57.川の水
王がひとりで多数の諫言に埋もれ、これから側近とどう接するべきか悩み、御前会議で更に様々な意見に押し流されそうになっていた頃。
事態は最悪の方向に進んでいた。
最初にそれに気付いたのは、ヴィードランドの南に位置するオーグレン王国、その最北端のレーン村に住むアロルドという名の農民だった。
いつものように、畑に撒く水を汲みに用水路に向うと、
「水がねぇな、堰でも閉じたのか?」
用水路に水が流れていなかった。
それに気付いた農民は、浚渫工事の予定でもあったのかと、確認のために向う。
だが、堰には誰もおらず、それどころか、堰は閉じていなかった。
にも関わらず水は流れていない。
堰の向こうを流れる川にも水がほとんどなかったのだから当然である。
「どうなってんだ?」
農民は堰の管理人の家に向い、川が干上がっているが、いったいどうしたのかと管理人に尋ねた。
「そんな馬鹿な……」
と笑う管理人を引き摺るようにして堰まで連れて行くと、一目で状況を見て取った管理人が青ざめる。
「……そんな馬鹿な!」
管理人はなりふり構わず村長の家に走り、
・村で預かっている早馬を使って、領主に状況を伝えるべきではないか。
・状況を伝えるにしても、今のうちに同じく早馬を使って荒れ地を流れる川の状況を調べておくべきだ。
・可能な限り、水を節約するように村人に伝えるべきだ。
と提案すると、堰に戻って水が干上がった川底に降り、泥の中に何かヒントになるものがないかと調べ始めるのだった。
◆◇◆◇◆
村長は、少し悩んだ末、国から預かっている2頭の早馬の内、1頭を使って領主に緊急を報せた。
村人には水の節約を伝え、自分の家の馬を息子のニルスに預け、荒れ地に調査に行くように伝える。
「調査って何を?」
「知らん。知らんから見に行くんだ」
ああ、原因らしいものがないかを探してくるのか、と理解したニルスは、普段は農作業や荷馬車を牽かせている馬に鞍を付け、水と食料と短剣を身に付けて荒れ地に出た。
「2時間進んだら、何もなくても戻ってくるんだぞ?」
そう声を掛ける村長に頷き、ニルスは村から出て、川沿いに荒れ地に進んだ。
荒れ地に出ると。荒れ地の中に水のない川が一本続いている。
その川から、左右に用水路を掘った開拓失敗の跡と、所々には村から運んで来た土が撒かれていた形跡があった。
それらは全て乾ききっていて、荒れ地の恐ろしさを改めて目の当たりにしたニルスは背筋に冷たいものを感じる。
だが、用水路は開拓失敗と判断された時点で埋められており、それらが川に悪さをする可能性はない。
そもそも、用水路跡を過ぎても川は干上がったままなのだから、開拓失敗のエリアは今回の原因とは無関係だと分かる。
北上を続けるニルスは、川底に残る水溜まりに魚が跳ねているのに気付き、獲っていきたいと思いつつも、今はそれどころではないと更に進む。
休憩を取り、空を見上げると、そろそろ二時間が経過した頃合いだと分かる。
馬には出発前に水を飲ませているが、これ以上進めば帰り道がつらくなるのは目に見えていた。
ニルスは泥の中のゴミが顔を出した川底をじっと見つめた後、来た道を引き返していくのだった。
ニルスが村に戻ったのは、太陽がかなり傾いた頃で、枯れた川の堰の所にいた管理人が最初に彼を見付けた。
「よう、ニルス! 大変だったな。どうだった?」
「二時間くらい進んだけど、川はどこも干上がってる感じだ。所々に水溜まりもあるけど、流れるほどの量はない。原因らしきものは見付からなかったよ」
馬に乗ったままニルスがそう答えると、管理人は
「そうか。おっと、足止めさせて済まん。村長も待ってる。伝えてやってくれ」
と、ニルスに手を振った。
「ああ、そうするよ」
「村長によろしくな。しかし何でこんな事になったんだろうな?」
「俺もそれを知りたいよ」
他の国からの川であれば、国家間のトラブルで、上流の国が川の流れを止めて荒れ地に水を捨てる、等と言う脅しを聞く事もある。
だが、国家間のトラブルであっても水を止めるのは相手を殺しに掛るようなものだから、大抵は脅しで終るし、いきなりという事もない。
村長の息子として、最低限の外交知識程度は身に付けているニルスはそう言って肩をすくめた。
◆◇◆◇◆
オーグレン王国で川の水がなくなったと騒ぎになっていた頃、ヴィードランドで御前会議が行なわれていた。
つまり、王が悩んでいる間に、水害の被害は下流の国に到達したのだ。
橋が流されたり木が流されたりした結果、それらの残骸が下流の橋を堰き止め、水がそれを押し流す。
ヴィートランドで発生したその連鎖は、大量の残骸を生み、その大半が川縁などに遺された。
だが高低差が大きく、大河としては急流として知られるポリス川である。
かなりの量のゴミがヴィートランドから南に流れ出た。
そして今回もまた運が悪かった。
流れ出た橋の残骸が川底に触れ、流れの勢いに押されて突き刺さったのだ。
そこに沢山の残骸が引っ掛かって堰となり、水を堰き止めた。
運が悪かったのは、その堰が出来たのが、ヴィートランドから数キロ離れた地点だったことだ。
僅か数キロ。
だが、ヴィートランドの国民が、川が堰き止められたと気付くには少々難しい距離である。
堰き止められた周囲に堤でもあれば、水圧で堰が押し流されたかもしれないし、堤の内側を通って水が下流に流れたかも知れない。しかし、荒れ地に堤を作るような物好きはいない。
堰き止められた水は荒れ地に薄く広く広がり、砂礫に吸い込まれ、それに気付く者は誰もいなかった。
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