6.村
翌早朝。
寝る前と起き抜けにマーヤに絞られたクリスタは疲れた顔で馬車の用意をしていた。
天幕の片付けをしつつそれを眺めるアントンは、食器の入った箱を片付けるマーヤに声を掛けた。
「なあ、クリスタの剣はどんな感じじゃろうか?」
「クリスタちゃんは、剣には向いてないわね。間合いの取り方に変な癖があって、なかなか直らないのよ」
「最初ならそんなもんじゃろ?」
「人相手じゃないわよ? 訓練用の木刀で、杭に向っての話よ? 何か武術をやらせてたって訳じゃないのよね? 握りや振り方はそれなりなんだけど」
クリスタは年齢の割に筋肉はしっかりしていて、持久力もある。
下地はあるのに、それをうまく使いこなせていないのだとマーヤは呟く。
「何もやらせてはおらんぞ? ……しかし、戦う意志はあるのじゃよな?」
「それは何回も確認したわ。分かりやすく、斬ったり突いたりしたら相手は手足を失ったり苦しんで死んだりする。相手を斬らなければ自分がそうなる。それでもやるのかってね」
本気で剣で戦えばいずれかが死ぬか大怪我を負う。
だから防具を使うが、それでも回復することのない怪我をすることもあるし、運が悪ければ死ぬ。そして更に運がなければ苦しんで死ぬ。
吟遊詩人の英雄譚に登場する英雄は死なないし怪我をしても治るが、現実はそう甘くない。
クリスタの場合、その辺りは最初からある程度クリアしていた。
鶏を絞めて肉にするのを見た経験などもあり、「生き物は簡単に死ぬ」を実感として理解していたからだろう。
なんか踏み込むのが苦手みたいなのよ。とマーヤは短剣を上段に構え、その場で腰を落して足を動かさずに剣を振り下ろした。
「そういう動きをしとったのか?」
「そうね。踏み込めって言っても、なぜか剣を戻しつつ前に出る感じ」
「それは、畑を耕すときの動きじゃ……」
腰を落しつつしっかりと地面に鍬を入れ、力を入れずに腰を伸ばしつつ鍬を持ち上げる。
構えから打ち下ろすまでは一歩も動かない。
鍬を持ち上げたら初めて前進する。
それに対し、剣で上段から打ち込む場合、大剣でもない限り前方に踏み込みながら剣を振り下ろす。
振り回すタイプの剣であっても、相手に向って進みながら振り回す。
敵に踏み込みながら振れば、体重移動の力が攻撃に乗るからだ。
だが耕す動きは効率よく地面に力を打ち込むことを目的として最適化されている。
目的が異なるのだから、畑を耕す時の動きそのままでは、間合いがおかしくなるのも当然だった。
「あー、振り下ろしの時にそういう癖が付いちゃってるのね……そうすると、歩兵用の剣や騎兵用の剣よりも槍の方が使いやすいかしら?」
「槍なら重心もかなり違うし、多分大丈夫じゃろ。それにそれらしく構えるだけなら、槍の方が楽じゃ」
「鉄の塊の端を持って構えるより、重心付近を握るだけでもそれっぽく見えるか。それじゃクリスタちゃんにはまずは短槍を教えましょう」
「ああ、頼む」
「でも、アントンがクリスタちゃんに戦い方をなんて言うとは思ってなかったわ」
「ワシらもいつまでもそばにいられるわけではない。マーヤがクリスタに火の付け方を教えようとしたのと同じ話じゃ……おっと、そろそろ急がんとな」
クリスタの用意が出来たのを見て、二人はまだ残っている荷を馬車に乗せ、忘れ物がないことを確認して、目的地の村を目指すのだった。
◆◇◆◇◆
一行は昼前に目的の村に到着した。
アントンは顔馴染みの村長に挨拶をしつつ、追放処分についての事務手続きを行なう。
王都を出るときに受け取った書類を村長に渡すと、村長は「ああ、これが。初めて見ました」と珍しそうに確認する。
荒れ地に面したこの村から追放者が国境外に出るなどという珍事が起きる筈もなく。
アントン達が国境を出るのを確認した村長がそれに日付と署名を入れ、1部をアントン達が、もう1部を村で保管することで追放がいつ行なわれたのかの記録となる。
町長や村長の家にはそうした書類を保存する箱があり、納税の際に徴税官がそれを書き写して情報だけを持ち帰る。
それによって追放が成立する。という気の長い仕組みである。
「ああ、アッカーマン子爵様。連絡は受けておりますが、大変な事になりましたな」
「今は平民じゃからその呼び方はやめて頂きたいのじゃが」
「失礼しました……それにしても、これだけ様々な改革を成功させてくださったあなたが3等とは言え追放とは……新王は英明な方と評判でしたのに」
「問題がないかを調べて対処しようとする態度は愚かな物ではないよ。これで、対話の機会さえ貰えていれば賢君と呼んでも差支えない。まあ新しい立場になって、まだ不慣れだったのだろうよ」
アントンの言葉の裏の意味を読み取り、村長は悲しそうな表情を浮かべる。
「……そうですか……しかしそうなりますと……今後の作付けはどうなるのでしょうか?」
ヴィードランドには昔ながらの農法を踏襲している農家が多い。
アントンはそうなった理由を調べた上で、可能な限り育て方は変えずに種の方を変えてきたのだ。
アントンのやり方が否定されたのであれば、種どころか育て方すら変えていくことになるのでは、という不安を滲ませつつ村長は尋ねる。
だが、アントンは村長の問いへの答えを持ち合わせていなかった。
「済まないがワシも詳しい話は何も聞いておらぬ。今回、ワシが作った小麦を始め、見直す部分が多々あるから、色々な変化があるだろう程度しか言えんのじゃよ」
「そうですか……あの種には本当に助けられたのですが」
「そう言って貰えただけで、改良をした価値があったと思えるよ……ところで、もしも余裕があるようなら、野菜を売っては貰えんじゃろうか?」
「裏の畑の物でよろしいですかな?」
「ああ、助かるよ」
と畑に視線を向けるアントン達に、そばで話を聞いていたマーヤが待ったをかけた。
「待って。村長さん。あたしは軍の責任者をやってたマーヤ。アントンと一緒に追放刑を受けたんだけど、ひとつ聞かせて?」
「なんでしょうか? 難しいことでなければ良いのですが」
「さっき、連絡は受けていたって言ったわよね? で、追放の事も知ってた。つまり追放についての連絡を受けたのよね? それっていつ?」
「ええと、……あの日は野菜を干していましたから……十日前の昼頃でしたか、早馬があって、追放についての説明がありましたが」
「……十日ねぇ……ああ、ありがとう」
マーヤが村長に礼を述べると、村長はそれでは、と畑に向って食べ頃や、やや早めの野菜の収穫を始める。
それを眺めながらマーヤが重い溜息をつくが、ヨーゼフは首を捻っていた。
「十日? ……なあ、わしにも分かるように説明しとくれんかの?」
「あたし達への通達が遅れに遅れたって話よ。国外追放の場合、十日前に決まってなければ普通の方法では出国が間に合わないもの」
「……あー、アントン、どういう意味か通訳しとくれんべか?」
「執行に不備――例えば『3日以内に国外に出ろ』のような無理難題じゃ――があれば、追放刑破りで処罰しようとした際に、無視できない誰かが異議を唱える可能性もある。だから十日前に判決があり、告知もその時に行なわれたという記録が必要じゃったのじゃろう。ワシらへの怨恨か、別の何かかは知らぬが、根の深い問題じゃ、という話じゃよ」
「あぁ? あっ! 書類上は十日前に判決があったちゅうことか! なんと卑怯な!」
憤慨するヨーゼフにアントンは苦笑した。
「まあ想像に過ぎんが、十日前に早馬があったということは、それ以前に判決があったという事じゃろ?」
「くかぁ……わし、そこまで恨まれとったんだべか……」
「……一昨日も言ったけど、他の追放者を見て確信したわ。個人への怨恨かどうかは分からないけど、追放されるのは全員国王派よ」
「国王派とかわしゃ、意識しとらんのけどなぁ」
ヨーゼフは肩を落して溜息をつく。
「そりゃそうでしょうよ。国王派って言う区分はあくまでも強いて言えばの話だもの」
国王派とマーヤは分析しているが、そういう集まりがあるわけでも、名簿があるわけでもない。
貴族の権益拡大よりも全体の利益を優先する傾向がある貴族は、その主義主張からそのように呼ばれる傾向があるだけで、あくまでも他称なのだ。
「マーヤの読みが当ってた場合、誰が影で糸を引いたのかが分からんな。アントン、予想できるか?」
「……ワシには見当も付かんよ。国王派は分類のひとつでしかなく、誰かが牽引しているわけじゃない。貴族派その他も同じくだ。ここまで組織だった行動が出来るほど、まとまった派閥はヴィードランドにはない筈じゃ」
「あたしの勘だけどね。他の国からの干渉かもしれないと思ってるわ」
「他国? 自分たち以外がヴィードランドを占領したら自国の破滅だからと、ヴィードランドに手を伸ばす者がおれば、周辺国家は協力して叩き潰していたと記憶しているのだが」
「アントンの言うように今まではそうだったわね」
ヴィードランドも何かあったときには引きながら橋を落しまくって時間を稼ぐことを前提とした軍隊を育ててきた。
そうやって周辺国が助けてくれるまで生延びる戦略である。
それを可能とするだけの食料と水がヴィードランドにはあった。
その資源は、他国から見たら投げ売りのような値で輸出されており、それらの継続を対価として様々な条約も結んでいた。
だから自国が占領するならともかく、他国がヴィードランドを占領するのは許容できないという国は多い。
他国が占領した場合、食料の値が上がったり、輸出が止ったりするかも知れない。
水路を作って他の国に水を流すようになるかもしれない。
そうやって発言力を増せば国家は安定する。
それは、周辺諸国がヴィードランドを始めとする、比較的、水や作物の実りが豊かな国を占領した場合に行なうつもりの事だった。
だからこそ自国以外がヴィードランドを占領したら酷いことになると皆が考えていたのだ。
「……まあ、どんな理由であれ、もうわしらにゃなぁんも出来んのじゃから、そんなの考えとらんで水でも補給すっぺ」
そう言って肩をすくめたヨーゼフは、クリスタが番をしている馬車に近付くと、クリスタと一緒に井戸から水をくみ上げて樽に補給するのだった。