65.呪いのような作戦
今回の件は水害を発端とする事故に起因するものであり、条約違反ではない。
それがヴィードランド王国側の見解だった。
条約に抵触しそうな『水資源の安定供給』のトラブルは自然災害によるものである。
と、国内で発生した被害状況からも読み取れる。
食料供給のトラブルについてはまだ実害が発生していない。
あくまでもそれが予想出来る、という段階でしかないので、条約違反には該当しない。
それに、これまでのヴィードランド王国と諸外国の関係はそれほど悪くなかった。
だからこれを機会と捉えてヴィードランド王国に対して宣戦布告する国が出てくるとは誰も本気では考えていなかった。
災害につけ込んで攻め込んだと言われれば、それは後々の禍根となり得る。
のみならず、ヴィードランド王国をどの国が取るかで、今後の勢力バランスが大きく崩れる。
そうなれば直接関係のない第三国までを巻き込んだ大乱に拡大する恐れまである。
だから、仮に宣戦布告があるにしても、ここまで唐突であると言うのは完全に想定外だった。
比較的悲観的な予想をしていたヘンリクとリコでも、数年の猶予はあると考えていたのだ。
だが。
「同盟を組んでとなれば、そうした問題もなくなるわけですな。それだけ我が国に全てを頼り切った状態を嫌ったのでしょう。他国と分け合った結果、得られるものがほんの一部になったとしても、それを自国でコントロールできるようにしたい。そういう事なのでしょうが」
ドミニクは王に向き直り、この先どうするのかと問うた。
「我が国の戦力は?」
「エルスター公爵家のアロイス殿が手配をしてくれたおかげで、辺境部の戦力が王都に集結しつつあります。ただしその影響で戦力を失った多くの領地は無血開城を予定しています。一切の問題なく戦力が揃ったとして、総数は順調にいった場合で王都守備隊の10倍といった所かと。貴族派が同調しない場合は半分になりますが」
「……遅滞戦術はどうした?」
それがヴィードランド王国の基本戦術である。
だから思わず王はそう尋ねてしまった。
そして訂正をする。
「すまん……意味のないことを聞いた。あれは周辺国が助けに来るまでの時間稼ぎだったな。今回、時間稼ぎをしても誰も助けには来ぬか……それで、王都守備隊の5倍と想定した場合、その戦力でどの程度戦える?」
「分かりません。まだ、相手の戦力と作戦が見えておりません」
ですが、とドミニクは続ける。
「宣戦布告をして同盟を組んでやってくるというのなら、相手の準備が整っていないと言うことはあり得ませんので、圧倒的に不利な戦いになるのは予想に難くありません」
「軍務卿はどう考える? ん? アルメン軍務卿はどうした?」
「昨晩、こっそりと馬車で出たそうです。恐らくは逃げたのでしょう」
軍務卿が逃げた。
そう聞いて、王は力なく笑った。
「はは……余も逃げられる立場なら逃げただろうな。皆も逃げるが良い」
「陛下はお逃げにならないので?」
「……王が逃げれば責任者がいなくなる。そうなれば、どんな権利も主張出来まい? 民を守るために使えるなら、余の首を使うが良い」
その言葉に、ドミニクは深く頭を下げた。
「立派なお覚悟です。私もお供しましょう」
「ふん。余はもっと早く色々な事に気付くべきだったな……そう言えばカール達はどうした?」
「……好きにしろと言ったら、カールだけはこの扉を死守すると、その扉の先に残りました……あの者は貴族派の出ですが、陛下を心から案じているようですな。もっと早く、側近の心得を学んでおれば、或いは良い側近になったやも知れません」
「……そうか……次代があるのならば、引継ぎのための仕組みを見直さねばならんな……さて、ついてまいれ」
王はドミニクを連れて資料室へと移動すると、誰もいないことを確認した上で声を潜めた。
「父から『最後の作戦』について聞いた事があるのだが……知っているか?」
ドミニクは驚いたように周囲を見回すと、王と同じく声を潜めつつ答える。
「ご存知でしたか……先代の頃は、公爵以上と側近であれば皆知っておりましたが、あれは作戦と呼べる物ではありませんぞ」
「国土と共に心中をする作戦と聞いたが、そうなのか?」
王の問いに、バートは頷いた。
「はい。綺麗な表現を使うならその通りです。しかし実態はすべての水を汚染する作戦です。汚染された水に触れた土も、その土で育った植物も、全てが汚染されます。汚染を除去する方法は知られておりませんので、国民は全滅するでしょうな。呪いのようなものです」
「それに何の意味があるのだ?」
自国民すら全滅させる作戦の意味が分からずに王はそう尋ねる。
「ヴィードランド王国に攻めて来る者がいるとすれば、その目的は水と畑です。それを汚染することで敵の行動の意味を消し去ります。更に、ヴィードランド王国から流れる水を使っている周辺諸国とその下流に位置する国々も滅びますので、攻めてきたのが周辺諸国である場合、相手の国も消滅するでしょうな」
「自国が滅びるなら一矢報いてやる、という作戦か……無意味だな」
「先王もそう仰っていました。戦略的意味のない無意味な作戦だと」
「ならば、なぜそのような作戦があるのだ?」
「その作戦が考案されたのは、今のような条約もなく、我が国に十分な戦力があった頃です。自国戦力だけで防衛しつつ、『最後の作戦』をもって抑止力とする筈だったのですが、条約が成ったことでその作戦の存在を他国に知られれば条約違反となる状況になりました。結果、作戦は封印され、王家と公爵家のみに伝えられるようになりました」
作られたのが遙か昔の話であると知り、王は納得したように首肯した。
そして
「……やはり使えんな」
と呟く。
「公爵以上なら知っているのであれば、誰かが暴走するやも知れぬ。その作戦の放棄を通達せよ。加えて作戦に関する文書は焼却準備。機材などがあるのであれば使えないように破壊せよ」
「かしこまりました」
◆◇◆◇◆
ヴィードランド王国の貴族派とは、貴族至上主義を掲げ、自らの私腹を肥やすことに余念のない者たちの集団である。
もちろん、私腹を肥やすためにはそれなりの才能が必要となるため、領主には優秀な者が多い。
だが、領主本人以外は選民意識、差別意識の塊という者が多い。
そうではない、比較的まともな者は、ライバルとして存在を消され、どうでも良い者が非常時のための予備として飼い殺しにされる。
官僚に貴族派の子弟が多く入り込んでいたのはそうした背景に起因する。
「貴様! なぜ戻ってきた!?」
大音声が屋敷に響き渡ったのは、グーラ侯爵の屋敷だった。
カールの伯父であるグーラ侯爵は、騎士となった自分の末の息子が王都から戻ってきた事に対して激怒していた。
「なんでって、戦争が始まるからだよ。軍務卿も逃げ出すような状況で、なりたての騎士に何が出来るって言うのさ」
「軍務卿? アルメン侯爵が逃げただと? いや、だからと言って、貴様が敵前逃亡したのでは、グーラ侯爵家の立場がなかろう! 何のために騎士にしてやったと思っておる!」
「そんなの知らないよ。もっと安全な部署なら俺だって逃げ出したりしなかったのにさ。王宮の騎士達、城を枕にって盛り上がってるよ。大丈夫だよ。全員討ち死にすれば、俺が逃げたなんて分かる奴はいないから」
「ふむ……そこまで考えておるのなら良かろう。まったく、カールではなくお前を王の側近に押し込めれば良かったのに……そう言えばカールはどうした?」
側近の立場のまま、側近として働けなくなった出来損ないのことを思い出し、グーラ侯爵が尋ねるとクリストハルトは嘲るような笑みを浮かべた。
「なんか、『王の間』を守るためにって騎士を集めたりしてたよ。逃げりゃいいのにね。一応声を掛けたけど、逃げないって言ってたから置いてきたよ」
「まあ、奴はもう用済みだ。今は我々が生延びるため、占領後に向けて、諸国軍に売込んでいかねばならぬ。戻ってきたのであれば、クリストハルトにも仕事をして貰うからな」
仕事と聞いて顔を顰めるクリストハルトに、グーラ侯爵は
「拒否するなら放り出すからな」
と冷たく言い放った。




