりだけ馬を停めてましたけど、ありゃ、罠に気付いたんですか?」
「む? そ、そうだ。私はクリストハルト・グーラ。グーラ侯爵の三男で」
ドン、ウォーハンマーがクリストハルトの目の前に突き刺さる。
飛び散った石と土がクリストハルトの顔を汚す。
「な! 何をする!?」
「黙れ。聞かれてもないこと、ペラペラしゃべんな。聞きたい事はこっちから聞く。抵抗するなら、あんたは処分して他の捕虜に聞く事にすんぞ? 分かったら二回頷け」
クリストハルトがコクコクと言われたように二回頷くと、トム、またはジムは満足そうに笑った。
「よーし、そんじゃまあ、聞くけど、正直に答えろよ? 他のもんと言ってる事が食い違ったら、手足の関節が増える事になんぞ? まず、今回のお前らの目的だ」
「部隊の荷を焼いて、困窮した諸国軍に恩を売って、戦後、取り立てて貰うためだ」
「あん? 馬からたたき落とす時、強くやり過ぎたか? 他のもんは、もっと違うこと言ってたぞ」
ハンマーがクリストハルトの脛を打つ。
軽い打擲の筈もなく、骨が砕けて曲がってはいけない場所で足が曲がる。
「我慢強いな? ってあれ? 気を失いやがった」
トム、またはジムがハンマーでクリストハルトの体を揺すると、
「うがぁぁぁっ! 貴様! 何を! 俺はグーラ侯爵のっ!」
再びハンマーがクリストハルトの目の前の地面を抉る。
「聞かれてもないこと、ペラペラしゃべんな。他のもんと言ってる事が食い違ったら、手足の関節が増えるって言ったろ? なんで嘘をつく?」
「う、嘘じゃない! 他の者が戦略目標を知らないだけだ!」
「自分は特別だから助けろって言いたいのか? だが、ここはお前らの砦の中だぞ? 分かるか? こっちが勝った以上、無意味な情報なら要らねぇんだよ。なら、続けんぞ。お前の持っていた武具は、王宮騎士のもんだが、なぜそんなものを持っていた?」
「俺が王宮騎士だからだ」
「王宮を守る騎士が、こんな所にいる筈ねぇだろが、もう一発行っとくか?」
ハンマーで折れた足を軽くつつくと、クリストハルトは絶叫をあげつつ首を振り、汗と涙とよだれをまき散らした。
「きたねぇなぁ……ほれ、そんで? なんでこんな装備を持ってたんだ?」
「ほっ! 本当だっ! 嘘じゃないっ! ……俺はなりたての王宮騎士で!……戦争になるって聞いて、恐くなって逃げてきたんだ!」
トム、またはジムの目付きが蔑むようなものに変った。
「王宮騎士なら貴族だろうに逃げ出したのか。本当だとすりゃ、最低野郎って事だな……いいだろう。信じるかどうかは別だが、話してみろ。そんで、逃げ出して、こっちの荷を焼いて、恩を売るって言ってたな。具体的にはどうするつもりだったんだ?」
「食料がなくなって飢えた頃に、父が……グーラ侯爵が食料提供を持ちかけ……それを戦後の身分保障の対価とする計画……くそ、いてぇ」
「なるほどなぁ。で、グーラ侯爵に連絡を付けるにゃ、どうすれば良い?」
「助けてくれるのか?」
トム、またはジムは、ハンマーを地面に叩きつける。
その振動に足の傷を刺激され、クリストハルトは小さな悲鳴とともに口を閉じた。
「いいか、聞かれたことだけだ。次はもう片方を折る。分かったか?」
「わ、分かりました!」
「もう一度聞くぞ。グーラ侯爵に連絡を付けるにゃ、どうすれば良い?」
「……領都の城の奥の隠し砦。そこに行けば」
「なるほど。それは城の北か? 南か?」
「南西に小さな山があって……城から見て山向こうの崖に」
「ほう。お前の装備をそこに送り付ければ、お前が人質になってるって証拠になると思うか?」
「剣と鎧は王宮騎士の標準だから無理だ……見分けはつかない」
「なら、あんたの首を送るのが一番か?」
「! ……そうだ、短剣。短剣は家紋が入っているし、父に貰ったものだ! 証拠になる!」
◆◇◆◇◆
「なるほどなぁ。あの無意味な抵抗と奇襲はそういう目的があったのか……バチーク。どう考える?」
ベルカは、敵兵から部下が得た情報をバチークと共に静かに聞いた後、そう尋ねた。
バチークは肩をすくめる。
「偵察を出して崖の砦を確認した上で放置すべきですね。抵抗勢力が残る事になりますので、他の砦や城など、後々抵抗拠点になりそうな場所だけはこちらで抑えておくべきでしょうが」
「放置で良いのか? 後ろに敵を残す事になるが」
「むしろ、万全の守りを固めて引きこもっている敵に攻撃する理由がありません。砦で籠城している兵力程度、出てきたら簡単に潰せます。もちろん後方に敵が残るのに無警戒は良くありません、数組の見張りを置いて、出てきたら報告が来るようにしておけば十分かと。後顧の憂いをなくしたいのであれば、後方の防衛陣地に残してきた中から数隊を呼んで砦に張り付ける手もありますが、その場合、血の気が多い連中を引き込む事になります」
弱い敵と、押さえが効かない強い味方。この局面では味方の方が危険です。というバチークにベルカは頷いた。
「分かった。ならば城に守備隊を置き、偵察任務を与える事としよう。相手が出てきたら本体に報告させる。その上で、出てきた相手の戦力が少なければ戦っても良いし、城に籠もっても良い。しかし出てくるか?」
「食料が尽きれば。まあ、我々が王都に向ったら、戦後の立場を確保するために追い掛けてくると思いますが」
「その時に潰せば良いか」
「はい……しかし、戦が始まった後で敵に内通して立場を得ようとするとは、貴族派というのは聞いていた以上に愚かですね」
「……戦が始まってからの内通など、自国を裏切る愚か者だという自己紹介に過ぎんが、それが分からぬほどに平和が長く続いた国だったのだろうよ。ああ、その捕虜だが、万が一の際の人質として、残る兵に預けておけ」
「なら、最低限の治療はさせておきます。戦後、分かりやすい悪人として役に立つでしょう」
誤字報告など、ありがとうございます。