60.不一致
あの後、ヘンリクがレオンに連絡を取り、フェリクス村の逃散の計画を詰めるのに2週間を要した。
村全員の覚悟の自殺を装うためには、荷物の持ち出しは最低限にせねば疑われる。
そのため、村人達は小さな鞄ひとつだけを持って荒れ地に出る計画となったが、命には代えられぬとのレオンの説得に村人達が納得するのに更に2日が必要だった。
計画では若い馬以外のすべての家畜を逃がすことになっている。
後で調査が入った際に、すべての家畜を逃がしたから馬もいないのだ、と誤認させるためである。
実際は、レオンが荒れ地との境に放置した古い荷馬車を馬に牽かせ、荷馬車には飼葉と水を入れた瓶だけを乗せて荒れ地に出ることになっている。
馬車は細い丸太を牽くことで、轍を残さないように工夫する。
村人達も追われたら罪人として手配されると分かっている。
レオンからも、余計な痕跡は残さないように言い含められてもおり、後は時を待つだけとなった。
そして、4週間後。
フェリクス村から荒れ地に出て半日ほどのところにアントンとヘンリク、そしてヨーゼフがいた。
レオンはアリバイ作りのため、今頃は王都の西で行商中である。
村人との合流のため、アントン達は荒れ地に50センチ程の穴を掘って、そこで火を焚いて細い煙を上げていた。
煙の様子を確認しつつ、日持ちするように固めに焼いたパンを水で流し込みながらアントンは溜息をつく。
「アントン君にしては珍しく重い溜息だね。どうしたんだい?」
「今更ではあるが、逃散とは穏やかではないな、と思ってな。農民にとっては苦渋の選択だった筈じゃ。それを思うと我が身の非力が恨めしいわい」
農民にとって畑は財産である。
それは不動産という意味だけではない。
畑を失って、仮に同じ面積の土地をもらったとしても、農業に使えるように土や環境を整えるには年単位で時間がかかる。
だが、土や環境が出来てもそれで終わりではない。
畑のある土地の特性を理解し、その土地に適した農法を作り上げなければならない。
農民に伝わる口伝には、土地ごとに大きく異なるものも多いが、それは先祖伝来の農業のやり方が、長い時間の中で試行錯誤され、その土地に合わせて磨かれてきたものだからだ。
農民にとって、逃散によって畑を捨てるというのは、先祖から受け継がれた知恵を投げ捨てる行為なのだ。
「別に逃散はアントン君のせいじゃないって。悪いのは村人達に他に選択肢を与えなかった国だよ。だって、布告に逆らったら死罪だし、残れば飢える未来しかないんだから」
ほぼ全ての村で、村長に責を負わせて見せしめのために死罪が行なわれた。
そしてそれを見た農民の多くが、それは単なる行き違いによる物だと知っていた。
それなのに死罪である。
行き違いで村を預かる村長ですら死罪になったのを見て、多くの村人は怯えた。
今の村人達には、命令を拒否するという選択肢は残されてなかった。
出来ることと言えば、せいぜいが領主に陳情する程度でしかない。
国は農民の命を奪うが、領主は奪わない。
それはそう考える農民が多いことを示していた。
言い換えるならば。
村人の心は国から離れつつあった。
「これからもこういう事が増えるんじゃろうか?」
「レオンから聞いた限り、ヴィードランドの変化は僕とリコ君の予想以上に早いんだよね。増えてもおかしくはないね」
「……開拓人口が増えるのは悪いことではない……その多くが木の精霊魔法を得られるのなら、受け入れは可能じゃろう。じゃが問題も多発しそうじゃな」
急速に発展すると、今のやり方が通用しなくなる。
村ならば管理者1人が全員顔と名前を記憶し、毎朝挨拶を交わして直接近況を確認できるが、国になればそれは不可能だ。
そうした変化に起因する問題も増えそうだ、とアントンは再び重い溜息をもらすのだった。
◆◇◆◇◆
フェリクス村の村人を保護した彼らは、森人達に挨拶をして拠点に戻った。
今回増えたのは7家族。44人である。
橋の手前でアントンは馬車を止め、馬車に乗っていた老人や子供に馬車から降りるように告げた。
橋が弱いのだろうなどと考えながら村人達が橋の手前に雑に植えた数種類の雑草の辺りで全員が足を止め、それ以上先に進めないと困惑する。
そこでアントンが許可を出し、全員に
「この土地は精霊に守られておるのじゃ。ヴィードランドの者は許可なく入れないのは今見たとおり。ここまで来ればもう安心じゃろう」
と告げる。
それを聞いた老人達が涙を流し、子供達はそれを不思議そうに見上げていた。
村に入った彼らは、近くの村の村長の姿を見て、レオンから聞いていた話は本当だったのかと安堵の息をもらす。
「ディーターさんじゃねぇか。話はレオンさんから聞いていたが、本当に無事だったんだなぁ」
「おう、フーゴじゃねぇか。お互い無事で何よりだ。そんで、フェリクスの村長は?」
フーゴの言葉につられて村の言葉で答えるディーターの問いに、フーゴは悲しそうに目を伏せた。
「……親族含めて死罪だとよ。まだ十の子もおったのになぁ、むごいこった」
「そうか、残念だったなぁ、まあここに来ればひとまずは安心だ。村にいた頃より仕事は多いが、食いもんで苦労する事はねぇ。安心してええぞ」
フーゴ達はディーターの親族と肩を叩き合ってお互いの無事を確かめ合うと、ディーターに木の精霊を祀った祠の前まで案内され、木の精霊に、村人となった感謝の祈りを捧げた。
そしてその日の夜。
アントンと共に精霊への祈りを捧げた彼らは、精霊の加護を得て、12人が木の精霊魔法を習得した。
それによって、精霊の加護がある土地というのが紛れもない事実だと理解した彼らは、この土地を終の棲家とするための誓いを立てるのだった。
◆◇◆◇◆
グンター・ギレス男爵はついこの間まで下級官僚で、平民の官僚はすべて自分達貴族の命令に従うべし、等と広言しているような男だった。
立場としては貴族派であり、アントン達の追放の前後から始まった企ての中で、気付けば河川の管理部門で上級官僚になっていた。
結果、下級官僚の中でそれなりの立場になれればと期待していた彼は増長していた。
「オーグレン王国から苦情だと? 今はこっちは水害でそれどころじゃないってのに……ああ、なんだ。馬鹿野郎! 水は流れているんじゃないか! こんなのいちいち報告するな! 水が流れているなら問題無い。フンメル子爵からの被害調査と復旧を優先しろ!」
貴族派からの依頼を優先しろと命じるグンターに部下のイステルは確認をする。
「オーグレン王国の件は外務から回ってきたものですが、よろしいのですか?」
「構わん。河川管理は国内優先だ。外務など放っておけ」
貴族派は主に内務に浸透しており、外務に関して大きな権益が見込めるポストにしかいない。
というのもグンターの優先順位の理由だったが、彼はそれらしい理由を付けてそう命じた。
◆◇◆◇◆
外務は、オーグレン王国からのクレーム対応に奔走していた。
これから食料輸出が減るという話もしなければならないため、オーグレン担当者のヨアヒムは、とにかく使えるカードがないかとあちこちに手を回していた。
「ヨアヒム様、こちら、河川についての報告です」
修復なり、調査結果なりが届いたのかと紙束を受け取ったヨアヒムは、目を通すなり紙束を机に放り投げた。
一応、公式書類であるため、丸めたり破ったりしなかったのはヨアヒムが外交官として培ってきた忍耐力のたまものである。
「……まさか何もせぬとは……ケッテラー。オーグレンから届いた水利権に関するクレームの文章と、それに対するうちの対応、内務に対して依頼した内容とこの文章について、経緯をまとめた資料にそれぞれの写しを添付して、エルスター公爵に提出してくれ。要点は、オーグレンからのクレームは内務の領分である。だが、内務が機能しておらぬため、クレームへの対応が出来ておらず、このままだと賠償請求に進む恐れもある、と」
「我が国とオーグレン王国との関係は良好だと考えておりますが、賠償請求の可能性についても触れるのですね?」
「……その被害に、予想されている食料供給の減少も足せば、条約違反を問われるレベルだからな」
ケッテラーはヨアヒムの答えを聞いて、そこまでの事態なのかと表情を引き締めた。
「……急ぎます。写しの作成に4人ほどお借りしても?」
「ああ、許可する」
誤字報告など、ありがとうございます。
私事ではありますが。
日曜日、自宅のトイレの鍵が開かなくなり、中に閉じ込められました。
前に一回開かなくなったことがあったのですが、その時はガチャガチャやったら開いたのです。
で、分解清掃して油断してました。
今回はガチャガチャやっても明かず、結局3時間近く、外に出られませんでした。
トイレにエアコンはなく、気温は体温以上。
後半はちょっと朦朧としていました。
幸い、ポケットにスマホが入っていたので、鍵屋さんを呼べましたけど、それがなかったらドアを蹴り開ける事になったかもです。
トイレの手洗いの水でタオルを濡らし、そのタオルを体に当てて体の熱を取ってましたが、それでも熱中症になってしまったようで、頭痛が続いております。
トイレの鍵とかが不調かなと思ったら早めの修理をお勧めします。。。