56.平時であれば真摯な姿勢
王の気付きの切っ掛けとなった水害をもたらしたポリス川という大河は、ヴィードランドの西寄りを流れている。
水害の被害はポリス川流域のかなりの範囲に及んだが、それでも被害はその流域に限定される。
ヴィードランド南西に領地を持つローベルトは橋が流れたことで足止めを喰らったが、影響を受けない土地の領主は王都入りすることができた。
そして、今回は御前会議を待たずして王への目通りが叶った者たちは、王に様々な問題点を伝えていく。
「新しい農法にそのような問題があったのか……アクス伯爵、ヒュッター子爵の提言については王宮でも検討させよう」
――農法について、どのように変化し、その結果、農民達がどのように苦労をしているのか。
「軍の行なっていた治水工事なら知っておったが、それも廃止されていたのか……それが水害の原因である可能性もある、と」
――水害原因についての分析結果。
「製鉄所の位置を変えたことで、そのような問題が起きておるのか」
――炉が人口密集地帯付近に移設されたことで発生しつつある煤煙問題と河川の汚染。燃料の伐採に伴い山林の木々が伐採されている事。その伐採もまた、水害の理由として挙げられていた。
「ヘンリク・アラヤ伯爵が管理していた書物が、追放後に失われた?」
――貴族派にとってまずい情報が、闇に葬られていたこと。
そうした事を知ってしまった王は、その証拠の提示を求めた。
それはこれまではなかった姿勢である。
ギルベルト・アクス伯爵は自分たちの述べた事を信じないのか、等とは言わず、素直に証拠になる情報を追加する。
やや不満げな、ハンネス・ヒュッター子爵もそれを見て、証拠になりそうな資料を提示し、その帰り道に愚痴を言う。
「アクス伯爵。証拠の提示を求められるとは、やはり信じてもらえていないのでしょうか?」
「何を言う。卿は部下からの報告を鵜呑みにするのかね?」
「いえ、裏は取りますが……では、陛下のアレは、そういう意図だとお考えなのですか?」
「分からん。が、鵜呑みにせず、裏取りをしようという姿勢は正しいものだ。しかし、あのやり方ではまだ問題がある。王の現在の問題点は、側近がまったく機能していない事だ」
王に限らず、上司が全てを把握することは難しい。
だから部下に報告をさせる。
その報告が、故意・過失を問わず歪みを含んでいた場合、王の判断も歪むことになる。
そうならないための対策として、別の者に報告させて比較したり、証拠となるものを提示させたり、第三者に確認をさせたりと多種多様なやり方がある。
だが、完全な方法はない。どのやり方にも問題は残る。
だから、取りあえず、報告内容を吟味可能なように証拠を添付させ、必要なら信頼できる第三者に確認させる。
というのが落としどころとなる。
今回、王が行なおうとしているのはそれだと伯爵は言った。
「それが落としどころだとすれば間違っていないように思いますが?」
「側近が側近として働いているのならな」
意見が証拠つきで提示されても、証拠が捏造されていれば判断は間違ったものとなる。
だから、信頼できる第三者に確認させるわけだが、王にとって信頼できる第三者というのは側近のことだ。
だが伯爵が調べた限り、その側近が王に誤解を招くような情報を吹き込んでいる可能性があるのだ。
「側近が信用ならないというのは困りますね」
「……一応、その調査結果と、対策についても王に渡しているが、どこまで信用してくださるか」
「アクス伯爵には良いお考えがあるのですか?」
「私達の提出した資料だけではなく、幾つかの資料を側近達に確認させ、信頼できる第三者にも同じ事をさせれば良いのだ……普通は、その信頼できる第三者というのが側近なのだが、儂の策では先王の側近達を指す」
「先王の側近……ああ、なるほど、それは良いお考えです」
先王の治世を支えたのが先王の側近達だ。
つまり彼らには大きな実績がある。
先王の側近達の成果を知らなくても、先王の成果を知っているなら、それが間接的に彼らの成果を保証する。
加えて先王を尊敬している王ならば、先王の側近の言葉を重く受け止める可能性が高い。
ただしそれは現在の側近が、王の判断を歪めなければ、の話だ。
王が先王を尊敬していても、伯爵の言葉に耳を傾けず、調べようと思わなければ意味はない。
そしてもしも王が伯爵の言葉を真摯に受け止めた場合、今現在そばにいる側近達は立場を失う。
信頼されていない、という意味と、役職を失うというふたつの意味でだ。
だからこそ、王の側近達は全力でその考えを捻じ曲げようとする筈だ。伯爵はそう考えていた。
「その対策はあるのでしょうか?」
「ないな。我々の立場で出来るのは奏上することだけだ。不敬3回に賭けたとして、その言だけで態度を変えるようなら、それはそれで問題だろう?」
正しいことを受け入れる。
そう言えば、態度を変えるのは正しいことに思える。
しかしそれは、裏どりも満足に出来ない情報を受け入れる、という意味でもある。
今回に限ればそれは正しい判断だが、現在の問題は側近達の意見を鵜呑みにしたことが原因である。
伯爵の言葉を鵜呑みにするというのは、それを繰り返すという事なのだ。
「困りましたね」
「うむ。卿も今の内に、背中を預けられる仲間を見付けておくことだ」
「それはつまり……」
子爵は伯爵の言葉に息を飲んだ。
伯爵は、何か問題が起きると考えていると伝えてくれたのだ。
「どちらを見ているべきでしょうか?」
「卿の領地は北東だったな。ならば東だ」
ヴィードランドの北東の土地から見て、東にあるのは荒れ地と他国である。
つまり、伯爵の言葉は周辺諸国の動きに注意せよ、という意味になる。
それを理解した子爵は伯爵に対して深々と腰を折って頭をさげるのだった。
「情報、感謝します。御前会議で、周辺の領主達と相談します」
◆◇◆◇◆
多くの意見が届き、王はその対応に忙殺されていた。
特に多かったのは、
『側近を信じすぎるな』
という意見。
同じくらい多かったのが
『王にとって側近は目や耳であり手足である。王から目や耳、手足を奪う離間の計を画策する動きあり』
という忠言だった。
「どちらを信じれば良いのだ?」
いずれも複数の証拠らしき資料が添付されている。
が、状況証拠のようなものが多く、どちらが正しいのかを判断するに足る決定的なものはない。
「そもそもが、今はそんな事にかまけている場合ではないのだが」
――意見があれば身分に関わらず俺に届けよ!
王は確かにそう言った。
しかしそれは『此度の被害への対策などを広く求める』ためのものだった。
だが、シューマッハ伯爵の時に意見を聞かなかったことで今の状況となっている。
その後悔が王の判断を鈍らせていた。
結果、届いた意見に対し、可能な限り真摯に向き合うという、平時であれば真摯な姿勢を生むこととなる。
それが、この状況に於いては最悪手であると気付くには、あともう少しの時を要する。




