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62.貸し出し記録簿

「くそっ! あの老害めっ!」


 普段はあまり飲まない酒を美味いとも思わずに喉に流し込み、机の天板に拳を振り下ろすカール。

 机の上の、干し肉を入れた小皿が小さく跳ねる。


 その干し肉を口に押し込み、数回噛んだだけで透明な蒸留酒で流し込む。

 アルコールが喉を焼き、胃に落ちて熱を持つ。

 それを繰り返してようやく酩酊に近い所まで自分の意識を持っていく。


 カールは手っ取り早く意識を失いたかった。


 俗に言う、飲まずにやっていられるか。状態である。


 確かにカールは貴族派に利益誘導をするために、色々と暗躍していた。

 そのため、王の元に集まった資料は分類まではしたが、個別の精査までは行なっていない。

 ドミニクの言うようにそれは事実だ。


 だが、部下に命じて裏取りを行ない、貴族派に都合の良い報告資料を作成していた。

 最近は風向きが悪くなりつつあったが、そうした報告書を用いて元の路線に戻そうと努力もしていた。

 だからカールの認識では、彼は『仕事』をしていたのだ。


 しかし、結局(バート)はドミニクの言を入れ、カールにしばしの謹慎を申し渡した。


 その間、先王の頃の資料に目を通し、ドミニクに教えを請い、側近の正しい在り方について模索せよ、と。


 解雇された訳ではない。

 カールはまだ側近の立場にあった。


 これで終わりではない。


 ドミニク達に学ぶのは癪だが、頭を下げて、側近に求められる振る舞いを学ぶ。

 そうすればまだ間に合う筈だ。

 酩酊した頭でそんな事を考えながら、カールは杯を重ねていく。


 そして呟く。


「オレは何にも悪くないぞ。そうだ。元々側近に求める仕事が決まってるってんなら、それを教えなかったのはバートじゃねぇか」


 と。


 カールに対して側近の仕事に関する説明がなかった。

 そこまで言うと言い過ぎではあるが、説明が足りていなかったという事であれば、それは紛うこと無き事実だった。


 カールは知る由もなかったが、先王の頃までは側近にはしっかりと学ぶ機会が与えられていた。


 だが、今回はそれがなかったのだ。


 バートの側近達に対しての学習内容は、知識に限定された。

 心構え、覚悟と言った抽象的な事柄や、なぜそうすべきなのか、という根っ子の部分はすべてカットされていたのだ。


 なぜならば。

 側近の中には貴族派に属さない者がおり、その者達に学ばせる訳にはいかなかったからである。

 もちろん最低限の知識がなければ国家運営など出来はしない。

 だから知識だけは与えた。


 全員を同レベルにしなければ、違和感となる。

 結果、覚悟の足りない頭でっかちな側近が完成し、カールもそのひとりとなった。


 つまるところ。

 カールの学ぶ機会を奪っていたのは貴族派だった。


 酔いが限界に達し、そのまま机に突っ伏したカールは、そんな事も知らずにいびきをかき始めた。


  ◆◇◆◇◆


「なるほど。渡された資料はそれで全てですか?」


 ドミニクのかつての同僚――先王の側近――だったルーカスは、カールに側近の仕事に関する幾つかの質問をした後、それをどこで学んだのかと尋ねた。

 その結果、出てきた資料を見て、ルーカスはそう尋ねた。


「……細かな覚え書きは他にありましたが、読めと言われて渡された資料はこれで全てです」

「なるほど……これは根が深そうですね」


 ルーカスはドミニクと同じく、先王よりもやや歳上で、一見するとドミニクよりも大人しそうな人物だった。

 そのルーカスは困ったような笑顔をカールに向け、サラサラとメモに書物の名を書いて渡した。


「まずはそれをお読みなさい……それで、あなたにそれを読むように言ったのは誰ですか?」

「グーラ侯爵ですが……」


 資料については他の側近も同じ物が渡されている。

 他の誰かに聞けばすぐに分かってしまうことなので、カールは正直にそう答えた。


「あなたの伯父でしたね?」

「そうです。ご存知でしたか」

「……教えておいてあげます。それは侮辱にあたります。国王の元側近であれば自国の子爵以上の関係者を把握するのは最低レベルです。国外の貴族と大手商会の関係者まで覚えている者も普通にいますよ」


 まるで部屋の温度が数度下がったかのような寒気を感じたカールは、ただ、すみません、と頭を下げる。


 ルーカスは、カールが提示した本の裏表紙までしっかり確認すると


「今回は許します。あなたの無知の原因も分かりましたから。五日後にまた来ますので、それまでにしっかりと資料に目を通しておくように」


  ◆◇◆◇◆


「侯爵。これは事実ですかな?」


 (バート)の前に呼び出されたグーラ侯爵は、ドミニクからこれまでの経緯の説明を受け、(バート)の側近達に渡した資料について尋ねられ、困ったような表情を浮かべる。


「私が教えた書物はそれで全てかも知れませんが」


 それについては調べられればすぐに分かる事である。

 だからグーラ侯爵は素直に頷いた。

 そして続ける。


「しかし私は教育担当ではありませんぞ? 教育はヘンリク・アラヤ伯爵……ああ、そういえば今は家名も爵位も失い、ただのヘンリクでしたか。まあ追放された彼の部署が担当だった筈では?」


 責を問うならば相手が違うとグーラ侯爵は笑う。

 が、ドミニクはなるほど、と頷いた。


「なるほど。認めてくださると話が早くて助かります」


 それを聞き、グーラ侯爵は何か失敗しただろうかと頭を巡らせ、だが、調べれば分かる事を誤魔化す方が不味いと、曖昧な表情で頷いた。


「いや、まあカール達に渡した資料は私が用意させたものです。ですが責任者は私ではない事をお忘れなく」

「ええ、あなたは教育については無関係の立場です」

「ご理解頂けて恐縮です」


 笑顔でそう答えるグーラ侯爵に、ドミニクは、しかし、と続けた。


「しかし、だからこそ不思議なのですよ。なぜあなたはカール達にこれらの書物を読むように薦めたのですか?」

「伯父としての心配りですな。陛下の側近になるのであれば、最低限知っておくべき事だと思ったからですが、不味かったですかな?」

「大変不味いですな。現在、それが問題としてなっております」

「はて? 甥が側近になると聞いて、色々教えることに、どのような問題が?」


 そう尋ねながらもグーラ侯爵はハンカチで額の汗を拭う。


「お分かりにならないのですか……王よ。ご判断をお願いします」

「カールと同じく当面の謹慎を命ずる」

「待って! いや、お待ちください。説明もなければ弁明の機会もないのですか?」

「控えよ! 陛下の決定に異議を申すか?」


 ドミニクに睨まれ、グーラ侯爵はハンカチで額を拭う。


「異議ではなく疑問です。私はなぜ謹慎を命じられたのかも分かっておりません」

「それはおって沙汰する」

「謹慎の期間はどれほどでしょうか?」

「陛下?」

「うむ。期限は特に設けぬ。謹慎中に誰かが話を聞きに行く故、余の言葉と思ってすべて話すように」


 グーラ侯爵が部屋を辞した後、(バート)は大きな溜息をついた。

 そして即座にドミニクに


「陛下。臣下の前でそうした行動はお慎みください」


 と注意される。


「ドミニク相手でもか?」

「相手が王妃、王子や王女相手であってもです。先王はそうされていませんでしたか?」

「……なるほど……疲れを見せることはあったが、だらしなく溜息をつくことはなかったな……しかし側近全員が学びの機会を奪われていたとはな。どう考える?」

「グーラ侯爵が側近が学ぶべき知識について、ある程度与えていたため、発覚がここまで遅くなったのでしょう……極めて悪質な隠蔽工作の可能性があります」


 同じ無知でも、使い物にならないレベルならば誰かが気付いた筈である。

 だが、最低限の知識は与えられていた。


「悪意ある隠蔽と申すのか? その根拠は?」

「幾つかございますが……」


 とドミニクは数枚の書類を(バート)に示した。


「王家の書庫の貸し出し記録か?」

「ええ。側近の学びに使う資料は王家の書庫に保管されています。カール達が使った資料もそうです。そして、カール達が留学から戻る少し前にそれらが貸し出されています。借りたのは王室管理局。貸し出し理由は側近候補の学習のため。ここで貸し出されたのは、本来側近候補が読むべきすべての本です」

「ふむ? 準備はされていたのだな? だが、これだけでは悪意の証拠にはなるまい?」


 そう尋ねる(バート)にドミニクは頷いた。


「これは記録に過ぎませんが。ひとつおかしな点があるのです……これはカールが持っていた本ですが」


 ドミニクは、ルーカスがカールの所から回収してきた本を広げてみせる。

 表紙を捲って二枚目の位置に、大きな判子が押されていた。


「……カールが持っていた本には、王室書庫の印があり、通番は側近候補の学習のために貸し出されたものと一致します」

「つまり、側近候補の学習のために貸し出された本をグーラ侯爵が手に入れ、全てではなく、一部のみをカールに渡したのか……」

「ええ。グーラ侯爵にはこの本の入手経路を確認しなければなりませんが、多分、すでに証拠は残っていないと思われます……貸し出し記録簿に名前のある官僚は事故死していますし、この記録簿も廃棄される寸前でしたから」

「……待て。状況証拠からは明らかであるように見えるが、これまでの判断も、聞いた限りはすべて納得できるものだった……他の者の意見も聞かねばならぬ……同じ間違いは繰り返さぬと決めたのだ」

「それは良きお考えですが、そこは陛下の仕事ではありませぬ。陛下が信頼される兵士にお命じください」

追放が失敗だったと理解した王は、出来るだけ客観的に判断しようとしているわけですが、まあまどろっこしいですよね。

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