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59.逃散

「結論から言えば、事故の可能性が高いかと」


 一週間後、調査結果を聞くためにエストマン侯爵に呼び出されたノルマンは、侯爵の執務室でそう述べた。


「事故か。根拠は?」

「川に流れた瓦礫を大工に調べさせましたところ、堰を構成していた木材は古い橋の残骸等でした。報告書にあるように、ヴィードランド国内の水害で上流の橋が流され、それが川の流れを堰き止めたと結論づけました」

「ふむ……壊した橋を用いて堰を作った可能性は?」

「可能性について論じるなら、完全な否定は困難です。しかし、ヴィードランド国内の被害状況を鑑みるに、ポリス川を堰き止めるための工作としてはいささか過剰ですし、何より彼らには動機がありません」


 荒れ地に堰を作ったのがヴィードランドなら。そしてそれが故意であるなら明確な条約違反だ。

 しかし、荒れ地は各国が責任を放棄するために領有権を放棄した土地である。

 故意ではなく事故であり、川が堰き止められたのが荒れ地であれば、普通なら責を問われる理由はない。


 ノルマンの報告書に目を通し、エストマンは大きく溜息をついた。


「君は条約については詳しくないのだな」

「一通りは読んでおりますが……そうですね。詳しいとは思っておりません」

「かの国との条約で、ポリス川について読み直してみると良い。自然現象由来の渇水を除き、ヴィードランドはポリス川下流に水を流し続けるとなっておるのだよ。だから条約違反を問えるのではないかと考えている者が多いのだ」


 実際の所、条約違反であると言い切ってしまうと、少々言い過ぎではある。

 確かに、条約ではヴィートランドで水が涸れた場合を除き、水の安定供給を約束している。

 それに照らせば、水害が原因で、というのは条約に抵触するようにも見える。


 しかしふたつの点で、条約違反を主張するには弱いとノルマンは考えていた。


「ヴィードランドが約束しているのは、下流に水を流すことまででは? 少なくともヴィードランド国内から荒れ地(国外)に水は流されています。それに堰があったのは荒れ地です。荒れ地での責を問うなら、多くの国が荒れ地の領有権を放棄している理由がなくなりますが」

「条約に書かれている文言はそうでも、条約を結んだ下流の国に水が届かないのだ。文句のひとつも言えよう?」

「……我が国とヴィードランドとの国交に問題はなかったと思いましたが?」

「条約違反があってもか?」

「いえ……ですが、これは条約締結時の想定が甘かっただけかと」


 条約は渇水による供給停止を是としている。

 意図するところは、自然災害ならばやむなし。という事だ。

 そう書いていないだろうと詰め寄ることは出来るが、ヴィードランドにそう主張され他国がそれに同調すれば、ごり押しは難しい。


 何より、この世界の国際常識に照らせば、荒れ地での責任を問うのは乱暴に過ぎる。

 多くの国が荒れ地の領有権を放棄しているのは、そこで何があっても責は問わないという不文律があるからだ。


 残骸が堰を作っていたのはヴィードランド国外である。

 そこまでの責任は持てぬと言われれば黙るしかない。


 その辺りを考えると条約違反とは言いがたい。とノルマンは主張した。

 だが、続くエストマンの言葉にノルマンは目を瞠ることになる。


「水だけではなく、食料輸出に問題が出てもかね?」

「食料が? ですが水害の被害はポリス川流域に限定されていると……」

「今回の水害の影響だけではない。この冬からヴィードランドの収穫が半分以下になりそうだという報告があるのだよ」


 ヴィードランドはそれを隠そうとしているがな、とエストマンは笑う。


「半分以下ですか? まさか内戦でもあったんですか?」

「あるとすればこれからだ」


 冗談として口にした『内戦』を否定されず、ノルマンは青ざめた。

 オーグレン王国の食料自給率は100%を超えている。

 しかし、それは家畜の飼料用の作物も含めた数字であり、国民全ての食を満たすにはやや足りないというのが現実なのだ。


 だからヴィードランドからの食料輸入に大きな問題が生じれば、国民が飢える。

 飢えた国民は、死ぬくらいならと家畜に回す飼料を減らす。

 そうなれば、オーグレン王国の基幹産業である高品質な牧畜は続けられない。


 食料供給が減る予想がある上、内戦の恐れまであるとなれば、今後、更に様々な点で問題が生じるのは予想に難くない。


「我が国はどう対処するのでしょうか?」

「まだ決まっておらん。まだな」


 それは、既に対処についての検討が始まっているという事を意味していた。


  ◆◇◆◇◆


 村の周囲の開拓範囲は少しずつ広がりつつあり、今では岩塩や石灰が採取出来る断層付近まで、開拓が進んでいた。

 現在は開拓した土地の、川から離れた側は牧畜のために牧草が植えられている。


 そして、川に面した側には水車が増えつつあった。

 その結果、人手不足を補うため、様々な作業の省力化が進んでいる。

 結果、糸と砂糖の生産量が増加していた。


 それらをレオンに売り、若いメスの犬山羊2頭と、大型犬と猫をそれぞれつがいで。加えてアントンが用意した中に含まれない植物の種や苗。その他、嗜好品の類いを買い取って帰ってきたヘンリクは、アントン達に相談を持ちかけていた。


「レオンから、移民の打診があったんだけど、僕もどうすべきか悩んでるんだ。みんなの知恵を貸して欲しいんだ」

「移民? まあ一応聞いておくが、どういう者が移民を望んでおるのだろうか?」

「一言で言ったら食い詰めた農民だね」


 ヘンリクの答えに、アントンは目を閉じ、その意味を吟味する。

 そして


「それは逃散(ちょうさん)する、ということじゃろうか?」


 と尋ねた。


 逃散(ちょうさん)とは、農民などが土地を捨てて逃げ出す事を言う。

 その問いに、ヘンリクは頷いた。


「そうなんだよね。なんか、今のやり方では半年で生活が出来なくなるって思い詰めてる農民が多いらしくてさ」

「あー……まあ、それはそうじゃろうなぁ」


 何事にも土地にあったやり方があり、他のやり方を持ってきても失敗する事が多い。

 勿論、土地ごとの違いがないような事なら問題はない。

 しかし、様々な職業の中でも、特に自然と向き合う農林水産業は土地ごと、地域ごとの違いの影響が出やすい産業なのだ。


 それを無視してうまく行くはずがない。


 アントンが、今までのやり方を尊重した改革を行なっていたのは、それを理解していたからだ。

 だから、詳細を聞くまでもなく、どういう経緯で現在の状況に至ったのかの想像は出来た。


 だが、ヴィードランドにおいて逃散は罪となる。

 逃げた農民が野盗に堕ちれば、直接的な税の減少だけではなく、治安の悪化による間接的な税の減少も発生するためである。


「受け入れれば、逃散の共犯にならんかの?」

「……こっちが主権を主張すれば、そこはクリア出来るかな。受け入れたって認めなきゃ、この土地に入れない者には確認のしようもないわけだし」

「じゃが、万が一、追っ手が掛ればレオンの立場も不味かろう?」


 犯罪者の逃亡に手を貸したとなればレオンも共犯となる。

 下手をすれば、逃散した者たちよりも重い罪が科せられる。


「そこなんだよね。レオンごとこっちに引っ張ってくるってのも考えたんだけど、そうするとヴィードランド国内に協力者がいなくなるし。かと言って、逃散するなら村単位だからね。それがただで手に入るなら、逃すのは惜しいかなってのが迷いどころなんだ」


 話を聞いていたマーヤは、それなら、と提案する。


「アーレント村から荒れ地に出るように指示をして、私達が回収するという手はどう?」

「それも考えたんだけど、露見すれば手配をした者も犯罪者となるよね?」

「そりゃぁ難しく考えすぎだべ? 罪になんねえようにすればええ」


 ヨーゼフが試作中の弱い発泡酒を片手にそう言うと、マーヤはどうやってよ、と問いかける。


「ディーター達みたいにすりゃええべ?」


 アーレント村の村長は、死罪のところを荒れ地への追放刑にして貰い、そのまま荒れ地に逃げ延びた。

 普通であれば、荒れ地に逃げるのは死を意味する。

 だからこそ、荒れ地に追放されたディーター達は見逃されることとなった。


 それと同じようにするという意味が分からず、マーヤが首を傾げる。


「逃散をしていないなら、彼らは犯罪者じゃないわよ? 追放って言われてもどうするのよ」

「ん? 自分で自分を荒れ地に追放すりゃええんでねぇか?」

「それって……覚悟の自殺みたいな?」


 ヨーゼフはそうだと頷き、酒を一口飲み、口をなめらかにする。


「ほれ、逃散するほどに未来に絶望しとるんじゃろ? なら、正直に気持ちを書いて、先祖の元に行くと書き置きば残して、荒れ地に出るんじゃ。レオンが案内する必要はねぇ。わしらが迎えに行けばええ。そんならレオンが罪に問われるこたぁねぇだろ?」

「……追っ手が掛ったら?」

「村人が居らんと気付くまでどんだけ時間が掛る? 仮に即日気付いて調べたって、あるのは書き置きだけで、その村から近隣の村に行った者の痕跡はないべ? どこを探す? 荒れ地に出るのも歩きで行けば轍も残らん。それでどうやって追い掛ける? もしどこかに潜伏してると疑われたって構わねぇ。そんとき探すのは国内じゃねぇか?」

「……相変わらず、ヨーゼフ君は少し酒が入ってる方が調子が良いね。それにしてもなるほど。ヨーゼフ君の意見を叩き台にすれば良さそうだね。あるなら馬車を使ってもらって、馬車の轍を残さないように丸太でも牽けば色々運べるかな? アントン君はどう思う?」

「まだ人数も何も聞いておらんぞ。もう少し詳しい話を頼む。ああ、受け入れる方向で構わんと思うぞ?」


 アントンにそう言われ、ヘンリクはそうだったね、と笑う。

 そして、住人が7家族でアーレント村から10kmほど東のフェリクスという村であると説明を始めるのだった。

誤字報告、ありがとうございます。


暑さのせいか、少々体調を崩しておりまして、申し訳ありませんが、しばらく更新頻度が崩れるかも知れません。

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