61.覚悟
外務の長であるエルスター公爵は、先王の弟にあたる。
水害を切っ掛けとする諸外国からの問い合せに忙殺されていた彼の元に届いた書簡を確認したエルスターは、写しを作らせると、1枚のメモを付けて書類を王宮に送らせた。
『本件は荒れ地で発生した問題だが、その原因はポリス川の氾濫の際に流出した残骸に端を発するものの可能性が高く、我が国が無関係を主張する事は望ましくない。事実確認のため早急な調査が必要であるため、河川管理部に調査、対応の依頼をしたが対応しないとの回答があった。経緯は添付の通り。この後、農作物の輸出制限の話をする必要もあるため、オーグレン王国との関係は良好を保ちたい。王宮の判断を問う』
挨拶や公的なルールに則った装飾華美な文章ほぼ一ページ分だったが、要点は概ねそのようなものだった。
◆◇◆◇◆
これが、他の貴族からの書簡であれば、受け取ってないと言い張る事が出来る。
受け取ってしまっても、下級官僚に預けて紛失させれば済む。
しかし公爵からのものとなれば受け取るのは上級官僚である。だからその手は使えない。
また、届けるのが遅れれば、部局の責任問題となる。
そのため、エルスター公爵が送った文書は、速やかに王の元に届くことになった。
「叔父上からか……また王妃についての話か?」
疲れた溜息とともに受け取った文書は、王の予想よりも遙かに分厚く、いつもの早く王妃を迎え入れろというものではないとすぐに分かった。
何より、文書一式は紐で一冊の本のように閉じられており、その表紙にあたる部分には外務の公式印が押されていた。
(……直接送ってくるとは珍しい)
王はまず日付と署名がされた表紙を捲って、エルスター公爵の手書きのメモのページに目を落す。
まるで破くような勢いでページをめくり、もの凄い勢いで全てのページに目を通した王は、再度頭から内容を確認する。
「どうかされましたか?」
そう尋ねるカールに王は手紙を渡した。
それを読んだカールは、頭痛を堪えるように頭を押さえる。
「……使えぬ官僚を辞めさせねばなりませんね」
「カールよ。辞めた官僚はどうなるのだ?」
過去、王は村長達への厳罰が一族郎党の斬首であると思いもせずにそれに許可を出した。
その結果、多くの領に村人が陳情をあげる事態となった。
その反省から今回、王はそう尋ねたのだ。
「それは……その……単に辞めさせただけでは不足という事でしょうか?」
カールのその質問に、執務室にいたもう一人が右の眉を上げた。
先王の側近のひとり、ドミニクだった。
「カール。陛下の質問に質問で返す前に、まず陛下の問いに答えよ……陛下、今私がなぜこのような事を申し上げているのか、お分かりですか?」
「……余の時間を無駄にするなという意味だろうか?」
自信なさげな王に、ドミニクは頷いた。
「それもございます。ですが側近としての職責に関わる問題でもあります。もしもカールが陛下の意図を確認しなければならないと思ったなら、答えた後で確認すべきです。答えを述べる前に陛下の意図を聞いてしまえば、陛下の顔色を窺って答えを変えることも出来てしまいます。それでは側近の職務を果たせませぬ」
「陛下のお考えを確認し、それに応じた献策をするためです! 決して顔色を窺うなど!」
「ならば、早く陛下の質問に答えよ」
カールは悔しそうな表情で俯くと、河川管理部の長がグンター・ギレスである事。グンターの父が子爵であることを思い出し、切り捨てても大きな問題はないと判断する。
「……上級官僚の職責を果たせないのであれば、辞職……その上で彼の爵位召し上げが妥当かと」
「ふむ……ドミニクはどう考える?」
「……その上級官僚はグンター・ギレス男爵。ルーベルト子爵家の次男です。彼本人に対する処置としてはカールの意見に同意します。ですが、それだけでは問題再発の可能性があります。私が調べたところ、一昨年の組織改編の際に前任者が降格された事で、彼は特段の功績なく上級官僚になっております。功績や勤続年数などから、少なくとも彼の上には3人の上級官僚候補がいたにも関わらずです。ですので調査の上、任命責任を問う所まで行なっておくべきかと。そうしない場合、今後も適性のない者が上級官僚となって王を煩わせることになりかねませんので」
ドミニクの話は、彼がなぜそう思うに至ったのかを含めた説明になっていた。
しかし、だからこそカールは王に聞かせるようにこう言った。
「ドミニク殿は随分と本件に関する情報をお持ちの様子。私は今この場で初めて本件について問われたが、ドミニク殿はいつ、それを調べたのでしょうか?」
それを聞いた王は、確かにその通りだ、と首を傾げた。
「ドミニク。任命の経緯についてまで調べたようだが、それは、いつ、なぜ調べようと考えたのか?」
ドミニクは大きな溜息を漏らした。
「王が知りたいと望むことを予め調べておくのは側近の仕事です……が、カールは本当に知らなかったのかね?」
「私に質問をする前に、王の質問に先に答えるべきでは?」
やり返せた、とほくそ笑むカールにドミニクはそうだな、と肩をすくめ、執務室の棚にあるファイル――王が、『意見があれば身分に関わらず届けよ』と言って集めた意見を分類して保存したもの――の一冊を手に取る。
「『いつ調べたのか』は、4日前です。『なぜ調べたのか』は『上級官僚になった経緯が不明で、かつ上級官僚としての知識も不足している者がいる』という訴えがここに記されていたからです。何より、大勢の意見についての調査は側近の仕事だからです……カールよ。もう一度問うぞ。お前は本当に知らなかったのかね? お前はいったい何をやっていたのだ?」
王には様々な情報が寄せられる。
それを王がすべて精査するのは物理的に不可能だ。
かと言って、わざわざ王に伝えようという意見だ。蔑ろにして良いものではない。
誰かがその意見をまとめなければならない。
本来それは王宮付きの官僚の仕事あると同時に側近の仕事である。
情報の裏取りその他諸々。
王に代わってそれらを行い、意見を求められた場合は可能な限り速やかに意見を述べる。
万が一、官僚の情報が間違っていた場合、それを正すのが側近の重要な仕事なのだ。
だからこそ、王は信頼できる者を側近としなければならないし、側近は王の期待に応えなければならない。
ドミニクにそう言われ、カールは俯いた。
「もう一度聞こう。カールよ。お前は本当に知らなかったのか? だとしたら、お前は側近としての仕事をしていたと言えるのか?」
ただ俯くカールに溜息をつくと、ドミニクはこう続けた。
「グンター・ギレスの処分について、お前は『上級官僚の職責を果たせないのであれば辞職』と言っていたな。これは私も賛成だ。だが、だとすれば『側近の職責を果たしていない』お前はどうするのかね?」
カールは熟考した上で、溜息をついた。
「確かに。私は側近の職務について正しく理解出来ていなかったのでしょう。ですが、先のドミニク殿の意見では、任命責任があると。私を任命したのは陛下ですが、するとドミニク殿は陛下に罪ありとおっしゃっているのでしょうか?」
王国において王の権威に傷を付けることは、国家の在り方を攻撃するようなものだ。
王に罪ありと主張すれば、それこそが罪となる。
ドミニクが深く重いためいきをつく。
それを見て、カールはようやく危機を脱したと安堵の息をもらす。
が。
「陛下に罪ありか。まさにその通りだよ」
ドミニクのその言葉にカールは目を剥いた。
そして王の権威を盾にして叫ぶ。
「……ふ、不敬だろう?!」
「カール、不敬なのはお前だ……ヴィードランドでは王に直言する事が許されているが、中でも側近は特に忌憚のない意見を述べることが求められているのだ。王といえども万能ではないし無謬でもない。だからこそ、必要なら己のすべてを賭けて間違いを間違いだと正す者がいなければならない。私はその職責に沿って、己が身命を賭して述べている」
ドミニクはそう答えると、カールを睨み付けた。
「お前は今、『不敬』と言ったな? つまりは側近の職責も覚悟も理解していないのに側近を名乗っていたということだ。それこそ不敬と言うものだし、歴代の王を支えた側近達の顔に泥を塗るものだ。陛下の罪は、側近の選択と教育の失敗にある。そして陛下はその可能性に気付いたからこそ、私がここに呼ばれているのだよ。側近は陛下の友人ではない。その立場を求められる事もあるが、あくまでも臣に過ぎず、命を賭けて陛下に苦言を述べる覚悟を持つ者たちだ。翻ってお前はどうだ? 質問に質問で返し、陛下の元に集まった意見も確認していない。そして自らを惜しんで苦言を呈することもしない」
ドミニクは王に向き直って頭を下げた。
「陛下。先王をお支えした側近として申し上げます。先王ならば、このような覚悟なき者をおそばに置くことはしなかったでしょう。この者を選んだ責は陛下にございますれば、学ばせるも処分するも、以降は陛下がご判断ください」
誤字報告など、いつもありがとうございます。