64.伝播
宣戦布告文はなぜかヴィードランド王国辺境部の領主達の手元にも届けられていた。
「どういう事かね?」
「見ての通りですが?」
ヴィードランド王国の外務卿であるエルスター公爵の領地はヴィードランド王国の南端にあった。
現在、エルスター公爵は王宮に出向いているため、各国の大使から書簡を受け取ったのは長男のアロイスだった。
アロイスの言葉を聞き、大使達はそう答えた。
「それは分かる。聞きたいのは……三国が揃って布告文を送ってきた理由と、王都ではなく、ここにまで布告を伝えている理由だ」
「詳しくは軍機となりますが、オーグレン、アルノー、モランは同盟を結んだのです」
エルスター公爵領に接するのはアルノー王国だけだ。
オーグレン、モランとはかなり離れている。
彼らが今ここにいるのは、彼らがヴィードランド王国の戦い方を熟知しているからだろう、とアロイスは考えた。
ヴィードランド王国には大きな戦力はない。
基本的に周辺国のパワーバランスで生延びている国なのだ。
だから、戦いとなれば、橋を落しつつ後退し、山間の隘路を埋めながら更に後退する遅滞戦術で、条約を結んだ他国の参戦を待つ事しかできない。
幾つかの領には多少の戦力があるにはあるが、それらは条約で魔物駆除程度に制限されており、戦場で他国の軍隊を相手に戦える規模ではなかった。
ヴィードランド王国が攻め込まれた場合は条約に則って、条約加盟国がヴィードランド王国の防衛を行なう。
だからヴィードランド王国は過剰な戦力を保有して緊張を高めるようなことはするな。兵士を育てる余裕があるなら食料生産に力を注げ、という理由だ。
「……なるほど、抵抗は無意味だと仰りたいのですね?」
「その判断は我々がするものではありませんよ」
条約加盟国の増援がない場合、ヴィードランド王国の戦術は意味を失う。
王都への到達を遅滞させるという意味はあるが、それで稼げる時間は知れている。
その結果を熟考したアロイスは、笑顔を浮かべて大使達に尋ねる。
「いつから同盟を?」
「軍機にあたりますな」
「では、あなた方のこの後のご予定は?」
「このまま王都に向かい、途中の領地の皆様にも布告文をお渡しします」
「なるほど……分かりました。我々も同行しましょう」
予想外の言葉に、大使達は顔を見合わせる。
「目的は何ですかな?」
「はははっ! 軍機にあたりますな」
「我々の心証を悪くする行動を取れば、戦後処理の扱いがどうなるかをお考えになるべきでは?」
「ほう。あなたのお国では、ここで何もせぬ貴族に価値や意味があるとお考えになるのですかな?」
「……さすがはエルスター公爵の息子さんだ。どうせ、我々が拒否した所で、偶然同じタイミングで偶然同じ目的地を目指すだけでしょうし、同行を許可しましょう」
大使達との会談を終えたアロイスは手紙をしたため、幾つかの領地と王宮に向けて馬を走らせるとともに、領軍に戦支度と行軍の用意を指示した。
「あの作戦を実行することにならねば良いが……」
ヴィードランド王国には防衛戦力がない。
だからこそ、条約が意味を失った場合への備えも存在した。
それは相手に勝つための作戦ではない。
条約を破棄した者と諸共に破滅する作戦である。
あまりにも馬鹿げた作戦であるため、それを知る者は少ない。
いっそ、その作戦を開示していれば戦争になることはなかったかも知れない。
とアロイスは昏い笑みを浮かべた。
◆◇◆◇◆
宣戦布告の噂はあっという間に平民の間にも広まった。
噂というのが不確かな情報という意味であるなら、それは噂ではなかった。
広めていたのは各国の大使達。
王都に向うまでに立ち寄った村や町で、自分たちの目的を伝えていたのだから、噂ではなく単なる一次情報である。
それを聞いた者たちの行動は大きくふたつに分かれた。
「目的が食料と水なら、農民は殺さんべ? 奪われるような財産もねぇしな」
「うまくすりゃ、今より暮しやすくなるかもなぁ」
と何もせず、流れに任せる派。
「農民は無事だとしても、商人や職人はどうなるか分かんねぇな。オレは逃げる」
「逃げるって言ってもどこにだ?」
「国がある内に別の国に逃げるか……」
「回りの全部の国が攻めてくる中で、攻めてくる国に逃げるってか?」
と、何か行動をしなければと考えるものの、具体的な行動に繋がらない派である。
その二種類に含まれないごく少数の商人達が
「国外に拠点を持つ商会のコネで、逃げられるかも知れない」
と考え、密かに行動に移した。
◆◇◆◇◆
レオン商会にもそうした者たちがやってきた。
レオンは直接面談を行ない、彼らを二種類に分類した。
財産を守るために逃げようとする者と、具体的な生命の危険を感じて逃げたいと願っている者である。
前者は他国の拠点に連れて行く。
本人が命の危険を感じていないのであれば、その程度でも本人の望みを満たすことが出来るからだ。
後者はヴィードランド王国の騎士の装備や糧食を扱っていたような者たちである。
国との繋がりが深い商人は、敗戦国では命を含めた全てを奪われるのが常である。
今回だけはそうならない、そう考える理由はない。
しかし商人達には逃げる場所がなかった。
近隣諸国に逃げれば、そこは彼らを摘発する敵国である。そこに向うのは自首と同義だ。
逃げるなら、今回の戦争に関わっていない国まで行かなければ意味が薄い。
だからこそ、そこまで繋げてもらえそうな商会に伝手を頼って逃げ込んだのだ。
彼らに対し、レオンは精霊の名の下で行なう秘密保持の契約を求めた。
「全員にこの契約を求めます。こちらの手の内を明かすのはその後。それならば協力しましょう」
「何も分からぬ内にか?」
「だからこそ秘密厳守のみとしています。今あなた達は、私に何か手段があると知りました。ですが、知ったのはそこまでです。契約なしにここから出て敵国に走っても、命を保証してもらえる程の情報ではありません。しかし、概要だけでも知れば、それは敵国で刑一等を減ずる価値があるかもしれません。これはここにいる全員を守るための契約です」
「こちらのみが約束を守らされるというのは一方的ではないか?」
その言葉にレオンは苦笑いを浮かべた。
商人達がヘンリクの予想したように主張したためであるが、商人達はそれをレオンの迷いと捉えた。
「助けを求める身でありながら、厚かましいとは思う。だがこちらも家族の命が掛っているのだ。頼む、対等である必要はない。ただ、レオン商会も何か約束をして欲しい」
「分かりました。ならばこうしましょう。あなた方は精霊の名の下に秘密保持契約を結ぶ。秘密とする情報は、私があなた方をどのように助けるのかに関するすべて。私が許可した相手には告げても良いですが、許可はあなた方の安全が確保された後です。私はその秘密保持契約が成った後、契約を結んだ者に対して、どのように助けるつもりなのかを教えることを精霊の名の下にお約束しましょう……私は精霊の加護がありませんので、どなたかが加護を得ている精霊に誓う形になりますが。これ以上の譲歩が必要だと仰るなら、お帰りになってください」
「その条件だと家族にも伝えられぬのか? ……いや、違うぞ? これは譲歩を求めているのではなく契約内容の確認だ」
レオンが冷たい視線を向けると、商人は慌てたようにそう付け加えた。
「……私が許可するまでは誰にも。ああ、秘密保持契約を結んだ者同士でもそれを伝えないことを求めます。誰が見たり聞いたりしているやも知れませんからね。他に質問はありますか?」
商人達が黙ったのを見て、レオンはジークベルトを呼んで精霊契約の用意を調えさせる。
契約の後、レオンは大きな溜息をついた。
「さて。あなた方を救う方法として、近隣諸国に知られていないと私が信じる、比較的安全が確保された土地にあなた方を連れて行きます。そこは開拓村のような場所です。が、その土地の水はあなた方の知るどの川にも接していません」
「そんな土地が?」
「あります。私自身は直接そこに行ったことはありませんが、そこに住む者と取引をしていました。その土地は、近隣諸国からは遠く離れています。具体的に述べるなら、荒れ地の中に川があり、その川沿いに村が作られています」
商人達は目を見合わせる。
荒れ地に大河や湖があり、そこには理想郷がある。
そうしたお伽噺は枚挙に暇がない。
「証拠は示せるのかね?」
「……強いて言えばこれでしょうかね」
伝書鳩が運んで来た、ヘンリクからの手紙を広げて見せる。
村の場所を示すような情報は見せないが、それ以外の全てを。
小さな紙切れに書かれた情報を何回も読み返した商人達は、どうしたものかと頭を悩ませる。
「秘密保持契約はして貰いましたので、不満ならここを去って貰っても構いませんよ。ただし、ひとつだけ」
レオンは商人達に笑顔を向ける。
「次の便で私もその土地に向います。私も移住するんです。その後、安全にその土地に向う方法はなくなります。次の機会はありません」
「……まさか、商会を捨てるのか?」
「ええ、戦後、敗戦国で生き残るのは農民と、村の生活に必要な者達だけでしょう。あなた方のような国家の御用商人でなくとも、大手商会は生き残れません。私が戦勝国の責任者なら自国の商人を儲けさせます。そのためには、元からある商会は邪魔ですからね」
小さな個人商店なら、村人達の生活環境維持のために残されるだろうが、商会を残すメリットは少ない。
解体して必要な部門――例えば輸送部門――だけを自国の商会に吸収した方が余計なトラブルを抑止できる。
淡々とそう述べるレオンは、しかし少しだけ楽しそうな表情をしていた。
◆◇◆◇◆
レオン経由で情報を得たマーヤの子供や、ヨーゼフの弟子達とその家族など。
彼らもまた、レオンが用意した馬車でレオン達とは別行動ではあるがアントン達の元に向っていた。
貴族派の不興をかって解雇された下級官僚等もそのキャラバンの馬車に乗っていた。
貴族派が行なっていた悪事は退職した下級官僚が行なったことにされている。
敗戦後、戦勝国がその記録を調べ、もしも鵜呑みにすれば、最悪、戦争責任を問われる可能性もある。
彼らを集めたのはヘンリクとマーヤの指示を受けたマーヤの息子だった。
宣戦布告の前から、ヘンリク達はこの日に備えて準備をしていた。
マーヤの息子のマルクは、遠ざかっていくヴィードランド王国の林を見つめながら溜息をついた。
(こんなに早く、その日が来るとは思ってなかったんだけどね)
ヘンリクの予想では数年の猶予があるはずだった。
が、蓋を開ければ彼らが追放されて一年も経たずに王国は崩壊しつつあった。
切っ掛けとなったのが水害である事を考えると、運が悪かったのだろう、とマルクは考える。
大雨がなければ、もう少し猶予があった筈だと。
(現場に残っている下級官僚の話だと、王はやり方を見直しつつあったというのだから、それも含めて運が悪いとしか言えないよな……数年の猶予があれば、立て直せたかも知れないのに)
失敗してもやり直せる。
それは多くの場合、嘘だ。
失敗に学んで、次の挑戦をすれば良い、と言っているに過ぎない。
時間の流れが不可逆である以上、失敗も成功も永久に残る。
そして、ヴィードランド王国の失敗は結果として取り返しのつかない状況を生み出した。
周辺諸国との関係が元に戻ることはあり得ない。
あと僅かの時間があれば、もっと早くに王が気付いていたら、王は先王のようになれたかもしれない。
しかし、それは「たら」、「れば」の話だ。
(諸国軍が王都に来るまで、何日くらいなんだろうか?)
そんなことをとりとめもなく考えながら、マルクは再び溜息をついた。
誤字報告などありがとうございます。
助かっております。